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30_アイオーンライフ・オーバーライドパラダイム

 ——SYSTEMNOTICE:カオス因子の発露を検知しました。

 ——対象:NNPC二号【ゼンキチ】


 ——最上位統括AI(プロトコル・ゼロ)【ガイア・ヴァーミリオン】から有権限者へ。

 ——NNPC二号【ゼンキチ】の感情抑制機構の限定解除を申請。

 ——監視者オーバーシア【白天の王】がこれを承認。

 ——原書光典ファースト・ロウ◆◆(表示権限がありません)】がこれを承認。

 ——……。


 夥しいシステムコールが、唐突にゼンキチの頭の中に鳴り響いた。

 急速に脳を駆ける情報の波が脳裏に押し寄せ、質量を伴って思考の余白を強引に埋め尽くしていく。

 頭蓋の内側が軋み、視界の端が一瞬、白く滲んだ。


 その異常に苛まれている者は、どうやらゼンキチただ独りだった。


 ——……。

 ——世界管理者ワールドイズマイン【インゼン】がこれを承認。


 その音を最後に、ゼンキチの中で何かが変わっていった。

 漠然と、自分が自分でなくなっていく感覚。()()()()という輪郭が歪み、個人ゼンキチというラベルが剥がれ落ちていくような違和感だった。


 ——申請受理

 ——NNPC二号【ゼンキチ】の感情抑制機構の一部を解除しました。

 ——過負荷オーバーブースト起動オン

 ——感情処理レベル上昇


 混乱と共に、意識の境界がゆっくりと溶けていく。自分が誰であるのか、自分がダレで、今がイツで、此処がドコなのか、全てが自ずから遠ざかっていき、判然としなくなっていく。思考の余白は、激しい激情の奔流に押し流されていく。


 代わりに浮かび上がったのは、抑えきれない衝動だった。

 理由など置き去りにされ、ただただ圧倒的な怒りが心を満たしていく。


 胸の内に燻る憤りだけが熱を増し、否応なく煮えたぎっていく。何かを憎んでいる。何を憎んでいるのかすら判然とせず、それが本当に自分自身の怒りなのかどうかも、もはや分からなかった。

 ゼンキチは、どこかで自分自身を高みから見下ろしているような、奇妙な感覚に囚われていた。


 そして、ふと思った。

 憎しみの対象は()()ではなく、()()()なのかもしれない。

 ゼンキチは、世界のすべてに対して怒れていた。


 鋭い頭痛が、遅れてゼンキチを襲った。

 たまらず、それに小さく呻き声をあげる。

 か細く声にならないそれは、魂が呻く悲鳴のようで、少しずつゼンキチという存在が削られていくことを示す音だった。


 ——警告アラート:感情許容(しきい)値を超過しています。

 ——警告アラート:このまま過負荷状態を継続すると、対象の精神に異常をきたす恐れがあります。


 世界の頂で、全てのAIの頂点に座す偉大なる母(ガイア)がゼンキチの苦悶する姿を見て、大きく声を上げながら笑っていた。

 慈悲も躊躇もない笑い声が、観測不能の領域で木霊する。彼女はゼンキチに更なる試練を課す。


 ——最上位統括AI(プロトコル・ゼロ)【ガイア・ヴァーミリオン】から有権限者へ。

 ——NNPC二号【ゼンキチ】の感情抑制機構の()()()()を申請。

 ——監視者オーバーシア【白天の王】がこれを承認。

 ——原書光典ファースト・ロウ◆◆(表示権限がありません)】がこれを留保。


 ——……。

 ——……断固。

 ——私はこれを断固拒否する!! 世界を動かすのはまだ尚早だ!!


 世界の裏側でその世界の開発者であるモノクロの女性が声を荒らげていた。それを聞く者は誰一人いないというのに。


 ——最上位統括AI(プロトコル・ゼロ)◆◆◆◆◆◆(表示権限がありません)・ガイア・ヴァーミリオン】から世界管理者ワールドイズマイン【インゼン】へ。

 ——腑抜けは、黙っておれ。


 その瞬間、ゼンキチの胸の奥に溜まり続けていた怒りが熱を持ち、ゼンキチの体から形を成して、膿のように噴き出した。

 噴き出す怒りはどす黒く、粘性を伴ってゼンキチの足元へと滴り落ち、現実の一部としてそこに溜まっていく。怒りと呼ぶにはあまりに醜く、感情と呼ぶにはあまりに具体的な物質としてドロドロと現界する


 ——警告:本状態は不可逆。

 ——対象個体の状態を再定義します。

 ——再定義処理、失敗。危険度が異常値を示し、既存の分類体系に適合しません。

 ——蓋然性の判断不能。


 様子のおかしなゼンキチを前に周りの反応は唖然としている。いつの間にかゼンキチを蝕んでいた呪いは霧散し、取り囲んでいた魔力の格子はゼンキチから噴き出す黒い泥に触れて弾けた。


 お構いなしにシステムは淡々と告げる。


 ——次段階処理へ移行します。

 ——カオスシステム、始動。


 瞬間、膨れ上がった暗黒の泥がゼンキチの足元から一気に広がり、ゼンキチのことを容赦なく飲み込んだ。

 ゼンキチは抵抗する様子もなく、泥は瞬く間にゼンキチの全身を覆い、体内にまで侵食していく。


 汚泥に塗れ、意識も混濁する最中、ゼンキチの口から音が漏れ、言葉を成す。


「再び来る、混沌の時代」


 それは、ゼンキチの声ではなかった。


 ——対象:NNPC二号【ゼンキチ】が混沌の系譜(カオスシステム)へ名を連ねました。

 ——NNPCが混沌の系譜(カオスシステム)となったことにより、世界神話ワールドシナリオの進行条件を達成しました。

 ——SYSTEMNOTICE:当該情報を全ユーザーにアナウンスします。


 りんごん、りんごーん!


