key3
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長い間眠っていたのか、瞼がやけに重い。
身体が動かない。何かに拘束されている?
自分の身体を見下ろしても、何もない。見えない鎖で囚われている?
ここは、どこだ?
真っ白で、何もなくて、暑いような、寒いような、奇妙な場所。
あるいは、座標なんか存在しない、どこでもない場所。
自由を奪われ、ここを脱する術もないのに、不思議と不安な気持ちは湧かない。妙に安心できるほどだ。
いっそのこと、ずっとここに身を委ねたまま、堕落してしまってもいいと思ってしまうほど。
ここがいつか聞いた、『死後の世界』と呼ばれるものなのだろうか。
――「ある意味で、今の君は死んでいるに等しいね」
見上げると、そこには顔の見えない青年が立っていた。
こんな奇妙な見た目をしているのに、どうして僕は彼の存在をあっさり受け入れているのだろう?
と思ったが、僕はどこかで、この青年に会っている。
とうに知っているはずなのに、いつ、どこで知ったのかは思い出せない。
「ここはどの世界線にも属さない、いわば『タイムラインの境界』とも呼べる場所だ。
今の君はどこの誰の記憶にも居ないし、時間の流れの干渉も受けない状態だ
……いわば、宇宙の彼方で、誰にも知られぬままに凍結されているようなものだ」
私と、いずれここに至るであろう彼女以外からはね。
青年は、そう付け加えた。
相変わらず、顔は光に覆われていて見えない。見えないけれど、きっと微笑んでいる。
彼女とは、一体誰のことだ?
僕はそう口に出していた。
「本物の、君が成り代わろうとしていた彼女だよ」
僕は耳を疑った。
僕が誰になろうとしたというのだ?
「そう思うのも無理はない。今の君は――元来の君は、その強い意志の部分だけを地上に置き去りにして、ここにいるのだからね」
顔の無い青年は、中指に太いリングのついた右手を掲げながら続けた。
「君自身はここに引きずり込まれたものの、君の魂の一部が、強い執念とともに地上に残って、今でも自身がもう一人の立樹沙羅だと思い込んでいる」
タツキ・サラ?
青年曰く、それが『いずれここに至るであろう彼女』の名前だという。
僕が別の誰かになるという実感は未だ湧かないが、彼が言うのだから、きっとそうなのだろう。
どちらにせよ、今はそれを聞き入れるしかない。
ところで、目の前にいるこの青年は何者なのだろうか?
「私はこの空間の番人。永久的に囚われの身だ。本来ならばこうして他者と関わることも、何かしらの事象に介入することもあり得ない」
と、番人を名乗る青年は僕の思考を見透かしたように、言った。
「恐らく私が直接的に関わる人間は、君たちが最初で最後になるだろう」
――僕はここでどうすればいい?
声なき声で、僕は尋ねた。
「ここで彼女を待っていればいい。君を捕らえる錠を解く鍵は、彼女だけが持っている」
わずかに片腕を上げてみた。そこに本物の鎖は無かったが、じゃらり、と重い鎖が鳴ったような気がした。
「彼女はきっとここに来る。私も手を貸してあげたいところだけど、彼を制御するので精一杯だ」
――もし彼女が来なかったら?
その可能性も否めないし、それが、最悪の結末に繋がることも安易に想像できた。
だが、青年はそれには何も答えなかった。
「彼女はきっとここに来る」
そう繰り返しただけだった。
「だから、君は何もしなくていいんだよ」
そう言い残し、青年はどこかへ消えてしまった。
永久に囚われの身だと言っていたはずなのに、妙な話だ。
ここに閉じ込めた主は、僕をどうするつもりなのだろう?
僕は本当に、このままでいいのだろうか?
何も考えないと、また、うっかり眠りについてしまいそうだ。
そしてこの空間に根を張り、一体化してしまいそうで、俄然僕は恐ろしくなった。