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苗木学級①

名無しの少年:元オーガスタス。現在名前なくし中。

アラン:元王子の影武者。年中やる気なし。

 オーガスタスと呼ばれていた『少年』にとって、アランとの旅は初めて見るものばかりだった。エイルズバーグの風車街やマリーナ街道ですれ違った見世物小屋の一座、ワットソンのブドウ畑、ブドウを踏んで酒にする少女たち、行く先々の郷土料理。


 それから、ヒルトップの針葉樹と谷間に作られた隠れ道。

 2人を乗せた馬車は今、その隠れ道を走っている。


 茶色い土を踏み固めて作られた道は、高い木々に囲まれて密やかに続いていた。絡み合う枝葉の隙間から、陽の光が疎に射し込む。木陰の道を進む馬車は轍を刻みながら、ゴトゴト音を立てる。そうして日が傾き始めたころ、アランが隠れ道の先を指差した。


「見えるか? あれがレイン湖だ」

「んっ?」


 少年が指差された方向に目を凝らすと、そこには鮮やかな青色をした大きな湖があった。寒さの弱まりつつある夕日が、青色の湖面をキラキラと輝かせている。その湖の奥には、深い森を(よう)する山々が連なっていた。あれがホーキング山脈だろうか。


湖畔(こはん)沿いに進めば、学び舎が見えてくる。何とか春に間に合ったな」


 アランがそう言った。目的地はもうすぐそこらしい。少年が目を凝らして森の方を見ていると、アランが肘で小突いてきた。


「そろそろお別れだな。どうだ? 俺との別れが寂しくなってきたんじゃないか?」

「……何で?」

「ちっ、相変わらず可愛げのないガキだよ」


 アランはそう呟き、不満げな言葉とは裏腹に笑っていた。

 相変わらず変な人だ。

 無精ひげの生えたアランを見て、そう思った。

 馬車が湖畔の整えられた小道を走っていると、予告されていた通り山脈の麓に建物の姿が見えてくる。二階建ての大きな屋敷だ。

 木造の瀟洒(しょうしゃ)なデザインの建物は、明かり窓が多く、外からでも部屋数の多さが見て取れた。屋敷を囲う塀と門には、青々とツタが生い茂っている。

 アランは門の前で馬車を止めると、丸めた羊皮紙をこちらに手渡した。


「ここから先は自分の足で行け。中に入ったら、大人を見つけてその紹介状を渡せばいい。あとのことは、屋敷の人間が説明してくれるはずだ」

「わかった」

「俺は馬車のあれこれだけ済ませたら、知人に会ってそのままここを発つ。これでも忙しい身なんでな。縁があったらまた会うだろ。今の内に、何か聞いておきたいことは?」


 アランの質問に、少年は首を横に振った。アランは「そうか」と頷く。

 少年は手荷物の入った鞄を抱えて馬車を降りる。

 そのまま屋敷に向かって歩き出す。

 門から先は中庭になっていて、手入れの行き届いた庭木が通路を成していた。庭木の通路にはレンガが敷かれていて、革靴で歩くとコツコツと硬い音を立てる。


「坊主!」


 アランの声が聞こえて、中庭の途中で振り返った。アランは馬車から下りていて、馬の口輪を掴みながら立っている。目が合うと、アランは言った。


「あのとき、ドモルガンの森じゃ聞かなかった、3つ目の問いだ。お前にとって、剣を取る意味って何だ? お前は自分以外の『何のため』になら戦える?」

「…………」

「今は答えなくていい。だが考えておけ。きっといつか、お前はその答えが必要になる」


 アランの言葉の真意は、よくわからなかった。

 だから頷くことはせず、頭の片隅に留めておくことにした。

 少年は正面に向き直り、大きな屋敷へと進む。アランの苦笑する声と馬車が走り出す音を聞きながら、黒塗りのドアを押し開けて建物の中に入った。


   ◇◇◇◇


 エントランスに入ると、目の前に大きな階段があった。

 階段には上がって半分のところに踊り場があり、踊り場から左右に分かれて、折り返しの階段が伸びている。踊り場の大きな明かり窓からは、夕暮れの赤が射し込んでいた。


(大きな建物……)


 少年は首を巡らせて思う。エントランスの左右には、どちらにも廊下が長く伸びていて、どちらの廊下も突き当りで直角に曲がっていた。

 察するに、建物は凹の字状になっているようだ。階段の脇には大きな壺が置いてあり、廊下には赤黒い絨毯が敷いてある。少年が絨毯の上に足を置くと、ふんわり柔らかく沈み込んだ。


(絨毯も、壺や調度品も、どれも高価そうだ……)


