大将戦
凛が軽く頭を下げると、優里は一瞬目を逸らし、口元をぎこちなく動かした。普段の勝ち気な態度とは裏腹に、どこかおどおどした様子で口を開く。
「あ、えっと…その…私は優里。えーっと、よろしく…」
声は微かに震え、目線は宙をさまよっている。隣にいた葵がくすっと笑いを漏らし、優里の肩を軽く叩いた。
「優里、緊張しすぎだよ~」
「ち、違う! 緊張なんてしてないから!」
優里は慌てて声を張り上げるが、再び凛の視線に目が合うと、反射的に目を逸らしてしまう。
凛はそんな優里をじっと見つめ、小さく微笑んだ。
「優里先輩、こちらこそよろしくお願いします。お噂はかねがね伺っていますので、よく知っております」
「えっ!? 噂って…なんのこと?」
優里は驚いて凛に問い返すが、凛はその質問に答えることなく、さらに一礼して話を続ける。
「葵先輩もハルコ先輩も、お三方のことはよく存じておりますので、改めて自己紹介は必要ないかと思います」
その言葉に、葵とハルコが同時に目を丸くした。
「ちょっと待って、どういうこと? 私たちのこと、なんで知ってるの?」
葵が戸惑いながら聞くと、凛は穏やかな笑みを浮かべたまま答える。
「皆さんのプレイスタイルや趣味など、調べるのはそれほど難しくありませんでした。それに、息吹サマの周囲の方々については特に知っておきたくて…」
「知っておきたいって…それじゃまるでストーカーじゃないの…?」
優里が小声でぼそりと呟く。
その瞬間、息吹が苦笑しながら口を挟む。
「それが凛ちゃんの怖いところなんだよね。どういうわけか、いろんな情報が筒抜けになってるんだ。僕も未だに謎だけど…」
「怖いって、それじゃ私が悪者みたいじゃないですか、息吹サマ」
凛は軽く頬を膨らませた後、照れたように笑った。
優里は凛を見つめ直し、眉をひそめながら尋ねる。
「ていうか、なんであんたここに来たの? 息吹の引っ越す前のところにいたんじゃないの?」
凛はその問いに真剣な表情で答えた。
「はい。もともと息吹サマと同じ街に住んでいました。でも、息吹サマが引っ越すと聞いて…いてもたってもいられなくなり、私も追いかけてきたんです」
「追いかけて…きた?」
優里は呆然として息吹の方を見た。
「いやいや、僕にも驚きなんだよ。引っ越してきたら、凛ちゃんがいたなんてさ」
息吹は冷や汗を浮かべながら肩をすくめる。
「息吹サマは私の命の恩人ですから。どこまでも追いかけるのは当然です」
凛の宣言に、優里たちは完全に押され気味になる。
ハルコが呆れたように口を挟む。
「それにしても…凛ちゃん、息吹さんに“サマ”って付けるのはさすがにやりすぎじゃない?」
凛はすぐに答えた。
「それは当然です。息吹サマは私の命の恩人ですし…私の全てですから」
その言葉に場が一瞬静まり返る。優里が息吹を鋭く睨みつけた。
「何よそれ…まさか、本当に何かあったの?」
「誤解だから!」
息吹は両手を振りながら慌てて否定する。
「凛ちゃん、ちょっとその言い方は誤解を招くよ!」
凛は微笑を浮かべつつ、落ち着いた声で続ける。
「私はただ、息吹サマが私の人生を変えてくれたことをお話ししただけです」
優里、葵、ハルコは顔を見合わせ、ため息をつく。
するとルナ店長が朗らかな声を上げ、場を和ませるように口を挟んだ。
「まあまあ、せっかく集まったんだし、ちょっと試合でもしてみたら? 凛ちゃんの実力、みんな気になってるんでしょ?」
凛が小さく頷き、息吹もそれに賛同する。
「そうだね。凛ちゃんの腕を見せてもらおうか」
ハルコが腕を組み、興奮気味に声を上げる。
「いいですね。2対2のチーム戦にしますか!」
しかし、凛は軽く首を振り、落ち着いた声で静かに答えた。
「いいえ、大将戦にしましょう。優里先輩がリーダーで、葵先輩とハルコさんはリスポーン可能。私は1人で十分です」
その言葉に、葵が驚きの声を上げる。
