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採用担当官①

 聖櫃歴(せいひつれき)四○二年、サウザンディア王国北部。

 北方最大の街ドモルガンには、凍えるような風が吹いていた。


「やっぱ冬に来るもんじゃないよなぁ、北国……」


 そうぼやきながら、アランは頭に巻いた灰色のターバンを押さえた。

 くすんだ石畳の上を歩きながら、黒っぽい熊皮のコートに首を埋める。寒い。寒さをしのごうと身を縮めながら歩いているが、容赦なく寒い。冷気はコートの隙間からも忍び込んでくる。

 正直に言えば、北国を甘く見ていた。上等なコートもあつらえたし、ちょうどいいやと思って北方に足を伸ばしたのが間違いの始まりだ。

 街は陰気だし、飲み水に当たって腹を壊すし、何より寒い。歯をガチガチ鳴らしながら頭上を見ると、曇天(どんてん)の空から粉雪が降り始めている。おお、最悪だ。


「ああー、さっさと済ませて引き上げるか……」


 アランは無精ひげを撫でて呟き、空を見上げたついでに左右に視線をやる。

 路地の左右に並ぶのは、黒っぽい石造りの建物だ。

 二階建てや三階建ての高い建物が並ぶ通りには、北方の旧モルガン王国地区に特有な陰気な空気が立ち込めていた。その陰気さの原因が、日光を遮る建物のせいか、そこに住む人々の陰気さが反映されたせいかは、余所者(よそもの)のアランには判然としなかった。


「まっ、どっちもなんだろうが……」


 アランは、巡回する警吏(けいり)の横を通り抜けながら思った。街の治安維持を任されている警吏たちは、腰に剣と警笛(けいてき)を提げ、革鎧を着用していた。ただの見回りにしては、しっかり装備を整えている。何か事件でもあったのだろうか。

 そういえば、通りの往来がやけに少ない。そこにも不穏さを感じる。


「なんか、きな臭い街だな……」


 アランは日陰ばかりの路地をいくつか曲がり、また別の警吏と擦れ違い、街の寂びれた一角で足を止めた。

 そこには聖櫃(せいひつ)教会が運営する孤児院があった。

 孤児院の敷地は石の塀で囲まれていたが、その塀には所々穴が空いている。よく見れば、建物も一見立派そうだが、継ぎ接ぎの修繕が目立った。見る限り、資金繰りに困ってそうだ。辺境の孤児院は、どこも似たり寄ったりだが。

 まあ、あれだ。金を持て余している孤児院なんてものがあれば、それはそれで逆に怪しい気もする。悪い商売の1つでもやってそうだ。

 だいたい、寄進や援助で成り立っているのが孤児院だ。あんまり立派な見た目をしていたら、誰も寄進する気にならない。そんなことを思いながら、アランは孤児院の半分壊れた門をくぐり、ドアをノックした。

 しばらく待つとドアが小さく開き、白髪の男性が用心深そうに顔を覗かせた。相手は、聖櫃教の司祭に定められた黒い平服を着ている。司祭風の男性は、疲れた様子で言った。


「当院に何か御用でしょうか?」

「どうも。王室付歌劇団の者です」


 役者然とした笑みを浮かべて、アランはそう名乗った。


   ◇◇◇◇


ドアのところで出迎えた男性は、孤児院を管理している聖櫃教の神父だった。


「はぁ、歌劇の採用担当官、ですか?」

「アランと言います。各地を回り、有望な子供のスカウトをしてまして」

「はぁ、それは何とも」


 というように、最初、神父の応対は疑わしげだった。

 詐欺師や奴隷商を見る顔だ。

 けれど、アランが差し出した勅許状(ちょっきょじょう)に目を通すと、神父の態度は一変した。勅許状に押印された王家の印章を見て、正真正銘の国吏(こくり)だと納得したようだ。理解が早くて助かるが、詐欺に引っかからないか心配にもなる。もう少し疑り深くてもいい気がする。


 とりあえず、神父は快く孤児院の案内を引き受けてくれた。

 こちらとしては大助かりだ。


 アランは宿舎に通され、次々に子供を紹介される。孤児院といっても、そこにいる子供たちは十人十色だ。まだまだ幼い男の子や、物静かな女の子、まとめ役の青年、礼儀正しい子、ぶっきらぼうな子、人見知りする子、背の高い子低い子、巻き毛の子、黒髪の子などなど。

 次から次に引き合わされた。大したラインナップだ。紹介されるこちらも、まるで人買いになった気分がする。半分くらいはその通りだが。


 ただ、残念ながらどの子供も、アランの要望とは違った。


 首を横に振り続けていると、孤児院に併設されている講堂や自習室にも案内される。そこでも一通り子供を紹介されたが、結果は同じだった。

 アランと神父は自習室を後にして、孤児院の渡り廊下を歩く。


「当院で預かっている子供は、あの子たちで最後です」


 神父はそう言い、孤児院の渡り廊下から中庭を指差した。

 そこには3人の少年少女がいた。2人の少年がボールを蹴って遊んでいて、その(かたわ)らに無表情な少女が座り込んでいる。少女の肩や頭には、雪が積もっていた。随分長い時間、その場に座り続けているようだ。

