「うちに帰ろう、って言われたら」
【おはなしにでてるひと】
瑞木 陽葵
ショーウィンドウのバッグより、その隣のクタッと座ったぬいぐるみの方に吸い寄せられる派。
蓮のお父さんの新刊が並んでるの見て、「ねえねえ、すごくない?」を5回は言った。
――“黒猫の目”と目が合ったとき、なんかちょっと運命だった気がした。
荻野目 蓮
買い物といえば、陽葵が歩くペースにあわせて寄り道する時間。
父の本が平積みされてるのは見慣れてるはずなのに、“すごいね”の言葉で、今日だけ特別に思えた。
――“うちに帰ろうね”と言われたぬいぐるみを、取ってやらない選択肢なんて最初からなかった。
【こんかいのおはなし】
「このバッグ、リボンの位置が絶妙じゃない?」
「って思ったけど、値段も絶妙すぎて戻すね」
そんなやりとりを繰り返しながら、
ウィンドショッピングはゆるく続いてた。
通りすがりの店のガラスに、
ふたりの影がちょっとだけ並んで映ってる。
その距離が、心地よかった。
「お、ここ、書店入ってみる?」
蓮のひと言にうなずいて、
涼しい空気のなかに一歩入る。
目に入ったのは、
雑誌の棚、旅行本の棚、そして――
「……あ!」
平積みされた文芸新刊。
そこにあったのは、
見覚えのある名前。
「ねえ、すごいすごい! これ、蓮のお父さんの新刊じゃない?」
「……まあ、いつもここには並ぶんだよ」
「でもさ!なんか……“ここに並んでる”って、ちょっと感動じゃない?」
声がちょっとだけ大きくて、
近くにいたおじさんがちらっと振り返った。
でも、それくらいテンションが上がったのは、ほんとだった。
「……陽葵が言ってくれると、なんかうれしい」
ぽそっと言った蓮の横顔に、
本の背表紙が、ちょっとだけ色を足してた気がした。
そのあとに寄ったゲームコーナー。
わたしの足が止まったのは、
ガチャでもスロットでもなく、クレーンゲームの前。
「……やば、あれ」
黒猫のぬいぐるみ。
目がすこし眠そうで、
身体はクタッとしてて、
なんだか“ねむねむの天使”って感じ。
「いいなー。……あの子、いいよね」
しゃがんでガラスの前に近づいて、
指をくっつけて、ぬいぐるみに目線を合わせる。
「……ねえ、うちに帰ろう?」
思わず出たその言葉に、
となりの蓮が小さく吹き出した。
「陽葵、それ、もはや“告白”なんじゃ……」
「黙れー。でも見て。絶対“クロノ”って名前だよ、あれ」
「もう決めてるの?」
「うん。目が“名前クロノです”って顔してた」
そんな理屈ある?と思いながらも、
すでに手をポケットに入れて、コインを取り出してた自分がいた。
「しょうがないなあ、クロノ、迎えに行くぞ」
操作はシンプルだった。
ぬいぐるみの足の付け根を見極めて、
タイミングを合わせて――
「……っと、よし、来た!」
ぬいぐるみが、ゆっくり持ち上がって、
ポトンと、落ちてきた。
「……マジで来た!蓮、すご!」
「いや、“迎えに来た”のはクロノの方かもな」
そう言いながら、渡されたぬいぐるみ。
わたしの手のなかに、ふわっとおさまった。
「……ただいま、クロノ」
うれしそうに胸に抱えたまま、
そのまま歩き出した。
今日の買い物の“戦利品”は、
黒猫ひとつと、
うれしい気持ちがいっぱい詰まった午後の思い出。
【あとがき】
陽葵の「うちに帰ろうね」は、ぬいぐるみに向けてるようで、
どこか“自分の気持ちを確認してる”ようにも聞こえます。
蓮の“さりげない力技”とのコントラストで、
ふたりのバランスがぐっと可愛くなる回になりました。