「えっ、大将戦で1対3!? それで本当に大丈夫なの?」
凛は優里の目を真っ直ぐに見つめながら、冷静な口調で返す。
「問題ありません。それに、この形式なら私の実力をお見せできると思いますので」
「…面白いじゃない」
優里は凛の自信に満ちた態度に少し感心しながらも、挑戦的な笑みを浮かべる。
「いいわ、受けて立つ。全力で行くから、そのつもりでね」
「ありがとうございます。息吹サマ、どうぞ私の雄姿をご覧ください」
凛が一礼しながら微笑むと、息吹は苦笑しながら手を振った。
「はいはい、期待してるよ」
ルナ店長が、試合の準備を促すように手を叩く。
「とりあえずヴァルフロの起動は用意してあるから、各自席についてね。それから戦場は『廃工場』で決まりよ」
「廃工場…」
優里が呟くように繰り返す。その場所は、廃墟化した鉄骨がむき出しの建物や巨大な煙突、錆びたクレーンが並ぶ光景で、狙撃ポイントが多くスナイパーにとって有利な地形だった。
試合前の作戦タイム、優里は若干渋い顔を見せた。
「さすがに3対1は相手の分が悪すぎる気がするわ。私たちが勝ったところで、何も得られないし…」
心配そうに言う優里に、息吹が軽く肩をすくめながら忠告する。
「優里ちゃん、本気でやったほうがいいよ。凛ちゃん、手加減なんてしないから」
その言葉にハルコは興味を示し、口元に笑みを浮かべた。
「スナイパー1人がここまで有利になるなんて思えないけど…でも、息吹さんが言うなら本気でやらせてもらおうかな」
葵も明るく応じる。
「まあ、楽しくやりましょう! 凛ちゃんがどれくらいすごいのか見てみたいし」
試合形式は「大将戦」に決定。キル数ではなく、リーダーを倒したほうが勝つルールだ。優里たちはリーダーである優里を守りつつ、凛を仕留める必要がある。一方で凛は完全な1人で戦うことになる。
試合開始直前、凛の静かな声がボイスチャットから響いた。
「よろしくお願いします」
「本当にいいのね? あなたは3ライフとかハンデを設けてもいいけど」
優里が再三確認するが、凛は淡々と答える。
「通常の1ライフで十分です。そのほうが、公平ですから」
「公平って…これ1対3なんだけど?」
優里は眉をひそめるが、凛は微笑みながら軽く頭を下げた。
「問題ありません。では、よろしくお願いします」
試合開始のカウントダウンが画面に映し出される。
「5…4…3…2…1…START!」
廃工場のフィールドが映し出される。暗い空間に錆びた鉄骨、巨大な煙突、クレーンが立ち並び、物陰が多く視界が遮られる地形だ。スナイパーが完璧に有利な環境で、優里たちは慎重に行動を開始する。
葵がシールドで前方を守りつつサポートをし、ハルコは後方から火力支援を行う。優里は二人を観察しながら、指示を出そうとした。
「まずは凛の位置を確認する――」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鋭い銃声がフィールドに響き渡る。
「えっ…?」
次の瞬間、葵の画面に「ELIMINATED」の文字が浮かび上がる。
「な、なに!?」
驚いた葵が叫ぶ中、ハルコが素早く銃声の方向を探ろうとする。しかし、次の瞬間再び銃声が響き、ハルコの画面にも「ELIMINATED」の文字が表示された。
開始数秒で二人が撃たれ、リスポーン地点に戻る。二人がやられるまでの間、凛の姿は一切確認できなかった。
「これ…冗談でしょ?」
優里は息を飲み、手が一瞬止まる。
耳元に凛の静かな声が入る。
「優里先輩、次はあなたの番ですよ」
声の出どころすら掴めないまま、優里は冷静さを保とうと自分に言い聞かせる。
「落ち着いて…冷静に考えるのよ」
頭の中で息吹の言葉が反響する。
「本気でやれ」
「ここからが本番よ」
優里は一瞬深呼吸をして、再びモニターを見つめ、凛への反撃を決意した。