勇者の歪んだ日
シスは本当、私に色んな感情を教えてくれる。これまで生きてきて、こんなにも心を乱されたのは初めてだ。一体、どうしてくれよう?
「セロ? な、なんで怒ってるの……?」
「怒ってない。それより、質問に答えて」
「え、と……これは、その……」
「大したことはしていませんよ。少々、スキンシップを嗜んでいただけです」
たじろぐシスの代わりに、黒髪の少女が答えた。彼女は私の前に出ると、とても良い笑顔を浮かべた。それはとても眩しく、一種の神々しさすら感じさせるものだった。その美貌も相まって、お伽噺の聖女のような姿だ。
「自己紹介が遅れましたね。私はルナエール教会で修道女をしております、ユリと申します。よろしくお願いしますね、セロさん」
「……シスは私のだ。お前なんかにあげない」
「うふふ……可愛い子ですね。心配なさらずとも、そのような魂胆はありません。シスさんとは、ただのお友達ですから」
何がただのお友達だ。あんなに身体を密着させておいて、今更そんな言い訳が通用するはずもないだろうに。本当に友達同士の関係だとしても、ああいうふしだらな行う女をシスの近くに置いておけるはずもない。少し顔が良いからと言って、調子に乗るな。
「私はお邪魔のようですし、これで失礼致します。シスさん。今日はありがとうございました」
「うん……じゃあね」
そういって、女狐は去って行った。その姿が見えなくなってから、私はシスを見つめた。彼は私と眼が合うと、困惑した様子でおろおろし始めた。
「ご、ごめん! 僕が何か不快にさせたんだよね。本当に──」
「別に良い」
「え……? で、でも怒って」
「怒ってない。気にもしてないし」
どうせ、シスには私が不機嫌なのはバレている。シスはいつもそうだ。その眼には、私自身でも気がつかない変化すら映し出す。その気遣いが、傲慢が、逆に私を苛立たせていた。シスはいつだって、誰かに尽くそうとする。まるで、それだけしか価値がないみたいに。
分かっている。こんなの、癇癪でしかないことは。シスが私以外にも優しいなんて、当たり前のことだ。私にだけ優しいシスなんて、私の好きなシスじゃない。
だというのに、私は私以外に優しくするシスに怒りを抱いている。彼の優しさに触れたあの少女に、嫉妬を覚えている。自分でもどうしていいか分からない。私は、どうもおかしくなってしまったみたいだ。
そのまま、私達は何も言葉を交わさずに宿へ戻った。その間ずっと、シスの手を握っていた。頭がぐるぐると空回りして、取り留めも無くただ思考を放棄していた。
「ねぇ、セロ。ご飯、どうしよっか」
「……食欲が無い。要らない」
「駄目。食べたくなくても、いつもみたいに食べさせるから」
「そう。好きにすれば」
こんな状況でも、私はシスの気遣いを嬉しく思っている。その優しさを、全て独占してしまいたい。それが叶わないことだと知りながら、私はそんなことを願っていた。
ベッドに寝転がって、足をバタつかせる。忙しなく辺りをウロウロして、シスに抱き着いてはまた自分のベッドに戻る。そんなことを一日中、繰り返していた。
「はい、あーん」
「ん……これ、グレートラビット?」
「偶々安かったんだ。運が良かったよ」
夕食に出されたのは、高級食材と名高いグレートラビットのもも肉だった。一匹から取れる肉の量も少なく、しっかりと処理のされたそれは、貴族の食事に出されても何ら見劣りしない一品だった。
以前食べたのは、報酬として振る舞われた時だった。あの時、私が今まで食べた料理で一番美味しいと言ったのを覚えていたのだろう。きっと、それなりの値段がしたはずだ。その厚意を素直に受け取れない自分に、腹が立った。
「……駄目か。やっぱり、物で釣るなんて不誠実だよな」
「気にしないで。私はいつも通りだから」
「そんなこと言わないでくれ。僕達、仲間だろ?」
「…………」
仲間。そっか、仲間か。この数年間、ずっとシスと暮らしてきた。あの日から、私にとってはシスだけが生きる理由だった。でも、シスにとって、私はただの仲間でしかない。ただの同居人。特別でも何でも無い。だから、私以外を見てしまうんだ。
