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入学準備②

オーガスタス:主人公。初めてのお買い物中。

アラン:主人公を拉致したろくでなし。金遣いが荒い。

 アランがドアのベルを鳴らしながら仕立屋に入り、オーガスタスもその後に続いた。入ってすぐオーガスタスの視界を埋めたのは、壁一面を覆う棚だ。

 黒檀製(こくたんせい)の綺麗な棚には、色とりどりの布が束になって整然としまわれていた。


(すごい、高そう……)


 棚の前にはミシンやハサミを置く作業台があり、作業台の右手に通路が見える。その通路の先から、背筋の伸びた老婆が顔を覗かせた。


「あら。お久しぶりね、アラン。元気にしてた?」


 老婆は歩み寄りながら、アランに向かって笑いかける。

 老婆は質のよさそうな深緑色のローブを着ていて、白い髪は丁寧に編み上げられていた。背筋がピンと伸びていて、動きがシャキシャキしている。


「ご無沙汰してます、ハドソン婦人」


 にこやかに笑う老婆に対し、アランはお辞儀を返す。

 オーガスタスは2人のやり取りを横目に見つつ、店内を物色することにした。どこに何が置かれているか、さっと把握する。その様子がハドソンと呼ばれた老婆の目に留まったらしい。


「まあ、今日は可愛らしいお連れ様がいるのね?」

「今回はコイツの服をお願いしたいんです」

「あらあら、それは腕が鳴るわね。デザインや生地はどうするの?」

「濃紺色の劇団服。カリルヤギの毛で夏冬2着ずつ。ボタンは水牛の角で、裾の処理はダブルにしてください。それから——」


 アランは呪文のような言葉をスラスラ並べる。

 ハドソン夫人はふむふむ頷きつつ、作業台から巻尺を取り上げて尋ねた。


「生地もボタンも、随分いいものを使うのね。まだ育ち盛りでしょう? すぐに合わなくなるわよ? いいの?」

「そうなったら、また新しいのを依頼しますよ。あっ、それともご迷惑ですか?」

「ううん、うちは大助かりよ。それより、この子は歌劇団の、見習いさん?」

「ええ、期待の新人なんです」

「うふふ、それなら今のうちにサインをいただいておこうかしら?」


 そう言いながら、ハドソン夫人は巻尺を持ってオーガスタスの前に立った。膝を折って、こちらの視線に合わせてくる。


「あなたのこと、見せてもらってもいいかしら?」

「…………」


 オーガスタスは、ハドソン夫人を観察して考える。

 この人に襲われたら、自分は対応できるだろうかと。例えば、あの巻尺で首を絞めてくるかもしれない。そんなことを考えつつ、ハサミの位置を見る。十分、手の届く場所にある。これなら襲われても反撃できる。

 オーガスタスは、黙って両腕を広げた。


「ありがとう。それじゃあ、始めるわね」


 ハドソン夫人は微笑み、オーガスタスの身体を手際よく測り始めた。

 両手で持った巻尺を肩や首回り、股下や腰回りなどに当てて、作業台の上の用紙にペンを走らせる。硬いペン先が紙を引っ掻くカリカリという音が、静謐(せいひつ)な店内に響いた。


   ◇◇◇◇


 必要な分だけ測り終えると、ハドソン夫人は見積もり書を作ってアランに差し出した。


「結構な額になるし、今回は後払いにしておく?」

「いえ、前金で結構です。手持ちはありますから」


 アランは財布を取り出し、全額を気前よく払った。ハドソン夫人は丁寧に受け取り、「そんなに良くしてくれるんじゃ、お茶の1つでも出さなくちゃね」と店の奥に向かう。

 オーガスタスは、2人きりになったのを見計らってアランに聞いた。


「いいの?」


 アランは棚の前に立っていて、並んでいる生地を眺めているところだった。「何がだ?」と生地を見たまま、アランは問い返す。


「高いんでしょ、ここの服。それにさっきの人形も」

「安いもんだ。お前さんがこれから背負うもんに比べればな」


 アランはそう言い、店の通路を覗き込む。ハドソン夫人が戻ってきそうにないことを確かめてから、アランは続けた。


「今さらお前さんに拒否権はないが、『役者』になるのも簡単じゃない。俺たちの代じゃ、入学者24人の内、無事に卒業できたのは6人だけだ。その6人も、役者の使命を果たす過程で2人になっちまった」

