勇者と聖女の邂逅
あれから数ヶ月が経った。もう、私に迷いは無い。シスの夢を叶えるために、それまで以上の鍛錬に打ち込むようになり、おかげでそれなりの強さになったと思う。
「邪神、王? 誰、それ」
「知らないの? 巷じゃこの話題で持ちきりだっていうのに。王都が今、海路を魔獣に占領されていて大変なんだってさ」
そんな時だった。邪神王が復活し、中央大陸を暗黒の霧で覆ったという事件が飛び込んできたのは。霧からは強力な魔獣が溢れ出し、私達が住む地域にまで影響が及び始めた。その被害は日に日に増え、世界に暗雲がたちこめていた。
「それでさ、セロに提案があるんだ。王都サーレントは今、邪神王の遣いを名乗る人型の魔獣に攻め込まれている。未来の英雄としては、見過ごせないと思わないか?」
「……そいつ、強いの?」
「噂じゃ、国の総力を挙げて何とか撃退に追い込むのがやっとだったらしい。けど、セロの敵じゃないよ。君ならきっと、邪神王にだって負けない」
「そっか。じゃあ、そいつ仕留めよう」
シスが私に期待している。胸が高鳴って、自然と笑みが零れた。彼のことを思うと、どんなことだって出来る。きっと、今の私は過去最高のコンディションだった。
思い立ったその日のうちに、私達は王都へ行く準備を進めた。不要なものを売り、旅道具を支度する。出発は明後日の早朝に決まった。
「セロ、もう一つお願いしても良いかな。今回の旅、ユリにも声をかけたいと思うんだ。君は、賛成してくれる?」
「……とりあえず、理由を言って」
「シスが誰よりも強いのは疑わないよ。でも、だからといって最強ってわけじゃない。人は簡単に死ぬし、魔獣がどんな手段を用いるのかは未知数だ。そんな時に、対抗できる手札は多いにこしたことはないだろ?」
言っていることは分かる。私は武術や攻撃魔法なら得意だが、援護や治癒の奇跡は平凡だ。治せない毒や負傷で隙が生じれば、その隙が命取りになるかもしれない。あの少女には、それを埋める技量があるのだろう。
けれど、理解は出来ても納得は難しかった。当たり前だ。だれが、自分の好きな人の傍にあのような女を置きたいのか。シスが私にメロメロなのは間違いないが、万が一ということはある。不確定要素は可能な限り排除したい。
よし、じゃあ駄目だと言おう。きっと、シスなら私の意見を尊重してくれるはずだ。
「それに、セロに何かあったり、道半ばで取り返しのつかないことになったら、僕は悔やんでも悔やみきれない。だから、おね──」
「良いよ。あの子、連れていっても」
気がつけば私は、肯定の言葉を吐いていた。今まで考えていたことが吹き飛び、彼の言葉を遮ってまで認めてしまっていた。明らかに暴走していた。
だってだって、シスがもの凄い真剣な顔で私の心配をしたのだ。そんなの、嬉しいに決まっている。このまま襲いかかっていても不思議じゃ無いというのに、我慢して平静を保った私は凄いと思う。
「え、あ、ありがとう……? おかしいな……絶対反対すると思ったのに、むしろ機嫌が良くなった……?」
「ふへへ……♡ シスが、私の心配してる……♡ ほんともう、私のこと好きすぎでしょ♡♡♡」
「おーい、セロ? どうしてうずくまってるの? あ、あれ……? ステータスは好調のままなのに……なんで?」
いけない。私は顔をぐにぐに揉んで顔を引き締め、咳払いをして立ち上がった。顔は依然として熱いままだが、表情はいつも通りに戻した。
「あの子、優秀なんでしょ? 別に私は、一人で英雄になるつもりは無い。シスと一緒に名を刻むの。その過程に一人や二人増えても、私は構わないと思ってる」
「……なんでニヤついてるの?」
「ニヤついてない。シスのばか。やっぱり認めないから」
「ごめんごめんって! 茶化したのは謝るから、そこを何とか! 何でもするからさ!」
「…………じゃあ、はい。しゃがんで?」
「こ、こう……? んっ──!?」
私は勢いのまま、シスを抱きしめた。彼の首筋で深呼吸をして、多量のフェロモンを摂取する。朝も嗅いだ匂いだが、今は少し汗ばんでいて濃縮された香りが、私を更に興奮させてしまう。
これはただのマーキング。あいつに会う前に、シスは私のモノだと思い知らせるための匂い付けだ。でも、思った以上に彼の匂いが強くて、ついスイッチが入りそうになってしまった。私は奥歯を噛み締めて、ゆっくりとシスから離れた。これ以上は、多分襲ってしまうから。
「ん、行ってくれば? あっちにも都合とかあるし、早めに話を通しなよ」
「うん。ありがと、セロ」
「別に良い。でも、後で構ってね」
シスは手早く支度をすると、宿から飛び出していった。私は窓からその姿を見送ると、彼のベッドに潜り込んだ。まだ、シスの匂いがする。
「ふー……♡ はーっ……♡ ふーっ……♡♡ はーっぁ……♡♡♡」
枕の残り香を深く吸い込んで、新鮮な息を吸う。全てをシスで満たしてから、それを全部吐き出す。そうすることで、何度もシスを飽和させることなく味わえるのだ。こうしていると、体中が痺れて疼いて、それを鎮めようとまた息を吸って、どんどん深みに嵌まっていってしまう。シス中毒になるのも時間の問題かもしれない。
