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採用担当官④

オーガスタス:殺しの才能を持った赤毛碧眼の少年。

アラン:死亡した警吏の代わりにオーガスタスを追う。

「お前が死ね」


 オーガスタスの言葉が、戦いの開始の合図になった。

 アランはまるで放たれた矢のように走り出す。

 その表現に誇張はなかった。

 アランはたった一歩で急加速する。たった一歩で矢より速く木々の間を飛び交い、速度にわずかな陰りが見えたタイミングでようやく次の一歩を置いていた。

 息継ぎのような一歩と一歩の間は、ふわっと宙に浮いていた。

 その異様な走り方は、『走る』と呼んでいいのかわからなくなる。いっそ『滑空』とか『飛翔』とか呼んだ方が、似合っているのかもしれない。オーガスタスは、まるで水鳥の羽ばたきのようだと思った。


(変な動き……)


 オーガスタスは、アランの動きを目で追おうとする。けれど、アランは木立をジグザグに飛び交い、こちらの目を振り切った。直線的で複雑に入り乱れる動きは、ガラス細工の中を反射する光の軌跡みたいだ。目では追いきれない。


「どこ見てんだ」


 右耳に囁かれた声。

 オーガスタスは振り向きざまに短剣を突き出す。けれど、短剣は空を切った。そこにあるのはアランの駆け抜けた後塵(こうじん)、舞い上がった粉雪だけだ。

 粉雪が夕日を受けてオレンジに輝く。

 きらめく粉雪に視線を奪われて、一瞬敵を見失った。


「こっちだよ」


 左耳に囁かれた声。

 こちらが反応するよりも速く、アランの蹴りが入った。


「————」


 重く籠った衝撃音。

 身体が腰からくの字に曲がり、衝撃に両足が浮いた。

 声を上げる暇もなかった。蹴り出された身体は、雪の上を水切り石のように何度か派手にバウンドし、人体の壊れる『水っぽく嫌な音』を立てて静止した。


   ◇◇◇◇


 電光石火の一撃。

 本気の『速さ』が乗った蹴りは、プレートアーマーで武装した兵士すら装甲ごと破壊する、まさに必殺だ。子供1人の意識を砕くには、過剰な威力だった。

 アランは立ち止まり、乱れた灰色のターバンを整えながら溜息を吐いた。


「ガキを殺す感触なんて二度とごめんだ」


 雪の上を歩き、倒れたオーガスタスの方に近づく。死に顔くらいは確認するべきか。悪魔のような子供とはいえ、目くらいは閉じておこう。あとは放っておけば、この街の警吏たちが死体を回収して埋葬するだろう。


「ガキに魔法を使ったなんて言ったら、ガウスのヤツに何を言われるか……」


 そうぼやきはするものの、全力を出したことを悔いてはいない。子供とはいえ、訓練された警吏を3人まとめて殺せる相手だ。手を抜けば、足を(すく)われかねない。出し惜しみは、戦いに次があると勘違いした者の考えだ。世界中の誰も、死人に敗者復活の機会を与えはしない。


 アランは横たわるオーガスタスの側に立つ。


 オーガスタスは雪原にうつ伏せで倒れていた。アランは側にしゃがみ込み、オーガスタスの身体を仰向けに起こそうとして眼前に短剣を突き出された。


「なっ」


 咄嗟に後方に飛んだ。

 自分の『電光石火の速さ』が仇となり、背後の樹木に高速で衝突する。衝撃に思わず息を呑んだが、背中のダメージより、反撃を受けた驚きの方が大きかった。


 はらりと、灰色の布が地面に落ちる。


 落ちたのは、頭に巻いていたターバンだ。躱すギリギリのところで、前面の布を断ち切られたようだ。ターバンを失くし、頭髪がこぼれ落ちる。長い赤髪が、夕日を受けてより赤々と輝いている。

 オーガスタスは「ちっ」と舌打ちした。殺し損なったと思っているようだ。

 アランはぶわっと冷や汗を掻いた。

 気づくのが少しでも遅れていたなら、喉を裂かれていた。


「いや、どうして生きてる!?」


 思わず、そう聞いていた。必殺の一撃を当てたはずなのだ。


「死んでないから、じゃない?」


 オーガスタスは、『当たり前のことを聞くな』という顔で返し、剣を構えた。剣術のケの字もない、感情任せでデタラメな構えだ。けれど、見開かれたオーガスタスの双眸には、心胆を寒からしめる暗い輝きがあった。