「そう」

「それに……俺たちがどれだけ命を懸けたって、見合う栄誉を得ることはない」


 アランは語った。

 役者として生きるとは、どういうことか。

 王子の影武者は、王子を演じたまま、災害の眷属と戦う。それが役目だ。

 命懸けで偽りの『聖なる力』を得て、さらに極限の戦いへと挑む。

 そして、災害に勝利したとしても、その手柄は王子のものだ。自分自身が称えられる日は、永遠に訪れない。脚光を浴びることも、物語に書き残されることもない。生きている限り——否、死してなお、誰かの栄光を演じ続けるのだと。


「そのための役者、それゆえの歌劇団だ」


 それがこの国で、『王子の影武者』として生きるということ、らしい。


「辛く苦しい、日陰の道だ。報われない覚悟はしておけ」


 話の締めくくりとして、アランはそう言った。何だかしかめっ面をしている。

 オーガスタスは「1ついい?」と尋ねた。


「ああ、何でも聞け」

「役者になったら、お腹いっぱい食べられる?」

「まぁ、それくらいは余裕だが……」

「ならいい」


 オーガスタスはそう答えた。栄誉も誇りも、別に欲しくない。というか、今まで明日も分からない暮らしを送ってきたのだ。

 いつ殺されるかもわからないような毎日。盗み、奪い、逃げ回ることで命を繋ぐ暮らしだ。栄誉だの、誇りだの、腹にたまらないぜいたく品を欲しがったことは一度もない。

 今日の食べ物に困らない暮らしが送れるなら、他に何もいらない。だから——


「僕は役者になる」


   ◇◇◇◇


 仕立屋で制服を依頼した後も、アランはいくつか店を回った。


「準備するものは、まだまだ山とあるからな」


 そう言って、文具店で蝋板(ろうばん)とペンを用意し、本屋に入って文字を勉強するための簡易な読み物を1冊買い、それから公衆浴場に連れ込まれた。オーガスタスは浴場で働いている湯女(ゆな)に垢という垢を落とされ、伸び放題だった髪を整えられた。


「……変だ」


 湯女に整えられた頭は、何だかちょっと落ち着かなかった。

 アランが「髪は伸ばしとけ」と言うから、長い髪はそのままに、(くし)()かされて形だけ整えられたが、それだとまるで女の子のようだ。ピカピカに洗い清められたオーガスタスを見て、アランは店先で吹き出した。


「ははっ、随分こざっぱりしたじゃないか」

「…………」


 アランが笑うので、何だか気分がよくない。

 ただ、今はそれよりも眠い。起きてからいろいろ歩き回ったのと、風呂で身体が温まったのとで、にわかに眠気に襲われていた。目がしばしばする。


「眠そうな顔してんな。よし、今日はそろそろ引き上げるか。どうせ制服の仕立てが終わるまでは、この街に滞在するんだ。残りの準備は後日に回そう」

「……うん」


 オーガスタスは眠い目をこすり、うとうとしながら頷いた。アランは「まるで普通の子供だな」と笑い、コートの内側にしまっている買い物の戦利品を確かめてから言った。


「じゃあ、ウッドール先生の病院に戻るか」

「……あっ」


 オーガスタスも釣られてポケットに手を入れて、ふと気づいた。あるべきものが、なくなっている。

 立ち止まったオーガスタスに気づき、アランが振り返った。


「どうした?」

「ない」

「あん? ああ、魔女の人形か?」


 オーガスタスはこくんと頷いた。アランが「浴場に忘れて来たのか?」と尋ねるので、オーガスタスは首を傾げる。ポケットから出した記憶がないのだ。

 オーガスタスは、少し考える。

 魔女の人形は、ずっとズボンのポケットに入れていた。そのズボンは公衆浴場の脱衣所で、一回脱いでいる。湯女に洗われている間、ズボンから目を離していた時間があった。

 こちらの顔から事情を察したのか、アランは「ああ」と言った。


「もしかして、置き引きか? オールコックにも手癖の悪いヤツがいたもんだ。まあ、あれくらいの人形なら今度また似たようなの——」


 アランが言い切るよりも早く、オーガスタスは踵を返して走り出していた。

 公衆浴場の出入り口に飛び込み、「おいコラ!」と怒鳴る番台(ばんだい)の頭を『卵を割る』ようにガツンと受付台の角に叩きつける。番頭を転がして、さらに奥へと足を進める。


