『連邦捜査局指定257号』(上)
お待たせしました。
その日の昼もハリソンのカフェは午前中の仕事を終え昼食を摂りに来たビジネスマンなどでごった返していた。
「いらっしゃいませー」
「ありがとうございましたー」
そんな応対の言葉が飛び交う店内でジャックはせわしなく働いていた。
いくらこのバイトに慣れたとはいえこの時間帯の忙しさは今でも慣れる事は出来なかった。店長のハリソンでさえこの時間帯はきついと言う。
余りの忙しさにジャックは客への応対の合間にフゥと息を吐くがそれも束の間、新たな客がオーダーを言ってくる。
(頼むから早くこの時間帯が過ぎてくれないかな?)
この想いが頭をよぎるのも今で何回目か分からない。
「ちょっと、ハムサンドとホットミルクお願い」
近くのテーブルからまたオーダーが出され、ジャックは意識を仕事に集中させるべく戻す。
「はい、ただいま」
この忙しさはまだまだ続きそうだった。
ジャックがそれに気付いたのは客の混み具合もある程度片付いてきた時だった。
客が出て行った後のテーブルの片付けをしていると皿の下に挟まれた紙片を見つけたのだ。最初は客が置いて行ったゴミか何かと思っていたが裏面を見た瞬間その顔が険しいものになった。
「午後二時にセントラルパーク東口近くのベンチで待つ。Hより」
このメモに記されている名前の頭文字がHの人間にジャックは心当たりがあった。
時計を見るとその約束の時間まで余り時間は無かった。
直ぐにメモをポケットに突っ込みカウンターでカップを磨いているハリソンに外出の許可を求めた。ハリソンは一応混雑の山場を越えた事もあり二つ返事で了承してくれた。
ジャックはそれを聞くや否やバイト用に着たエプロンの上からコートを羽織り店を飛び出していった。
「若いねえ・・・」
走り去るジャックを見届けながら、ハリソンは顔に笑みを含めそう呟くのだった。
相手の指定場所にジャックが着いたのは午後二時ちょうどというところであった。
自分を呼び出した相手を探してしばらく周りを見回しているとその目線の先にある人物が目に付いた。相手もジャックの視線に気付いたようでこっちに来るようにと手招きをする。
最初は近付くのを渋っていたジャックではあったが、ここまで来てはもう後戻りは出来なかった。
「お久しぶりですね、ハワード議員」
ジャックは憮然とした表情でベンチに座る人物を見詰める。
自分の恩師を脅迫し大学を去る理由を作ったこの人物にジャックは到底笑顔で応対できる余裕は無かった。
「まあ、立ち話もなんだ。座りたまえ」
そんなジャックの心中を毛ほども感じないハワードはジャックに隣に座るように促す。
ジャックとしてはこのまま帰っても良かったが今は何より情報がほしかった。例えそれが敵からの物であろうとも。
「で、話って何です? 僕は今誰かさんの所為で稼がないといけない身なんで忙しいんですよ」
言葉に少し皮肉を込めて相手の気分を少しでも揺さぶろうと思ったジャックだったがハワードは涼しい顔をしている。流石老練な政治家といった所だろうか。
肩透かしを食ったジャックは言われるがままベンチに腰を下ろした。
隣にジャックが座った事を横目で確認したハワードは話を切り出す。
「私も余り時間が無いので用件は手短にさせてもらう。もう一度言う、この件から手を引きたまえ」
「・・・・・・・・」
しばしの沈黙が流れる。
ジャックはは何かを考える様に空を見上げたり地面を見下ろしたりしている。そしていきなり頭を無造作に掻いた後、意を決したように口を開く。
「何を今更、あなたも十分承知しているでしょう。僕に辞める意思が無い事なんて」
半ばその答えを予想していたのかハワードの表情は変わらないままだった。
「これでもかね?」
ハワードは懐に右手を差し込み掌大の物体を取り出した。それは冬の弱い陽光でも鈍く光り独特の威圧感を放つ。
「へぇ、脅しが通用しないと次は実力行使ですか? 政治家らしくない選択ですね?」
そんな向けられる銃にまるで自分が関係無いかの様にジャックは動じない。
「驚いたな。君は銃が怖くないのかね? この引き金を引けば君は死ぬんだぞ」
「銃とか兵器に詳しい友人がいましてね。そいつに教わったんですが25口径程度じゃ人は簡単に殺せませんよ」
確かにハワードが今ジャックに向けているのはコルト・ポケットと呼ばれる護身用の小型自動拳銃である。その小型さゆえ要人警護などにも使われているのだが欠点はその威力の低さにあった。代表的な拳銃であるコルト・ガバメントと比べて威力がその五分の一しかない。至近距離でもない限り相手に致命傷を与えるのは至難の業であった。
「しかしこの距離ではどうかね?」
ハワードはその銃口をジャックの胸に押し当てる。
しかしジャックはそれにも反応しないままだった。むしろ笑いの表情が顔に表れている。
