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他人のスキャンダル

作者: 雉白書屋

「あのー、すみませーん」


「はい?」


「週刊吉報の者なんですけど。伊原さんですよね?」


 と、夕方。街中で声をかけられたおれは一瞬、戸惑った。どうやらこの週刊誌記者らしき男はおれを伊原という男と勘違いしているらしい。おれは伊原なんて男は知らないが、おそらく芸能タレントだろう。これは面白い。おれが「ああ、はい……」と訝しがるように返事をしてやると記者はどこかホッとしたような表情をし、またすぐに顔を引き締め、言った。


「今、話題のあの件なんですけどー」


 どうもこの口調からして、伊原はなにかやらかしたようだ。おれはその話すら知らないが、目の前のこの記者のことはわかる。この記者は自分の立場が強いと思っており、嗜虐心がくすぐられているのだろう、少しニヤついていた。

 だが、おれは伊原なる男ではない。後ろめたいことなどないのだ。


「あー、何のことでしょう?」


 と、平然と言ってやった。すると記者はいやいやいやぁとまたニヤつき「お相手の女性の件ですよぉ」と言った。

 なんともつまらない。スキャンダルというのはどうやら女絡みらしい。よくもまあ、そんなことで付け回してくるものだ。おまけに人違い。杜撰もいいところだ。しかし、女絡みとなると、その伊原という男はモテるのだろう。なんだか腹が立ってきた。


「あー、事務所通してくれます?」


 と、おれは一度は口にしてみたいセリフを言ってやった。

 尤も、適当に「ああ、飽きるほど抱いたよ。他にも何人か、まあ覚えちゃいないがね」などと記者を喜ばせることを言ってやってもよかったのだが、その伊原という男になりきると決めた以上、まずはこのほうが信憑性を増すと考えたのだ。すると想像通り、記者はもう裏が取れてると、おれと……ではなく伊原なる男とその相手の女が仲睦まじげにしている写真を見せてきた。

 おれはつい、「似てますかねぇ?」と言ってしまいそうになった。尤も言ったところで下手な誤魔化し方だなとせせら笑いされただろうが。

 美形かと思いきや、伊原という男もまた、おれと同じくこれといった特徴がない男であった。尤も、写真の伊原はサングラスをかけているから、普通の顔立ちと断定するには早いが、確かにおれと雰囲気は似てなくもないのかもしれない。

  

「あのー」


「え、はい?」


「週刊ロイヤルなんですけど」

「あ、ちょっと、今うちが取材中ですよ」

「あのー、うちは――」


 と、続々と週刊誌記者がおれに、いや伊原に声をかけてきた。もしかしたら近くで張っていたのかもしれない。尾行し、おれが伊原かどうか確証を得られずいたが、他誌に先を越されて慌てて、といった寸法だろう。

 

 ――ねえ、あれ

 ――え? なになに?

 ――撮影?

 ――あの人じゃない?


 週刊誌記者連中の囲いを見た通行人やそこらの店の人が何事かと集まり、おれにスマートフォンを向け始めた。「伊原?」「海老原でしょ」「俳優?」「お笑い芸人だろ」と、連中の口から飛び出す名はバラバラで、おれが伊原だと認識していない者が多々いたが、実際のところは有名人であればなんでもいいようで夢中になって撮影し始めた。記者たちもその勢いに触発されてか熱を帯び、おれに掴みかからんばかりに迫ってきた。


「まあまあ、みなさん落ち着いてくださいよ。ほらぁ、子供が見てますからぁ」


 と、この囲いを邪魔だと言わんばかりに怪訝な顔の母親に手を引っ張られていく子供を指さし、おれはそう大人な対応を見せた。しかし、連中の熱は収まりそうにない。これは困った。


「伊原くん、ほら、乗って乗って!」


「あ、どこ行くんですか!」

「逃げるんですか!?」


 そのときだった。恐らく、この騒ぎを聞きつけ駆け付けた伊原の、おれの事務所の関係者だろう、突然現れた車の中からそう手招きをされ、おれは慌てて背を丸め車に乗り込んだ。


「いやぁー困るよぉ。今は大人しくしててって話じゃない。せめてマネージャーの僕には言ってくれないとぉ」


「ははは、すみません」


 おれは照れたような笑みを作り、ポリポリと頭を掻いた。多分、伊原という男もこんな感じなのだろう。車を運転するマネージャーらしき男は、おれが伊原ではないと気づいた様子はなかった。そこまで気が回らないのかもしれない。笑みを浮かべてはいるが、また面倒を起こしやがって、とイライラしているようだった。

 

「それじゃ、ここでおとなしくしててね。必要な物は大体揃ってるから。ないなら用意するし、ま、すぐにとは行かないけど。じゃ!」


 マネージャーはそう言うと、おれを置いてドアを閉めた。隠れ家と呼ぶにふさわしい、モダンな造りの部屋だった。部屋の中を適当に物色したが、彼が言ったように食べ物や生活に必要な物は大体あるようだった。

 遠慮はいらないようだし、言われた通りおとなしくするのだから文句はあるまい。そもそも、おれと伊原と勝手に間違えた向こうが悪い。おれは戸棚から高そうなウィスキーとグラスを取り出し、一杯やることにした。

 ソファに沈み、いい気分でウトウトしているとインターホンが鳴った。

 マネージャーが間違いに気づき、戻ってきたのかと思い、少しドキドキしながらドアを開けると女がおれの胸に飛び込んできた。


「我慢できなくて来ちゃった……ねえ、アレを、アレをちょうだい」


 と、言うなり女はおれに熱烈なキスをした。そして、おれたちはその勢いのまま、まぐわった。我ながら驚くべきスピード感だ。

 これまでに味わったことがないようなあるような、とろけるような夜だったと思う。果てて間もなくして眠りに落ちたこと以外よく覚えていない。だから驚いた。目が覚め、ベッドの上を見るとそこに口から泡を吹いた女の死体があったことに。

 悲鳴こそは上げなかったが過呼吸を起こしそうになり、おれはゆっくりと呼吸をした。すると、据えた匂いがし、外の空気が吸いたくなったおれはドアを開け、外に出た。

 そのままぼんやりと歩いているうちに、さっきのあの一連の流れは酒を呑んで眠り見た夢ではないかと思い始めた。なぜなら外は暗く、夜になろうとしていたからだ。


「あのー、すみませーん」


 と、後ろからどこか聞き覚えのある声がした。

 振り返りながらおれは思った。もしかしたらおれは伊原という男で、あれは、あるいは今もここはおれが作り出した妄想の、現実逃避の世界なのではないか。


「週刊吉報の者なんですけど。伊原さんですよね?」


 おれは「ああ、はい……」と答えた。だが、まだ自分を伊原だと認められずにいる。

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