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採用担当官③

オーガスタス:赤毛碧眼の少年。街で盗人をしている。

アラン:王室付歌劇団の採用担当官。赤毛碧眼の少年を探している。

 警吏(けいり)3人と切り結んだ後、オーガスタスは貧民街の方向に歩いていた。


「……寒い」


 日はすっかり沈み、辺りには暗闇(くらやみ)が広がっている。

 道を照らすのは、民家の窓から溢れる暖炉の明かりだ。けれど、そのわずかな明かりさえも貧民街に近づくほど見かけなくなる。薪は長い冬を越えるための生命線だ。貧しい家ほど無駄遣いはできない。そういうことは、荒地生まれのオーガスタスにもわかった。


(3人殺した……)


 盗んで得た固くて酸っぱいパンを齧り、オーガスタスは思った。


(こんな不味いパン1つのために……)


 オーガスタスは手に残る殺しの感触を思い出す。

 警吏たちは不味いパン1つを取り返すために命を張った。それが不思議でならない。見逃したところでパン1つなのだ。命の危険と天秤にかけて、割に合うとは思えない。


(割に合わないように、こんなパンを盗んだのにな……)


 盗もうと思えば、もっと高価なもの、美味しいものだって盗めた。でも、それだと追う側が頑張ってしまうと思ったから、粗末なものを狙ったのだ。結局、意味はなかったけれど。


(この間、邪魔した人を殺したからかな……)


 計算違いの原因を思いながら、オーガスタスはため息を吐いた。


「あっ、キミ!」  

「んっ?」


 暗がりを歩いていると、路地に面した粗末な家から少女が飛び出した。少女は12、3歳くらいで、オーガスタスより少し年上に見える。

 服装を見るに、施しができるほど裕福ではないが、明日の食べ物に窮するほど貧しくもなさそうだ。目が大きく活発に動く少女の表情は、落ち着きのない小動物のようだった。


「ちょっと、ちょっと!」


 少女はオーガスタスの前に駆けつけると、くたびれた布でオーガスタスの汚れた顔や髪をゴシゴシ拭ってくる。


「まぁた、こんな泥んこになって!」

「ちょっと、ナニ?」


 オーガスタスは迷惑そうな顔をした。

 そのとき、背の高い青年が少女の後を追って家の戸口に立った。その青年は、不機嫌そうな目でオーガスタスを睨む。


「メアリ、そのガキに関わるなって言ってんだろ!」

「でも兄ちゃん! 私この子に助けられた恩があるし!」

「酔っ払いを殴り倒した話なら、何度も聞いたよ! だけどコイツはダメだ! 警吏が()の目タカの目になって探し回ってんだぞ!」


 それは半月ほど前の話だった。

 オーガスタは貧民街の橋の下で、酔っ払いに絡まれている少女を見かけた。オーガスタスが見かけたのは、偶然ではなかった。その橋の下には水路があり、オーガスタスは水路脇の通路を寝床として使っていたのだ。そして、酔っ払いが少女を罵倒していたのは、オーガスタスが使っている盗品の毛布の上だった。


 オーガスタスには、寝床を取り返す必要があった。


 だから、オーガスタスは近くを流れる冷たい水路に、酔っ払いを叩き落としたのだ。するとそれ以降、この少女に度々話しかけられるようにもなった。


(また、面倒なのに捕まった……)


 オーガスタスはそう思いつつ、布でゴシゴシ擦られて迷惑そうに口を閉じる。少女はオーガスタスの汚れを一通り拭った後、「風呂に入れなきゃダメだな、こりゃ」と頑固すぎる汚れに匙を投げた。


「綺麗な髪してんのに、これじゃもったい……んっ?」


 少女はそのときになって初めて、タオルについた赤い染みに気づいた。

 暗がりで気付きにくくなっていたようだが、オーガスタスの髪には、警吏を斬ったときの返り血がベッタリついていたのだ。染みを見た少女は、慌てた様子で尋ねてくる。


「えっ血じゃん! キミどっか怪我してる!?」

「してない」

「してないって、でもそれじゃコレなんの——」

「おいメアリっ!」


 少女の兄が、妹の肩を引いた。青年は気づいたようだ。

 タオルに付いた血が、誰かの返り血であることに。

 青年のオーガスタスを見る目には、嫌悪と恐怖の感情があった。そのどちらも、オーガスタスにとっては馴染み深いものだ。この街に来てから、ずっと向けられてきたものだから。

