29_アイオーンライフ・カオスシステム
草原には、幾重にも折り重なった金属音が鳴り響いていた。
刃と刃の乾いた衝突音、盾を叩く重たい衝撃、スキル発動を告げる不自然な鈴のような音と着弾の爆発。
それらの音が溶け合って、いつの間にか平原はまるで巨大な鉄火場のように変わってしまっていた。
その中心で、黒狼猟団は遊んでいた。
「囲め。逃がすな」
「回復阻害、そろそろ切れるぞ。再展開用意」
「狂剣へ一点集中。拘束は交互に回せ!」
淡々と、無機質に。
人を殺すために最適化された指示が、いやに滑らかに流れてくる。
ゼンキチは歯を食いしばり、何とか集団の隙をくぐり抜けて、刀を振るい続けていた。踏み込み、斬り、受け、流し、返し、身体はまだ動く、意識も冴えている。
——それでも、確実に追い詰められていた。
「……チッ」
ゼンキチの状況は、多勢に無勢。サクヤとポン基地との陣形も崩され、既に孤立無縁。
特にゼンキチは厳しいマンマークに会い、四方を敵に囲まれている。それだけ、黒狼猟団からの警戒度が高いことの証左でもあるのだが、全く嬉しい状況ではなかった。
「おいおい、よそ見してる余裕があるのか? 狂剣さん」
「仲間が心配? それとも自分の首?」
フードの奥、口元だけが見える男が嗤った。余裕たっぷりに、嗜虐的な笑みを浮かべており、よりゼンキチを苛立たせる。
「お前らこそ、遠くからちまちまと忌々しい。必ず全員、粉微塵に斬ってやるから、もっと近くに来いよ。怖くて近づけないか?」
ゼンキチの吐き捨てるような言葉に、数人がくすりと笑った。
「怖い? ああそうだね」
「だからこうして、ちゃんと安全圏から削ってる」
その言葉と同時に、横合いから放たれた遠距離スキルが爆ぜた。
直撃を避けたが、ゼンキチの肩口に浅い傷を残す。致命的でなくとも、確実にこちらを削る一撃を徹底して加えてくる。
口では大きいことを言うゼンキチだが、合間に遠距離攻撃を交えられると中々包囲を突破することは難しい。
黒狼猟団は、悪辣なロールプレイを生業にしている割に各々が統率の取れた動きをしており、その連携は狡猾で丁寧そのものだった。
加えて——、
「回復術師、一旦回復寄越せ!」
「呪術用意できたよ! 飛ばす!」
「ああ、じゃんじゃんいけ!」
攻撃の波は常に途切れなく、こちらが大技で包囲を削っても、戦線はすぐに戻る。
連携が密な回復と支援が噛み合った瞬間、個の力は意味を失い、多勢の圧力に飲み込まれていく。
パーティプレイの暴力を身に染みて感じていた。
そして、ゼンキチのステータスの下には、デバフがいくつも重なって点灯しており、どれもがギリギリの抗戦において、積もり積もれば致命的とも言える毒だった。
それでも、ゼンキチは刀を振り続けた。
スキル【軽身功】と【翔歩】を合わせて、前衛組の頭上を越える。多少の無理を通してでもゼンキチが狙うのは、パーティの要である後衛。
「着地、叩け!」
「おうさ!」
翔歩からの着地の瞬間を待っていた長柄の槍兵とAGI特化の軽戦士がその瞬間を狩るように二方向から挟み込んでくる。
——ギギンッ!
