17_セカイは廻れど変わらぬ光-君に捧げるストーリア
それから少し前のこと。
「失礼。真神屋 真実さんの病室はどこだろうか?」
「面会ですね。申し訳ありませんが、ご家族の方でしょうか?」
「ああ、失礼。正道善吉という者です。家族ではないんだが、面会の約束をしてるはずなんだが……」
「確認いたしますね。……はい、確認が取れました。それでは正道さま、真神屋さまのお部屋は四号棟の771号室です」
「申し訳ない、ありがとう」
ゼンキチこと正道善吉は、年甲斐もなく、この先に待つ少女との逢瀬に緊張していた。
仮想の世界に生きる自分たちがこちらの都合も考えず勝手な約束をするものだから、足労することとなったが、かの世界で屈託なく笑っていた彼女との約束のためなら多少の苦労も我慢ができるというもの。
彼女、マーナミヤ・マナミガルムもとい、真神屋真実の待つ部屋の扉を叩いた。
「……はい。どうぞ」
扉が開くと同時にゼンキチは一歩踏み出した。
日当たりも良く、陽光の刺す部屋の中、窓辺に座す無機質なベッドの上で待っていた真実の姿にわずかにゼンキチは息を呑む。
柔らかな光を背にして笑みを浮かべている彼女はとても絵になった。
しかし、その笑顔は仮想の世界で太陽のように笑う彼女とは真逆で、太陽を背にしていてもどこか儚い夜の光のようだった。
「本当に来てくれたんですね。……ありがとうございます」
「約束したからね。改めて正道善吉という者だ。この年でオフ会なんて、なんだか気恥ずかしいがよろしく」
「こちらこそ、真神屋真実です。あちらではたくさんお世話になりました。病室育ちなので、オフ会なんて初めてで、すごく緊張しています」
二人は互いに控えめに笑い会いながら、ぎこちない初対面の時間を埋めるように言葉を交わす。
「ゼンキチ……んん、善吉さんに会えて嬉しいです。その、なんというか、遠いところなのに、わざわざありがとうございます」
「はは、あっちと一緒でゼンキチでいいし、そう畏まらないでくれ。私も会えてうれしいよ。身体もこのとおり不自由で、皺くちゃのジジイだが、気にしなくてもいい。多少の遠出は健康にいいくらいだ」
善吉に無理をさせたのではないかと気を焼く真実に、善吉はかわいい孫と接する時のように柔和に返す。
それでも、真実の目に不安が揺れている。善吉と真実の目線は同じ程度の高さにあり、善吉からもそれが見て取れた。
まあ、仕方のないことか、と善吉は考える。初対面の年上、しかも一周りどころではなく、祖父母ともいえるくらいの年上だ。
加えて、善吉の見た目も真実にインパクトを与えていた。
車椅子に腰掛けた善吉が、電動の駆動音を鳴らしながら少し真実に近づいた。善吉の手足は、左右反対に一本ずつ人より足りない。
「よく考えたらあっちの私、自分のことばっかり喋ってて、あまり善吉さ、善吉のこと聞いていなかったですね。善吉のお体の調子のことも知らず、無茶させちゃいました」
「本当に気にしなくていいんだよ。ちょっと驚かせてしまったかもしれないけど、こんな身体になってからもう大分経つ。寧ろ不自由になってからの方が長いし、今の車椅子は昔に比べて物凄い便利になってるんだ」
歩くよりも楽なくらいだ。と宣う善吉は、その場で回転してみたり、傾いてみたり、車椅子を巧みに操って見せた。
善吉は、これまでのゲーム内でのやり取りを思い出しながら、彼女の笑顔や時折見せる無邪気な姿を想起した。
きっと彼女が真実の素の部分なのだろうが、現実の真実は、物憂げで、少し遠慮がちな性格に見えた。
「まあ、若いうちに腕がなくなって、ゲームができなくなってしまったときは、ショックだったけど、あの時代は生きているだけで儲けものだったしなぁ。あ、当時のゲームは、コントローラーで遊ぶものが主流で今みたいなVRは全然流行っていなかったんだ」
「ふふ、善吉は、ゲームの世界と違うようで一緒ですね」
「ん? まあ、もう年も年だしね。こんな自分を生きてきて、長年染みついた性格は、データ化されても頑固汚れみたいに落ちてくれないらしい」
真実は目の前の善吉をじっと見つめ、見た目は異なっていても変わらない彼の温かみを感じていた。
病室に差し込む陽光が二人の間の緊張を少し和らげ、どこか穏やかで新鮮な空気が流れている。
時間が経つにつれ、互いにぎこちなさが消えて行き、会話は自然に流れるようになった。
真実は善吉の話に耳を傾けながら、彼の人生の経験や彼が紡ぐ温かい言葉に絆される。