私はそのまま、シスの口を手で塞いでベッドに押し倒していた。いつか、彼が言っていた。ステータスとやらでは、私はシスの5倍ほど高い数値らしい。ここまでくると、真っ向からの勝負では絶対に勝てないと、彼は言っていた。
「~~~!?!?」
「あは……♡ ほんとだ。抵抗してるんだろうけど、全然抑えられる。でも、もう遅いよ」
拘束魔術と麻痺の呪いをかける。これで、シスは数時間は何も出来なくなった。その間、私が何をしようと彼には抗う術は無い。
「最後に少し話をしよっか。一応言っておくと、大声で誰かを呼ぶなんて無駄だから。もう、逃げられないよ」
「…………なんで、こんなことを?」
「シスがいけないんだよ。私の心をグチャグチャにして、ごちゃ混ぜのまま直そうとしたんだから。もう、私にも私が分からなくなっちゃった」
「…………僕の、せいか」
「いいや、違う。これから起きることは全部、私のせいで起こったことなの。シスは何にも悪くない。だからね、シス」
「私のこと、許さないでね。一生ずっと、恨み続けて」
その顔に私はゆっくりと唇を落とした。最初は確かめるように軽く、2回目は嬲るみたいに吸い付いて、3回目は口内を蹂躙した。
「ぷはぁ……ご馳走様。シスの初めては、これで私のもの♡」
「気は済んだ……? もう、これで」
「駄目。こんなことで許されるとでも? まだまだ、夜はこれからだよ」
それからは、記憶が飛び飛びになっている。覚えているのは、熱い快楽の渦だ。シスを好き勝手に弄ぶ喜び。私という色で染まっていくシスを見下ろす優越感。彼の自嘲するような眼を見て得る背徳感。その全てが、甘く艶やかな蜜の味だった。気力の続く限り、私は甘美な極楽に浸り続けた。
そのまま気を失うようにして眠り、周囲の喧噪と僅かに差し込む光で意識が浮上した。朝になって私は、傍で眠る彼の身体に眼を落とした。
無数の赤い腫れ。首元の噛み傷。周囲に散乱した衣服の全て。それと、彼の濡れて乾いた目元。その全てが、私の罪を突きつけていた。
「さいてい。ほんと、最低だ」
ボロボロと涙が零れ落ちた。一体、私は何をしている? 未知の感情に翻弄され、大切な人を傷付け、訳も分からず泣き喚く。そうしたかったのは、シスだったのに。彼はずっと、私の身勝手な暴力に耐えていた。
「死のう」
もうここには居られない。今すぐ死のう。シスにはあの修道女のような、綺麗な少女の方がきっとお似合いだ。私のような歪な犯罪者、相応しくない。そうと決まれば、人の居ない場所で自決しよう。最後くらい、シスに迷惑は──
「待って!!!」
「……離して。もう、これ以上優しくしないでよ」
「違う。違うんだ、セロ。これは全部、僕のせいだ」
「何も違わない!!!」
何が違うと言うんだ。シスを穢した。シスを汚した。シスを貶めた。全部全部、私の歪んで肥大化した欲望のせいだ。何にも違わないだろう。
「がっ……!?」
「もう良い、分かった。シスを殺して、私も死ぬ。全て終わらせよう」
「ぐぁ……せ、ろ……」
馬乗りになって、彼の首を圧迫する。このまま力を込めれば、窒息以前に首を折って終わらせられる。その後は……この場で死のう。何もかも面倒になった。もう、何も要らない。
彼の苦しそうな顔が視界全てを覆う。苦しいよね、ごめん。けれど、これで分かったでしょう? 私という存在自体が間違いで、貴方は被害者だってことが。
私を呪って。私をなじって。私を否定して。私を蔑んで。私を恨んで。私を罵倒して。私を殺して。私を、私を、私を私を私を私を──
私を、許そうとしないで。
その時、シスの両手が私の手を握った。指の隙間を作って、気道を確保しようとしているのでは無かった。彼は、私の手の上から、そのまま自分の首を絞め始めた。もう、意識なんて殆どない、微かな力。それでも、私にはその意思が伝わってしまった。シスは、自分から死を選ぼうとしている。
「ごほっごほっ……!!! おぇ、ごほっ……!!!」
「……なん、で?」
どうして、最後まで嫌ってくれないの? どうして、私を罰してくれないの? 楽にしてよ。もう、嫌なのに。どうして、私を許そうとするの?
