第三話
馬車の中、私は窓辺に寄りかかり、遠ざかる王都の灯りを見つめていた。
「体調は大丈夫ですか?」
騎士団長セリック・グランヴァレの静かな声に、私は我に返った。
「リディアと呼んでください」私は咄嗟に言った。「もう伯爵家の令嬢として扱われる資格はないでしょうから」
少し自嘲的な笑みを浮かべたつもりだったが、どうやら嗚咽のように聞こえたらしい。彼の眉が僅かに寄った。
「リディア」彼は静かに名前を呼んだ。「今夜の出来事は計画されたものだったと思います。エドガー・ロムフェルトの証拠は偽造されたものだ」
「それでも…どうして私を助けてくださったのですか?特に、あなたのご両親が『赤い雨の事件』で…」
「十年前、私は十五歳でした。両親と共に王都に来ていた時、突然の赤い雨に見舞われました。しかし、混乱の中で一つだけ覚えていることがあります。赤い雨が最も激しく降る広場の中心に、緑の光を放つ小さな女の子がいたこと」
私の心臓が跳ねた。緑の光?私の記憶には無い。
「その子の周りだけ、赤い雨が降っていませんでした。まるで彼女が雨を浄化しているかのように」
「あの時のあなたを守れなかった。今度は守りたい」
彼の言葉に、私の目から涙がこぼれ落ちた。十二年間、誰にも見せなかった弱さを、なぜか彼の前では隠せない。
「涙は弱さではない。むしろ、これまで泣かずに耐えてきたあなたの強さの証だ」
夜明け前、馬車は森に囲まれた広大な敷地へと到着した。アルティシア王国騎士団本部は、まるで小さな城塞都市のようだった。
「ここが騎士団本部です。今日から当面の間、あなたの新しい住まいになります」
門をくぐると、数人の騎士たちが出迎えていた。彼らの目に、警戒と好奇心が混ざった感情を読み取った。
「彼女はリディア・フォンブラット。王太子の命により、私たちの保護下に置かれる。敬意をもって接するように」
セリックの言葉に、騎士たちは一瞬の戸惑いの後、揃って敬礼した。王都で受けていた冷たい視線や囁きとはあまりに違う対応に、戸惑いを隠せなかった。
「カリナ」セリックは側近の一人、金髪の女性騎士を呼んだ。「リディアをゲストルームへ案内してくれ。休息が必要だろう」
「こちらへどうぞ、リディア様」
部屋に案内されると、そこには小さな書斎コーナーがあり、ベッドには新しい寝具。そして小さな花瓶に活けられた白い花。
「こんな…準備をしていただいて」
「団長の指示です。あなたが来ることは、昨晩から分かっていたようです」
疑問が湧いたが、疲労が一気に押し寄せてきて、考えをまとめる力も残っていなかった。
「お休みになってください。何か必要なものがあれば、呼び鈴を鳴らしてください」
カリナが去った後、私は重い体をベッドに沈めた。昨晩からの出来事が夢のようで、現実感がない。婚約破棄、公の場での非難、そして騎士団長による思いがけない救出…。
『もう伯爵家の令嬢じゃない…私はいったい何者なのだろう』
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