第二章 剣術訓練の扉
翌日、薄曇りの朝陽が城壁の間から差し込み、ローデンブルク騎士団の訓練場を淡いオレンジ色に染め上げる。石柱で囲まれた広場の中央には、幾つもの木製の人形が列を成し、剣士たちが基本動作の打ち込みを繰り返していた。金属の甲高い衝突音と、「はっ!」という掛け声が規則正しく混ざり合い、まるでひとつの歌のように響く。
誠は訓練場の脇に腰掛け、呼吸を整えながら周囲を観察していた。自分の脇には、昨日ロタール騎士団長に騎士団への入団を推薦されて、急遽用意してくれた稽古着と木剣が無造作に置かれている。広場での一件が、ロタール騎士団長のお眼鏡にかなったらしい。すぐにあの場を離れたのだが、さすがの騎士団。数時間後には俺の前に現れ、スカウトをされた。騎士団長が広場での一閃。無意識だったが、功を奏したと思う自分と、もう一度やらと言われても再現できる自信がない自分がいたが、こちらの世界へ来て行くあてもない俺は、仮所属という形ではあったものの、その話にとびついた。手の甲の紋章が、淡くきらめき、まるで今日の試練を待ち受けているかのようだった。
「いいか、田中。初めは形から入るものだ」
背後で聞き覚えのある声がした。ロタールは軽く汗を拭いながら現れ、細身だが鍛え抜かれた体躯を揺らして微笑んだ。その瞳は長年戦場を渡り歩いてきた老練さをたたえつつも、今どきの若者のような好奇心を宿している。
誠は立ち上がり、浅く礼をしてから木剣を手に取った。握り心地は滑らかで、柄の先端までしっかりと反力を伝える。かつての腰痛持ちには想像もつかないほど、腕や背筋が自然と準備態勢に入っていくのがわかる。
「まずは基本の一の構えからだ。左足を前、右足を後ろに引き、腰を落とす。背筋は真っ直ぐ、視線は相手の喉元だ」
ロタールの言うとおりに構えを取ると、意外なほど身体がすっと馴染んだ。筋肉の一本一本が働き、まるで忘れていた居場所を思い出したかのように軽やかに身を安定させる。
「では一、二の掛け声で木人を一撃せよ」
「一――、二――!」
誠の剣先が木人に振り下ろされた瞬間、鋭い木屑が飛び散り、刃先の残像が空に伸びる。係員の計測音が鳴るほど一閃は強く、遠く立っていた若手剣士たちの間にどよめきが走った。木製の稽古人形は根元からぐらりと揺れ、そのまま勢いを失い倒れ伏した。
「……お前、本当に初めてか?」
ロタールの眉が驚きでピクリと跳ねる。誠は息を整えながら首を振った。「ええ、本当に。前世で少し趣味程度に――」と言いかけたところで、誠は紋章が微かに疼くのを感じた。まるでもっと隠された何かを問いかけるような感覚に背筋がぞくりとする。
「ほう、趣味と言うにはあまりに――参ったな。では、次は実戦形式だ。相手はこちらの平隊員だが、お前の相手には十分だろう」
ロタールの指示で、数歩離れた場所に立つ若い兵士──ライナー大尉の弟子と名乗る二十代半ばの青年が名乗りを上げた。汗で濡れた鎖帷子は軽装とは言え、実戦的な動きを必要とする。本来なら初心者に触れさせるような相手ではない。
「じゃあ始めるぞ。構えよ!」
一声で始まった模擬試合。相手の剣先が襲いかかるたび、誠は反射的に剣を振るい、一瞬の隙に刃を叩きつける。最初の二、三回は互角だったものの、徐々に誠の動きに切れが増していき、相手の剣筋を捉えるスピードは見る間に鋭くなる。
仲間の剣士たちが息を呑み、ロタールですら瞳孔を開いて見守る。やがて、稽古場に響くのは鉄と木がぶつかる音よりも、誠の剣が作り出す風音のほうが大きくなった。
「はは……見事だな。これが天稟というやつか」
ライナー大尉の弟子が刀を庇いながら笑う。誠は汗をぬぐい、少し息を切らしながらも礼をする。紋章が淡く輝き、まるで誠の内なる才覚を祝福しているかのようだった。
訓練が終わると、ロタールは誠を連れて小さな控え部屋へと案内した。部屋の中央には大きな木製の長テーブルがあり、その周りに幾人かの騎士団幹部が集まっていた。長老のデュラン神父や、魔術騎士団の補佐官エリスの姿も見える。
「田中殿、本日の稽古ぶりは……驚いた」
デュラン神父が静かに言った。誠は改まった席に緊張しながらも、「恐悦至極です」とかしこまって答える。
「剣術のみならず、あの反射神経と筋力は尋常ではない。もしよければ、正式に団所属を検討しようと思うが、どうだ?」
エリスが地図を取り出し、領地の安全保障計画を広げる。誠は一瞬言葉を失うが、胸が高鳴るのを抑えきれずに頷いた。
その夜、誠は自室で剣術書を開き直し、自らの稽古メニューを練り始めた。かつての業務マニュアルに代わり、今日覚えたばかりの構えや受け流しの理論をノートに書き留める。
「俺は、ここで何を成すべきなのか――」
真っ白なページに問いかけるようにペンを走らせ、誠は新しい人生の幕開けを静かに噛みしめる。だが街の片隅で、祠の囁きが密かに蘇り、次の試練が近づこうとしていた。