04_拝手転じて死を象る
ーーズドンッ
地面が震える。木々が揺れる。腹に響くその振動はまだ続き、徐々に音が近づいてきているようだ。
逃げるか様子を見るか逡巡も束の間、音の鳴る先から二つの影が迫ってきた。
「ばっ、プレイヤー!? いやこんなとこにNPC!? ともかく逃げろ! やられるぞ!」
一つは焦った様子のプレイヤー。必死の形相で走り、何かから逃げているようだ。
ゼンキチの横からはヒュウと息を飲む音が聞こえた。
それもそうだろう。もう一方は、障害物をなぎ倒しながらそのプレイヤーを追従する辺りの木々にも見劣りしない巨躯の蟷螂。
虫型のモンスターは、フィクションの鉄板であるが、やはり目の前にするとその迫力は圧巻だ。しかも、それが近づけば見上げるほどの巨体で、猛然と迫りくるのだから、虫嫌いの人間なら嫌悪感で卒倒しているかもしれない。
「逃げよう!」
すぐさま反転し、脱兎の如く駆けだすマーナミヤに少し遅れ、ゼンキチも走り出した。
ガシャガシャとマーナミヤの帷子が音を立てている。
走力の差か、森の奥から逃げてきた盗賊風の男が、ゼンキチらの横に並ぶ。
「巻き込んじまってスマン! 故意じゃないから許してくれ!」
「よくあることだ。気にせんでいい。それより、アレはこの辺のボスか何かかい?」
未だ後ろから猛追する巨大なカマキリに目をやる。
ジワりジワりと徐々に距離を詰められているようだ。
「ああ、おそらくこの森の主。フィールドボスって奴だ。仲間たちと虫モンス狩りまくってたら突然現れやがった」
「私、デカイ虫ってだけで無理なんですけど……」
「確かにアレは迫力満天だねぇ」
「強さも正直初期エリアに配置されるレベルは超えてるぜ。俺はAGI特化だから命からがら逃げられたけど、あのカマキリの一振りで、俺の仲間達をまとめて真っ二つにしやがった」
「怒れる森の主かぁ。ちょっと手合わせしてみたいけどなぁ」
「だめだめ! 今の私たちじゃまだ勝ち目がないですよ!」
「俺もやめといた方がいいと思うが、止めはしないぜ~。もうすぐこの森を出るし、囮は大歓迎だ」
「それもいいかもねぇ~」
気づけば多足を生かし、疾走する大カマキリは、すぐそばまで迫ってきている。
舌なめずりをするかのように顎をギチギチと鳴らしながら、近づいてくるその様は、獰猛な捕食者そのものだ。
「よし、もうすぐで草原に出る! フィールドボスなら自分のテリトリーからは出られねぇだろ!」
かれこれ10分弱全力疾走を続けている。ステータスによって決められたスタミナは有限で、軽装であるプレイヤーの男とゼンキチには多少の余裕が残っているが、鎖帷子を着込んでいるマーナミアの疲労は想像より大きい。
しかし、もう少しの辛抱だ。
もう少しで大カマキリの縄張りを抜け、最初の草原に出られる。
油断があったと言えば、そのせいだろうか。全員がそこまで逃げてしまえばいいと油断していた。
だから大カマキリの行動の変化に気づくのが遅れてしまったのだ。
ふと、ドタドタと地鳴りのような大カマキリの足音が止まっていた。
最初に気づいたのはゼンキチ。だが、それも既に遅かった。
ゼンキチがチラリと大カマキリの方を確認すると、そこには六足全てで地を噛み、低く体勢を整えるヤツの姿があった。
背には薄透明な翅を広げ、高速で振動するそれはバチバチと音を鳴らす。
「避けろ!」
ゼンキチの絶叫に何かを察した男は、対面の藪に大きくを身を投げ出した。ゼンキチもマーナミヤの肩を抱きしめ、同様に身を低くする。
彼我の距離は凡そ八十メートルはあった。
大カマキリは、轟音と共に木々を薙ぎ倒しながら、その距離を規格外の一歩で瞬く間に詰めてしまった。
