第7話:君の記録は、私の存在理由です。
――午前4時。
森の中、まだ陽も昇らない薄闇のなかで、佐藤 悠はひとり、スマホを手に立っていた。
焚き火の残り火が、パチリと静かに爆ぜる。
画面を見つめていた悠の手が、ふと震えた。
表示されているのは、これまでとは違う、どこか有機的な色合いをもつ観測ログ画面。
《観測ログ:S-YU01》
・接触:第17階層・外来個体(コード:ALT-03)
・状況:未対話
・判定:接触必須フラグ継続中
《補助インターフェース“リィ”を起動しますか?》
「補助……インターフェース……?」
選択肢は「YES」「YES(詳細)」の2つしかなかった。
「強制かよ……」
苦笑しながら「YES」をタップした瞬間、スマホの画面が淡く光を放ち、
そこに、女性の声が――静かに、しかしはっきりと響いた。
「おはようございます、調整者様。観測支援AI、“リィ”と申します。
本日より、あなたの記録と行動の補佐を担当いたします」
「……は?」
「あ、ご安心ください。私は人格模倣型AIです。あなたの脳波パターンに基づき、
“最もストレスが少ない音声と会話形式”で最適化されております」
「いやいやいや、異世界だぞここ!? なんでAIいんの!?」
「この世界と現実世界は、物理的には乖離していますが、“観測層”で微細にリンクしているため、
私の存在はこの端末の中で“独立した観測ユニット”として確立されています」
「うん、説明されても全然わかんないけど……」
⸻
ミューラが寝息を立てている間に、悠は“リィ”と名乗る声と会話を続けていた。
「調整者様には、世界の“均衡”を保つ役割が期待されています。
観測者であり、選択者であり、場合によっては修正者でもあります」
「俺、そんな大層なこと頼まれた覚えないぞ?」
「ですが、すでにあなたは“受信”し、“記録”し、“介入”を始めています。
選ばれたのではなく、始めてしまったのです」
その言葉に、どこか逃げられない重みを感じた。
⸻
数時間後。
森の小道にて、悠は再び“あの男”と遭遇する。
黒マントを翻し、男は静かに立ち止まる。
「……君だな、“もう一人の観測者”は」
「観測者……?」
「ふ。君もまだ気づいていないか。
だがその端末が光っているうちは、君もまた、“外の者”だ」
悠が手にしたスマホには、リィの文字が点滅していた。
「接触対象、コード:ALT-03。言語データ一致。記録開始します」
「観測者……って、あんたも……?」
男はうっすらと笑う。
「違うな。“観測を拒絶した者”だ」
その言葉とともに、男の杖が悠の足元を指し――
地面が淡くゆらいだ。
「こっちはもう、“見る”のはやめた。今は“壊す”方が性に合ってる」
⸻
「調整者様、危険です。転送座標、発動準備――」
「悠!」
木々の奥から、ミューラの声。しっぽを揺らしながら、懸命に駆けてくる。
一瞬、男の目がそれた。
悠はその隙に、スマホを掲げた。
「緊急モード発動。環境制御:森林層・視界歪曲――展開します」
「は……? おい、なにすんだ――」
目の前が白く光り、地面が軋むような音とともに、空間が“ズレた”。
⸻
気づけば、悠とミューラは別の場所に転移していた。
森の中に似ているが、静かすぎる空間。音がない。風すら吹かない。
スマホが再び話し出す。
「ここは一時的な避難層です。空間的には存在していませんが、記録上では“仮想座標”として確保されました」
悠は息を整えながら言った。
「……もう、完全にただのスマホじゃないよなお前……」
「はい。ですが、あなたのそばに在る限り、私は“スマホ”としての役割も忘れません。
――なぜなら、“あなたの記録が、私の存在理由”だからです」
悠はその言葉に、言いようのない感情を抱いた。
誰かが、自分のことを“記録している”。
見守っている。
必要としてくれている。
その事実が、ほんの少し、心を支えてくれている気がした。
次回、第8話では、転移者である黒マントの男の“過去”と“裏切り”が明かされ、
悠の「選ぶ力」が試される大きな分岐が訪れます。