 アランは相手の眼光に怖気(おぞけ)を覚える。剥き出しの憎悪とは、ここまで背筋を凍えさせられるものか。直観が告げている、この子供は異常だ。

 アランも初めて構えを取る。

 両手を地面につけ、足を前後に置いた、最速で走り出すための構えだ。


「ひょっとするとお前は、いずれ大きな『災害』に成る子供だったのかもな。だとするなら、ここから先は王国に残る『3人の魔法使い』の1人として、本来の『役』を演じさせてもらおうか。あまねく災害を打ち払う、王の代役をッ!」


 アランが電光石火の一歩を踏み出そうとしたそのとき、オーガスタスの手から短剣が零れ落ちた。ザクっと短剣が雪を割る。アランは走り出すのを思い止まった。


「…………」


 オーガスタスが、無言のまま膝を着いた。身体が左右に揺れたかと思うと、横向きに倒れて動かなくなる。しばらく様子を見たが、今度こそオーガスタスが立ち上がる様子はない。


「おい、どうし——」


 アランは、オーガスタスに声をかけようとして言葉を呑み込んだ。

 倒れた理由は、見ればすぐにわかった。というか、相手が倒れてようやく、戦っていた相手の現状に目がいった。降りしきる雪の中、ボロ布だけをまとい、靴すら貰えなかった傷だらけの子供の姿を。やせ細りながら、最後までもがき続けた小さな身体を。

 何のことはなかった。


「とっくに限界だったのか」


 オーガスタスの身体は、アランと戦う前から『立っているのがやっと』だった。連日の疲労と飢え、寒さに蝕まれた身体は、すでに短剣を保持できないほどに消耗していたのだ。

 アランは雪の上に落ちた短剣を拾う。

 オーガスタスは目だけ動かし、倒れたまま弱々しくアランを睨んだ。アランはその目を覗き返し、オーガスタスの目が碧色であることに気づいた。

 赤毛の碧眼、孤児院で探していた特徴だ。


(年の頃だって今の王子と同じくらいだ……)

(背丈は足らんが、それはこれからか……)

(とはいえ、これだけの悪事を働いた子供だ……)


 アランは短剣を握ると、思案顔で黙り込んだ。

 夕日が遠い山稜の縁に触れて、赤々と2人を照らしている。遠くの木立から、鳥の羽ばたきが聞こえた。静かな時間は、濃密な命のやり取りの後ではいやに長く感じられる。


「今からテストを始める。俺の質問に答えろ」

「…………」


 オーガスタスは黙って眉を動かした。『何言ってんの?』と。

 アランはオーガスタスの背中に乗り、首筋に短剣を押し当てる。


「俺はとある密命を帯びていてな。サウザンディアの国中を回って、赤毛で碧眼の男児を探している。お前さんの回答によっては、ここで殺さずに連れて行く。当然、下手な抵抗を見せれば即座に首を落とす。俺の問いに嘘を答えても同じだ。訓練を積んでいる俺には、口先ばかりの嘘など通じない。そのつもりで答えろ」


 アランは短剣を握る手に力を込める。オーガスタスは冷めた目で、首筋に当てられた短剣を見つめていた。アランは構わず喋り続けた。


「生死を分かつ3つの問いだ。お前にとって他人とは何だ?」


 その問いかけに、オーガスタスは少し間を空けて答えた。


「……敵だ。全部、敵」

「なら、お前にとって世界とは何だ?」

「……奪い、奪われる場所」


 アランはオーガスタスの表情を読む。その言葉に偽りがないことを悟り、『子供が本気でこれを答えたのか』と暗澹(あんたん)たる気分になった。子供が達するには、あまりに悲しい答えだ。

 少年の目にしてきた現実の過酷さが、これを言わせているに違いない。

 アランは同情しながらも、その答えを『落第』と評価するしかなかった。この子供を生かしていても、憎しみを振り撒き続けるだけだ。それは看過できない。


「もう十分だ。3つ目の問いは聞くまでもない」


 睨み返すオーガスタスの目は、冷たい憎しみだけを湛えていた。

 始めから何も期待していなかった目だ。

 アランは、憐れみながら短剣を振り上げる。「せめて苦しまずに逝け」と短剣を振り下ろす瞬間のことだった。


「ちょ、ちょ、待っあ痛!」


 オーガスタスの首を刎ねる直前、慌てた女の子が割って入ろうとして、雪に埋まっていた木の根に足を引っかけた。盛大にすっ転んだ少女は、雪の小山に顔から突っ込む。ずぼっと景気のいい音がした。


