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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あっ

作者: 蓮谷 渓介

 人は自分を生きていながら自分を感じることは無い。


 それでは自分と言うものは本当に存在するのだろうか。


 自我覚、とでも言おうか。自己認識感覚。その存在確認の為の実験を行いたいと思う。

 人と言うものは失うことで喪失感を得るものだと考えている。逆に言えば、喪失感を得ることが、そこに存在していた証拠だとも言える。


 ここに、被検体を一人用意した。これから身体の各部位を切り離し、反応を調べる。


 まず、指を切除する。因みに被検体には痛覚を認識しないよう処置してあるし止血も適切に行うつもりだ。


 確認方法は単純だ。被験者に喪失感の有無を聞き、それに対し首をどう振るか。指は無くなったと感じたようだ。即ちあったと言うことだ。


 次は腕だ。うん、これもあった。


 次は膝下だ。これもあった。


 次は太腿。なかなか骨が折れたがようやく切り離せた。


 滴る血で床がベチャベチャになってしまった。止血が不十分だったか。


 次は趣向を変えて内蔵、と言いたいところだが今回は感覚の確認だから止めておこう。太腿を切ってから出血が酷くなったし余裕は無いか。


 次は目玉。スプーンではほじくるのが難しかったが、なんとか取り出せた。でもグチャグチャになってしまった。


 次は頭蓋骨を開けてみよう。


 自我はやはり脳に宿るだろうから、それを少しずつ削っていく。


 まだ……。

 まだまだ……。


 あっ……。

 ……。


 まぁ、いいか。


 取り敢えず、此処に一つの生命が『あった』ことは確かなようだ。


 明日、バイトに行く前に捨てておこう。次までにちゃんとネットで処置の方法を勉強しておかなくては。

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