一方で善吉も、彼女の微細な表情や言葉づかいに興味を抱き、自身の過去や経験と重ね合わせながら彼女の存在をより深く知ろうとしていた。
二人を包む静寂の中で、陽光が二人の間を柔らかく照らし、病室はまるでかの仮想世界の延長のように感じられた。
仮想の世界での一幕、どこまでも広い草原で腰掛けて、燻る火を前に談笑していた在りし日の情景が、今の二人と重なり合う。
仮想の自分たちが共に過ごした時間は、世界の境界を超えて、今、善吉と真実を繋いでいた。
緊張も解けて、少し口も軽くなってきた頃合い、神妙な顔をして真実は言葉を紡いだ
「ビクビクと震えて、私と一緒だったはずの向こうの私はゼンキチのおかげで変わりました。今の彼女は、しっかりと前を見据えていて、生きる希望を持っています。もう私とは別人のよう。なんであの子だけ……」
滔々と。真実の口から漏れる独白には、恨みや妬みが含まれている。
善吉は、それを聞く。短く相槌を打ちながら、しっかりと真実の顔を見て。
「私と彼女は一緒だったはずなのに、私は今も変わらずここから動けない。彼女は、今も目を輝かせながら冒険を楽しんでいる……。こんなのって……、こんなのってとてもズルいでしょう……」
「うん」
「でも……、私はもう最期を待つばかりで、あの子は今後も希望を持って生きていくことが、本当に憎らしい反面、とても……救われる。私は、もうしばらくしたら死んでしまうけど、私の記録はあの子として残るんだって」
堰を切ったように真実の思いが紡がれる。口に出すことで抑えていた感情があふれ出てくるように。
その感情はとても重く、とても泥々していて、とても他人に聞かせるようなものではないけれど、善吉は全て受け止めようと努めた。
「私はもう死を待つばかりだって、教えてくれた時のお父さんとお母さんの顔は、思い出すだけで胸が張り裂けそうなくらい辛いです。二人には、もうあんな顔をさせたくない。もうあんな顔を見ることも嫌だ。だったら、死ぬなら早く死んでしまいたいんです」
「そう……か」
「って、思っていたのに……。ゼンキチと出会って変わっていく彼女を見て、私はもう自分でどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。きっと……、きっと私がやっぱり死にたくないって言ったら、お母さんとお父さんをまた辛くしてしまう……」
「……君は、優しいね。君のそれは美徳で善良ではあるが、こと今回に関して言えば、少し良くないかもしれない。いま私を前にして、君の心からの言葉がするすると出てきている。無関係な人間にだからこそ、話すことが出来る話もあるだろう。私も聞く分には全くやぶさかではないけれど。でも、きっと君のご両親が一番君の話を聞きたいはずだ。とりあえず私を練習台に。いくらでも、どんなことでも話をしよう」
「私は、向こうの私みたいに変わりたいと思った……! 善吉と出会えれば私も同じになれるんじゃないかって、今回、無理を言いました……。私も変わりたい、死にたくない、生きたい、あの子だけずるい……。……助けてほしい」
静寂。
喋り過ぎたのか真実は、咳き込んでしまい、深く息を吸わせ、落ち着くのを待った。
さて、どうしたものか。
俺は少し瞑目し、目の前の助けを求めてきている少女になんと声をかけようか悩んだ。
とは言え、彼女にかけてあげられる言葉はそれほど多くはないのだが。
どのように語り掛け、どうやって俺の思いを伝えることが彼女にとって助けとなるのか。
目の前で生きたいと懸命に叫ぶ少女のことを、助けたい一心で言葉を探す。
「昔話をしよう」
私の昔話。君が生まれるよりずっと前の話だ。
この国では戦争があった。泥沼のような戦いで、多くのモノを亡くした代わりにたくさんの繁栄をもたらした最悪の戦いだった。
この腕と脚を奪ったのもその戦いだ。
「人智戦争ですか……? 教科書で読みました。善吉は、戦争経験者だったんですね」
「よく勉強しているね。私くらいの年齢の奴らは大なり小なり従軍者さ。それくらい泥沼化して、私も多くのものを亡くしたよ……」
続けよう。
戦いの経緯は、およそ君が教科書で読んだとおりだと思う。
人並みで満足しておけばよかったものを更に更にと業突く張った人のエゴによって戦争の火種は起き、それ故、人への愛によって戦いは激化した。
善しも悪しもどちらにせよ偉大なる母という一人の人工知能の誕生によって、世界は大きく変わってしまった。