 もはやそういう目で見られる方が、オーガスタスは安心できた。相手の態度がハッキリしている分、自分が取るべき行動も分かり易いからだ。


「…………」


 オーガスタスは警戒しながら、じりじり後退する。

 十分な距離を確保してから、反転して駆け出した。


「あ、ちょっと! 中で温まってったら!? 雪も降ってるしさ!!」

「バカっ、関わるなっての!」

「でも悪い子じゃないんだよ!? こんな生活続けてたら、あの子いつか死んじゃう!」

「勝手に野垂れ死ねばいいじゃねーか!!」


 オーガスタスは背後の兄妹喧嘩を聞き流し、次の瞬間には夜の闇に溶けた。この街に来てから散々盗みを働いた結果、今では黒猫や梟よりも上手く、闇と付き合う術を心得ていた。


(こんな生活を続けてたら、いつか、か……)


 暗い道を走りながら、オーガスタスは先ほどのメアリの言葉を反芻する。

 的外れな懸念だ。自然と言葉が口を吐いた。


「いつかは死ぬよ。誰だって」


 その『いつか』を今日にしないために『こんな生活』を続けているのだ。

 オーガスタスはやっとのことで寝床の橋の下に戻ると、大きな溜息を吐いて、盗品の毛布に包まった。ごわごわした手触りの毛布を被り、硬い水路脇の通路に横になる。地面は骨に染みるほど冷たいが、それも無視できるくらい瞼が重い。手足はそれ以上に重い。


「……疲れた」


 戦闘と逃走で身体はすっかり疲れ切っていた。

 ドモルガンの凍えるような風は、それでなくても体力を奪う。追われる身は、精神の負担も大きい。オーガスタスは硬く冷たい地面の上で、疲れに任せて目を瞑る。寝心地など良いはずもなかったけれど、朝まで死体のように眠った。


   ◇◇◇◇


 オーガスタスの翌朝の目覚めは、過去最悪なものだった。


(うるさっ……)


 翌朝とは言ったが、太陽の位置からしてすでに正午を回っていそうだ。疲労のあまり半日近く眠り続けていたらしい。

 その朝寝坊の代償はとても高くついた。

 オーガスタスは咄嗟に毛布の下に隠れて、橋に近づく足音に耳を澄ませる。


「あの橋の下だって言ってました」

「確かに、寝起きには向いてそうだが……」


 近づく足音に合わせて声が聞こえる。若い青年の声と野太い男の声だ。オーガスタスは毛布を被ったまま、橋の陰に移動してさらに耳を澄ませた。


「妹はこの水路で襲われたって」

「殴られたって男の証言もある。らしい話だ」

「なら、もっと応援を呼んでくるか?」

「ガキ相手に情けない真似ができるか!」

「お前、昨夜の現場を見てないのか?」


 声は3人分あった。その内の1人は、昨夜会ったメアリの兄だ。

 残り2人は、会話内容からして警吏(けいり)のものだった。

 オーガスタスは概ね状況を把握した。メアリの兄が、警吏にオーガスタスの寝床を垂れ込んだのだ。昨日3人殺したのも、尾を引いているようだ。タレコミの情報が正しければ、報奨金くらいは出るのかも知れない。妹も一緒になってオーガスタスを売ったという可能性だってあった。

 そうだったとしても、責める気にはならない。

 

 彼らも貧乏人だ。

 他人の命と金を天秤にかけた結果。

 恨む筋合いはない。


 生きている限り、誰もが奪い、奪われる。それがこの街で学んだ真理だ。

 自分もそうしているのだから、他人にされたからといって文句は言えない。ただ、文句は言わないけれど、抵抗くらいはする。黙って奪われる筋合いも、また、ない。


(仲間を呼ばれたら、面倒が増える……)


 オーガスタスは寝起きの頭で計算する。近くに置いているガラス片を手繰り寄せ、掴みやすいようにガラス片の端に布を巻く。毛布を被ったまま立ち上がった。


「おい、あの毛布!」


 警吏の1人が声を上げ、警戒して短剣を抜いた。しかし、毛布の下の姿を確かめられてないから、斬りかかることを躊躇(ちゅうちょ)している。誰だって別人を殺す危険は(おか)したくない。そうなるだろうと思っていた。