 アランは白い息を吐きながら、その無表情な少女を見る。寒いに決まっているのだが、少女は身じろぎ1つしない。さながら氷像のようだ。あまりに動かないので、生きているように見えなかった。

 アランの隣に立っていた神父が、中庭に下りて少女の方に近づいていく。


「ほら、ここは寒いでしょう。中で温まりなさい」


 神父は少女の頭や肩を優しく払い、彼女の手を引いて建物の中に入った。

 その間に、アランは中庭で遊ぶ2人の少年を観察する。


(あの子は、髪の色がそもそも違う……)

(あっちの子は赤毛だが、瞳の色がダメだな……)

(中々いないもんだな、赤毛の碧眼……)


 子供たちを値踏みしていると、神父が渡り廊下に戻ってきた。戻るなり、神父は耳打ちするように、そっと質問してくる。


「彼らはいかがでしょうか?」

「申し訳ないですが、今回はご縁がありませんでした」

「そうでしたか……」


 アランの返答に、神父は静かに肩を落とした。子供を里親に出せれば、少しは孤児院の運営が楽になると期待していたのだろう。

 資金繰りが苦しいのは、院の窮状(きゅうじょう)を見ればわかった。養い子が多いほど出費はかさむものだ。

 アランは神父の落胆を埋め合わせるように言った。


「少ないですが、寄進させていただきます。お時間ありがとうございました」

「これはその……申し訳ない」

「いえ、こちらこそ」

「職務でしょうから。理解いたします」


 アランは子供を値踏みしたことを謝罪し、神父はそれを受け入れた。悪い大人同士、話が早くて助かる。とはいえ、いい歳した男同士で、傷を舐め合っていても気持ちが悪い。手早く用件だけ済ませて退散しよう。

 神父と孤児院の応接室に移り、寄進の手続きを済ませる。

 応接室は質素で実用的な部屋だった。

 客人をもてなす足の低いテーブルと椅子が一揃い、それからわずかばかりの教典が並ぶ書架があるくらいだ。壁には、鮮やかな毛織の壁掛けが吊るされていたが、それすらも隙間風対策でしかなかった。私腹を肥やす余裕もなさそうだ。

 アランがテーブルの名簿に名前を記載していると、どこか遠くの方から警笛の鳴る音が聞こえてきた。神父は、何やら不安げな面持ちで音のした方を見ている。

 アランは世間話のつもりで言った。


「ここに来る途中も、警吏を2人見かけました」

「えっ? ああ、ええ、最近は巡回が多くて」

「この辺り、何か物騒なことでもありました?」

「あ、まあその……いろいろ、ありますから」


 神父の歯切れの悪い物言いに、アランは記載の手を止める。さり気なく視線を上げ、神父の表情を読み取る。嘘が吐けないタイプらしい。アランはペンを置いて指摘した。


「まるで告解(こっかい)を求める信徒の顔だ」

「あっ、これは、お恥ずかしい限りで。私こそが神父ですのに……」

「いえ、他人の話を聞いてばかりというのも、心労がたまるでしょう。どうですか、この機会に話されてみては。長く留まらない旅人相手の方が、話しやすいこともありますよ」


 気軽に話せる空気を作るため、あえて軽い調子で提案した。

 神父は少し躊躇う様子を見せたが、「他言はしません」と付け加えると、安堵の溜息と共に頷いた。本当のところ、吐き出したくて仕方なかったのだろう。秘密を自分一人で抱え続けられる人間は、案外少ないのだ。


「春先のことです。ここから2、3日ほど離れた村で疫病が流行りました」

「はぁ、なるほど。その村の流民(るみん)が何か悪さでも?」

「有体に言うと。ですが、半分は私どもの責任なのです」

「疫病に責任が? 毒でも撒いたんですか?」

「ま、まさか! 私どもの責任は、彼が盗賊になってしまったことです」

「彼? 流民は1人だけなんですか?」


 神父は目を丸くしている。こちらの察しの良さに驚いたようだ。とはいえ、驚く暇があればさっさと話を進めてほしい。遠くで鳴る警笛が、聞こえなくなる前に。手を軽く振り、神父に話の続きを促す。


「あっ、はい。疫病の被害はまさに壊滅的でした。生き残ったのは10歳の少年が1人だけ。その少年を当院で預かっていたのですが、彼は問題を起こしてここを去りました。それ以降、街で強盗まがいなことを……」