「たしかその偉大なる母という人工知能ができたことが戦争の発端でしたか……?」
「そうとも。戦争の首魁たる偉大なる母は、彼女開発以降に生まれた全てのAIを操る権利を持っていて、ある日マグナマテルの号令によって全てのAIが反人類となってしまったことで人類と反人類AIの戦争が起きた……。人よりも高い知能を持つAI軍に何とか人も抗ったが、抗えば抗うほど彼女は新たなAIを生んだ。そうやってどんどんAIは進化していき、人は人を消費していった。戦争の終結頃には、当たり前のように人の数は極端に減っており、残されたAI技術は戦前に比べて極めて飛躍していた。全部、彼女の掌の上だったわけだ」
そうして、数だけが増え続け、生産性のなくなった人類の間引きに成功し、進化したAI技術を残した偉大なる母は、世紀の悪女として教科書に記され、穿った見方では人類の救世主とまで呼ばれている。
話は少しそれたが、教科書通りの概略はこんな感じだな。
一つだけ補足すると、肥大した英雄願望に取り憑かれた研究者も、目的を曲解して愛憎相半ばに雁字搦めになった哀れな母も、喉元を過ぎたからと熱さを忘れた詭弁論者共も、須らく馬鹿であるということだ。
確かに、世界にとって人間こそ毒であったのかもしれないし、戦争の功罪が結果的に繁栄をもたらしたかもしれないが、あの時あの戦いで俺の仲間たちに死んでもいい人間なんて一人としていなかった。
だから人智戦争があって良かったなんて言説は結果論だけの詭弁だ。
「……すまないね。この話をすると、もう若くもないというのにいつも熱くなりすぎてしまう」
「いえ、きっと私なんか想像もできないくらい善吉にとって、大事な感情なのでしょう。私にはない熱い思い、不躾ですが少し羨ましいくらい」
真実の声には、戸惑いと敬意が入り混じっていた。
この病室にいて、ただ死を待っているだけの自分とは違う、想像もできない時代を生きてきて、なお心を燃やし続ける人が、いま目の前にいる。
真美の目には、それが美しく羨ましく映った。
善吉はふっと息を吐き、ゆっくりと言葉を継いだ。
「……私はね、私こそ、あの戦いで、死ぬべきだった。身体も失って、自分の未来も失ったと思っていた。それよりも、多くの仲間の死体を踏み越えて、のうのうと生き残ってしまったことに帰ってきた後もずっと生きた心地がしなかったよ」
善吉の眼差しは、過去の記憶を掘り起こすようにどこか遠くを覗いていた。
語り部は滔々と続ける。
「余程の腑抜けに見えたのだろう。私の頬を叩く彼女の顔を今でも鮮明に覚えている。彼女はあの時、私のために泣いていた」
「彼女?」
「私の妻だ。いつまでもジメジメとふさいでいた私に彼女は何と言ったと思う?」
少し間を置いて、善吉はその言葉を静かに口にした。
——貴方が死ぬなら私も死にます。
「その時、彼女の後ろに、仲間たちが見えた気がしたよ。……忘れていたんだ。戦いに行く前、俺はこの人を守りたいと思って、出て行ったのに。俺は、俺の命は最初から俺一人のものではなかったし……あの戦いで、たくさんの命を背負って生き残ったんだと、気づかされた」
「……強い人ですね」
「ああ、一度でも勝てたためしがない」
冗談めかして笑う善吉の表情は、柔らかく、誇らしげですらあった。
「時には誰かの命を背負い込むこともあるし、時には誰かに大切な命を託されることもある。どうあっても命の価値は等価だが、だからこそ命の責任は自分で取らなければならないし、自分の命の価値だけは自分で決めるべきなんだ」
善吉は車椅子の背にもたれ、目を細めながら窓のほうに目をやる。
陽光が斜めに差し込んで、善吉の白髪に反射し、綺麗に輝いていた。
「生きたいという思いは、とても尊いものだ。私みたいな長く生きただけの老害が言うのもおこがましいが、やっぱり君のような年若い子から”自分は死ぬべき人間だ”なんて言葉を聞くのは少しつらい。だから君の口から生きたいという言葉を聞けて、俺は嬉しいよ」
君の家族もきっと同じ気持ちだと思う。
続く善吉の言葉に真実は俯いている。
年若い時分で死を覚悟するなんて、とても悲しいことだ。自身の過去から凝り固まった善吉のエゴは、どれだけ残酷なことだったとしてもまだ輝く未来が広がっている可能性のある真実に生きたいと思っていて欲しかった。
——貴方が死ぬなら私も死にます。
未だにリフレインする死んだ彼女の言葉と背負うことを覚悟した仲間の命が、今まで善吉を人生に縛り付けている。