「あん? 何だこのガキ?」


 入れ墨のある上半身裸の男が、浴場の更衣室でオーガスタスを見下ろした。その入れ墨は確か船乗りである証だ。

 男の手には、魔女モルガンの人形が握られている。

 オーガスタスは無造作に人形に手を伸ばした。


「返せ」


 入れ墨男は「おっと」と意地悪く笑い、腕を上げてそれを(かわ)す。

 入れ墨男は得意げな顔で言った。


「1つ、これはオレが拾ったモンで、すでにオレのモンだ。2つ、返して欲しいなら相応の言葉づかいってもんが——」


 入れ墨男はそこから先を言えなかった。言うより先に、病院でくすねたスプーンを、オーガスタスが相手の耳に突っ込んだからだ。


「あがっ!」


 スプーンの柄を相手の耳に突き立てる。よろけた男の頭を掴み、側頭部と顎をねじって強引に地面に転がす。受け身を取り損ねた相手の鼻下に、全体重を乗せた踵蹴りを食らわせる。

 子供の体重でも、全部使えばそれなりの威力になる。


「おごっ!」


 最初の踵蹴りで男の前歯が折れた。

 さらに踵を振り下ろす。今度は鼻骨が折れて派手に血が吹き出る。

 こうなると後は簡単だ。何度も踏みつけたらいい。


「ひぃいい!」


 男はロクな抵抗1つしない。カッコばかりで全然弱い。入れ墨男の知人らしき男が割って入ろうとしたが、射殺すつもりで睨みつけると、相手はそこから動かなくなった。居丈高(いたけだか)な態度で舐めってかかったくせに、殺される覚悟もしていないのか。オーガスタスは呆れた。子供相手なら舐めてもいいと思っていたのか。

 そんなことだから踏まれるんだ。えいえい。

 何度目かの踵蹴りが、男の意識を完全に奪った。脱衣所がざわめいている。


「——なっ!」


 後を追ってきたアランが、脱衣所の様子を見て言葉を呑んだ。


「おいやめろ、この馬鹿っ!」


 アランが羽交い絞めして、男からオーガスタスを引き剥がした。

 オーガスタスは奪い返した魔女の人形を見て、すでに満足していた。

 アランは周囲の様子を見回し、オーガスタスを担ぎ上げると、「ああー、これは治療費にあててくれ」と入れ墨男の前に財布を置いた。その直後、脱兎の勢いで逃げ出した。


   ◇◇◇◇


 アランは公衆浴場を飛び出して人気のない路地に入り、そこでようやく魔法を使った。オーガスタスを担いだまま、人目に付かない建物の屋根へと飛び移る。

 アランは一歩で高く飛び上がり、放物線を描いて屋根の上に着地した。赤茶けたレンガ屋根の上にオーガスタスを下ろし、言った。


「何考えてんだよ、お前さんは……」


 オーガスタスは握り込んでいた右手を開いた。

 そこには取り返された人形があった。


「なるほどね。『取られたものを取り返しただけ』だと」

「そう」

「いや、だからって半殺しにしていいわけないだろ」


 オーガスタスは「?」と首を捻っている。アランは溜息を吐いて肩を落とした。

 やはり普通の子供なんかではなかった。

 暴力への抵抗の無さがおかしい。

 加えて小さな身体に似つかわしくない、やたらと殺傷力の高い戦い方が、恐ろしく自然に身に付いている。グーで殴ったりせず、人体構造の脆弱性を突いた崩し技や、踵落としなど子供でも威力の出る技を選ぶセンスがある。というか、その能力だけやたらと高い。

 アランは冷静に考えた後、オーガスタスにこう尋ねた。


「お前さん、戦い方は誰に教わった?」

「習ってない」

「我流だってのか!? 信じらんねぇな……」

「わかる、でしょ?」

「ああ? わかるって何が?」

「殺し方。羊の解体と同じ。見たらわかる」

「相手を見ただけで、そいつの倒し方が、頭に浮かぶってことか?」

「そう」


 オーガスタスは『1+1が2になる』と言うように、そう言った。

 殺すための道筋は、相手を見たらわかるものじゃないかと。歩き方や呼吸の仕方を習う必要がないのと同じだ。この子供は、誰に教えられるでもなく『殺し方』を知っているのだ。

 アランは渋い表情を浮かべて、オーガスタスを見た。


(わかっちゃいたが、こいつは『殺し』の大天才だ……)


 アランは頭を掻き、考える。殺しの天才ではあるが、それでも『天性の殺し屋』ではなかったはずだ。仕立屋でも病院でも、無暗に暴れはしなかった。

 こいつの暴力性は、こいつの置かれてきた環境に起因するものだ。誰にも守られなかった経験が、自分を守ろうという意識を過敏にしている。その防衛意識に『殺しの才能』が噛み合ってしまったのが、こいつの不幸の始まりだ。

 

