4 分かる
「王太子殿下か……実は俺は殿下からミシュリーヌ嬢の事を恐ろしい方だと聞いていた。それに可憐なジュリア嬢にいつも言いがかりをつける嫌な女だとも思っていた。それでずっと忌避感があった。実際の言動を見た後では、王太子殿下が何を恐ろしいと言っていたのかは疑問だ。」
「ミシュは天然だけど、美人で可愛い人だ。恐ろしいというのは合わないんじゃないかな。まあ、会う度に揉めていたジュリア嬢にとっては嫌な女だったかもしれないけど。」
「私はどこかでミシュリーヌ様とのやり取りを楽しんではいましたけど、確かに毎回毎回絡まれるのは面倒だとも思っていました。バーナード様と同じように忌避感があったと思います。」
「そうなると忌避感のある二人に姿が見えて、好意がある僕には見えないというところか。」
「ディラン様、吹っ切れ過ぎじゃございません?まだ私の婚約者ですのよ?」
面白がるような顔でジュリアがディランを見る。ディランは微笑みで誤魔化した。
「俺はディランが羨ましいよ。俺の家が公爵家だったらジュリア嬢に求婚するのに迷いを感じる事はなかったかもしれない。」
「え?」
馬車がグレンヴィル侯爵家に到着した。
「では、行こう。」
デュランがまず馬車から降り、挨拶に立った。バーナードに続いて降りたジュリアはバーナードの手を掴む。少し緊張で汗ばんだバーナードの手を離す時、ジュリアは寂しさを感じている自分に気づいた。
ミシュリーヌはその様子を黙って見ていた。考え事をしていたからだ。階段から落ちる前、誰かと話していたのは確かだった。何度思い出そうとしても、自分が階段から落ちる直前の状況が思い出せなかった。
三人とミシュリーヌはグレンヴィル侯爵家の応接室に通された。流石に婚約者でもない男性がミシュリーヌの寝室に行くのは問題があるという事で、グレンヴィル侯爵夫人の案内でジュリアだけが寝室に入る事になった。ミシュリーヌも離れなてしまわないように気をつけていた。
ジュリアが寝室に入り、続いてミシュリーヌも入る。ミシュリーヌは自分の体に近づいた。
『きゃあっ。』
ミシュリーヌの悲鳴が聞こえ、姿が見えなくなった。ジュリアは動揺したが、周囲に悟られないように振る舞った。
「これが王太子殿下から賜ったネックレスですか?手に取って確かめてみてもよろしいですか?」
「できれば触らないでいただきたいわ。なんでも魂が入っていないとかで、このネックレスをしていないと良くないらしいのです。信じたわけではありませんが、流石に外すのは恐ろしくて。」
「お気持ち、お察しします。」
ジュリアはミシュリーヌの姿が、自分と言い合いをしていた頃より少しやつれた事に気づき、胸が痛んだ。
「ミシュリーヌ様…」
ジュリアはミシュリーヌの冷えた手を握り、魂が体に戻れる事を願った。
その頃ミシュリーヌは階段に戻ってきてしまっていた。
『はあー。』
思わず深いため息が出た。
『何かに弾かれたわ。あとはジュリア様がなんとかしてくださる事を待つしかないわ。』
再び、長い夜が始まる。
応接室で待っていた男二人、ディランとバーナードはお互いに協力する事を約束していた。可能なら婚約者を意中の人に変えたい。二人に共通の願いだった。どう家人に話を持って行くのか相談し合い、最後は固い握手をして別れた。
ディランは帰宅後、父親のカーティス公爵にジュリアとの婚約解消を願った。やはりミシュリーヌが忘れられない事、寝込んでいるミシュリーヌは恐らく王太子との婚約を解消されるであろう事、もし目覚めなかったとしてもミシュリーヌを支えて生きていきたい事を切々と訴えた。
元からディランの気持ちを知っていたカーティス公爵はディランの気持ちを受け入れ、ファビエン侯爵家と明日話し合う事を決めた。全ては王太子が婚約を解消してくれる事が第一条件だが、恐らくグレンヴィル侯爵家も婚約を辞退するであろう、との事だった。
