09_フワクフワク、惑わすリアルに不和来る
『フワクフワク』は、私の好きなゲームでワクワクするという意味です。
ゼンキチとマーナミヤは、ずんずん森を進んでいた。
舗装された道路に比べれば数倍歩きにくい獣道だが、先駆者たちの足跡が道標となって先まで伸びている。
じきに森を抜ける。
「結構、進みましたね」
「そうだな。順調すぎて怖いくらいだ」
街道もそうだが、適正なルートを辿れば、敵とのエンカウントを最大限避けられる。
ゼンキチもマーナミヤも最早、この辺で入る経験値は微々たるものだ。
たまに湧く雑魚モブを蹴散らしながら、二人は悠々と歩を進める。
「私、町の喧騒も好きでしたけど、こういう自然の中も安らぎ? を感じられて好きです」
「若いのに年寄り臭いことを言う。確かにたまには人の喧騒を忘れて自然と一体になるのも良い。特にVR技術が進化してからは、こういうのも気軽に体感できて、俺も嬉しい限りだ」
「このセカイに来られてよかったです。最初、ログインできないって言われた時は頭が真っ白になっちゃいましたけど、結果オーライってやつですね」
「そうだな。運が悪かったのか良かった。なんだか自分だけ楽しんで、現実の自分に申し訳が立たないけどねぇ」
「ええ、まあ。でも、いいじゃないですか。私たちが楽しければ。現実の私たちには、それを見せつけちゃいましょうよ」
此方から彼方を観測する術はない。ならば、目一杯楽しんでいる姿でも見せておくか。
「ふふ、プレイ動画では満足できない性質なんだよなぁ」
見ているかリアルの善吉。此方からは、お前の地団太を踏む姿が見えるようだぞ。
「確かに身体は動かすに限りますね! あっ、ほら見て、ゼンキチ! 出口ですよ!」
マーナミヤは、駆け足気味に歩を速めた。
長らく歩いていたこの森ともようやくおさらばかと思えば、その足取りも軽くなる。
森の終端を告げる射しこむ光は、ゼンキチにも眩しいものに感じられた。
そこに差し迫るころ、ゼンキチ達に鉢合わせるように反対方向から闖入者がやってきた。
「ああ、クソ!」
その男は何かへのイラつきを隠そうともせず、慌ただしい様子だった。
「だから言ったんだ。先に町へ入ってリスポーン地点更新するべきだって。あぁ最悪。ここまで来たけど、メンドくせぇし、俺も死に戻りすっかなぁ」
どうやらパーティが壊滅して逃げてきたようだ。
その男は、まだこちらに気づいていない様で、ぼそぼそと悪態をついている。
あまり相対したくないタイプの人間であるが、避けるには既に遅く、互いに目が合ってしまった。
「なに? あんまジロジロ見ないでもらえる?」
「え、いや……」
「って、なんだNPCか。へぇ、町の外にいる奴もいるんだ。あっ! ちょうどいいや。回復ポーションとか持ってない?」
気づくや否や横柄。森の奥から来たところからもゼンキチ達と比べて少し進んでいる程度だろうが、こちらがNPCだと気づいた瞬間、態度を変え、回復ポーションを要求してくる。
対面したマーナミヤは、気圧されたように小さくなっている。
少し遅れていたゼンキチは、そんなマーナミヤを庇おうと前に出ようとするが、それより先にマーナミヤがおずおずと回復ポーションを取り出してしまった。
「気が利くじゃん」
「あっ」
男は承諾も取らずにそのポーションを奪い取り、そのまま一気に飲み干してしまった。
不愉快だな。男の態度にゼンキチも苛立ちを覚えていた。
「ソロプレイヤーへの救済用NPC的な? そういえば町中でNPCに喧嘩吹っ掛けたら警備隊の大群に襲われるって聞いたけど、外だとどうなんだろう……」
男は、ゼンキチに聞こえるか聞こえないかくらいの声音でぼそぼそとつぶやいている。
その態度、物言いも不愉快であるが、何よりその目が不快のもとであった。人を見る目ではない。まるで物でも見るかのような蔑みの目。
