第5話:黒マントの男と“境界の声”
足跡は、森の奥の斜面へと続いていた。
ミューラのしっぽがぴんと立ったまま、落ち着かない様子で揺れている。
「……やっぱり、戻った方がいいにゃ?」
「いや、ここまで来たら確かめよう。何者なのか、放っておけない」
悠はスマホのライト機能を点けながら、静かに歩を進めた。
昼間とは違い、森の奥はひんやりとして空気が張りつめている。
と――前方に気配。
黒マントの男が、巨大な木の根元に向かって何かを唱えていた。
空間がゆがみ、淡く青い光が漂っている。
「……やはり、この場所が“揺らいでいる”」
彼の声は低く、しかしはっきりと耳に届く。
そして、次の瞬間。
「……見ているのは誰だ?」
ぴたりと彼の目がこちらを向いた。
悠とミューラは、木陰に身を潜めたが――
「“調整者”……か。なるほど、そういうことか」
まるでこちらの正体を知っているかのような言葉。
(なんだ……今、“調整者”って……?)
そのとき、悠のスマホが微かに震えた。画面には何の通知もない。
しかし、耳の奥に響くような感覚で――声がした。
《警告。観測対象:第17階層との接触進行中》
《接触は任意。調整者の判断に委ねられます》
「……今、誰か話しかけたか?」
「ミューラ、なんか言った?」
「にゃ? ミューラ、なにも言ってないにゃ……」
明らかに“音ではない言葉”が、悠の中に入ってきた。
まるでスマホが“心に話しかけてきた”ような――そんな感覚。
⸻
男が振り返ると、気配がふっと消える。
気づけばそこには、誰の姿もなかった。
ただ、足元には一本の枝と、燃えかけた魔法符が残されていた。
「消えたにゃ……あの人、なんだったにゃ……?」
悠はスマホの画面を見つめた。
《調整者》
《接触任意》
《判断に委ねられます》
意味は分からない。だが、確実に“ただの異世界生活者”ではいられなくなってきている。
⸻
その夜、火を囲んでミューラと並んで座っていた。
「……悠は、もしかしてすごい人にゃ?」
「俺はただの社畜だったんだけどな。こっち来てから、スマホがしゃべるし、タヌキが料理教えてくれるし……もうわけわかんない」
「でも、悠がいてくれて、ミューラは楽しいにゃ。ひとりより、ずっと」
ミューラがそっとしっぽを巻きつけてくる。
あたたかくて、ふわふわしていて、心まで包まれる気がした。
この世界は、まだまだわからないことだらけだ。
でも、ここで誰かと笑い合えるなら――その“意味”を探してみてもいいかもしれない。
次回は、調整者としての自覚が芽生え始める悠に、新たな「選択」が迫られる回です。