バーナードも父親のマックマーン伯爵に婚約の解消を願った。アリソン・コリン伯爵令嬢は王太子と妙に親密で、将来的にトラブルに巻き込まれそうだ、と伝えた。両家で婚約の顔合わせをした時のコリン伯爵の印象が悪かったこともあり、王太子の側近候補である息子が懸念を感じる程であれば、と婚約解消に向けて動く事になった。
翌朝、ジュリアはミシュリーヌの元へ急いでいた。ミシュリーヌがいるはずの階段の近くまで来た時、ジュリアは誰かに背中を押された。
『ジュリア様!危ない!』
ミシュリーヌの声が聞こえた。目の前にミシュリーヌが居る。受け止めようとしている。いや、通り抜けちゃうわよ、と考えた刹那、ジュリアの体を痛みが襲った。
ミシュリーヌは全てを思い出した。自分は誰なのか、自分の背中を押したのが誰なのか。だが今優先すべきはジュリアである。受け止めようとはしたが、当然のようにジュリアは床に打ち付けられた。
王太子が走ってきて、素早くジュリアにクリスタルのネックレスを付けた。王太子はニヤリと笑った。
「これでもう大丈夫だ。」
王太子は走り去った。朝早かったのが災いして目撃者は誰もいない。
『お願い!誰か来て!』
『やられたわー。まさか私も同じ目に遭うなんて。』
隣にミシュリーヌと同じ状態のジュリアが居た。
『ジュリア様!お体は大丈夫ですか?』
『痛かったわよ。でも体から抜け出た今は痛いところはないわ。どうもあのネックレスで背中を押されたせいで体から魂だけが抜け出たみたいね。そして体にネックレスを付けると、抜け出た魂は戻れなくなる。王家の宝物庫からか、王墓からか、効果を知っていて持ってきたのかしら?』
『そんな……まさか昨日私が何かに弾かれてここに戻ってしまったのもそのネックレスが原因?』
『恐らくそういう事ね。とんでもないネックレスだわ。それに、昨日見たミシュリーヌ様のお体、少しやつれていらしたわ。このままだと衰弱死するかもしれないわ。それを狙っているのかしら?はあ、どうしましょう。王太子殿下が犯人だなんて、きっと誰も信じてくれないわ。』
『どうしましょう…』
『誰か私たちを見る事ができる人になんとかしてもらうしかないわね…』
「ジュリア嬢?何をしているんだ?なぜジュリア嬢が二人?」
『ディー!』
『ディラン様!私が見えますの?隣にはミシュリーヌ様もいらっしゃいますわ!』
「残念ながらミシュはまた見えない。まさかこれが魂と体が分かれてしまった状態なのか?まずは床に倒れているジュリア嬢の体を安全な場所に運ぼう。階段の踊り場に寝かせておくわけにはいかない。緊急事態だから抱いて運ぶよ?」
『お待ちになって!』
「なんだい?」
『そのネックレスを外してくださいませ!』
「わ、分かった。」
ディランがネックレスを外すと、ジュリアの魂は自分の体に吸い込まれた。
『ジュリア様!』
「いたた…」
「とりあえず医務室へ行こう!失礼!」
ディランはサッとジュリアを抱き上げて医務室の方へ行ってしまった。
取り残されたミシュリーヌは複雑な気持ちだった。ディランが自分以外の女性を抱き上げて去ってしまったことに、想定外の衝撃を受けていた。もちろんジュリアを心配する気持ちもある。そして目の前で起きた凶行。
犯人は王太子。婚約者としての交流はほぼなく、どんな方なのか正直あまり存じ上げない。ネックレスを外せば体に戻れるようだが、ミシュリーヌはジュリアがいないとここから離れられない。頼みの綱のジュリアは怪我を負った。
『為すすべ無しだわ。』
「よぉ!」
『バーナード様!今ジュリア様が王太子殿下に階段から突き飛ばされて!』
「なんだと!」
『今ディラン様が医務室に!』
「すまない。まずはジュリア嬢だ。」
あっという間にバーナードは医務室の方へ走って行った。
『私も駆けつけたいわ。そうだわ!』
ミシュリーヌはどこまで動けるのか調べ始めた。
『なぜ今まで試さなかったのかしら。』
どうも、倒れた場所から円状に半径2mくらいまでは動ける事が分かった。この階段は一階と二階を繋いでいるので、窓の外にも出てみた。壁も窓もすり抜ける事ができた。窓の下は裏庭だった。
『ここに私の体を連れてきてもらってネックレスを外してもらえば、元に戻れるかもしれないわ!』