11_逃げ噺
逃げ場なし。
そいつにあったら最後、倒すか倒されるか……と、エッジタウンの住人は話す。
通称『逃げ場なし』と呼ばれる大蛇。
曰くそいつは地中に潜んでいて、上を通り過ぎた得物のことを、絞め付け、毒で溶かし、丸呑みするという。
そのバカでかい体躯で囲まれれば逃げ道がなく、その執念深い性格から相対すれば逃げる術もない。
それが所以として、『逃げ場なし』と呼ばれている。
いつからだったか、いつの間にか防衛拠点ガードの周りに出現するようになり、その毒牙にかかる者が後を絶たないとのことだ。
〜〜〜〜〜
休憩を終え、別部屋で休んでいるはずのマーナミヤに声をかけたが、中からの応答がなかった。
そのはず、マーナミヤは部屋に入らず、独りで外に出ている。
そのことを知らないゼンキチは、不審に思い、何度か扉を叩いてマーナミヤの反応を窺うが、当たり前のように反応は帰ってこなかった。
それから……。
「はぁ……はぁ……。クソッ!」
息を切らせ、悪態をつくゼンキチのその表情には、焦りの色があった。
「マーナミヤの反応はこっちからか。何とか無事でいてくれ……!」
パーティーメンバーの互いの位置は、詳細な場所まではわからないものの、だいたいどちらの方向にいるのか機能からわかるようになっている。
方向を示す矢印が部屋の反対を向いていたのに気づいたゼンキチは、すぐさま宿を出て、その矢印の指す方へ走り出していた。
「あんなに落ち込んでいたのに独りで出歩くなんて、自暴自棄になってなければいいんだが……」
ゼンキチが焦るのには、もう一つ理由があった。
パーティーメンバーには、互いのHPが可視化され、共有される。HPが満タンであれば、元気な証拠。少しでも減っていれば何らかの戦闘に巻き込まれている証拠。HPが半分以下に減り、黄色に変わっていればメンバーにピンチを知らせる通知が行くようになっており、更に赤く変われば通知もより強調される。
現在、マーナミヤのHPは黄色となっていた。宿を出た時は、まだ通常の緑色であったことから、マーナミヤは現在進行形で戦闘に巻き込まれているということ。
加えて、状態異常を表す紫色の滴マークが追加されていた。リアルタイムで毒のドットダメージが蓄積されていくのがゼンキチの視界に入ってくる。
ゼンキチは、来た道を戻るように人の波を掻き分け大通りを走る。
パーティーメンバーのピンチを報せる通知がこんなにも人を焦らせるなんて、なんて申し訳ないことをしていたんだと、我がふりを顧みて、重ねて自省した。
「マーナミヤ……、もう一度ちゃんと謝らせてくれ。俺の行動は軽薄だった。俺の言動が軽率だった。」
嫌な予感がゼンキチのことをどんどん苛んでいく。
〜〜〜〜〜
「ああ……。罰が当たったのかなぁ……」
現状を前に私の口から諦めにも似た一言が漏れていた。
絶望を感じるには十分な状況に対し、体は強張っているというのに剣を握る力が入らない。
徐々に、スゥーっと手先から力が抜けていくような感覚。現実でも何度か覚えがある。
そのどれもが何にも立ち行かなくなって心が折れた時のことだった。
「私、そんなに悪いことしたかな……」
薄々答えの出ている自問自答。 それこそ何度となく繰り返してきた自己嫌悪。
私の人生は、何かから逃げてばかりだ。
今も……。
前方、地面を突き破るように地中からそいつは飛び出してくる。
砂塵を巻き上げながら、その奥に見えるシルエットは大きく、そして長い。
獲物を求め、都市の周りを彷徨する人喰い大蛇が私に狙いを定め、眼前に立ち塞がっていた。
大蛇の頭上には、敵対NPCであることを告げる赤黒いモンスターネームが見える。
モブモンスターと違うところといえば、ネームの横にBOSSという文字。