迫るその凶刃をゼンキチは、地を這う形で避けた。
二つの攻撃が紙一重でゼンキチの頭上を掠めていき、ぶつかる凶刃が激しい金属音を上げている。
安堵の息を漏らす暇もなく、ゼンキチは四足で地面を蹴って駆ける。まさに這々の体。どれだけ無様であってもいい。全身全霊で遠慮なく、我武者羅に生き残るために最善の択を取る。
四足で駆るゼンキチは、まるで犬のようで、黒狼よりも獰猛な獣のようだった。
四足であろうが地に足付けば、後は経験と野生のカンで歩法の技術は再現できる。
そうして、ゼンキチの暗影歩法は、また一つ深化する。より深く影へと潜り込み、黒狼猟団の目の前から忽然と姿を消す。
「ぼ、防御陣形ィッ……!!」
影の中を移動し、ゼンキチは体制を整えられる前に速攻を仕掛ける。猟団が見失った隙を突き、ゼンキチは後衛陣へと肉薄した。
しかし、あまりにもその動きは——
「俺の動きが——」
——遅かった。
彼我の距離は遠く、万全ならすぐにでも詰められる距離であっても、速度減少のデバフに加え、疲労とダメージの蓄積によって、その歩みは遅く、開いた距離は縮まらない。
すべてが噛み合って、確実に狂剣の切れ味は鈍っていたのだった。
「まあ、定石通りなら狙うのはここですよね」
加えて、最悪は重なる。
ゼンキチが今まさに肉薄しようとしていた後衛陣の中心、ガラ空きの背後を狙うそこから静かな声が響いた。
ゼンキチの視界の端には、不意に黒い影が映る。
その影、慇懃な口調で話す男がいつからそこにいたのか、声をかけられるまでゼンキチすら気づけなかった。
その男だけが影の中に潜むゼンキチに気づいていた。
その男だけが影の中を進むゼンキチに追いついた。
二人、相見えるのは影の中。
本来、不可視の空間で二人は衝突し、鍔迫り合いながら見つめ合う。
ゼンキチの双眸は驚きに見開かれていた。
「まさかお前も……!?」
「はい。ぴん、ぽーん。 私のは【月下影狼】っていうスキル。まさか同系統のオリジナルを持ってるとは、ちょっと驚きましたよ」
慇懃で、丁寧で、しかしどこまでも冷たい声で、悪戯に嗤うその男。
その男こそ、【†黒狼猟団† 】団長の黒爪。
「日陰者同士、仲良くできるかもしれませんね。もっとも——」
ぶつかり合う刃が押し込まれた。
「——貴方は、今ここで私らに殺されるんですけど」
まるで天気の話でもするかのような平坦な声音で宣う黒爪に、さしものゼンキチも声を荒げて反撃に出る。
「……やってみろ!」
デバフと疲労に侵された体に鞭打ち、ゼンキチは刀を押し返し、交錯する刃は二人の間に火花を散らす。
すると覆っていた影が霧散して、影の中で睨み合っていた二人は、再びその姿を露わにした。
「おっとっと……、やばいやばい。やっぱり一対一は分が悪いかな」
「アンタの仕業だったか。助かったよ、団長」
「いや、まだだ。退がってもう一度陣形を立て直しなさい」
黒爪は、今まさに鬼の形相で襲い来るゼンキチを指差して。
「アレが来るよ」
黒爪の指示を聞き、団員は蜘蛛の子を散らすように反転していった。
ゼンキチは深く踏み込み、重い身体を無理矢理前へと叩きつけた。移動速度低下のデバフが足を縛り、疲労が視界を滲ませる。それでも、その剣は正確だった。
全体重の乗った袈裟斬りの一太刀。
黒爪は紙一重で直撃を避けるが、外套の裾が切り裂かれ、布片と共に赤い飛沫が宙を舞う。
「……っ。ホントに無茶苦茶ですね。デバフまみれでしょうに」
「お前を斬りたくて、止まってられねぇよ……!」
返す刃が、容赦なく黒爪に迫る。時にフェイントを挟み、二刀を持ち替えたり、順手と逆手を切り替えたりしながら緩急を付け、ゼンキチの剣は捉え処がなく、黒爪に反撃の間を与えない。
慌てて黒爪が剣で受ければ、その衝撃を散らす前に次の剣が襲いかかり、まるで止まぬ嵐のよう。その剣速は徐々に上がり続け、デバフに侵されているとは思えないほどの尋常の剣ではなかった。