「もういや……! これ以上、私のことをめちゃめちゃにしないで……!!!」
「セロ、こそ……勝手なこと、言うなよ」
彼は咳き込みながら、私の肩を掴んだ。その力は貧弱で、振り払おうと思えばすぐに出来るはずだった。でも、私は動けなかった。産まれたての赤子のように、ただ涙をこぼすだけだ。
「もっと素直に言ってくれよ! 僕には、分からないことだらけだ! セロが何で怒っているのか、何が嫌なのか、何が欲しいのか、ちゃんと話してくれよ!」
「わから、ないの……! もう、自分でも何がしたいのか分からない! だから、こんな私なんて、もう放っておいて!!!」
「じゃあ、そう言ってくれ! 一緒に探すから!」
「ひっぐ……! な”んで……!!!」
「セロは僕の生きる意味なんだよ!!!」
──心臓が、止まった気がした。全てが吹き飛んで、お互いの荒い息だけが聞こえていた。私はすっかり固まってしまって、ただ涙を垂れ流すばかりだった。
「セロを見つけたのは偶然だった。でも、すぐに分かったよ。君は、いつか必ず世に名を残す偉大な人間になるって。だから、僕は思ったんだ。その手助けが出来たなら、それはたとえ僕の名が残らなくても、きっと素晴らしいことだとね」
シスはずっと、私の眼を見続けていた。滲む視界の中、私はその双眸から目を離せなかった。
「セロ。君が生きていくのに僕が必要なら、喜んで協力する。僕を殺したいのなら、考えるまでもなく命を差し出す。だから、お願いだ。死のうとなんてしないでよ。僕の生きる意味を奪わないでよ。どうか、僕のために生きてくれよ」
シスがそう告げると同時に、私はするりと彼の身体へもたれ込んだ。彼はそのまま、私のことを強く抱きしめた。
「……やっぱり、駄目。シスには、私のことを許さないでいてほしい。ずっとずっと、私のことを恨んでいて」
「そんなこと、出来ないよ……」
「なら、死ぬ。良いの?」
「ひ、卑怯じゃないか……!」
温もりに包まれながら、私は茹だった頭を必死に動かす。彼の優しさに甘えてはいけない。この罪は、きちんと精算しなければならないものだ。
「だから、折衷案。シスの言う、歴史に名を残すような人に、私はなるよ。それまで、私のことを許さないで。私がシスの夢を叶えるその日まで、私を罰し続けて」
これから先、私は苦しむだろう。どんどん膨らみ続けるこの愛憎が何よりの証拠だ。彼の一挙手一投足に目が眩んで、嫉妬して、醜い独占欲に支配される。手に入らないし、手に入れてはいけないシスの全てに、私は苦しみ続ける。
それが、私の罰。一生許さなくて良い。一生苦しめて良い。シスの一生をかけて、私を罰し続けて。
「こんな私だけど……貴方の生きる理由に、なっても良いですか?」
「セロ……君は、それで良いの?」
「良いよ。貴方のために、生きさせて」
これで、もう迷わない。私の道は決まった。この大陸中に名を轟かせ、未来永劫語り継がれる英雄に、私はなる。
「僕の英雄、セロ。どうか、僕のために生きてくれますか?」
「もちろん。この身は全て、貴方のためだけに。どうかずっと、私を呪い続けてください。私が偉業を為す、その時が来るまで」
ずっとずっと苦しめて罰して。でも、一つだけ許してください。この約束を果たしたその時はきっと、この気持ちを貴方に知ってもらいたい。全てが終わったその後で、私の愛を聞いてください。それだけが、私の夢なのです。