「まぁ、やってみるか」
その一言は、ゼンキチの耳に嫌に響いた。それと同時に嫌な予感が走る。
「えっ……」
マーナミヤの掠れた声が漏れる。
それは、信じられない、想像もしていないとき、人から漏れる声の無い声。
マーナミヤを守る防具を避け、その間隙、腹部に凶刃が突き刺された。
時に人はどこまでも残酷になれる。特にその対象が同じく人で無く、物言わぬモノであれば、殊更害することに躊躇いは無い。
ゼンキチですら忘れていた。
今、ゼンキチとマーナミヤは、その男からすれば同じ人では無く、人を模した精巧なモノでしか無いことを。
人の純粋な悪意に初めて直面したマーナミヤにその凶刃が避けざるものであったことは当然であった。
腹を刺されたとて、現実と違い簡単に死ぬわけでは無い。ただ、その衝撃、腹部の違和感、そこから流れ落ちる赤いエフェクトのどれもがまだ成熟してないマーナミヤを茫然とさせるに足りる。
怯え、腰を抜かすマーナミヤの姿を見て、その男は下卑た笑みを浮かべていた。
遅れてゼンキチが割って入り、男のことを蹴飛ばす。
「大丈夫だ、マーナミヤ。俺たちはこれくらいじゃ死なない。ここは任せて少し離れてろ」
「う、うん。わかってる。でも、腰が……」
電子の体はHPが全損しなければ死ぬことはない。しかし、心があるのならAIであろうが、恐怖のあまり腰も抜ける。
プレイヤーキルが許されたゲームであれば、少なからずそこに愉悦を覚え、取り憑かれるプレイヤーは存在するだろう。
それはプレイヤーの自由なのだから、ゼンキチとしてもそのプレイスタイルを否定する気はない。
だが、その矛先がこちらに向くのであれば、容赦はしない。
ゼンキチの腹の中には、怒りが満ちていた。
「痛ってぇ……。なに、怒ってんの?」
「下衆が。その臭い口を閉じろ」
「かっちーん。たかがNPCの癖に生意気だな。お前らは俺らを楽しませる存在だろ。黙ってヤラれてりゃいいんだよ!」
起き上がった下衆は、スキルを発動しながらゼンキチに向かって突撃してくる。
スキル『ショートステップ』により下衆の動きは加速され、その勢いを活かして、やり返すようにゼンキチに蹴りを繰り出す。
「やったらやり返されるんだよ、バーカ! あっはっは! ……はぁ!?」
してやったりと高笑いするのも束の間、すぐに下衆の表情は驚愕に変わった。
ゼンキチに向かい繰り出した蹴り、その右足が空を舞う。
「やったらやり返される? それは互いが同格の時の話だろう。俺とお前とじゃ格が違う。ここからは一方的な蹂躙だよ」
蹴りが届く前にその足をゼンキチが両断した。
目にも止まらぬ抜刀に斬られた当人もすぐに気づかない。
足首から先を失った下衆は、その場でしりもちをつき、動揺している。
「うわぁ! え? なんだお前!?」
「あまり横暴が過ぎると、そのうちカルマ傾向が真っ赤に染まるぞ」
プレイヤー同士のいざこざは、加害者に罪が溜まる。そうするとただの迷惑プレイヤーもプレイヤーキラーと同様、真っ赤な名前のお尋ね者になることもある。
その罪過善行の累積により変化する目に見えないステータスのことをカルマ傾向と呼ぶ。
「……へッ。レッドプレイヤーとしてロールプレイすんのも悪くない。最悪、飽きたらデータリセットすりゃいい」
「そうか。データはリセットできても品性はリセットしようがない。やんちゃは程々にして、もう少し大人になるんだな」
身体の欠損は、時間経過とともに自然と再生する。
斬られた足が再生し、猛烈に襲い掛かろうとする下衆の足をやはりもう一度斬り落とし、つんのめる無様を見届けてから、更に残る三肢も斬り落とす。
「ぐっ……」
地に伏してくぐもった呻き声を上げる下衆。
ゼンキチは、四肢を失い寝返りもうてない憐れな彼を文字通り足蹴にして仰向けにしてあげる。
