深い闇
長らくお待たせしました。
弱い者は群れなければ自分を守れない。
人とは群れていなければ生きていけない種族である。
人種、思想、言葉の違いはあるが大半の人類は根本的に同じである。
それは人類全ての共通事項だった。
彼女達『艦魂』も人ではないが、強力な武装、装甲を持っていながらも人と同じ姿形や思考を持っている彼女らの行き着く先は結局人と同じであった。
彼女等は結社組織『協会』を作った。
構成員は主に一線を退いてまだ存命している艦魂や船魂及び一部の現役艦魂。
結成理由、目的などは一切不明。それどころか『協会』に所属する大半の艦魂もこの組織の実態を正確に把握している者はごく一部だった。
何故彼女達はこのような組織を結成する必要があったのか?
何故『協会』はその目的を構成員にも秘密にするのか?
それは現時点では誰にも分からなかった。
「ズッ・・・。で、今日呼び出した訳を聞かせて貰えるかしら? 事情聴取なら前に終わった筈よね?」
イントレビットは出された紅茶を啜りながら不機嫌そうに自分を呼び出した本人に尋ねる。
ここは『協会』の施設内にあるマサチューセッツの執務室である。
イントレビットは応接用のソファに足を組んで踏ん反り返りながら聞く態度とても上官の前とは思えないおまけに軍服の上着のボタンは全て外れネクタイもだらしなく緩んだままだ。
一方のマサチューセッツはそれに怒る事も無く着ている軍服もきちんとアイロンが掛かっており一分の隙も無い。
こんな所でも二人の意識の違いがハッキリと出ていた。
これでは初めから話し合いになる筈も無い。
それでも気にする素振りを見せる事無くマサチューセッツはイントレビットに接する。
そんな素振りから察するにそれほどまでにこの二人の関わりは深いのだろうと予測出来た。
今回イントレビットはマサチューセッツの急な呼び出しでここを訪れていた。
対するマサチューセッツは申し訳なさそうな顔をして質問に答える。
「ごめんなさいね、今日はどうしても言いたい事があって呼ばせて頂きました」
「何?」
「もう一度お願いします、あの潜水艦の件から手を引いてください」
「何を今更」とイントレビットは視線を横に向けながらカップに口をつける。
普段ならこんな無意味な質問には答えない様にしているのだが、上官でもあるマサチューセッツの手前無視する訳にもいかなかった。
「何度言われても決意は変わらないわ。答えは『ノー』よ」
イントレビットは意思が変わらぬ事を固くマサチューセッツに伝える。
イントレビットはこの答えにもう少しマサチューセッツは粘って自分を説得するだろうと予想していたが、マサチューセッツの口から出た言葉は予想外なものだった。
「分かりました。ではこの件については終わりにしましょう」
その一言にイントレビットは呆気にとられる。
「それだけ?」
思わず口から間の抜けた声が漏れたのを慌てて押さえるイントレビットだった。
それに構わずマサチューセッツは淡々と答える。
「それだけです。まあ、私にはもう関係の無い事なので一言忠告と言う形にさせてもらいました」
イントレビットはそこで疑問に思う。
マサチューセッツの役職は『協会』の法務官。
この『協会』で起こる諸問題を全て担当する仕事である。それなのにこの間まで意見陳述会を開くほどの重要案件であった筈の出来事を今ではこんなにも軽く扱うのはおかしかった。
そんな考えの元、何かマサチューセッツより大きな力が動いた事を感じとったイントレビットは大きくソファから身を乗り出す。
「何があったの?」
「本日上層部からこの案件に対する調査を全面的に中止するように命令が来ました。さらに私も来年の1月1日付けで現在の役職から本体での待機を命ぜられました。言わば解任ですね。後任は妹のアラバマが就く事になります。まあ宜しくしてやって下さい」
「ちょっと、解任って・・・」
話の次元に着いていけないイントレビットは一人混乱する。
なにせこんな事は『協会』が発足して初めての事だった。
今まで長年ずっと法務官を務めてきたマサチューセッツを何の前触れも無くいきなり解任する上層部の意図が全く理解できなかった。
異動があるとしても前々より何らかの連絡か何かが出てもいい筈だった。
「それであなたこれからはどうするの?」