 眠らせておくべき才能だった。


 発揮されてはならない才能だった。


 けれど、悔やんだところでもう遅い。すでに獣は檻から出されてしまった。今考えなければならないのは、この殺しの才能をどう使うかだ。でなければ、こいつは周囲に不幸を振り撒き続ける。

 この『普通じゃない子供』をどう導くべきか。

 しばらく考えてから、アランは妙案も浮かばないまま答えた。


「だからって、いきなり半殺しはナシだ」

「1回言った。『返せ』って」

「なら次からは3回言え」

「3回でダメなら?」

「俺に頼れ。とりあえず、これ以上は殺すな」

「…………」

「おい、わかったのか? 返事は?」

「……ない」

「何だって?」

「わからない」


 オーガスタスは頑なな無表情で言った。

 アランはふとドモルガンでの問答を思い出す。世界とは『奪い、奪われる場所』だと、オーガスタスは答えた。奪うことを止めれば、自分が奪われるだけだと思っているのだ。

 アランは首を横に振り、オーガスタスを説き伏せる。


「わからなくても、そうしてくれ。でないと、お前は敵ばかり作り過ぎる」

「……3回言えって?」

「そうだ。それでダメなら、そのときお前自身で考えろ。何が最善か」


 そう言うと、オーガスタスは少し考えてから「わかった」と小さく答えた。あまりわかった様子ではなかったが、ひとまずそれで『よし』とした。

 長い時間かけて作られたオーガスタスの価値観を、この場の言葉だけで覆せるとは思っていない。


(時間をかけて、こいつ自身が学んでいくしかない……)


 アランはそう結論づけ、オーガスタスを連れてウッドール医師の病院まで引き上げた。


   ◇◇◇◇


 病院に戻ると、オーガスタスはベッドに直行した。眠気が限界に来ていたのだろう。倒れ込むように横になり、もぞもぞ毛布を被ると、そのまますぐに寝息を立て始めた。


「ったく、欲求に忠実なヤツだよ」


 アランは上着をラックにかけ、暖炉近くの椅子をベッド脇に引き寄せる。オーガスタスを見張れる位置に椅子を置き直し、足を組んで座った。


(こうして寝かせている分には、ただの子供なんだがな……)


 オーガスタスの寝顔を観察しながら、そう思った。

 形の綺麗な鼻筋に、真一文字に閉じられた口もと、どこか意思の強さを感じる眉。意図したわけではなかったが、オーガスタスの器量は王子の影武者として申し分なかった。


(容姿はいい。頭の回転も悪くない。むしろ普通の子供より頭は回る……)


 露店を見ているときも、仕立屋に入ったときも、子供にしては落ち着いていた。あれこれ聞かなくても、自分の頭で察してその場に適した行動を取れるだけの頭がある。


「それがどうして、あんな酷い状態になってたんだか……」


 アランは、ドモルガンでの有り様を思い返す。

 街中を敵に回して、警吏に追われていたボロボロの惨状を。

 同じ年頃の子供と比べたら、この子供はずっと優秀だ。優秀なんだから、もっと上手く立ち回れよと、非難がましい思いも湧く。けれど、すぐに思い直した。


「いや、優秀だったからか」


 オーガスタスがただの子供だったら、きっとすぐに行き詰っていた。孤児院から逃げても、食事も寝床も用意できず、結局は大人に捕まって世話を焼かれたに違いない。

 警吏に怒られて、神父からゲンコツの1つは落とされたかもしれない。でも、きっとそれで終わっていた。不便は多いだろうが、あの孤児院で死なない程度に面倒を見られたはずだ。人を殺す必要もなかった。

 そうならなかったのは、ひとえにオーガスタスが強かったからだ。1人でも生き抜けて、警吏たちでは捕まえられない程に、こいつが強かったからだ。


 だから、誰も少年を連れ戻せなかった。


 少年の強さが、大人たちから『彼を守る機会』を奪ってしまった。他人に頼らないで生きられるから、他人に助けられる機会を失くしてしまった。

 その結果、オーガスタスは他人に頼るという発想すら失ったのだ。

 魔女の人形を失くしたとき、側に立っていたアランに一言も頼らなかったのは、その発想がなかったからだ。『アランが自分のために動いてくれる』と想像することが、今のオーガスタスにはできなかった。

 視界に映る相手を『殺す未来』は思い描けても、その相手に『よくしてもらえる未来』は想像できない。オーガスタスの目に映る世界は、そんな風に歪んでしまっている。そんな世界はさぞ生きにくいだろうと思う。


「お前はきっと、強くない方が幸せになれたよ」


 アランはそう呟き、山猫のように丸まって眠るオーガスタスを見守った。


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