key2
夢の中で手にした鍵を、私はこの世界に持ち帰っていた。
現実とを隔てる壁をすり抜けて――否、そんな壁など始めからなかったのかもしれない。
鍵を握ったまま眠った覚えはないし、第一、そんなことをする理由もない。
この形、この色、この感触。
何度見ても、間違いなく、あの部屋から持ち去った鍵だ。
こんなことが、本当に起きていいのだろうか。
否、起きてしまっているのだ。
だが、さらに奇妙なことが起きた。
月の光から授かった実物の鍵が、まるで太陽を浴びた吸血鬼ように、塵となって消えてしまったのだ。
小さな破片すらも残さず、文字通り、本当に消えてしまった。
この短時間で、私はどれだけ不可解な事象に踊らされるんだ?
そう思ったが、これで終わりではなかった。
――「なるほど、まだそれを持つ権限がなかったか」
聞き覚えのない、青年の声。
恐る恐る見上げると、眩しい光の中に見知らぬ青年が立っていた。
否、どこかで会ったのかもしれない。
いつか、どこかで会っていながら、思い出せずにいるだけだ。恐らくは。
表情が白い霧に覆われて見えない、光のベールに覆われているこの変わった青年に、私は既に会っている気がした。
けれど、あるいは、単なるデジャヴにすぎないのかもしれない。
「おや、急に現れても驚かない。流石は」
青年はそこまで言うと、まるで電話の回線が切れてしまったかのように、ぷつりと話すのをやめてしまった。
私は言葉の続きを待ったが、それ以上何も言わなかった。
言葉の続きなど、始めからなかった。
先ほどの鍵のことを尋ねようとしたが、先に青年が口を開いた。
「あの鍵をどうにか持って行かせようとしたものの、そう上手くはいかないものだね」
「あれはあなたの仕業なの?」
「出来ないことはないはずなんだけど……。何かしらの」
何かしらの、不具合が起きている。とでも言いたいのだろう。
青年は、私の言葉を聞いているようでまったく聞いていない。
私の目の前にいながらも、別の誰かと話しているかのようだ。
かと思えば、青年は私の顔の前に、中指に太いリングのついた手をかざしはじめた。
表情は相変わらず見えないが、恐らく彼は、私をじっと見つめていた。
私は今、何を見せられているのだろう?
「……やっぱり、欠けてしまってる」
何の話だ、と尋ねるのも私は諦めていた。
尋ねたところで、どうせまともに聞き入れやしないのだから。
第一、彼は何者なのだろう。私の何が分かるのだろう?
「サラを解放するために必要な」
サラ?
沙羅を解放する?
私が何かしらに囚われているとでも言いたいのだろうか?
「どうにか、それを思い出してもらわなければ」
と、中途半端な言葉を紡ぐばかりの青年は、また、私の前に手をかざした。
まるで、私に催眠術でもかけるように。
あるいは本当に、一種の催眠術だったのかもしれない。
「……あまり長くはここに居られない。どうか、悪く思わないでおくれ」
視界がぐにゃりと歪んだ。
「鍵を盗むよう仕向けたのは私だ。だが、恨むなら、私ではなく彼を恨むことだ」
その言葉を聞いたのを最後に、視界が暗転した。
為す術もなく、私は意識の溝の中へと深く、深く落ちていった。
恐らく、彼は微笑んでいた。
見えないけれど、きっと微笑んでいた。
そしてその微笑みの中で、彼が”授かりの詩”という意味深長なワードを発していたのを、私は確かに聞いていた。