08_嗚呼素晴らしきセカイ
「ああ〜、強制脱出のペナルティ、結構重いんだなぁ」
ステータスを確認しながら、ひとりごと。
街を出る時には、確かにあった所持金がゼロに。加えてレベルアップするために必要な経験値まで真っさらになっていた。
なんと強制脱出のペナルティは、所持金と経験値の全ロスト。
「こんなことなら街を出る時に散財しておくべきだったな」
まだ、始めたばかりで大した金額も持っていなかったことと次のレベルアップまで必要な経験値量が然程多くない序盤だから精神的ダメージは比較的少ないが、こと終盤にかけて貯金がある時に、その貯金を全ロストしてしまった時を考えると今からゾッとする。
『やっぱり貴方、大物ね』
ゼンキチが胡座をかいて、ペナルティの重さに頭を掻いていたのは、見覚えのあるあたり一面真っ黒い空間。
『開始早々、ロアマンティスにケンカを売った挙句、白刃を一つ奪ってのけたのも驚きだけど、私の部屋に来ていると言うのにそのくつろぎ様、確信に変わったわ』
驚き二割、呆れ八割くらいでため息を漏らすのは、このセカイの運営者そのもの、管理AI【ゼン】だ。
「悪いね。激戦の後で疲れていたもんだから部屋の主がいないってのに寛いでしまった」
『観ていたわよ。しっかりと。随分、命知らずなのね』
「思っていたよりギリギリだったのは否めないけど、君のくれた安全機能もあったし、死ぬつもりはなかったさ」
『予想はしていたけど、貴方みたいに無茶する人が出てくるだろうから、アレは折を見てナーフするわ』
「運営の生の声が聞こえない方が良かったことってあるんだな」
特権が無ければ無茶できないじゃないか。アレがあるから無茶するんじゃない。両者の意見は平行線。
しかし、この場合、強いのは神にも等しい運営者ゼン。ゼンキチが勝つには仲間を集めて運営叩きしながら、お問い合わせ攻撃でもするしかない。
守ろうNNPCの権利。運営の横暴を赦すな。最初の町を占拠して、反対運動シュプレヒコールも辞さない所存であるが、現在仲間は総勢二名。叶わざることは、さもありなん。
無情の現実に諦念を覚えつつ閑話休題。
「それで負け犬の俺に何の用が? まさか強制脱出する度、ここに呼び出されるわけではないだろ?」
初回ログインボーナス的な何かだろうか。もしかしたら初回敗北ボーナスに指差しで笑われるだけかもしれない。
『特に深い理由は無いけれど、ただ最初に無茶苦茶やらかしてエスケープまで発動した人間に私のセカイの感想でも聞かせてもらおうかなと思って』
「……最高だよ。まだあのカマキリと切り結んだ感触が手に残ってる。あいつにリベンジしたくてもううずうずしてるよ」
一人の表現者として被造物の感想を聞きたくなるのはどうしようもなく抗えない性。
そして、それにただのゲーマーが最高と答える。
「そう」
管理AI【ゼン】は、そう一言だけ呟き、静かにはにかんだ。
どこか神聖さすら感じる純白の見た目と大人びた口調とは裏腹に、それはまるで雲の後ろから顔を出した太陽のように眩しく、無邪気な喜びに満ちていた。
『嬉しいわ。でも、まだまだ満足しないでよね。これから先も私のセカイは最高なんだから。だから、この生をどうかもっと楽しんで』
「もちろん大いに期待しているさ。まだ死ねない理由ができてしまったな」
『それじゃあ、本当に用はこれで終わり。貴方を元の世界に戻すわ』
「また何時でも呼んでくれ。年の所為か色々な人と話をするのが好きなんだ」
『機会があればね。でも、しばらくは呼ばないわ。あんまり私が干渉し過ぎるのは良くないもの』
「それもそうか。まあ、俺が楽しんでる姿でも見ていてくれ」
本来、プレイヤーと運営者は交わらないもの。束の間の会合に別れを告げる。
別れの間際、ゼンキチにゼンから一つの助言が送られた。
『そういえば、無茶するのもいいけれど、するならパーティ設定に注意した方がいいわよ』
「え?」
『お仲間のあの子、血相変えて貴方のこと探しているわよ』
すると、そもそも地面らしい地面はない空間であるが、何かに接地していたはずの足の感触が無くなり、言いようがなく頼りない浮遊感に包まれた。
浮いている。否、落ちている。浮遊感は次第に落ちる感覚に変わり、またぐらにリアルなぞわぞわしたあの感覚が走る。
ゼンキチは、文字通り元いた世界に落とされた。
ゼンキチはその瞬間、目を見開いていた。意識していたわけではなく、ふと瞼を刺す陽の光を感じたからだ。
そこは太陽にも手が届きそうな程の遥か上空。眼前には果ての無い世界が広がっている。山も、海も、森も、街も、描画距離なんて野暮なものは無く、目に映るもの全てが壮大であった。
「ははっ!」
喜色満面。ゼンキチの脳裏に広大な世界が焼き付いた。
今後、これだけの世界がゼンキチを待っている。永遠を謳うのも頷ける。
やがて、ゼンキチは光の粒子となって、宿屋のベッドまで流れていく。
ドン!
激しく扉を叩く音。
気づけばそこは最初と同じ宿のベッドの上だった。
ドンドン!