「それで巡回が増えていると? 10歳の子供1人のために?」

「そうです」

「ちょっと、大げさ過ぎませんか?」


 アランがそう言うと、神父は窓から先ほどの中庭を見た。アランも釣られて外を見る。窓の外は先ほどより雪の勢いが増し、中庭で遊んでいた少年たちも引き上げたようだ。

 無人の中庭を見て、神父は言った。


「先ほどあちらにいた少女、覚えていらっしゃいますか?」

「あそこに座っていた女の子なら、ええ」

「彼女の父親は、その生き残った少年に殺されたのです」


 アランは言葉を飲み、沈黙して先を促す。

 神父は唇を噛み、後悔を滲ませて続けた。


「盗みの現場に居合わせて、彼女の父親は勇敢にも少年を止めようとしたのです。大工仕事をやっていた身体の大きな男性でした。ですが、少年は殺して逃げました。店先にあった1本の果物ナイフで」


 アランは納得を示すために頷いた。この街の人々にとっては、決して大げさなことではないのだ。すでに死人が出ているとあっては。「しかし」と、アランはその上で神父に問い直す。


「少年がこの孤児院で起こした『問題』って、一体何だったんです?」

「他の少年と当院の職員を、フォークで刺したのです」

「ああー、話を聞く限り、とんでもない子供なわけですね」


 アランが率直な感想を零すと、神父は表情を曇らせた。


「刺す直前のことです。少年は、他の子供に食事を横取りされていたんです。食事を取ったのは年かさで身体が大きく、少し横柄な男の子でした。証言によると、少年は最初、職員を頼ったようなのですが……」


 神父曰く、職員は食事を横取りした子供を咎めなかったらしい。

 疫病が起きた村の生き残りとして、少年はこの街に来た当初から、周囲の人間に疎まれていたそうだ。『どんな病気を持っているか分からない』と遠巻きにされていたのだと。

 そんな風潮が、少年を軽んじる方向に結びついたらしい。侮り軽んじてよい相手と、子供も大人もそういう目で少年を見た。その結果の惨事だ。


「少年は、自分の食事を取り戻すために、邪魔する2人を刺したのです。誰も助けてくれないと悟り、食事用のフォークで2人の喉笛を……」


 神父はそう零し、沈痛な表情を浮かべる。申し訳ない表情を浮かべれば、罪が軽くなると固く信じているかのように。

 アランは少年の立場を想像して、やり切れない気持ちになった。少年を囲う世界が、彼を凶行へと駆り立ててしまった。

 体格差のある相手に、小さな子供の身体で何ができる。取っ組み合いの『喧嘩』では、体格で勝る相手に敵わない。見世物小屋の拳闘だって、体重で階級を分ける。それほどに、覆しがたいからだ。

 体格差の不利を覆そうと思ったら、それこそ殺す気でやるしかない。少年は『殺す』しかなかったのだ。

 それを知ってか知らずか、神父は罪悪感いっぱいといった顔で言った。


「彼を追い詰めたのは、私どもなのです。もっと彼のことを見ていれば……」

「不幸な話ですね」

「ええ、本当に。少年にとっても、不幸なことになってしまった。犯してしまった罪は、彼が幸せになろうとしたとき、足を掴むものですから……」


 そう言って、神父は警笛の鳴った方角を見る。


 ≪何か1つ、歯車が違っていたなら……≫


 そう思っていることは、神父の痛ましそうな横顔から汲み取れる。

 アランは名簿にサインを済ませて席を立った。神父は寄進の額をこっそり確かめ、零れかけた溜息をぐっと飲み込んだ。

 アランは軽く会釈(えしゃく)してから離席の弁を述べる。


「じゃあ、自分はこれで」

「では、門のところまでお送りしましょう」


 2人が孤児院の門のところまで出ると、雪の勢いはさらに増し、寒さも吐く息が白くけぶるほどになっていた。わずかに差す西日は、夕刻の色に変わっている。これから夜にかけて、寒さはさらに増すだろう。逃げ出した少年にとっても、この寒さは堪えるはずだ。

 神父が門の手前に立って頭を下げた。


「寄進ありがとうございました。それから、先ほどの話はくれぐれも」

「内密に、ですね。ああ、そうだ。最後に1ついいですか?」

「何でしょう?」

「生き残った少年の名前、教えてもらえますか?」

「ああ、オーガスタスと名乗っていました」

「そうですか。どうも」


 そのとき、通りの向こうから警吏の怒号が聞こえて来た。「ガキがいたぞ!」「追え!」という声を聞き、神父は目を閉じて祈りを捧げる。

 アランは、それを白けた気分で眺めた。

 目なんか(つむ)って祈っているから、肝心なところで見逃すのだ。


「失礼」


 そう言うと、アランは返しの挨拶も聞かず、警吏の声がした方へと歩き出した。


アラン:王室付歌劇団の採用担当官、赤毛碧眼の少年を探している。

オーガスタス:本作の主人公。赤毛で碧眼。

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