神は死んだ
「っ……! ユリ、あんた何をしたの……!?」
「……『断罪』を、行いました」
「い、や……それ、は……でも、だとしたらこれは……」
私は自らの穢れを隠すように、隠匿の秘術をかけました。これで、今の私は普通の人間のままに見えていることでしょう。
サリナさん。以前から目覚ましい活躍をしていた修道女です。彼女からは避けられていることもあり、どういった人物なのかはよく分かりません。ですが、悪い人では無いと思います。
彼女はストイックな方でした。私の他に全ての教えを諳んじられるのは、サリナさんだけだったと思います。そして先ほどのように、後輩への指導にも尽力されていました。私に対しては、常に冷たいような気はしますが。
「私は、教会を抜けます。目上の、それも育ての恩師に『断罪』を放つなど、許されることではありません」
「……抜けて、その後はどうするつもりなの」
「神聖術は信徒以外へは門外不出。永久に口を噤むしかありませんね」
「……! 貴女の人生は、それで良いのっ!?」
何故か泣きそうな顔をしたサリナさんに、肩を掴まれ問いかけられました。思わず奥歯を噛みました。貴女に、何が分かるのです。
「貴女のその眼、ずっと嫌でした」
「……え?」
「私を憐れむような、その眼。蔑むでも、見下すでもなく、ただ憐憫するその視線が、堪らなく不快でした」
サリナさんはずっとそうだった。声をかけるでも、救いの手を差し出すでもなく、ただ見ていました。私が痛めつけられるのも、心ない言葉を投げ掛けられるのも、手痛い仕打ちを受ける時も。
貴女は何も、してくれなかった。ただ、見ていただけ。
「だから、もう何もしないでください。ずっとそのまま、見ていてください。でないと、どうしてって、思ってしまうから」
「私、は……」
「さようなら。貴女の道に、祝福があらんことを」
なんて器量の小さいことか。いつまでも過去のことを引き摺って、言わなくて良い嫌味まで吐き捨てる。最低だ。
「待って……! 待ってよ!!!」
「……離してください。これ以上、私に関わらないでください」
「私はずっと、貴女を救いたかったの!」
……は? 今更、何を言っているんですか? じゃあ何故、そうしてくれなかったんですか? どうしてそれを、今言うんですか!? 私はずっと、その救いを待っていたのに!
「この教会は間違ってる。そんなの、分かってた……! でも、駄目だったの! 貴女に手を差し伸べて、その先で私が貴女のような扱いを受けるかもしれないと思うと……! 怖くて、何も出来なかった……!!!」
それは、告解でした。懺悔とも言えるかもしれません。彼女は真面目な人でした。それ故、教えとはまるでかけ離れた実情に、ずっと違和感を感じていたのでしょう。
けれど、何も出来なかった。何も、しなかった。それが、貴女の罪です。
「私に、誰かを裁く権利などありません。それは神父様に対しても、貴女に対してもです。ですから、その罪を軽くすることは、私には出来ません」
私は涙を流すサリナさんに向き直ります。私が死のうと、世界は素知らぬ顔で回り続ける。その時、この教会には指導者が必要になります。皆導く、優秀な信徒が。
「ですから、これは罰ではなく、呪いです。貴女に託します」
「それ、は……」
「神父様は当分の間、眼を覚まさないでしょう。覚めたところで、マトモな状態ではありません。だから、サリナさんに任せます」
「私に……神父の代理をしろってこと?」
「そうです。筋書きは何でも構いません。もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように。貴女の手で、この教会を変えてください。サリナさんなら、きっと出来る」
それは、彼女を茨の中へ突き落とす行為です。私は分かっていました。そのような理想が実現しないことなど、理解しています。その上で、私はサリナさんを地獄へ落とそうとしているのです。
彼女はその呪いを、決して拒まないと知っているから。
「ルナエール教会をどうか、よろしくお願いします」
「ぁ……!」
私は最後に一礼をして、微笑みました。サリナさんはその顔を青くすると、何かを言いかけてその手を伸ばしました。けれど、すぐにそれが無意味だと知ったようです。
私はそのまま、教会から立ち去りました。持ち物は何もありません。全て、無くしてしまいました。もう、生きる意味だってありはしないのです。
気付けば、その足はあの湖畔へ向かっていました。未練がましく、まだ私は生きようとしている。その事実に、自己嫌悪が止まりませんでした。