 オーガスタスは相手の躊躇(ためら)いを利用して動いた。

 毛布を被ったまま駆け出すと、警吏の1人に毛布を覆い被せる。


「くそっ、前が何も——」

「野郎あのガキだ!」


 1人の警吏の視界を塞いでいる間に、オーガスタスはもう1人と対峙した。一時的に作った1対1の状況。長引かせたら、すぐに2対1を強いられる。勝負は一瞬であるべきだ。警吏が短剣を振るより早く、その喉笛にガラス片を突き刺す。


「んぐっ、かぁっ」


 警吏は喉に手を当てて膝を着く。

 オーガスタスは倒れる警吏の手から短剣を掠め取った。


「おい、どうしたッ!?」


 毛布を払い除けた警吏は、倒れる仲間の姿に一瞬視線を奪われる。誰だって目の前で仲間が死んでいたら、「なぜ、何があって」と考えてしまうものだ。


 その隙を突いた。


 相手の懐に飛び込み、警吏が気づいたときには、オーガスタスの突き出した短剣が、肋骨の隙間を縫って心臓を一突きにしている。

 オーガスタはするりと短剣を引き抜く。剣先が赤くぬらぬらと光り、鉄っぽい血の臭いが周囲に広がる。警吏は即死だった。警吏の2人があっさり倒されたのを見て、メアリの兄は腰を抜かしている。


「あ、あ、あああっ!」

「はぁ、面倒くさい……」


 オーガスタスは短剣についた血を振り払い、メアリの兄を一瞥(いちべつ)した。払った血がメアリの兄の顔に飛び散り、彼は「ひっ」と喉を鳴らす。うん。すっかり戦意をなくしている。これなら放っておいても問題なさそうだ。


「退いて」


 そう言うと、メアリの兄はほうほうの体で道を譲った。

 怯える彼を残して、短剣片手に寝床を出る。

 水路沿いの通路を歩き、表通りに繋がる階段を上がると、いくつもの視線に出迎えられた、家の窓から、道の陰から、街中の目が、自分に向けられているように感じる。自意識過剰ではなさそうだ。


 どうやら、だいぶ厄介な状況になっている。


 オーガスタスは視線を避けつつ、隠れられる場所を探して街を歩き回った。けれど、行く先々で次々と警吏が現れる。

 住民たちが、オーガスタスの居場所を警吏たちに伝えているようだ。

 警吏たちに追われて、無秩序に逃げ回るしかなかった。

 けれど、疲れた手足は重くて逃げ続けるのも厳しかった。呼吸が乱れて次第に視野も狭まっていく。それなのに、警吏たちは数を増やしながら、本当にそこら中を歩いている。街中の警吏が集まっているんじゃないかと思う。


「おい! 飲み屋の通りだ!」

「ヤツの足さえ止めればいい!」

「誰でもいい、さっさと仕留めろ!」

「子供の体力だ! 長くは持たんぞ!」


 まるで街のすべてが敵になかったのようだ。

 ドモルガンの住民すべてに追われるように、オーガスタスは街を駆けずり回り、気づくと北西部に広がる雑木林へと追い込まれていた。


   ◇◇◇◇


 白樺が疎らに生えた林は、一面の雪景色だった。木々の枝には太い氷柱が垂れ下がり、吸った空気が肺を刺すように冷たい。

 雪道を走るオーガスタスは、木の根につまづいた。ごろんと地面に転がり、小さな身体を丸めて倒れ込む。荒い呼吸を繰り返すが、息苦しくて頭がぼんやりしてくる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 一度転ぶと、手足の重さが容易に立たせてくれない。

 肘をついて身体を起こし、呼吸を整える。一呼吸ごとに肺が冷えていく。オーガスタスは懐にしまった短剣を握りながら、昨夜のメアリの言葉を思い出す。


(あの『いつか』は、今日なのかもしれない……)


 どうしてこうなったんだろうと、ふと考える。自分の望みは、こんなに責められるほど贅沢なものだったろうか。ただ、1日1つのパンと寒さをしのぐ毛布を求めたことが、命を狙われるほどの重罪なんだろうか。