「くっ!?」
「甘い!」
本気を出したゼンキチを前に反撃を試みれば、手痛いしっぺ返しを食らい、防御に徹しようともダメージは必至。一合ごとに、確実に推されているのが分かり、このまま一対一の形が続けば敗色は濃厚で、黒爪は後退を余儀なくされる。
対してゼンキチの方も、息は荒く、肩は上下し、脚は鉛のように重い、動きは精細さを欠いてきており、端々に確かな疲労が滲んでいる。
それでも、今が千載一遇のチャンス。目の前の男の首を刎ねることが出来れば、厄介な黒狼の機能は停止するだろう。
「……これほどとは。悔しいけど、やっぱり一人じゃ厳しいですね」
黒爪は小さく吐息を落とし、しかしその口元には相変わらず薄ら寒い笑みが浮かんでいた。
そんなことは、黒爪も想定済みだった。元より、この男に一人で戦うなんて思考はない。
「ですので、やっぱり全員で相手させていただきます」
その一言を合図に黒狼猟団が一斉に前に出た。
団長の指示を待っていましたと言わんばかりに四方八方からゼンキチを目掛けてスキルが殺到する。
地面に走る影が、蛇のようにうねり、ゼンキチの脚へと絡みつく。同時に、魔力の奔流が格子状になってゼンキチの四方を囲い、逃げ道を塞ぐ。
黒爪は一歩引き、その様を安全圏から見つめていた。
「いやぁ流石ですね、狂剣さん。これまで私ら相手にここまで粘った奴はいませんでしたよ」
再びゼンキチ包囲網が完成し、羽根をもがれた籠の中の鳥状態。
「ですが、流石にそれもここまでですね」
もはや身動きの取れないゼンキチの前に立ち、黒爪はその様を煽った。皮肉の効いた言動でゼンキチを挑発し、その態度のひとつひとつがゼンキチの神経を逆撫でする。
その間も呪術が容赦なくゼンキチを蝕む。呪いは腕や脚へと絡みついていき、ゼンキチの自由を容赦なく奪っていった。
——まずい、な。
包囲網は完璧で、劣勢を覆す方法はない。ゼンキチの脳裏には、鮮明に敗北と撤退の二文字が浮かび上がる。認めるのも悔しいが、ゼンキチは敗北を悟っていた。
敗北は恥で、敵前逃亡も恥。それもこんな軽薄な連中にやられたという事実は、ゼンキチのプライドを大いにボロボロにする。
しかし、それイコールで死ではない。まだ、生き延びる方法はある。ゼンキチたち、NNPCの特権。生き延びるための、最善手はまだ残っている。
——今は撤退の時。必ず復讐してやる。
ふと視界の端に仲間の影がチラついた。
分断され、引き離されたその先でサクヤとポン基地も同様に劣勢に立たされている。状況は多勢に無勢で、絶体絶命。
——苦境にある仲間たちを残して、撤退するのか?
——……。
——分かっている。
——俺と違って、彼女らに"死"は無い。
——……。
——でも、また置いていくのか?
頭では、彼女らと置かれている状況が明確に異なっていることを理解していても、撤退に対する嫌悪感が拭えない。
ゼンキチの脳裏では、強烈に光速で善吉の記憶がフラッシュバックしていた。
かつての大戦の時、幾度となく見た光景、網膜に焼き付いて離れない後悔。今は昔、ゼンキチが両肩に背負った怨嗟が炎を噴いて、ゼンキチの思考を、身体をその場に縛り付けたようだった。
その僅かの逡巡を黒狼の嗅覚は逃さない。
「ふふ……」
黒爪はおもむろに隠していた道具を取り出して、ゼンキチに向けた。
それは、占い師の水晶玉のような大きさで、澱んだ黒色をしており、怪しく輝いている。
水晶の中心にある蛇の目が蠢いて、ゼンキチを睨みつけていた。
「何かは知りませんが……いま迷いましたね?」
魔力を宿した視線がゼンキチを刺した。その蛇眼とゼンキチの目が合う。瞬間、背筋にはヒヤリとした悪寒が走った。
「どうです、これ? 原型は攻略最前線の呪術師製なんですが、うちの優秀な呪術師が複製してくれましてね」