 少年がそんな風に値踏みしていると、階段の手すりの陰から小さな子が顔を覗かせた。目が合うと、その男の子は手すりの陰から歩み出る。赤毛で碧眼の男の子だった。


「あっ、あ、あの……は、はじめましての子?」


 男の子はアタフタと視線を泳がせてから、「にへへ」と曖昧に微笑んだ。ちらと覗いた白い乳歯は1つ欠けている。歯抜けの男の子は、踊り場から尋ねてきた。


「あ、えと……何か、困ってる?」

「困ってない」


 そう答えた。アランからは『大人を見つけて紹介状を渡せ』と言われていた。だから困ってない。やるべきことはわかっている。

 とりあえず、大人を探せばいいのだ。


「えっ、あ、で、でもその……」


 アタフタしている歯抜けの男の子を放って、大人を探しに行く。

 右の廊下を進み、たくさんあるドアを1つずつ開けて回る。

 机と椅子が並んだ部屋。

 何かの器具が置かれた部屋。

 鍵のかかった部屋もいくつか。

 たまに他の子供を見かけたけれど、どの部屋にも大人の姿はなかった。

 廊下の端まで行くと、そこには重たい鉄のドアがあった。他と同じようにドアを開けてみると、その部屋には本棚と本がたくさん置かれている。少しかび臭い匂いがした。中央に置かれたテーブルで、2人の子供が本を読んでいる。


「んっ? 何だ、オマエ。見ねー顔だな?」

「新しい子じゃない? すごい荷物だし」


 どちらも赤毛で碧眼の男の子だ。着ているものまで同じ。違いがあるとすれば、片一方は目つきがとんがっていて、もう片一方は眉が困ったように下がっていた。

 とんがり目の男の子と、困り眉の男の子。

 とんがり目の方が席を立ち、ズンズン大股でこちらに近づいてきた。


「オマエ、大荷物持って何やってんの?」

「…………」

「先生を探してるんじゃない? ほら、初日なら挨拶しないと」

「そうなのか? なら教員室まで案内してやる」


 とんがり目の声を無視して室内を一瞥(いちべつ)する。この部屋にも大人の姿はない。廊下に引き返そうとして、「おい聞いてんのか?」と背後から鞄に手を伸ばされた。

 案内すると言って荷物を奪うのは、物盗りの常とう手段だ。少年がひらりと躱して振り返ると、とんがり目の男の子は驚いた表情を浮かべる。


「オマエ、後ろにも目が付いてんのか?」

「何か用?」

「いや『何か』って、案内してやるって言ってんの!」

「要らない」

「でもキミ、迷ってるんじゃない?」


 そう言いながら、困り眉の男の子もこっちにやってくる。

 少年は、何だか面倒になってきた。頭の中に2人をぶちのめすプランが浮かぶ。手っ取り早そうだ。けれど、アランの言葉を思い出して踏み止まった。『3回言え』という約束だ。まだ1回目。ぶちのめすには早い。


「必要ない」

「ナニ意地張ってんだ、迷ってんだろ!?」


 とんがり目の男の子が、またしても鞄に手を伸ばす。その手も躱す。同時に腕を捻じり上げることもできたけれど、まだ2回目だから我慢する。


「案内は要らない」

「オマエ、新入りのくせにナマイキじゃねーかっ!?」

「ちょっとギロメ、無理強いは——」


 3回言った。それじゃあ、ぶちのめすか。

 そう思い、鞄を振り回して側頭部を殴打する直前。


「あっ、いた!」


 エントランスで会った歯抜けの男の子が、廊下の向こうからやってきた。その隣には、黒色のローブを着た、大人の女性も立っている。歯抜けの彼が連れてきたようだ。

 困り眉の男の子が、女性に向かってお辞儀する。


「こんばんは、ラブレス先生」

「はい、こんばんは。休息日にも勉強なんて、2人とも頑張り屋さんですね」


 そう微笑み返した女性は、大人だった。

 背も高いし胸もある。

 だからだぶん大人だ。

 ただ、少年が今まで見知ってきた大人の女性とは、雰囲気が違った。

 彼女には日焼けした様子がまるでなく、その細い体は重い荷物なんか持ったことがなさそうだった。同時に、職人のような手をしているわけでもない。動きも何だかはんなりしている。


(少なくとも、故郷の荒地では見たことがないタイプだ……)


 荒地生まれの少年には、育ち方が想像できなかった。

 彼女は髪を複雑に編み上げているが、荒地ではそんなことに気を使ったり、時間をかけたりする人間はいなかった。高価そうな眼鏡をかけ、胸元に付けられた聖櫃教(せいひつきょう)のシンボル『重なり合う2つの正方形』を模ったブローチも、とても値が張りそうだ。


(お金持ちの女性……)


