いずれ聖女と呼ばれる少女
物心がついた頃には、私は教会に居ました。ユリという名を与えられ、聖印と呼ばれる神の信徒たる証を身体に刻まれた私は、何の疑いも無く教えを信じていたのです。
信じれば救われる。愛は世界を救う。真摯に信じれば、全ては救われる。そんな教えを、本当に尊いものだと疑いませんでした。教えの通りにしていれば、いずれは立派な信徒となれるはずだと。そんな夢を描いていたのです。
しかし、次第にその考えは疑惑へと変わっていきました。いくら祈ろうと、いくら身体を禊ごうと、いくらこの身を罰しようと、私には神の御業である神聖術が使えなかったのです。一人前の証である中位はおろか、下位の神聖術もまともに行使出来ない。私は、出来損ないでした。
「ユリ、君も14歳だ。人には役割というものがある。教会としても、神聖術を修めていない人間を、いつまでも信徒として扱うことは出来ないのだよ。もう、何度も話したことだが、分かっているか?」
「……えぇ、神父様。分かって、おります」
「なら、何故もっと祈らない!? 貴様のせいで、私がどれほど恥を掻いたことか! 理解していないから、のうのうと日々を過ごせるのだろう!?」
「うっ……! ごほごほっ……!!!」
「神は間違えない。ならば、神聖術を扱えないお前に問題があるのだ! その聖印は確かに、かの福音書に記された神の使いたる7人の聖女と同じもの! そんな神の恩寵を腐らせるとは、何たる不敬者か!!!」
「ごめん、なさい……! ごめ、ん、なさい……!」
「この私にこんなことをさせるな! 何度指導しようと、神聖術の一つも修められないクズめ! お前のせいでどれだけ時間を失ったことか……!」
殴られ、蹴られ、踏みつけられる。私に出来ることは、胸のロザリオを握り締めながら謝り続けるだけでした。
神父様はいつも言っていました。こんな片田舎に自分は似合わない。王都の大教会でこそ、自分の神聖術はもっと輝くのだと。そのために、私の力が必要なのだと。年を取り、このまま惨めに終わるだけだった自分の、最後の希望なのだと。
神父様には、孤児だった私を育てて貰った恩義があります。それが善意ではなく、私の聖印を見つけての行為であったとしても、私が生きてこられたのは教会があったおかげです。だから、神聖術を扱えない私になんて、価値はありません。
「おい、良く聞け。お前にはこれまで投資した分、きっちり稼いで貰うからな。15の成人を迎えれば、お前を合法的に売り飛ばせる。それまで、逃げることは許さんぞ。ゴミクズ同然の人生に意味を与えてやるのだ。ほら、泣いて喜べ」
「……は、い。無価値な私に意義を与えてくださり、ありがとうございます」
「チッ……! もっと嬉しそうにしろ! この不敬者が!!!」
「がっ……おぇ……!」
「クソッ……! 汚いな! ほら、手を出せ! 今回は指二本で勘弁してやる。悲鳴は出すな、耐えろよ!」
「────!!!」
神父様はこの地方の教会を任されているだけあり、その腕前は見事でした。どれほど殴ろうと、骨を折ろうと、最後には何事も無かったかのように元通りにされます。暗示によって、私はそれを口外することも不可能でした。ただ、誰にも助けを呼べない神父の私室で、私は嬲られ続けるだけ。
それでも、彼は敬虔な信徒だったので、自らが率先して私を穢すようなことは無かったのは幸いでした。ただ、神に代わって痛みと苦痛を与えられる。それが、私への罰なのだと語りながら。
「ごめん、なさい。ごめ、んなさい。ご、めん、なさい……」
「…………」
「ん……? おや、サリナ。こんな時間にどうしたんだね?」
「っ……! い、いえ……何でもありません。お邪魔して、申し訳ありませんでした」
「気にすることは無い。嫌なところを見せて悪かったね。ほら、早く戻りなさい」
「は、い……神父、様」
誰も味方は居ませんでした。私と同じような孤児らも、ただ居るだけの不敬者である私を徹底的に排斥していましたから。私は穢れた存在であり、そんなものに関われば神聖術を使えなくなると、本気で信じていたようです。
無視され、存在しないものとして扱われる。そんな生活を、もう何年も過ごしていました。物置小屋で眼を覚まし、残飯や残り物で飢えを凌ぐ。邪魔にならない場所で祈り、その後はひたすら神聖術の訓練をしました。夜は寒さに震えながら、時折神父様からの呼び出しをされ、罰を受ける。そんな、灰色の毎日でした。
全ては、私が神を信じ切れていないからなのです。何故、私がこんな仕打ちを受けなければいけないのかと、そんなことを考えてしまうからです。試練に耐えられない私のせいです。私の、せいです。私が、全て、悪い。
「じゃあ、どうすれば良いのですか……! 教えてください、かみさまぁ……!」
何度祈っても、何度悔いても、何度告解しようと、神は何も言わない。何も変わらない。何も起こらない。何も、してはくれない。ただ、永遠にも思える地獄だけを、私に与える。
お願いします。誰でも良いのです。どうか、私を救ってください。もう、嫌なのです。誰でも良いから、助けてください。痛いのは辞めてください。