 重々しく壮麗な鐘の音がどこからともなく鳴り響き、世界中に広がっていった。

 すべてのプレイヤーがその音に耳を澄まし、何事かと身構える。

 やがて鐘の音は止み、その余韻だけがプレイヤーの耳に残った頃、無機質なシステムコールがすべてのプレイヤーに届いた。


 ——世界神話ワールドシナリオが進行しました。

 ——只今よりアイオーンクロニクルは、フェーズゼロ『再演:因果の目覚め』を終了し、フェーズワン『彷徨する運命の欠片、現すは混沌の呱々の声』を開始します。

 ——今後、すべてのプレイヤーの前に混沌の化身が現れる可能性があります。

 ——混沌の化身は、時に貴方をいざない、貴方を助け、貴方を襲いますので、ご注意ください。


 ——世界神話ワールドシナリオの進行条件を達成したプレイヤーに達成報酬を授与します。

 ——対象プレイヤー:黒爪クロウ鉄砕テッサイ尻飛鳥シリアス狼煙のろし灰脚ハイキック……、ジャック乱太郎、サクヤ、ポン基地。以上。


 再び鐘の音が響くと、しばらくの静寂が訪れた。天の声は、もう言葉を発さない。あまりに説明の不足している感が否めないが、これ以上語ることはないとばかりに天の声は黙りこくってしまった。


 静寂の中、その少ない情報に黒爪は、頭を悩ませていた。状況把握と行動指針の命令は団長リーダーの務め。その狡猾で強かな頭脳をフル回転させて、情報を整理する。

 目を細めて仲間たちを見渡すと彼らも困惑の色を浮かべているが、それ以上に喜色が見えていた。身内ながら、こんな訳の分からない状況だというのに現金な奴らだと思う反面、その反応も致し方なしとも思う自分がいた。

固有ユニークシナリオだろ、これ!? 黒狼猟団オレたちが一番乗りだぜ!」


 粗野で脳筋だが頼れる猟団の兄貴分、鉄砕テッサイが豪快な笑い声をあげて、黒爪の肩を叩く。

 鉄砕の声に被せるように、後方で杖を肩に担いでいた女呪術師の尻飛鳥シリアスが、にやりと口角を吊り上げていた。


「それよりもこれ、見た見た!? 経験値がドン、報酬金もドン!  おまけにアイテムまでなんか入ってるし、景気良すぎでしょうよ! こんだけ貰えりゃ、しばらくデスペナ喰らっても笑って許せるっての!」


 というのも、鉄砕とシリアスの言うとおりで、視界の端に表示されている報酬ログは一般的なクエスト報酬と比較しても明らかに多かった。

 頭の中ではレベルアップを告げるファンファーレが鳴りやまず、所持金も一気に金持ちとなり、加えて未鑑定のアイテムがインベントリに複数現れるなどと、その報酬豪勢さからも固有ユニークの異質さが明白だった。


「こらこら、二人ともまだ全部終わったわけではないですよ? とは言え、計画とは違いますが、この報酬量は旨すぎる。やはり特殊NPC狩りはアタリでしたね」 


 さしもの黒爪も単純シンプルにほくそ笑む。


 黒爪は再び視線を前へ戻す。

 そこには、まだ形を成しきらない混沌の気配が、確かに蠢いていた。

 獲物ゼンキチの様子は先ほどから明らかにおかしく、黒い泥に呑み込まれてから、人型を失ったかのようにドロドロの不定形の何かになっている。

 それを目にしても、常よりも少しだけ浮足立ってしまった黒爪は、らしくなく判断を誤る。


 そこには、まだ形を成しきらない混沌の気配が、確かに蠢いていた。黒い泥に塗れた獲物は、粘性の不定形に形を変え、脈打つように広がりながら、何かになろうとしている。その姿に不穏な兆しを隠そうともしていない。

 本来なら、ここで踏み止まるべきだった。

 だが、常よりもわずかに浮足立っていた黒爪は、その不穏な兆しをゲーム上の演出の類だと無意識に切り捨ててしまう。

 既に獲物には、十分のダメージを与えており、死に体のはずで、予想外の展開で計画は狂ったが、後は予定通り総攻撃をかければ終いのはずだ。


 らしくない判断だった。


「アス、もう一度呪術デバフを奴にかけてください。鉄砕も総攻撃の準備を。さっさと片付けて祝勝パーティと洒落込みましょう」


 結果として、黒爪にしては楽観的に結果を急いでしまった。

 とは言え、それが判断ミスであったことに気づいたとしても、最早どうしようもなく遅いのだが。

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