 少年がそんな風に観察していると、女性が彼の前まで歩み出た。


「初めまして。あなたは、えっと、どなたですか?」


 ラブレス先生と呼ばれた女性に尋ねられて、アランの紹介状を差し出した。彼女は紹介状を受け取り、「拝見します」と断ってから中を改める。女性は何度か頷いてから顔を上げた。


「王家の印章もありますし、正真正銘の『採用担当官』の紹介状ですね」

「大人を見つけて渡せって。アランが」

「アランというと、もしかして、アラン・チューリング氏?」

「そう」

「それは、まぁ、なんてことでしょう」


 ラブレスはそう言って、口もとに手を当てた。

 驚く名前のようだ。


「……驚きました。あの方が、本当に誰かを推薦するなんて」


 話を聞く限り、他の男の子たちは、アランが連れてきたわけではないようだ。

 ただ、少年は意外には思わなかった。アランのあの性格だ。仕事熱心なタイプではないだろうと、言われなくても想像できる。

 ラブレスは改まった様子でこちらに一礼した。


「けれど、あなたが入学者なのは間違いなくわかりました。私はラブレスといいます。ここの先生の1人です。呼ぶときは、ラブレス先生と呼んでくださいね」

「わかった」

「簡単に入学の説明をしますから、教員室までついてきてください」


 ラブレスは廊下を引き返す。

 どうやら教員室は逆側の廊下にあったようだ。

 少年は言われた通りに後を追う。ラブレスに続いて廊下の角を折れるそのとき、とんがり目の男の子が「結局行くんじゃねーか」と愚痴を零すのが聞こえた。


   ◇◇◇◇


 案内された教員室という部屋で、少年はラブレスから苗木学級の説明を受けた。ただ、教えられた内容は、アランからも事前に聞いていたことばかりだった。


 アランとラブレスが言うには、苗木学級とは『次代のナンバー王の影武者を育成するための教育機関』らしい。


 現在のサウザンディア王国は、6つの小国がくっついて生まれた王国だ。旧6か国の頂点に君臨するのが代々のナンバー王であり、敵対していた小国が1つに束ねられているのは、ひとえにナンバー王の威光によるものらしい。

 その威光は、ナンバー王家だけが『災害の眷属』を鎮められることに依存している。影武者の役割は、災害の眷属を退けると同時に、サウザンディア王国を束ねる王家の求心力を維持することのようだ。

 ゆえに優れた影武者の育成は、国家にとって必要不可欠な事業であり、魔法を授けるに値する優秀な人材の育成が、この苗木学級の目的という話だ。

 候補生はサウザンディア全土から集められるが、選定基準は容姿と年齢以外、各採用担当者に任せられているそうだ。ただ、集められるのは概ね身寄りのない子供らしい。


 ラブレスは締め括りとして、こう付け加えた。


「今からおよそ1年後に、魔法を授ける『役者』を選抜するための試験があります。その試験の日まで、あなた方に様々な技術や知識を教育するのが、この『苗木学級』の役割です。何か質問はありますか?」

「試験の内容は?」

「試験内容は1年後、試験直前に開示されるそうです」

「そうです?」

「試験の内容については、私もまだ詳しく知らされてないんです」


 椅子に座っているラブレスはそう答えた。少年は考える。知らないものは、問い詰めたところで仕方がない。嘘を吐いてるかもしれないが、アランも『屋敷の人間が説明してくれる』と言っていたので、ひとまずは信じておく。


「他に質問は?」

「…………」


 少年は黙って首を横に振る。

 ラブレスは「では、説明は以上です」と手を打った。


「あなたの部屋は、西館の2階、1番奥の部屋にしましょう。その部屋の班ならベッドが空いていますから。ちなみに苗木学級では、4人1組の班制度を採っています。あなたにも、その部屋の班に加わってもらいます。よろしいですね?」

「わかった」

「よいお返事です。案内は必要ですか?」

「いい。自分で探す」

「わかりました。体調に不安がなければ、明日からでも授業に参加してみてください。教室の場所や開始時間は、班の子が教えてくれますから」


 ラブレスの言葉に頷き、少年は鞄を持って席を立った。すぐに部屋を目指して歩き出す。


   ◇◇◇◇


 西館2階、最奥の部屋に少年が入ると、同室らしい3人の男の子がいた。どれもすでに一度は見た顔ぶれだった。


(とんがり目に、困り眉、あと歯抜け、か……)


 そんな風に特徴で見分けつつ、内装に視線を走らせる。壁際に2段ベッドが2つあり、ベッドの間には大きな明かり窓が1つある。男の子たちは、それぞれのベッドに座っていた。そこが彼らの定位置のようだ。


「おっ、さっきの新入りだ」


 右手のベッドの2段目から、とんがり目の男の子が言った。


「ほら、やっぱり同じ班になった」


 困り眉の男の子が、右手の1段目からそれに返す。歯抜けの子は、左手のベッドの1段目を使っていた。ベッドの埋まり具合から、『自分は左手の2段目か』と見当を付ける。


(この子たちと同室なんだ……)