「ただの一艦魂に戻るだけです。まあ、多忙の身から開放されたのでしばらくは地元で羽を伸ばそうと思っていますが」
マサチューセッツはまるで他人事の様に自分の紅茶に口をつける。
イントレビットは普段とは何か様子が違うマサチューセッツに違和感を覚える。
普段から筋金入りの生真面目さが売りのマサチューセッツがいくら上層部の命令とはいえこんな矛盾だらけの命令に何の異議も無く従うのは珍しい事だった。
しかし、上層部の誰からの命令なのかは気になるところだった。
「いったい誰なの? そんな命令出したの?」
「テキサス大将から直々の命令らしいです。私ももういつまでも若いままじゃないんですから折れる場所ってのは弁えてますよ」
「あのババアから直々の命令?」
上層部、しかもテキサス直々の命令だという事にイントレビットは思わず口を滑らせる。
艦魂テキサス。
その本体はニューヨーク級戦艦2番艦の『テキサス』であり1912年進水、1914年に就役し現存しているアメリカ戦艦では最古参艦である。
2度の世界大戦に参加しており敵艦とは砲火を交える事は無かったが「ノルマンディー上陸作戦」、「硫黄島の戦い」、「アイスバーグ作戦(沖縄戦)」などに当時でも艦齢約30歳という老体であるのにもかかわらず火力支援艦として参加し上陸部隊の支援に当たっている。
ちなみに同時期に建造就役活躍した艦では金剛型戦艦などがある。そして現在はテキサス州ヒューストンにその身を浮かべている。
そんな激動の時代を駆け抜けた艦の分身であるテキサスという艦魂はこの『協会』の立場的には副理事だが『協会』の実質的指導者であり強力な力を持っている。
しかもアメリカ艦魂社会では右派の更に極右の筆頭として知られている。
とてもじゃないが余り敵対したくは無い御方である。
「口を慎みなさい」
そんな人物にイントレビットは「ババア」呼ばわりである。
マサチューセッツは毎回それを戒めるがそれも今のところは余り効果をあげていない。
これを考えるとイントレビットの方がある意味大物だ。
元々艦種が違う艦魂同士は戦術運用の違いからかいがみ合う事が多く、アメリカでは戦艦と空母の艦魂の関係が特に悪かった。だからイントレビットのこの言動もアメリカ艦魂からしてみればごく普通の光景だった。
その複雑な艦魂関係の板挟みの中、一番苦労しているのが法務官という役職を持ち他の艦魂と接する機会の多いマサチューセッツだった。
昔は取っ組み合いの喧嘩にも発展する事が多かったが長年のマサチューセッツの仲介のおかげか表立って争う事は殆ど無くなっていた。
しかし、これでやっと終息するかと思われた問題だったが、ここで降って沸いた解任命令に再び派閥争いが再燃する事は必死だった。
イントレビットは何とかそのような命令は撤回させたかったがマサチューセッツはもう心の中でこの旨を異論無く受ける事を決めてしまっている様であり、これには流石のイントレビットもこれ以上干渉するのもどうかと思い止まった。
「ああそうそう、もう一つありました・・・「入るぞ!」・・!?」
マサチューセッツがそんなイントレビットに気にせず話を続け次の用件を言おうとしたその時だった。
突然部屋の扉が開け放たれ一人の女性が入って来る。
その女性は入るなり腰に手を当て横柄な態度で部屋を一望するとソファに座ったまま呆然としている二人の前まで歩み寄る。
二人の前で堂々と仁王立ちする彼女の容姿はイントレビットと驚くほどよく似ていた。
違いと言えば目尻がイントレビットよりも鋭く、その碧眼の瞳から放たれる眼光は戦艦の装甲でさえも貫いてしまいそうな威力だった。
それに服装もイントレビット達が着用している冬用のサービスドレスブルーではなく、艦内作業着のワーキングカーキを着用している。
そして襟元に輝く四つの星がこの空間に存在する最も階級が高い者だと現している。
彼女はゆっくりと自分の前の二人を眺める。否、眺めると言うより見下すと言った方が正しいだろうか。
「いつまで呆けているつもりだマサチューセッツ中将」
ずっと固まっているマサチューセッツに遂に痺れを切らしたのか艦魂は苛立ちの篭った声を出す。
その声でやっと我に返ったのかマサチューセッツはすぐさま立ち上がり不動の姿勢をとって上官であろうその艦魂に敬礼する。
「申し訳ありません。何か御用でしょうか? レキシントン大将」