 どう考えても、割に合わない気がする。


 どいつもこいつも正気じゃない。


 自分にパン1つ渡していれば、そもそも何も起こらなかったんだ。この街は、パン1つ渡すことすら渋って、追い回して、パン1つより高い代償を払っている。だったら、最初からパンをくれたらいいのに。そうしてくれたなら、自分だって殺しも盗みもせずに済んだ。


(もう、いいや……)


 考えてみたところで仕方がない。

 現実は、なったようにしかならない。もしもを言っても無意味だ。

 だから、オーガスタスは諦めた。

 この世界に期待することに。優しさも、いたわりも、その手の甘い望みは何もかも、捨ててしまうことにした。同時に、自分自身も、そんな考えを持つべきじゃなかったのだ。

 相手に期待しない代わりに、自分も相手の事情なんて知らない。

 その方がずっと簡単だ。


(お前たちが、僕を見放すのなら……)


(僕も、お前たちを見限るだけだ……)


 そう思い直し、胸の前で短剣を握り締める。

 今まで避けられる殺しは避けてきた。それも、もう辞めだ。追ってくる警吏は、全部殺してしまおう。邪魔するヤツは全部、殺す。世界中が、自分が生きることを邪魔するなら、世界中の全部、殺して奪ってやればいい。


(そうだ。全部殺せば、後腐れなくていいや……)


 オーガスタスは起き上がり、背後の雑木林を見る。

 全部殺すと決めたら、呼吸が少し楽になった。

 終わりのない追いかけっこに比べれば、全員ぶっ殺す方がいい。少なくとも、殺す方には終わりがある。


 この森を死体で埋め尽くすころには、終わっているはずだ。


 何だ。こんなに簡単なことだったのか。今までなんで気づかなかったんだろう。『自分は馬鹿だなぁ』と笑い、そのときふと気が付いた。妙に静かだ。


「…………」


 オーガスタスは視線を動かし、耳を澄ませる。

 けれど、先ほどまで迫っていた警吏の声が聞こえない。雪に覆われた雑木林は、不自然に静まり返っていた。殺そうと決めた途端、追いかけられなくなった。何なんだ。


「お前さんの境遇には同情するよ。だがな」


 突然の声はやや上方からだった。

 オーガスタスが見上げると、木の枝の上にその声の主が立っていた。男だった。頭髪をターバンで覆い、毛皮のコートを羽織った胡散臭(うさんくさ)い男だ。どう見ても警吏ではない。


「お前さんを放っておいたら、俺の寝覚めが悪くなる一方だ」


 ターバンの男は、剣も武器も持っていなかった。

 それなのに、何だか目が離せない。その男を見ていると、不思議と『あの夏の日』の匂いを思い出した。埃っぽい寝室の匂いが、鼻先を掠めたような気がする。つまりは死の気配だ。


 オーガスタスは警戒して短剣を構える。

 けれど次の瞬間、オーガスタスは樹上の男を見失った。

 決して目は離していない。

 単純に『目で追えない速さ』で男が動いたのだ。


 その事実を理解したのは、その『目で追えない速さ』で蹴り飛ばされた後のことだった。凄まじい衝撃を受けて、雪上を派手に転がる。鞠のように弾み、白樺の木にぶつかった。


「痛っ」


 衝撃で背中が痺れる。

 バカみたいな勢いで蹴り飛ばされた。

 背中と脇腹が痛い。


「ほんの挨拶代わりだ。安心しろ。人間その程度じゃ死なない」


 オーガスタスは四つん這いで声の方を睨む。

 けれど、声の方向に人の姿はなかった。


「俺の名前はアラン。とはいえ、覚える必要はない。今回の俺は、名前も知らない新米パパさんの代役でな。それを伝える前に殺したって、お前さんには何のことだかサッパリだろ? お前が昨日、殺した男の1人だよ。覚えてるか? 首に釘なんか刺しやがって」


 アランと名乗った男は、樹木の間を歩いていた。凄まじい速さで動き回っているのに、呼吸に乱れた様子はない。語り口からは余裕が滲み出ている。


「まあそれに何より、コレでも一応、俺は役者だからな。名乗りもせず、瞬殺して敵役に一言も喋らせないなんて、そんな筋書きじゃ盛り上がりに欠けるだろ?」


 樹木の間から射す夕日を背負い、アランは歌劇の役者のように宣言した。


「んじゃ、最期の台詞をどうぞ」


 オーガスタスはそのキザな役者に向かって吐き捨てた。


「お前が死ね」


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