「もう茶番はその辺にしませんか」
その一言を待っていたようにハワードは一転構えていた銃を懐に仕舞うとジャックに尋ねる。
「いつから気付いていた?」
「最初からですよ。仮にも一国の議員が直々にこんな一介のフリーターを消しに来るとは思えませんからね」
それを聞いてハワードは今まで仮面の様に無表情だった顔を一気に破顔させた。
「ハハハハ、相変わらず期待を裏切らない奴だ。震えて命乞いをしたらどうしようかと思ったぞ。・・・おい」
ハワードがそう言うと近くに居たの男が背を向け去って行く。
一見清掃員の格好をしているが一瞬清掃用具入れの中に消音器付きの大型拳銃を隠すのが見えた。
「いやあ、良かった良かった。ハハハハハ」
ハワードはケラケラと笑っていたがジャックは笑うに笑えなかった。
「さて、本題に入ろう。最初に手を引けと言ったのはあながち嘘ではない」
今度は拳銃の変わりに懐から封筒を取り出してジャック渡す。
渡された封筒に最初ジャックは怪訝な表情をしていたがそんなジャックにハワードは中身を見ろと促した。
中に入っていたのは一枚のA4用紙で余白が目立つ文章が書かれており、それに申し訳程度の不鮮明な写真が添付されていた。
「これは?」
開口一番ジャックは疑問を口にする。
「先日、私のところに送られてきた報告書だ。とある人物についての事が書かれてある」
ジャックが再び書類に目を落とすとそこには簡潔に説明すると次の様な事が書かれていた。
『連邦捜査局(FBI)指定257号の活動を確認。大統領命令S25の調査と関連している模様』
「この指定257号ってのは?」
「FBIが現在国内で確認している工作員の一連番号の一つだ。後、大統領命令S25は君が調べている潜水艦に関係する事への国が付けた呼称だ。つまり他の国の工作員があの潜水艦の事を嗅ぎつけたという事になる」
ジャックは不思議そうな顔をしている。
「何だ?その顔はまあいい。とりあえず話を進めよう。この指定257号は本名、性別、年齢、国籍不明の謎の工作員でなFBIも手を焼いている厄介な奴だ」
「何故それを僕に教えてくれるんです?」
それもそうだろう今まで敵対してきた人間が何の見返りも無く、こうも簡単に情報を寄越してくるなんて常識的に考えられない。
「状況が変化している。これから何が起こるかは私にも予想できん」
それが何か計算されたものなのか、それともただ純粋に心配してくれているのかは今は分からないが。ハワードの様子を汲み取るとその指定257号なる者が活動しているという話は真実の様だった。
「とりあえず私が君に言えることはこれだけだ。死ぬな」
そう告げるとハワードはベンチから立ち上がり去って行った。
ジャックの心の中ではこのハワードという人間の人物像がますます意味が分からなくなっていた。
その場に残されたジャックは渡された資料を握り締め何の理由も告げずに去ってゆくハワードのその姿をただ見送る事しか出来なかった。
ジャックが出て行った後の店内ではハリソンが一人食器を磨いていた、
既に店内は書き入れ時も過ぎた事もあって客はまばらになっていた。
その内最後の食器も磨き終わったハリソンはいよいよ暇になってきた。
「暇ですねえ・・・」
そんな事を呟いていると来客を知らせるベルが店内に響く。
「いらっしゃいっ・・・」
ハリソンは待ってましたとばかりに笑顔で応対しようとするが、その言葉は途中で喉の奥に引っ込んでしまった。
その原因はその客の風体にあった。
190センチは超える長身にさらにその身を覆うかの様な黒いコートと帽子どれをとっても異質だった。
その人物は店内を見回すと最後に自分の前で萎縮しているハリソンに語りかける。
「ワタシハドコニスワレバイイデスカ?」
その言葉はかなり訛りの入った英語で声の低音具合からかなり歳を取った男性と判断できた。
我に返ったハリソンは開いている席に案内するがその仕草は終始落ち着きの無いものだった。
「ご注文は?」
オーダーを取るハリソンに男は被っていた帽子を脱ぐとコーヒーを注文した。
その時帽子の中から出てきた顔はハリソンより若干歳を取っておりその顔に刻まれた深い皺がそれを物語っていた。さらにすっかり禿げ上がった頭に限りなく黒に近い褐色の肌が印象的だった。
早くその場から去りたかったハリソンはオーダーを受けるとそそくさと立ち去ろうとしようとする。しかし背を向けたときにその老人に呼び止められた。
「スミマセン、スコシイイデスカ?」
ハリソンは恐る恐る応対する。
「何でしょうか?」
老人はハリソンの緊張を和らげようと思ったのか少し顔に微笑を持たせるとハリソンに尋ねるのだった。
「コノミセニ『ジャック・ニコルソン』トイウオトコハイマスカ?」
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