彼女ことエセックス級航空母艦『レキシントンⅡ』の艦魂レキシントンはその対応に満足したように答礼すると直ぐに用件を伝える。
「うん、ちょっと姉に用事があってな。悪いが連れて行くぞ」
そうレキシントンはマサチューセッツに断るとまだ状況が掴めていないイントレビットの首根っこを鷲掴みにし、そのまま制止しようするマサチューセッツと何とかその拘束を逃れようとするイントレビットを無視してそのまま部屋から出て行ってしまった。
「何だったんですかあの人は・・・」
一人部屋に残されたマサチューセッツは呆然と呟く事しか出来なかった。
一方、部屋の外へと引きずり出されたイントレビットはレキシントンに人目につかない所まで連れて行かれていた。
「で、レキシントン。散々廊下を引き摺り回してくれた落し前はきっちり付けてくれるんでしょうねぇ?」
いきなり引き摺り回されたイントレビットは額に青筋を浮かべ少々虫の居所が悪いようだ。
「急にお呼び立てしてすみません姉さん。しかし急いで用意しろと言ったのは姉さんの方で・・・」
先程までマサチューセッツに対して見せていた凄みをすっかり引っ込めてレキシントンは姉のイントレビットにひたすら平謝りを繰り返す。そこには下級者に叱責される大将という奇妙な光景が展開されていた。
簡単に説明するがレキシントンは階級こそイントレビットよりも上だがエセックス級二十四姉妹の内、イントレビットは三女、レキシントンは六女と姉妹の立場的にはイントレビットの方が上なのだ。
しかし何故六女のレキシントンの方が階級が上なのかと言うと就役年数の違いである。
イントレビットが31年に対しレキシントンは48年という15年以上も長く軍役に従事している事にあった。その為こんな奇妙な状態が現れているのだ。
「御託はいいから早くしなさい」
そんな必死に謝罪する妹に全く興味が無いかの如くイントレビットは何かを求めるように手を差し出す。
「全く姉さんは昔っから強引なんだから・・・」
愚痴を漏らしながらレキシントンは手を上に掲げると空間からUSBメモリを取り出しそれをイントレビットに渡す。
「一応頼まれていた物は一通り揃えたんだけど。でも管理者以外閲覧不許可の資料まで見たいなんて。ばれたらこの前の意見陳述会なんてレベルじゃなくて、即軍法会議よ」
それほどまでにレキシントンが持ってきた資料は重要な機密に属するものだった。
「だから管理者直々に持って来て貰ったんじゃない」
落ち着かない様子で視線を辺りに散らすレキシントンとは対照的に渡されたUSBを片手で玩びながらイントレビットは飄々とした口調で対応する。
レキシントンはこの『協会』で情報管理官の役職に就いている。そのためこんなイントレビットの無茶な要求にも応じる事が出来たのだ。
「姉さんが言っていた潜水艦に関する資料なんて無かったよ。でもね、何かを消した痕がある資料は幾つか見つけたわ」
「上等上等、それが欲しかったのよねえ。で、何があったの?」
「秘匿名『モービー・ディック』に関する資料を全て破棄せよという命令書。しかも当時の艦魂首脳部全員分のサイン付きってモノが。それでこの『モービー・ディック』ってのが姉さんの言う潜水艦じゃなかしら?」
それは上層部があの潜水艦に関わりその存在すべてを意図的に抹消したという事を物語っていた。
『モービー・ディック(化け物クジラ)』。
確かにあの規格外なサイズの潜水艦にはおあつらえ向きなコードネームだった。
「しかしまあ、肝心の命令書の方を消し忘れるなんて頭隠してなんとやらね」
問題の原因を消したのにも関わらずその命令の痕跡が残っていた為に芋蔓式に原因も探し当てられるとはなんと言う皮肉であろう。
これには流石のイントレビットの苦笑するしかなかった。
「続けるわよ、他にも『イギリス海軍哨戒艦隊消失事件』、『沖縄、硫黄島沖海戦』の資料に関わった痕跡があるわね」
更に続きを聞くイントレビットの顔が今度はみるみる青ざめて行く。
今出てきた事件や海戦の名前はアメリカ艦魂はもとより当時の連合国軍、枢軸国軍に属する全艦魂達の中でもこの件に関わる事は禁忌とされていた。
その為、まだ喋ろうとするレキシントンの口を止めさせ確認の為もう一度聞く事にした。
「マジで?」
「うん、マジ」
イントレビットは先程マサチューセッツに言ってしまった『決意』を撤回したい気分に駆られる。