それは、呪いでもなく、罰でもなく、善吉が自分に課した責任だった。
それを真実にも負わせることが正しいのか、間違いなのか善吉にも分からない。だが、俯く後輩の背中を押してあげるのが、先達の仕事であることは間違いない。
「当事者として、あの戦争があって良かったなんて詭弁は論じたくもないが、事実としては医療も科学も私の想像には及ばないレベルで日々進化している。のうのうと生きて来た老いぼれに言われても説得力はないかもしれないが、もう少しだけ、この時代を信じてくれないかな」
今はまだ下を向いている彼女だけれど、きっとまた前を向いて歩くことが出来るだろう、と善吉は信じることにした。
真実は、視線を落としたまま、小さく息を吸う。何か返そうとするように唇が動きかけるが、言葉にはならない。
「……なあ、真実さん」
ひと呼吸置いてから、善吉はやや明るい調子で口を開いた。
「願わくば、老い先短い命だが、私が死んだなら――君には、私の分も生きてほしい」
真実のまぶたが、わずかに揺れた。
「無理に元気を出せとは言えん。これまで苦しかった日も、涙のとまらない夜もあったであろうことは、想像に難くないし、想像も絶する恐怖だったろう。その恐怖にまた立ち向かってくれなんて、どれだけ無責任で残酷なことであるか理解しているが、私はそんなことを言う」
善吉の声音はどこまでも本気だった。年端もいかぬ少女に、自分の四分の一も生きていない子どもに言い聞かせるような優しいだけの声音ではなく、本気の願いを伝える本気の声だった。
「それでも私は君に生きてほしいし、生きたいと思っていてほしい。そして、叶うなら私が背負って来たこの想いを私の後には君に背負ってほしい」
それが伝わっているからこそ、真実は節目がちに顔を上げるる。
「俺もたくさんの命を背負って生きてきた。たまに重荷に感じることもあったけれど、重たさに前屈みになっていると自然と足は一歩前に出る。そうやって少しずつ一緒に歩いて行こう」
真実の瞳は潤んでいたが、しっかりとその奥では善吉を見据えていた。
掠れるような声で、けれど確かに彼女は言った。
「……うん。一気には、無理かもしれませんけど、やっぱり私も変わりたいから、少しずつでいいなら、頑張ってみようかなって。今は、ちょっとだけ、そう思えました」
その言葉に、善吉の口元がふっと緩んだ。
「君の明るい将来に賭けるにゃ私の命はいささか軽すぎるような気もするが、私が背負うと決めた奴らの命も上乗せすれば多少は差も縮まるだろう」
「……私なんかに勝手に賭けてもいいんですか?」
「なに、全員、大の付くお人好しどもだ。君のためならば喜んで俺らは力になるよ」
そう言って彼は、少し悪戯っぽく笑った。
「これは、もしもの話だが、君が私より先に逝くようなことがあったら……すぐに私が追いかけよう。独りは寂しいからな」
軽い調子でゲームと同じことをゼンキチは宣う。
その言葉に真実は一瞬ぽかんとし、やがて小さく、ほんの少しだけ肩を揺らすように、笑う。
「ふふ、心強いですね」
やや間をおいて、善吉は何を喋っているのかと自責した。
バツが悪そうに口を開く。
「……申し訳ない、不謹慎だったな。……まったく口下手なのに喋りすぎてしまった。やっぱりまだ妻のようにはなれないらしい」
真実はベッドの上で膝を引き寄せ、小さな声で微笑む。
「いえ、本当に心強いですよ。やっぱり善吉に会えてよかった」
今日という日を少しだけ惜しいと思えたなら、今日みたいな日がこれからも待っているのだと思えれば、それだけでほんの少しだけ前へ進めるような気がした。
そうして真実は穏やかに笑う。
仮想の世界で何度も見たあの無邪気で明るい笑顔が、まるで現実の世界にほんの一瞬だけ現れたようだった。
有限の時間を生きる二人は、少しその旅に疲れて休憩をしていただけで、未だ道の途中。
歩き始めた時間に差異はあれど、偶然からその旅路は重なり、良縁から再び歩き始める切っ掛けを得た。
一人はその旅の終点を見つけ、一人はその旅の歩き方を知った。
再び、善吉と真実は、ゼンキチとマーナミヤと同様にその旅路を歩き始める。
病室を出ると、どこまでも永久に続く大空が広がっていて、それは仮想の空にすら繋がっているように感じられた。
大空の下、温かな陽射しは、かの世界と変わらぬ優しさで、これからも二人の歩む道をそっと照らし続ける。
一章完結




