聖女の資質
あの日から、私の生活は一変しました。あれほど結果の出なかった神聖術は綿が水を吸うかの如く、日に日に強力になっていきました。
「私は信じていたぞ! 今まで辛く当たっていたのも、逆境に耐えうる精神を磨いて欲しかったからなのだ! 本当に良くやったぞ!」
神父様は手のひらを返し、私を讃えました。私は吐き気を催しながらも、作り笑いをきちんと浮かべました。表面上は、私は聖女であらなければならないのです。
「ユリ様! 今日も素晴らしい御業でした! ルナエール教会の信徒として、誇らしい限りです!」
今まで散々私を無視してきた信徒達は、その顔に尊敬を浮かべて笑いかけてきます。気持ち悪くて仕方ありませんでした。
「…………」
「あ、ちょっとサリナ! ユリ様に挨拶は!?」
「……別に。必要ないでしょ」
「す、すみませんユリ様! あの子、前までこの教会の筆頭でしたから……きっと、ユリ様に嫉妬してるんですよ。信徒にあるまじき卑しさですね」
「あはは! 前から調子乗ってたんですよ、アイツ! 全く、いい気味ですね!」
そういって、私の代わりに他の信徒を迫害する。気持ち悪い。彼女らは、神の信徒だというのに、その実態はこれだ。気持ち悪くて仕方が無い。
「ユリ! 君の才能を信じていた!」
気持ち悪い。
「ユリ様! 貴女はこの教会の誇りです!」
気持ち悪い。気持ち悪い。
「「「ユリ様! ユリ様! ユリ様!」」」
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い──!
「ユリ、どうかしたの?」
「な、なんでもありません……少し、疲れているだけです」
「……そっか。なら、今日はお昼寝をしよう」
「そういう訳にはいきません。折角、シスさんのお時間を頂いているのです。もっと有意義に使わなくては……」
「休息も大事だよ! ほら、横になってみな」
「…………」
言われるがまま、私は横になりました。青い空は美しく、僅かではありますが現実を忘れさせてくれました。シスさんはそんな私を見て、微笑んでいます。
汚くて醜いあの場所とは違って、この瞬間だけ私は心の底から笑みを浮かべられました。適当な理由をつけ、この人の時間を独り占めするこの時だけ、私は幸せを享受出来ました。その度に、私の心は締め付けられます。
私は清貧を心掛けなければなりません。清く、正しく、皆が望む聖女を目指さなければなりません。だというのに、私の胸のうちは神への否定ばかりが溜まっていきます。
聖女なんてどうでも良い。教会なんて無くなってしまえば良い。神なんて居るわけが無い。私を救ってくれたシスさんを認めない教えなんて……無くなってしまえば良いと。そんな考えばかりが浮かんでしまいます。
「シスさん。手、握ってください」
「……ユリ。君はもっと距離感を考えた方が良い。僕だって男なんだぞ? 勘違いしてしまったらどうするんだ」
「勘違いしてくださるのですか? うふふっ、それはとても喜ばしいことですね♪」
「はぁ……揶揄うんじゃない。僕は君のことを心配して──」
そう言いながらも、シスさんは私の手を握ってくれます。暖かくて、優しい。私はその指を絡めながら、隣の彼の顔を眺めます。その愛らしい顔も、少し赤らめた頬も、懇々と私を思いやる言葉を綴る言葉も、全てが愛おしいのです。
貴方が欲しい。貴方を独占したい。貴方を貪りたい。貴方を汚したい。貴方を穢したい。貴方を染め上げたい。貴方を埋め尽くしたい。貴方を崇めたい。貴方を虐めたい。貴方を愛したい。貴方を……私だけの神様にしたい。
欲望が溢れて止まりません。シスさんのためなら、私は迷いなく教えに反することが出来るでしょう。それほど、私はシスさんに毒されていました。
その度に思うのです。私は清く正しい聖女に相応しくありません。だというのに、この身の聖印は刻まれたままです。いつになっても、教えが私を否定してくれません。