しかしそんな気分を払拭すべく直ぐに心の奥深くに追いやる。
だが思考の中にこびりついた重油の様な不快感は何ともし難かった。
「全く、ジャックも厄介な事に首突っ込んでくれたもんだわ」
イントレビットは頭を掻きながら呟くが、ただの民間人のジャックがそんな事を承知で危険を犯して調査を進めているのだ。
それなのに自分は・・・。
魚雷を喰らい脇腹が裂け、敵機の自爆攻撃で額を割られ自らの血に塗れてもなお銃を片手に戦ったあの頃の覚悟はどこに言ったのか。
そう思うと今の自分が情けなくなって来る。
今の彼女にとってこんな考えはプライドが許さなかった。
渡されたUSBを掌の中で再びしっかりと握り直す。
「さて、ボーッとなんかしてる暇なんて無いわ「あのー、姉さん?」・・・何?」
決意を新たに進もうとしているイントレビットに横からレキシントンが入ってくる。
また水を差されたイントレビットは不機嫌な顔になる。
「そのジャックってのは誰? もしかして姉さんのコレとか?」
レキシントンはそっと小指を立てアピールする。
それを見たイントレビットは顔が真っ赤になった。
その様子にレキシントンは「ははーん」と鬼の首を取ったような顔をすると更に追い討ちを掛ける。
「どうやら図星のようね。 遂に姉さんにも春が・・・、ウンウン良かった良かった。ねえ付き合ってもうどれ位経つの? キスはした? ひょっとしてもうヤッちゃったとか?」
先程の仕返しも込めてか一人で勝手に盛り上がっていくレキシントンは既に自分の世界に入りきっており、目の前で膨れ上がる殺気には気が付かなかった。
風船のように膨れ上がったソレは臨界点まで巨大に膨張すると一気に弾けた。
「レェェキィィシィィントォォォン!!」
直後『協会』の施設内をアイオワ級戦艦の40センチ主砲が直撃したと思う位の衝撃と轟音が響き渡った。
「ずいぶんと今日は騒がしいですな・・・」
遠雷のような轟音を聞きながらハワードは目の前の椅子に腰掛ける人物に声を掛ける。
ここは『協会』施設内の最下層に存在する特別エリアの応接室だった。
「またあの娘達じゃないかしら? まあ、賑やかなのは良い事よ。この地下の陰湿な空気を吹き飛ばしてくれるわ。それよりも釣果の方は?」
「餌は撒いて置きました。後は獲物が掛かるのを待つだけです」
薄暗い部屋の中にはハワードと軍服を着たもう一人の女性。
首筋辺りで綺麗に切り揃えられた金髪と琥珀色の瞳。
埃一つ無い純白に詰襟が特徴であるフルドレスホワイトの軍服。
胸には煌びやかに光る勲章の数々。
腰のホルスターに収められても尚、周囲に威圧感を放つ鉄色のコルトSAA。
『協会』屈指の権力者、戦艦『テキサス』の艦魂テキサスがそこには居た。
「これで獲物が釣れると良いんだけれど・・・」
その顔はどこか不安げだが瞳は何かを愉しむかのようだ。
「大丈夫です。餌は思わず獲物が悔い付いてしまう様な元気な生餌ですのでご安心下さい閣下」
ハワードはテキサスに向かって太鼓判を押す、余程の自身なのだろう。
「それなら結構。私達は手段を欲した、そしてあなたは力を欲した。利害が一致しているのだから頑張って頂戴」
「はい、仰せのままに」
ハワードはまるで大昔の貴族が国王に対して行う礼の様な深々とした礼テキサスに対して行う。
「やめなさい気持ちが悪い」
そんなハワードを早々に視線の外に追いやるとテキサスは部屋の一角にある大きなガラス窓に視線を移す。
その窓の外に広がるのはこの部屋など比べ物にならない位の広大な空間だった。しかしながら外はこの部屋より暗くなっているため空間の全貌は掴む事が出来ない。
だがテキサスはこの空間の暗闇の先に何かを見据えていた。
「あと少なくとも2年いや1年あれば世界の軍事情勢を引っ繰り返し再びこのアメリカが世界の頂点を取り戻す事が出来る。それまで待っていて頂戴みんな・・・」
誰に伝える訳でも無く、ただテキサスは暗闇が続く空間に向かって一人呟くのだった。
話の途中で出て来るレキシントンの本体に「レキシントンⅡ」と付けているのは同名のレキシントン級空母「レキシントン」との混同を避けるためです。
この頃暑い日が続きます。作者の職場でも熱中症で何人かが倒れました。
体に気を付けて皆様も休息と水分を十分に摂ってこの暑い夏を乗り切りましょう。
ご意見、ご感想待ってます。