そいつの名前は『逃げ場なし』。
その長い鎌首をもたげる姿は、ボスに相応しい迫力で、私なんて、というか普通の人間一人でどうにかできる相手ではないような気さえしてくる大きさ。
蛇は全身が筋肉の塊と言われているけれど、その蛇が人を優に超える体格を得てしまえば、手に負える訳もなく……。
直立した体制から勢いよく突進してくる。それはまるで目一杯引き絞られた大弓が弾かれたようで、空気を打つ音と同時に私がさっきまで立っていた場所に大穴が開いていた。
「こんなのどうやって戦えって言うのよ!」
間一髪、大きく飛び退いて避けたが、地中を移動する奴に対し、こちらから攻撃を当てる術はない。 いずれにせよこのままでは、ジリ貧だ。
相手はフィールドボスで、私一人で勝てる相手とは思えない。
そう思考が働いた時点で、私の脳内には逃走の二文字が浮かび上がり、緊急脱出のスペルを唱えていた。
しかし、それは不発に終わる。
「な、なんで……?」
私は、驚きを隠せず、狼狽える。
追い討ちをかけるよう、足元がジワリジワリと泥濘んできた。
「緊急脱出! エスケープ!」
何度も緊急脱出を試みるがやはり無駄。うんともすんとも反応しない。
その間にも足元の泥濘はどんどん拡がり、泥沼のような行動阻害エリアが出来上がった。
最悪なことに「逃げ場なし」という名前は、誇張でもなんでもなく、私の天敵と言えるものであった。
特性による逃走無効。この泥沼がそうさせるのか、そもそも相対した瞬間から逃げることが不可能となるのかわからないが、緊急脱出すら無効とするその特性は、紛れもなく天敵だと思う。
エンカウントしたが最後、逃げることは叶わない。唐突に現れた生きるか死ぬかのボスバトル。頼みの綱というか、命綱が外されたようだ。
泥沼から這い出るため、もがいていると、泥の飛沫を上げながら大蛇が地中から顔を出す。
黒い水晶のような大きな目玉の奥には、静かな嗜虐心が隠れているようだった。
蛇睨み。その目に見惚れたわけでもなし、恐怖から体が思うように動いてくれない。
動けない私を尻目に大蛇は口を大きく開き、体液を吐きつけてきた。
瞬間、刺すような痛みが体を疾走り、視界が紫色に染まった。
毒液を頭から被り毒に侵される。
身動きも上手く取れず、徐々に毒によるダメージも蓄積していく。
嗜虐的で狡猾な大蛇は、いたって慎重に手も足も出させないようにじわじわとなぶり殺しにしていく構えだ。
〜〜〜〜
それから20分程が過ぎた。
幸いにも敵の攻撃は単調で防御は簡単だった。
しかし、相変わらず地の利は相手にあり、手持ちの回復ポーションと解毒薬を使って何とか凌いでいるが、それもとうとう尽きかけていた。
増減するHPと比例して、目に見えないはずの精神が擦り切れていくのを感じていた。
「もう無理だ……」
そうやって、何度も諦めそうになったけど、どれだけ心が磨耗しようとも、死を拒むように体は勝手に抗っている。
いつだって本心では死を恐れているし、拒んでいるのを感じた。
「助けて……ゼンキチ……」
逃げるを恥じて、逃げることからすら逃げていた私の口から、まだ付き合いは短いというのに妙に安心する仲間の名前を呼んでいた。
その時、俯く私の頭に冷たいものがかけられた。
すると半分を下回っていた私のHPが回復していく。
「よかった……! 間に合った」
その声が聞こえた途端、体の強張りが少し解けた。
その手が私の肩に優しく触れて、暖かさが広がる。
「待たせてしまってごめん」
果たしてゼンキチは、マーナミヤの危機に間に合った。
それはまるでヒーローのようで、失意の少女にはあまりに象徴的で、浴びた毒よりも、もっと劇的な激毒のようだった。