もし、神様が本当に居るのなら……清廉とはかけ離れたルナエール教会も、信徒達も、私も、天罰が下るはずなのです。そうならないのは、つまりは神は居ない……ということなのではないでしょうか。
教会の教えは、いつだって私を救ってはくれませんでした。祈っても痛みは無くなりません。縋っても助けてはくれません。どれほど教えを実践しようと、救いなんて訪れませんでした。私を救ってくれたのは、シスさんだけです。
貴方が、欲しい。それだけが、私の望みなのです。
「……シス? 何、してるの?」
暗い欲望を煮立たせていると、そんな声が聞こえました。鈴が鳴るような綺麗な音が、確かな不快感を滲ませて突き刺さりました。そこには、綺麗な銀髪の少女が居ました。まるで、お伽噺に出てくるような綺麗な妖精さんのよう。
「大したことはしていませんよ。少々、スキンシップを嗜んでいただけです」
私は笑みを貼り付けながら、少女の前へ立ちました。刺すような殺気と、思わずたじろいでしまいそうになる威圧感。それだけで分かりました。彼女もまた、シスさんに脳髄まで焼かれてしまった一人なのだと。
「……シスは私のだ。お前なんかにあげない」
「うふふ……可愛い子ですね。心配なさらずとも、そのような魂胆はありません。シスさんとは、ただのお友達ですから」
まるで鏡を見ているみたいでした。道理も理屈も無く、ただひたすらに自らの感情に支配されていて、それを冷静な自分が恥じている。貴方は罪な人ですね。まだ幼い子に、そんなものを教えてしまうなんて。
「私はお邪魔のようですし、これで失礼致します。シスさん、今日はありがとうございました」
「うん……じゃあね」
私は二人に背を向け、その場を立ち去りました。一人になって、私は気付きました。あの少女に対し、確かな不快感を持ってしまっていることに。
考えてしまうのです。あの子がシスさんに甘えているところを。あの子がシスさんに愛を囁くところを。あの子が……シスさんを汚しているところを。
「……いけませんね。なんと、はしたないことでしょうか」
私は口元の血を拭って、神聖術で元通りにしました。このような醜さ、教会の人間にあるまじき行為です。やはり、私は聖女などではないのです。
「あっ! お帰りなさい、ユリ様! 神父様がお探しになっていましたよ!」
「ありがとうございます、シスターリサ。わざわざ待っていてくれたのですか?」
「えへへ……私、この教会では一番の後輩ですから。まだまだ至らない点も多くありますので、これくらいなんてこともありません!」
茶髪の少女がそう言って笑いました。リサは、最近この教会へ入信した見習いです。その明るさは孤児とは思えぬほど快活で、私はその笑顔を見る度に思い知るのです。私のとはまるで違う、本物の善性であることに。
彼女のような人間にこそ、聖女は相応しいと。
「……? わ、私……何か気に障るようなことをしてしまいましたか?」
「っ……! なんでも、ないのですよ。貴女は何も、悪くありませんから」
一瞬、考えてしまいました。その純粋さが、清廉が、私にあったらと。何よりも恥ずべき、浅ましい考えでした。
「リサー? そろそろ勉強のじか──!?」
「あっ、サリナさん! すみません、お待たせしてしまったようで」
「……では、私はこれで」
私は足早にその場を立ち去りました。やはり、私にはこの聖印は相応しくない。いっそのこと、これを消し去ってしまえれば良いのに。
「……サリナさん? どうかしましたか?」
「貴女は、どう思う? ユリについて」
「素晴らしい人だと思いますよ! いつも落ち着いていて、神聖術の扱いも凄くて、誰よりも教えの実践に熱心です! その有り様は、本物の聖女様みたいです!」
「そう……やっぱり、リサは可愛いわね。これからもその純粋さを忘れないで」
「も、もう~! 頭撫でないでくださいよ~!!!」
「……憐れだわ。あの子に、聖女なんて似合わないって言うのに」




