key4
気が付くと、私は足場の悪い海岸沿いの道で自転車を漕いでいた。
今度こそ、夢で何度も現れてはすぐに消える、あの人の正体を突き止めたい。
肩まで伸びる黒髪に、風に靡く暗色の長い裾。
そのために、息を切らして、藻掻くように走っていた。
海風に激しく髪を乱され、視界が塞がる。
まるで、私が追っているものの姿を必死に隠し、私を諦めさせようとしているかのようだ。
巨大な岩の側に着くと、自転車を乗り捨てた。
がたがたと揺れる自転車に乗り続けるくらいなら、自分の脚で走ったほうがましだ。
走ることは嫌いだが、今はそうするしかないのだ。
前にここへ来た時も、寸分違わず同じことをした気がする。
風が強い。乱れた髪で視界が塞がる。
息が苦しい。足がいまにも千切れそうなほどに痛い。
身体がばらばらになりそうだ。
なのに彼は決して止まってはくれず、私を引き離すばかり。
走っても、走っても、あの青年には追い付けない。
あなたは誰なの?
どうして私を呼んでいるの?
何度も同じ夢を繰り返しては、惨めな思いをさせられてばかりだ。
横からの海風が、報われない私を嗤っている。
どうすれば、この無意味な連鎖に終止符を打てるのだろう?
やるせない思いに叫びたくても、声が出せない。
涙の井戸も、とうに涸れている。
あなたは誰なの?
どうして私を呼んでいるの?
遠く離れた青年は不意に止まった。
ついに追い付くことができたのか。
だが、その希望は思わぬ形であっさり打ち砕かれてしまった。
「今の君では辿りつけない」
それはまぎれもなく、あの顔のない青年の声だった。
私が追い付くべき彼のものではない。
暗色のコートの裾を靡かせて、青年は振り向かないまま、続けた。
「君は全部で108回、この世界へ来ることができる」
一体何の話だ?
「細かく言えば、君が夢として認識している、6つの場面が数珠繋ぎになっているこの世界を、18周までできるということだ」
夜空を舞い、何かに急ぎ、誰かと出会って別れ、いつかの温もりを思い出し、何かを追いかけ、そして次の何処かへ旅立つ。
確かに私は、これらの夢を何度も見てきた気がする。
「君はそのうち、既に6周分を終えている。つまり残りはあと12周、72回さ」
君はこの残された回数のうちに、囚われた彼に辿りつかなければならない。
青年は、そう言い放った。
――もし、それができなかったら?
私は声なき声でそう尋ねてから、この青年がこちらのいう事を一切聞き入れず、一方的にしか話さないことを思い出した。
だが、意外にも彼は答えてくれた。
「そうなれば、君もあの場所で永久に囚われることになるだろうね」
あの場所?
「君が至るべき彼がいる、『タイムラインの境界』さ。君らの世界で流れる時間の干渉を一切受けない、全ての存在に忘れられる場所」
言うなれば、どの時間軸にも属さない場所、かな。と、青年。
あまりに突飛な説明に、私は呆然とした。
そして私は、そんな訳の分からない場所へ行かなくてはならないのか。
「どうやら、私が君の言葉に応じたことを意外に思っているようだね。君をここへ送り込んだ時は、何も聞こえていなかったのさ。
私が構築したこの世界とあの場所でのみ、私は君と対話ができる」
とにかく君は、この限られた巡礼の旅の中で鍵を取り戻し、あの場所へ行かなくてはいけない。
あの仮初の銀の鍵ではなく、君自身から欠落した、本物の鍵をね。
青年は、そう言った。
これは他の誰にも成し得ない、立樹沙羅――君に与えられるべくして与えられた使命なんだよ。
そう言い残して、境界の番人を名乗った男はまた、彼の居場所に戻った。
それと同時に、あの人の姿もふいと消えてしまった。