黒爪は、まるで手品の小道具でも弄ぶかのように、手先で水晶を転がしながらその呪具について説明を始める。
澱んだ黒色の水晶は光を返さず、その内部でナニかが蠢くように、ゆっくりと陰を揺らしていた。
「必要素材がバカ重いくせに、使用回数は雀の涙ほど。正直、コスパ最悪なんですけど、効果は私ら好みでして……。呪具の名は邪眼水晶。射程は二メートルしかない短小ですが、邪眼が捉えた対象の転移と逃走系スキルを封じる効果を持ってます」
水晶の視線に刺された時に感じた冷たい感覚が、それであるとゼンキチは悟る。
「効果時間も五分と短いんです。だから——」
黒爪は、視線を外さない。
「——使うタイミングは、確実に当てられる時、かつ相手が弱っていて、逃げるかどうか迷った瞬間だけ」
数秒にも満たない逡巡が命取りとなって、いつの間にか最後の逃げ道すら消えていたのだと、理解するには十分だった。
一拍置いて、黒爪の口元が僅かに吊り上がる。
「信じていましたよ——」
穏やかな笑みの奥で、狡猾な狼が牙を剥き、涎を垂らしている。
「——貴方みたいに強いヒトは、最後まで逃げないって」
計算通りに獲物が動き、狩りが成功したという愉悦が、黒爪の内側で甘美な快楽となって広がっていく。分厚い面の皮を破って捕食者の顔が、覗いていた。
「ねぇ、狂剣さん」
最早、興奮を抑えきれない黒爪は、息がかかるほど近くまで寄ってきて、嘲りを孕んだ笑顔を浮かべながらゼンキチに問うた。
「殺されるのって——」
一拍の間をおいて。
「——どんな気分です?」
言葉が投げられる。嘲りと愉悦をたっぷりと含んだ声。
NNPCを手にかける時に黒爪が決まって行うその問いは、回答者の顔をいつも歪ませる。黒爪の歪んだ性癖はその顔にこそ最高潮の興奮を覚え、ゼンキチはその姿に過去何度も見た醜い人のエゴを想起した。
だからこそ、黒爪の問いはゼンキチの思考を乱すことはなく、心のどこか深いところへ沈んでいく。水底に沈殿する濁りのように、感情の最も昏くて深い部分にある激情に飲み込まれていった。
怒り——
そう呼ぶには、あまりにも静かなそれは、しかし、紛れもなく途方もない怒りだった。
ゼンキチの心拍に乱れはなく、呼吸も一定、視界はむしろ冴え渡っているというのに。ただ、胸の奥のどこかに、ゆっくりと、確実に、淀んだ熱が溜まっていく。
——ああ。
ゼンキチは思い出す。かつて、同じ感覚を味わったことがあった。
——これも、戦争時と同じだ。
「……」
愉悦に身をよじる黒爪の言動が、ゼンキチの中で眠っていた忌まわしい記憶に触れた結果、ゼンキチの内宇宙には大きな摂動が生じ、急激に過去へと引き戻される。
気づけば、鉄と硝煙の匂いが鼻を突いた。
『お前らは一本の刀だ、遍く敵全てを斬り殺せ』
『善さん、アンタに託すよ』
『撤退は許さん。増援も無い。戦って、戦場で死ね』
『御国のために』
『この戦いの後に何が残る?』
堰を切ったように、何度も何度も残響が耳の奥に木霊する。
『汝らは徒に命を消費い、当機らは僅かばかりの技術と拭い落とせぬ汚名を残すだろう。どれも御上の描いた絵図の通りよ』
『いと醜し、人の子らよ。憐れよなぁ、汝らと当機ら、どちらが操り人形なのだろうか』
そして——
『——貴方が死ぬなら私も死にます』
その言葉の本懐は死に急ぐ善吉を現世に繋ぎ止めるための祈りであって、呪いであった。
『とどのつまり、善吉の命は、俺一人のモノではない』
一生涯、繰り返す自問自答。ならば、こんなところで死ぬわけにはいかないだろう、と。
そして、徐々に贓物が煮えたぎるような熱量を持って沸き上がり、怒りで思考が塗りつぶされていく。
——目の前には、殺すべき敵がいる。
次の瞬間。世界が鳴った。
——SYSTEM NOTICE:カオス因子の発露を検知しました。
——カオスシステム、始動




