魔の力
コツ、コツ。階段を下る度、足音が反響する。以前まで、この道を歩くのに感じていたのは、恐怖と絶望だった。今は違う。ひたすらに、虚しかった。
「お待たせしました、神父様」
「おぉ……!ようやく帰ってきたか!!! 待ちくたびれたぞ!」
神父様は私に背を向けたまま、そんな言葉を吐きました。以前とは違う、媚びへつらうような嫌な笑い方と、私を罰する時と変わらない声色。そのちぐはぐさが、苦手です。
「君は、神聖術を私以上に扱えるようになった。もはや、君を聖女と疑う者は居ないだろう。つまり、時期が来たのだ」
「……どういう、ことでしょう」
「分からないか? 近頃、邪神王の軍勢はこの大陸を着実に侵略しつつある。必要なのは、希望なのだよ」
神父は語る。私を王国大教会へ推挙させ、かの伝説の7聖女の末裔として大々的に売り込むのだ。この混迷の時代において、その風評はいたく気に入られることになるだろう。そして、彼はその恩恵に預かる。
あぁ、なんと素晴らしいことでしょう! 何者でも無かった私が、聖女として世界に希望を照らす存在となれるのです。神父様への孝行も行えるのですから、もう私が思い悩むことも無くなるのです。
仮初めの聖女であろうと、問題は無いのです。いや、私は仮初めでなくてはならないのです。本物の聖女であれば、その立場や進退など、何の価値も無いはずなのですから。
全ては、神のお導きのままに──
『ユリ』
「……っ! ち、がう……」
「ん……? 何か言ったか?」
その時、彼の声がした。優しくて、暖かくて、私を照らしてくれた太陽。私が憧れ焦がれ、光が曇るならばいっそ自分で穢したいとすら思った、私だけの光明。誰にも渡したくない、一筋の糸。
それを手放し、欺瞞だらけの教会で生き続ける、なんて。
そんな運命は、要らない。そんな在り方は、必要ない。そんな結末は、認めない──!
そう、そうです! 私はずっと疎ましかった! この環境も、境遇も、因果も! 何もかもが私の全てを否定しようとする! 私だけの光を、神様を、奪おうとする!
要らない、要らない、要らない──! そんなくだらないもの、全部壊れてしまえば良い!
「あは、アハハッ……! そうでした! そうすれば良かったんです! 今更、何の呵責があったと言うのです!!!」
「ゆ、ユリ……? い、一体どうし──」
「『罪を絶て』『罪を贖え』『罪を認めよ』『断罪の礫』『吊された神人よ』」
「きさ、貴様ッ!!! 気が狂ったか!?」
神父はその術の詠唱を聞き、猛った。彼女が唱え、行使しようとしているのは、上位神聖術『断罪』。教義に基づき、対象の罪を精査し、その数だけ出力の上がる神聖術だった。
しかし、『断罪』は教会の人間に対し、殆どその効果を及ばさぬ術だった。それもそのはず、大多数の教会の人間は教義に則った行い、祈りと禊ぎを欠かすことが無い。それ故、罪は比較的軽い。それこそ、生きていることが罪、のようなものばかりになる。
だからこそ、『断罪』を信徒へ放つことは、最大の侮蔑となるのだ。ましてや、育ての親に罪ありと指を指すなど、許されることでは無い。神父は、目の前の少女に途方もない怒りを抱いた。もはや、この不敬者を生かしておくべきではない。
「さぁ放て! その『断罪』、私は逃げも隠れもせぬぞ! 私に罪など、一欠片たりともありはしない!!!」
「えぇ、そうですよね。貴方はそういう人です。自らを敬虔な信徒と信じて疑わず、非道な行為も、神の名の下に神聖な行いにすら昇華していた。全くもって虫唾が走ります」
少女は右腕を振り上げ、その光を一点に集めた。それを振り下ろせば、神の裁定の元、神父には罰が下るだろう。最も、その威力は下位魔法と背を並べる程度の出力しか無いだろう。だからこそ、神父は黙って見守っているのだ。
ユリは思う。なんと、歪な術なのだろうと。この男は、私を散々殴りつけた。骨を折った。罵声を浴びせた。心に傷をつけた。挙げ句の果てには、この身の貞操まで売り払おうとした。
だというのに、この術はそれを罪と認めない。この男を、罰さない。こんな在り方は、絶対に間違っている。
「『揺蕩う闇』『贋作の虚栄』『漆黒の裁定』『荒ぶる雷』『堕ちた天使』」
「──はっ? それは、なんだ……?」
だから、私が裁く。通常、5節の祝詞からなる『断罪』に、追加で5節、呪言を足した。それはもはや『断罪』では無かった。左手の暗黒に塗りつぶされたそれは、邪神王の手の者が扱うそれに酷似していた。
何故、ユリがそんな術を扱えるのか、神父には分からなかった。ただ、現実として、その尋常ならざる術を、ユリは易々と唱えた。一気に、恐怖が押し寄せてきた。
「ま、待ってくれ! 私が悪かった! お前の言うとおりにする! だ、だから命だけは……!」
「元からそのつもり、ですよ? 育ての親を殺すだなんて、そんなこと、致しません」
「そ、そうか……! なら、この術も――」
「その程度で、終わらせるつもりはありませんから」
少女は無感情に、そう呟いた。男はその顔を引き攣らせると、そのまま黒の一刀に両断された。神父に、裁定が下る。
神父が意識を失うその時、彼は見た。目の前の少女が、黒色の魔力と、その身に宿すはずのない器官……黒い尻尾を蠢かす様子を。
「ばけ、もの、めぇ……!!!」
神父は倒れた。死んでいるわけでは無い。ただ、それ以上の責め苦を受けることになるだろう。具体的に言えばそう、ユリに振るった暴行や、痛みをそのまま体験することになる。
彼女が味わった恐怖や絶望も、それはそれは鮮明に再現されるだろう。全て終われば、彼は自由の身だ。これが、ユリなりの『断罪』だった。
「あぁ、そうなんですね……私は、聖女どころか人ですら無かったのですね」
ユリはぽつりと、心中を吐露した。その胸にあるのは、ただひたすらの絶望しか無かった。自分の身は、穢れていた。どういった理由があるのかは分からない。しかし、この身が汚れているのは事実だ。現に今、感情の高ぶるままに一人、私刑を下した。許されないことである。
自分に神聖術を扱う資格は無い。自分に教会の信徒たる資格は無い。自分に……生きている資格は、無い。ユリは、そう決めつけた。
私は、穢らわしい存在。早急にこの命を終わらせなければならない。だとすれば、これ以上この場を踏み荒らす訳にはいかないだろうと、その場を後にしようとする。
「……これ、は。どういう、ことなの?」
「あぁ……見つかってしまいましたか。サリナさん」
出口には一人、緑髪の修道女が立っていた。ユリはただ、悲しげにその少女を見つめていた。もはや、後戻りは不可能だった。