「……?」


 アランは、首を傾げながら少女の方を見る。少女は雪に埋まった顔を「ぷはっ」と起こした。身なりを見る限り、あまり裕福な生まれではないようだ。粗末な生地の服を着た町娘といった感じだ。

 彼女はアランとオーガスタスを見比べると、声を大にして言った。


「あのっ、こんなの酷くないですか!?」


   ◇◇◇◇


 オーガスタスは地面に押さえつけられらまま、突然やって来たメアリと、興味深そうに笑うアランを見る。何が起きているのか、まるでわからない。アランはこちらの背中に腰を下ろしたまま、メアリに問い返した。


「何が酷い? コイツは片手で足りない数の人間を殺してるんだ。どこの法律で見積もっても殺すしかない罪状だと思うが?」

「そ、そんなこと言ったら、この街のみんな同罪じゃないですか!?」


 メアリは強い口調で言い返した。

 その反面、服の裾を握る両手や膝は震えていた。

 アランは「ほうほう」と面白がってる様子で頷いた。


「同罪ねぇ。過激なことを言うじゃないか。俺に街中の人間を皆殺しにしろってか? 君みたいな可愛い子に言われたら、やっちゃうよ? やれちゃうよ。おじさん強いから」


 アランの言葉を聞き、オーガスタスは尻に敷かれながら思った。この男であれば、あながちハッタリではないのかもしれない。そんなアランに、メアリは狼狽(うろた)えながら言い返した。


「あっいや違くて! てか、そんなこと言ってなくない!?」

「でも、同罪なんだろ?」

「でも、だってそうじゃないですか!? こんな小さな子に冷たくして、追い詰めて、泥棒に追いやったのだってこの街で! それなのに今さら被害者面して追い立ててるの、全部バカみたいじゃないですか!?」

「ははっ、ケツの下の坊主よりは、楽しい会話ができそうだ」


 アランは顎の無精ひげを撫でて笑った。アランは手にした短剣を握り直し、こちらの喉元にしっかり添えながら、次の問いを投げた。


「これは大事な質問だ。坊主の命がかかっているが、俺に嘘は通じない。そう思って答えて欲しい。お嬢さんにとってコイツは何だ?」

「ほとんど知らない子です!」

「ほとんど知らない他人なら、殺されたって構わないだろ?」

「いいわけ、ないじゃないですか!」

「それはなぜ? 腹を痛めて産んだ子でも、愛を囁き合った関係でもないのに?」

「関係なくちゃダメ!? 助けたいって思うことって、そんなに難しいもの!?」


 メアリは力強く訴えかけていた。息を白く凍らせながら。でも、オーガスタスには理解できない言葉だった。


「まったく痛快なお嬢さんだ」


 アランは、そんなメアリの言葉に満足げな様子だった。かと思えば、アランは突然、自分の毛皮のコートを脱ぎ始める。メアリがギョッとしているのをしり目に、アランはコートの汚れをさっと払い、言う。


「目を覚ましたら、真っすぐ家に帰りな。そして、君に似合う仕立てのいい服を買って、ここでのことは忘れて、どこかで幸せに暮らすことだ。このコートを売り払えば、少しは足しになるはずだ」


「はっ? いきなり何いっ——」


 メアリが言い切るより、アランが当て身を入れる方が早かった。

 メアリは意識を失い、糸が切れた人形のように脱力する。アランは彼女が倒れないように受け止め、毛皮のコートで包むと、木の幹が支えになるように丁重に座らせた。その後で、アランは背中越しに言った。


「お前にとって他人のすべてが敵でも、この子にとってのお前は違ったらしい」

「…………」

「俺はアランだ。王室付歌劇団の採用担当官。アラン・チューリング」


 アランはそう名乗りながら、オーガスタスの前まで歩く。

 その目に何か読み取れない感情を湛えながら、アランはオーガスタスに言った。


「合格だ。お前さんを王子の影武者に推薦してやる」


 オーガスタスは、その言葉の意味するところを正確には理解できなかった。けれど、今この場で殺されないことだけはわかった。今はそれで十分だった。オーガスタスは瞼を落とし、意識の手綱を手放した。


   ◇◇◇◇


 それからの数日間、オーガスタスは高熱に浮かされて、ほとんどの時間を夢うつつの状態で過ごした。長い夢を見ていたような気がしたが、内容は何一つ覚えていなかった。

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