ここに来れば、あの人がまた救ってくれるような気がしました。
ここに来れば、あの人に全てを委ねてしまえるような気がしました。
ここに来れば、あの人に……何もかも、壊して貰えるような気がしました。
「ユリ! 良かった、此処に居たんだね!」
「……っ!? シス、さん……?」
「君にお願いがあって来たんだ。実は、僕たちで王都へ遠征しようって話しになってさ。良ければ、ユリも一緒に──」
そこには光がありました。明るくて、暖かくて、それ故に近付き過ぎれば身を焦がしてしまう、そんな光が。
「……? ユリ、何かあった? 少し元気が無いみたいだ」
「ふふっ……貴方に嘘は吐けませんね。そうですね、とても嫌なことがありました。私の全てが否定された様な、そんなことが」
「僕で良かったら、相談に乗るよ。ユリにはいつも、元気付けられてきたからね」
……あぁ。やっぱり、駄目です。その顔を見ていると、私の中の化け物が暴れ出しそうになる。隠したはずの穢れを曝け出して、貴方の顔を歪めてしまいたくなる。私で、塗りつぶしてしまいたい。
でも、それは許されません。穢れた私が信徒であることも、聖印を持つことも、誰かを愛することも、何もかもが罪であるのです。
「──聖印を、消そうと思うのです」
「……な、んで? どうして、そんな、ことを……」
「私は信徒失格です。ですから、声高に叫ぶのです。全ての信徒に届くよう、最大の証明を最後に為すのですよ。そう、神は死んだ、と」
ですから、神など居ないと、叫びましょう。私は知っているのです。教えなどまやかしに過ぎず、信徒達は神という在りもしない超常を盲信しているだけなのです。
もし、神が私を裁くのなら、それは神が居たという証明。私の命は、無駄にはならない。
もし、神が私を裁かないのなら、それは神が居ないことの証明。私は、満足して死ねる。
だから、邪魔をしないでください。お願いします。貴方を前にすると……死にたく、なくなってしまうから。私はその感情を振り払うように、旅には同行出来ないと、きっぱりと言い放ちました。
「どうしてだ! なんで聖印を消すなんて言うんだよ!?」
「…………シスさんには理解出来ませんよ。私の身は、穢れているのですから」
「そんなこと無い! 君はいつだって、誰かのために行動してきたじゃないか!」
「違うっ! 私がやってきたことは全部、自分のためだった! 私に、神の御業を行使する資格なんて無いの!!!」
終わりにしましょう。シスさん、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうか、私のことは忘れてください。私は、疲れたのです。私には何が正しいのか分からないのです。
「今まで色々と協力して頂いて、ありがとうございました。おかげで、自分の浅ましさを知ることが出来ました。だから、もう私には関わらないでください」
「ま、待って! まだ話は──!」
さようなら、シスさん。私は、貴方をお慕いしておりました。
私は彼から背を向けて、走り出しました。何故か、涙が溢れて止まりません。あぁ、なんと浅ましいことでしょう。私は、私でも気付かぬ内に、彼へ期待していたのです。彼が、私を救ってくれるのではないかと。
自分から拒絶しておいて、何様なのでしょうか。私はそういう人間なのです。本当に、醜くて汚い、最低な人間だ。こんな、こんな私なんて──!
「待って。少し、止まって」
「え……? あな、たは……」
「ん、久しぶり。シスのパートナー、セロだよ」
「……王都への旅はお断りしました。もう、私に関わらないでください」
「そう。理由を聞かせて貰える?」
どうして、そんなに私を気にかけるのですか? 未知の恐怖で、私は思わず後ずさりしてしまいます。私は、逃げられないことを悟ると、ゆっくり、言葉を紡ぎました。
「私は穢れてしまいました。もう、神の御業たる神聖術を操るに値しません。そんな私に、価値なんてないのです」
「神聖術、使えないの? 私でも簡単なのは使えるのに」
「違います。使用するだけなら上位の神聖術まで発動させられます。ですが、それは許されない行為なのです。私の身は、穢れていますから」
「……意味が分からない」
「なら、これで分かるでしょう?」
私は解除の祝詞を唱えると、その身の穢れを露わにしました。自分の魔力が滲んで、黒く濁っていくのが分かります。セロさんはそんな私を見て、その表情を強ばらせました。
「……え? 尻尾……?」
それは恐らく、噂に聞くお伽噺の存在。私という存在があってはならない、何よりも証拠でした。
「私は……魔獣と人間のハーフ。化け物、なんです」