「喧嘩を売る相手は、よく選んだ方がいい」
動けない下衆の眼前に刃を突き立てた。
ずぶずぶ。ゆっくりとそれを突き刺してゆく。
「わ、うわ」
情けの無い断末魔もそ知らぬ素振りで、そのまま淡々と剣を振った。
下衆のHPは全損し、赤い粒子となって散る。
鞘に納められたゼンキチの剣が、昇天を告げる鈴の音のようにチンと鳴った。
「もう大丈夫だ。悪い、守ってやることができなかった。死なないとはいえ、さぞ怖かったろう」
お仕置きを終え、ゼンキチはマーナミヤの下へ駆け寄った。
可哀そうに。余程、怖かったのだろう。まだ呆然とするマーナミヤに回復ポーションを飲ませてやる。
「はぁ、もう大丈夫です。落ち着いてきました。でも、ごめんなさい。まだ歩くのは無理そう……」
「気にせんでいい。ここは静かだ。怖いことは忘れて、ゆっくり休もう」
多くの人は、耐えきれない程の恐怖、不安、怒りといったストレスを覚えると防衛本能として興奮状態に陥る。
その興奮状態が落ち着くと体はリラクゼーション反応を引き起こし、堰を切ったように涙が止まらなくなることがある。
これは緊張状態にあった感情がリセットされた時に見られる人としてごく普通の反応であると同時に、その反応を引き起こすということは心が通っているという証左でもある。
ゼンキチは、感情の暴走に涙が抑えきれない様子のマーナミヤを慰めながら、そんなマーナミヤの姿を見て、NNPCと言えどしっかりと生きているのだと実感していた。
「私、怖いです。せっかくこの世界では生きられると思ったのに。あんな人がいて、短剣がお腹に刺さる感触がしたと思ったら、また死ぬのかもって思っちゃって。体が固まったように動けなくて……」
一言一言を詰まらせながら、恐怖を反芻するマーナミヤ。
ゼンキチには、慰めてやることしかできない。
「あんな輩がこの先二度と出てこないとは保証してやれない。それほどゲームという仮想現実は、人の性格を大きく変えてしまう。加えて相手が人ではないならなおのこと……。俺たちは彼らとは違う存在であるということをまず認識する必要があるようだ。改めて思い知ったよ」
ゼンキチが守ってやるにも限度がある。
いつまでも一緒にいてあげることなぞできないのだから、どこかでその恐怖に打ち勝つ必要があるだろう。
「今すぐじゃなくていい。だが、いつかその恐怖に打ち勝とう。俺たちは仮想の命を吹き込まれたプレイヤーで、明確なゲームオーバーが存在するが、ここが俺たちの望んだ世界であることは変わらない」
ゼンキチは、いじけた娘をあやすようにやさしく寄り添い、いつか自立してくれるように願って言葉を選ぶ。
「さっきも言っていたようにこのゲームを目一杯楽しもう。そうして、楽しんでいるうちに俺たちはどこまでも強くなって、あんな輩のナイフなんて届かないくらいになっているさ」
「ゼンキチはきっと私よりもずっと大人ですよね。雰囲気もそうですし、さっきから私の気持ちに寄り添おうとしてれてるのを感じます。なんか、ママともパパとも違う感じ」
なんたって中身は御年八十歳になる後期高齢者だ。並大抵のプレイヤーより年上だろう。
体につられてなのか精神的に若くなったような感覚があるが、それでも誰よりも老成している自負がゼンキチにはある。
「まあ、ただの年の功だよ。誰でも長く生きればそうなってゆく」
「……そうですか。でも、現実の私は長く生きられないんですよ。だから、私は死にたくない。死ぬのが怖い」
「え?」
「もう長くないんですって、私。そういう病気なんです。たぶんそれがこの世界に選ばれた理由だと思います」
マーナミヤの言を聞き、そしてその表情を見てゼンキチは驚いた。
若い時分には、とても似合わない諦念の相。もう泣き飽きたのだろうか、その薄寂しい顔を見て、ゼンキチは我が身を振り返ることしかできなかった。