人間を超える巨躯で、人間よりも多い足で思い切り地面を蹴り、轟々と翅音を鳴らしながらゼンキチ達に向かって一直線に飛来するその衝撃は、まるで稲妻が横を通り過ぎて行ったかのようだ。
あまりの衝撃と舞う枝葉に目を窄めながらも前を向くと、ヤツは、当たり前のように前にいる。
そして、轢き殺されなかったことに安堵する暇も無く、大カマキリは、その異常に発達した前足、所謂、カマキリの代名詞たる大鎌を大上段に構えた。
「アレはまずい!」
ゼンキチは、危険に対し、剣を抜こうと腰に手を伸ばすが、それも遅い。
純白の新雪を想起させる程真白で、一片の曇りのない大鎌の刃がその場に残像を残しながら、一瞬ブレた。
それが攻撃の合図であると認識していても、それに反応することができなかった。
ただ一人を除いて。
ギャリギャリと金属同士が擦り合う嫌な音が大音声で鳴り響く。
「ちょ、ちょっとぉ! 一撃で剣と盾の耐久半分以上持ってかれたんですけど!」
平然と、そしてたんたんと眼にも止まらぬ致死の刃を弾き返し、そう宣う。
真紅の長髪を靡かせて、悠然とたたずむ女騎士の姿が目の前にあった。
「あんな速い攻撃、初見でジャストパリィなんて不可能ですよ! あぁ、町に帰って装備の修理しないと……」
マーナミヤの持つピンチに対する嗅覚と直感力を確信した。ゼンキチが一瞬にも満たない間呆けていた時には、既にマーナミヤは一歩前で攻撃を防ぎに動いていたのだ。
「だが、助かった! あの大振りの攻撃の後にはどうやら数秒間の行動制限があるみたいなんだ。嬢ちゃんのおかげで首の皮一枚繋がったぞ!」
休む間もなく一行は駆け出す。プレイヤーの男が言うとおり大蟷螂は、横を通り抜けるゼンキチらに向かって刃を振り下ろす事はなかった。
それからは拍子抜けするほど何事も無く、無事に森を抜けた。
見晴らしの良い草原と遠くに見える始まりの町が少し懐かしく感じ、安堵に胸を撫でおろす。
「ここまで来れば流石に大丈夫だろ。いやぁ助けられたぜ。開始早々命からがら大冒険だったぜ」
「こちらこそ。あそこで巻き込まれずにあの森を狩場にしてたら私たちも背後からいきなり斬りかかられてたかもってことですから、考えるだけでゾッとします……」
「返って、俺たちの方が助けられたのかも知れないな」
「まあ、そこは持ちつ持たれつ旅は道連れはオンゲーの醍醐味ってヤツだろ? って、つい生のプレイヤーだと勘違いしちまうけど、あんたらもNPCなんだもんな。こんなこと言っても伝わらないか」
まあ、中身は生の人間なんですけどね。とは言えない、ゼンキチとマーナミヤである。
なんとも言えないハニカミで誤魔化した。
「まあ、気にしなくていいか! ゴタゴタしてて挨拶も遅れちまったが、俺の名前はダンってんだ! 二人とも今回はありがとうな。おかげでデスペナも受けずに済んだわ。今頃リスポンした仲間たちが町で待ってるだろうから、ここいらで俺は走って帰ることにするよ。二人とも今回はありがとうな!」
じゃあな〜。と、元気よく走り出すプレイヤー『ダン』。
その走力はやはり大したもので、AGI特化プレイも楽しそうだなと少し思うゼンキチであった。
ゼンキチとマーナミヤは、ダンの姿が小さくなってゆくのを見ながら手を振り続けた。
「私たちも帰りましょうか。宿屋に戻ってご飯でも食べましょう。なんだかとてもお腹が減りました」
「そうだね。健全な冒険には、適度に休憩を挟むのが肝要だ」
「ゲームは一日一時間ってやつですね!」
「ははっ。俺らは二十四時間四六時中オンラインだがね」
気のいいプレイヤー、見知らぬフィールド、まだ見ぬ強敵との出会い。それもまたオンラインゲームの醍醐味であろう。
そんな出会いを肴に他愛のない会話に花を咲かせ、なんなら小気味よくNPCジョークなんかも挟みながら、ゼンキチとマーナミヤも帰路に着くのであった。