その音は、まだやかましく続く。
「戻ってきたのか‥‥」
「こらぁ~! ゼンキチ、いるのはわかってるんですよ!!」
姦しく捲し立てる少女の声を耳にゼンキチは考える。
「はて、どう言い訳をしたもんか……」
扉の前に待つ少女は、まず怒り心頭。その怒りの理由は、間違いなく夜な夜な勝手に出かけていたこと。
なんだか浮気を疑われる男のようだなぁ。逆にそこまで怒られる謂れはないのではないかという思いが湧き始めてきた。
と、考え出したところで、思考が脇道にそれ始めていたのを感じ中断する。そもそも成り行きとは言え、パーティを結んだ相手に無断で行動したゼンキチの方が悪い。
思考は即行、まあなんとかなるかと思うことにし、ゼンキチはドアノブに手をかけた。
「あ! やっと出てきた! どこ行ってたんですか!?」
「まあ、待ってくれ。訳は歩きながら話そう。それよりまず鍛冶屋にでも行かないか? 武器が壊れてしまってボロボロの短剣一本しかないんだ」
「もう! ちゃんと全部話してくださいよ!」
「ああ。それと良ければ金も貸してほしい。素寒貧なんだ」
「本当に怒るよ!?」
当然、お金は借りられなかった。
「アンタ、ロアマンティスを倒したのか。見たところまだ駆け出しなのにやるな」
「勝ってはないさ。このとおり一矢報いてはやったが」
「十分に大金星じゃねえか。俺も久しぶりにヤツの白刃を目にしたよ」
ゼンキチは鍛冶屋に足を運んだ。
金はどうにか集めた素材を売っぱらって工面したが、懐事情は寂しいままなので、数打ちの直剣を一振りだけしか購入できなかった。
物のついでだと思い、唯一の戦利品と言ってもいいロアマンティスから奪い取った白刃を店主に見せる。
「だが悪い。恥ずかしながらソイツはウチじゃ扱えねぇ」
「そうなのか。理由は?」
「腕が足りてねぇとは言わせねぇが、設備が足りん。その素材は精緻な工程が必要になるから、聖都の本店でもないと加工は厳しいだろうな」
聖都、初めて聞く名前だ。
それもそのはず、この世界に降り立ってから一度もワールドマップというものを目にしていない。地理関係に関する情報が足りないのだ。
大方、リアリティを求めるために、あえてゲーム設計を不親切にし、NPCからの情報を頼りにゲームを進行させようとする意図が見える。
まあ、目的地の一つとして記憶しておけばいい。楽しみは後に取っておくのも悪くないだろう。
「気にせんでくれ。どうせ頼む金もない」
「ロアマンティスの白刃からつくられる武器は、この辺で取れる素材の中でも破格の切れ味になる。金がないならいい値で買うが、どうする?」
「売らないで楽しみに取っておくよ。それより聖都に向かうには、どっちに進んでいけばいい?」
「聖都ならこの町を出て、北に見える霊峰を目印にしていくといい。あの山は、どこからでも見えるほど馬鹿でかいからな」
空から落ちてきた際、北の遠方に大山が見えていた。
なるほど、確かに目印にするには申し分ない。
「次に目指すならオーローン森林を抜けた先にあるガードって町に向かうといい。また、ロアマンティスに出くわさねぇように気をつけて森を抜けな。それと最近、森を抜けた先の街道に厄介なモンスターが出るらしいからそっちも気を付けろよ」
「ありがとう。仲間に相談しなければならないが、次の目的地が決まった気がするよ」
「ガードまでの地図は、道具屋に行けば売ってるから、そいつも買っていくといい」
金がないんだってば! とは言わない。
鍛冶屋の店主との会話を切り上げ、店を出た。
純粋なNPCと会話を交わしたのは、初めてだったが、本物の人間となんら変わらない様だった。最も、今では自分もそちら側に分類される身なのだから、面白い。
本物のNPCがこのレベルで人と変わらないならプレイヤーと普通に接していてもNNPCが生きている人間をベースにしているなんて考えもしないだろうな。
「あ、ゼンキチ。終わった?」
「ああ、何とか剣を一振り買うことができたよ。それより店主に聞いたんが北に大きな町があるみたいだ。良ければそこに向かってみないか?」
「ふふ、奇遇ですね。私も道具屋の店主からその話を聞いてゼンキチに言おうと思ってたんです。ほら、このとおり!」
じゃん! 自信満々にマーナミヤの手から取り出されたのは、丸められている古ぼけた羊皮紙のようなもの。
それをマーナミヤは広げ、ゼンキチに見せた。
「まさか、この辺の地図か?」
年季が入っている割にその地図は、詳細だった。
どうやら今ゼンキチ達のいる町の周辺は、湾曲する剣のように突き出した地形であり、北をオーローン森林、南を海洋に塞がれた大陸の辺境に位置するようであった。
「ええ! この地図にも記されていますし、二人して別の人から同じ話を聞いてるってことは、きっとこの町が正規ルートですよ! 本当は南の海も見てみたいけど、まずは次の町に向かいましょう!」
「そうしようか。マーナミヤはしっかりしているなぁ」
マーナミヤは照れ臭そうに頭をかく。
いやはや、地図を買う金をどう工面したものか、まあ無くてもどうにかなるだろう、くらいに楽観的に考えていたゼンキチには、濡れ手で粟。
マーナミヤはしっかりしているなぁとは、ゼンキチはしっかりしていないの反語だ。
さて、合意が得られたならば、善は急げだ。ゼンキチ達の体感では、既に一日が経過しているが、二人はまだ最初の町すら出ていない。ということは、まだ冒険は始まってすらいないと同然。
冒険の始まりに心が躍り、次なる町「ガード」に向かうゼンキチとマーナミヤの足取りは軽やかだった。