最近はずっとこの調子だ。シスの愛に触れ過ぎて、つい誓いを曲げても良いかと考えている。私はもっと苦しまなければならないのに、どれほど過酷な鍛錬に身を費やそうと、彼に触れれば全てがどうでも良いと思えてしまう。良くない兆候だ。
あの女を連れて行くことに賛同したのは、ある種の縛りを作るためでもあった。シスは私を拒まないが、人目があれば自制くらいする。何より、シスを守る保険はいくらあっても損はしないはずだ。
「……あぁもう。本当に私は、心の狭いやつだ」
ふと、考えてしまった。今頃、シスはあのユリと名乗った少女を勧誘しているのだろう。あの様子からして、少女もシスに気があるはずだ。顔を赤らめさせ、嬉しそうにシスの手を取るあの女の顔が目に浮かぶ。
シスが私を一番に考えているのは分かっている。でも、嫌なのだ。彼が私以外に微笑むのも、私以外に優しくするのも、私以外を見るのだって、許したくない。なんと器量の狭いことか。
「頑張って仲良くしないと」
一度決めたことは守る。これは自分への試練だ。こんな些細なことで腹を立て、シスを束縛するようであれば英雄なぞなれる訳もない。
…………でも、それはそれとして、シスが誑かされていないかは心配になってきた。やっぱり、監視は必要だ。英雄の道に痴情のもつれは不必要なのだから。
前と同じ道を辿る。魔力を探知すると、以前と同じ湖の畔に二人は居た。こっそりと、木陰から会話を盗み聞くことにする。
「どうしてだ! なんで聖印を消すなんて言うんだよ!?」
「…………シスさんには理解出来ませんよ。私の身は、穢れているのですから」
「そんなこと無い! 君はいつだって、誰かのために行動してきたじゃないか!」
「違うっ! 私がやってきたことは全部、自分のためだった! 私に、神の御業を行使する資格なんて無いの!!!」
何やら、二人とも声を荒げて言い争っている。話の流れは良く分からないが、恐らくは旅の加入を断ったのだろうか。事情の分からない私は、首を傾げながら見守り続けた。
「今まで色々と協力して頂いて、ありがとうございました。おかげで、自分の浅ましさを知ることが出来ました。だから、もう私には関わらないでください」
「ま、待って! まだ話は──!」
「さようなら、シスさん。私は、貴方をお慕いしておりました」
少女はそう告げて、涙をこぼしながら走り去ってしまった。シスはそれを追いかけようとして、何かを悟ったようにその場へ崩れ落ちた。
見えてしまったのだろう。彼女の拒絶と、それが自分によってもたらされているという現実が。シスの眼は色々と見えすぎるから、彼は少々諦めの良すぎるところがある。女心というものが、色々な意味で分からないのだ。そこが良いところでもあるんだけど。
可哀想なシス。このまま出て行って、彼を慰めてあげないと。抱きしめて、頭を撫でて、他の仲間なんて要らないから、二人で頑張ろうと言ってあげよう。そうやって依存しあって、絡み合って、私だけしか見えなくなってしまえば良い。私だけ、を……見、て。
……違う。そんなのは、私の大好きな人じゃない。
「めんどうな子。なんで、こんな風になっちゃったんだろ」
私はシスに気付かれないよう、走り去った彼女の後を追った。私のシスに、そんな役割は似合わない。私のためだけに生きるシスは、シスじゃないのだ。自分でも面倒臭いとは思うが、それが私の決めた道だ。曲げることは、絶対にしない。
「待って。少し、止まって」
「え……? あな、たは……」
「ん、久しぶり。シスのパートナー、セロだよ」
「……王都への旅はお断りしました。もう、私に関わらないでください」
「そう。理由を聞かせて貰える?」
私が一歩近付くと、ユリは怯えたように後ろへ下がった。あの時の不敵な態度は何処へ行ってしまったのだろう。まるで、迷える子羊のようなか弱さしか今の彼女には感じられない。
「私は穢れていました。もう、神の御業たる神聖術を操るに値しません。そんな私に、価値なんてないのです」
「神聖術、使えないの? 私でも簡単なのは使えるのに」
神聖術とは、回復や結界術、退魔の法や付与魔法の総称だ。下位の神聖術は市井の人間でもお金さえ払えば習得出来るものの、中位や上位の神聖術は聖教会の人間のみにしか伝えられず、教会の独占事業として有名だ。だから、私は中位以上の神聖術を使えない。
「違います。使用するだけなら上位の神聖術まで発動させられます。ですが、それは許されない行為なのです。私の身は、穢れていますから」
「……意味が分からない」
「なら、これで分かるでしょう?」
ユリは短く何かを呟くと、その姿が一瞬ブレた。そのまま前髪をかきあげると、両の瞳がはっきりと私の眼に映った。真紅の瞳と、真っ青な紺碧をした瞳。不思議と、目が離せない魅力がそこにはあった。けれど、それ以上に不可解なものが私には見えていた。
「……え? 尻尾……?」
「私は……魔獣と人間のハーフ。化け物、なんです」
まるで、意思を持っているかのようにふらふらと揺れる、黒い艶やかな尻尾。それは、彼女が人ならざるものである何よりの証拠だった。