 同室の子供たちを観察しながら、鞄を2段ベッドに押し上げる。

 すると、下の段から歯抜けの子が顔を出した。


「き、着替えとか、勉強道具は、あっちの、衣装棚を使って……」

「わかった」


 歯抜けの子が指差した方向には、衣装棚が2つあった。ベッドと同じく、左右に分かれて壁際に置かれている。ベッドの配置に倣うなら、自分は左側の衣装棚を、歯抜けの子と共有することになりそうだ。

 困り眉の男の子が、「そうだ」と手を打った。


「同じ班になるんだし、自己紹介しないとね。キミの下の段にいるのがハヌケ。こっちの目つき悪いのがギロメで、ボクがタレマユだ。よろしくね」


 困り眉の男の子『タレマユ』が、それぞれの男の子を指差して言った。

 見たままの名前だった。そう思い、感想を口にした。


「変な名前だね」

「こっちも好きで名乗ってねーけどな」


 ギロメが不満そうに口を尖らせる。意味がわからない。

 少年が首を傾げると、タレマユが口もとを緩めて補足した。


「ほら、ボクたちって、ここに入るときに名前を捨てたじゃない? だけど、お互いを呼ぶのに名前がないと不便だし、同じ班の子たちで仮の名前を決めてるんだ」


「てか、コイツの名前どーすんだ。ムクチなんてどうだ?」


「ムクチは、第三班に……い、いなかった?」


「いたか? こんな名前のが20人もいたら、覚えてらんねーぞ」


「普通の名前より覚えやすくない?」


 ギロメ、ハヌケ、タレマユの3人が、勝手に名前決めを始めている。


(どうでもいいや……)


 それを聞き流しながら、アランに持たされた鞄を開ける。着替えなどは、言われた通り衣装棚にしまい、魔女モルガンの人形だけは枕元に置いておいた。すると、ギロメが目ざとく人形に気づいた。


「ん? 何だその人形」


 少年が構わずベッドで横になると、ギロメが向かいから身を乗り出してくる。説明が面倒なので放っていたら、ギロメはわざわざこちらのベッドまでやってきた。


「おい、聞いてんだろ。何だそれは」

「触るな」


 手を伸ばそうとするギロメに、そう忠告する。

 ギロメはムッとした表情を浮かべた。


「オレは『何だ』って聞いてんだ。『触るな』ってのは、答えになってるか?」


 ギロメはそう言い返して、許可も得ずに魔女モルガンの人形を摘まみ上げる。


「王子とかじゃないのか。女の人形? 何だこれ」

「返せ」


 ギロメは2回目の忠告も無視して、その人形を下の段のハヌケに見せた。


「ハヌケ。オマエ、知ってる?」

「魔女じゃ、ないかな。とんがり帽子、だし。それより、早く返した方が……」

「元の場所に置け」

「オマエ、魔女なんか好きなn——」


 3回目の忠告。それも無視されたので、実力を行使した。

 頭突きでギロメを叩き落とし、手からすっぽ抜けた人形を空中でキャッチする。同時にドスンと尻もちの音がした。ギロメが床に落ちた音だ。


「っテェな! 何すんだっ!?」


 少年がベッドから見下ろすと、ギロメが鼻血を出して睨んでいた。『恨みがましい子だ』と思いつつ、仕方がないからギロメの質問に答えることにした。


「頭突き。知らない?」

「喧嘩売ってんだなオマエ!」


 ギロメが歯を剥き出しにして吠える。今にも食ってかかりそうな勢いだ。


「落ち着きなって。今のはギロメにも非があったよ」

「わ、わわ、わわわっ……」


 タレマユが横からなだめ、ハヌケは1人でアタフタしている。

 騒がしいのは嫌いだった。無駄に疲れるからだ。

 少年は布団に転がり、目を瞑った。長旅の疲れもあり、眠気はすぐにやってくる。


「なっ! コイツ、人に一発くれて寝やがったぞ!」

「まあまあ。疲れてたんだよ。きっと」

「ぜってー、ろくでもない名前にしてやる!」

「わっ、あ、えっと……」


 ギロメとタレマユ、ハヌケの声が、眠りの帳の向こうに遠のいていく。

 こちらが眠りに就いた後、3人の間でどんな話し合いが持たれたかはわからない。寝ていたのだから当たり前だけど。

 それで目が覚めたときには、自分の名前は決まっていた。


 ——ブキミ。


 魔女を崇拝する、何を考えているか分からない子供。

 それが同室3人からの、第一印象だったらしい。そしてその日から、新しい名前『ブキミ』としての生活が始まった。


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