誰でも良いから、私の手を取ってください──それだけが、私の望みなのです。
「大丈夫!? 君、溺れそうになってたよ!?」
「…………え?」
不意に、私の身体に暖かな温もりが伝わってきました。水しぶきが舞って、酸素が一気に肺を満たしていく。私は一体、何をしていたのだろう? 辺りを見回せば、そこは近くの森の湖でした。咳き込みながら、必死に鈍い頭を回しました。
……思い出してきました。私は祈るのが嫌になって、教会を抜け出してきたのです。それで、ただふらふらと歩いていて、この湖の岬に辿り着きました。
そこから先は、よく覚えていません。恐らく、入水自殺でもしようとしていたのでしょうか。確実なのは、私は誰かの手を煩わせてしまったということです。深く、詫びなければなりません。
「すみ、ません。ご迷惑を、おかけしました」
「とりあえず、水から上がろう。火を起こすから少し待っていて」
「いえ……大丈夫です。私は教会に帰らないと」
「駄目だよ! そんなフラついた状態なのに、見過ごせないってば! 良いから、そこに座ってて!」
「は、はぁ……分かり、ました」
私は、妙に焦っている少年に気圧され、彼の近くに腰掛けました。改めてみると、少女のようにも見えます。声色から男の子だと思いましたが、一体どちらなのでしょう? 見つめていると、彼? はそんな私に気付いて、ニコリと笑いました。少し、胸がドキッとしました。
「ほら、もっと近付いて。魔術で髪も乾かすから、ちょっと触るよ」
「はいぃ……ひ、うぅん……!」
「ご、ごめん! 変なとこ触っちゃった!?」
「ごごご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですから! どうぞ、続けてください!」
近い近い近いっ……! お、落ち着いて……! 深呼吸しないと! この人の感触を意識しないようにして、冷静にならないと! あ、良い匂いがする……きっと、後ろの──
私は思いきり頬を叩きました。両手で、痕が残るほど強く。おかげで、私はすっかり平静を保てるようになりました。動揺なんてしていません。
「本当に平気……? 嫌なら、そう言って良いんだよ?」
「いいえ、大丈夫です。私は全くもって平常です」
「そう……? なら、このまま続けるね」
私は髪を乾かされながら、この後のことを考えました。私のせいで、迷惑をかけてしまった。その償いをすべきでしょう。そう考えてから、まだ大切なことを聞いていないことを思い出しました。
「あの、お名前聞いても良いですか? 私はユリと申します。ぜひ、このお礼をさせてください」
「僕はシスだ。礼は要らないよ。ただのお節介だしね」
「そういう訳には。私は聖教会の信徒として、受けた恩には報いなければなりません」
「……そっか。なら、お礼をして貰おうかな。うーん、そうだなぁ」
私は半人前以下ですが、志だけは聖教会の信徒で居たいのです。決して、下心などはありません。断じて、絶対無いのです。
「じゃあ、一週間後にまた此処で会ってくれない?」
「え……! そ、それは……どうして、ですか?」
「ユリさんのことが、気になるからかな。凄く、興味津々だ」
──へ? そ、れは、一体、どういう、意味? 脳が理解を拒みます。でも、心臓はバクバクと高鳴っていました。私はありえないと思いつつも、しかし夢想してしまいました。それは、子供が思い描くようなお伽噺。白馬の王子が姫を救い出してくれる、そんな妄想でした。
「よし、乾いた。時間がかかってごめんね」
「ふぇ……! あ、あれ……?」
「途中から下向いて何か言っていたけど、平気? もしかして、まだ具合悪い?」
「へ、平気です。わざわざ、ありがとうございました」
気がつけば、辺りが少し暗くなり始めていました。その事実に、私は落胆してしまいます。出来れば、もっと彼と過ごしたかったのに、なんて。
「それで、約束はしても良いかな?」
「構いませんが、一体何を……?」
「とりあえず今は秘密、かな。でも、悪い話じゃないとは思うよ」
シスさんはそう言って、また微笑みました。辞めてください、その笑顔は私に効きます。
ですが……また、会ってくれるのですか。それは、何とも甘美な響きでした。
「えぇ、私で良ければ。此処でまた、お待ちしております」
「じゃあ、一週間後の今日と同じ頃に。じゃあね、ユリ」
「──必ず君を、救ってみせるから」
そう言って、シスさんは私の手を握りました。まるで、私の心を見透かしたように。
そのまま彼と別れ、私は半分放心状態で教会へ戻りました。物置小屋に帰り、あり合わせのベッドの上に倒れ込みます。手をかざして、真っ暗な闇の中で彼の温もりを思い出すと、色んな感情が駆け巡りました。
ドキドキする。背中がむず痒くなる。顔が熱くなって、燃えてしまいそうです。
でも、一番強い思いは……期待の感情でした。私にそんなことを望む資格は無いのは分かっています。けれど、願いたい。シスさんは私の手を取り、この地獄から救いだしてくれるのでは無いかと。
「シス、さん……貴方を、信じてもいいのですか……?」




