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苗木学級③

ブキミ:真面目になることにした。

ハヌケ:要領が悪い。

ギロメ:口が悪い。

タレマユ:気苦労が多い。


 食堂でタレマユたちにあれこれ言われた、その夜。

 ブキミはベッドの中で考えた。


 真面目になると決めた。

 そこまではいい。


 問題なのは、どうしたら真面目になれるかだ。今までの態度も、不真面目にやっているつもりはなかった。けれど、タレマユたちは『もっと真面目にしろ』と言ってくる。これ以上、何をどうやったらいいんだ。


「とりあえず、真面目な人を真似するか……」


 模倣は学習の第一歩だとか、アランが旅の途中で言っていた気がする。だからたぶん、悪くないはずだ。アランは結構適当言うので、たぶん、だけど。でもとりあえず、方針は決まった。決まるのはいいことだ。


 次は、誰を真似るかだ。


 ギロメの真似は、なんか疲れそうで嫌だ。いつも怒ってばかりだし。そもそも、ギロメは真面目なんだろうか。授業態度とか、自分と大差ない気がする。騒がないだけ、自分の方がマシじゃないだろうか。ギロメはやめておこう。


 それじゃどうするか。

 タレマユか、ハヌケか。


 どっちがいいんだろ。困った。よし、ハヌケにしておこう。とりあえず、ハヌケでいいや。考えるのに飽きてきた。

 それにそうだ。ラブレスもタレマユも、ハヌケのことは『真面目にやっている』と言っていたはずだ。だったら、ハヌケの真似をするのは悪くなさそうだ。


「……よし」


 ブキミは自分の方針に満足して眠りに落ちた。


   ◇◇◇◇


 翌日からの数日間、ブキミはハヌケを観察して過ごした。

 早朝の持久走から始まり、朝昼晩の食事の席、教室での授業中、掃除の時間、就寝前の歯磨き、果てはお手洗いの時まで、ハヌケにピッタリとついて回る。タレマユやギロメ、他の班の子供たちが怪訝な顔でこっちを見ていたけれど、全部無視した。こっちの視線に気づいたハヌケが、何やらビクビク怯えていたけれど、それも無視した。

 そうやって何日か観察を続けていると、ハヌケが意を決した様子で尋ねてきた。


「えっと……最近、どうしたの?」


 ハヌケはそう言いながら、トイレ掃除の手を止める。

 苗木学級では、各班の教室の掃除はもちろんのこと浴場や手洗い場、食堂などの掃除も、班ごとに持ち回りで担当していた。そのとき、自分とハヌケは1階のトイレ担当だった。タレマユやギロメは2階のトイレを掃除中だ。


「どうって、何が?」


 ブキミは首を傾げ返す。質問の意味がわからなかった。


「その……最近すごく、僕のこと見てない?」


 ハヌケがビクビクしながら言った。ちなみにハヌケの話し方は、いつもこんな感じだ。誰に対しても、どんなときでも、少し怯えている。こちらが「うん」と首肯すると、ハヌケはやっぱりビクビクしながら聞いてきた。


「えっと……何で見てるの? 僕、何かした……?」

「別に。お構いなく」


 即座にそう答える。ハヌケは「えっと」と戸惑っていた。そんなハヌケを見ながら、ここ数日の観察結果とすり合わせてみる。そうすると、1つの事実が浮き彫りになった。


(ハヌケは、無駄が多いんだ……)


 例えば、早朝の持久走だ。ハヌケは腕の振りばかり大きくて、前に進めていない。走り方が悪いから体力のロスも多いし、息も絶え絶えになっている割に、遅い。あれならこっちが背中向きで走った方がまだ速い。


 それから、座学も無駄が多い。簡単な問題に長々と計算式を書いたり、明らかに間違った解法を選んだり、掛けた労力に比べて得られるものが少ない。ついでに計算も間違っていた。指を使って数えた方が効率的だ。


 あとは掃除の手際も悪い。低いところを掃除してから高いところを掃除したりするので、何度も同じ場所を掃除するはめになる。


 真面目と言われるハヌケの行動、その特徴は無駄の多さだ。さっきの質問だってそうだ。聞き方が回りくどい。つまりはこういうことだ。


(真面目っていうのは『膨大な労力をかけて小さな結果を得る』ことだ……)


 ブキミは自分の出した答えに納得した。

 そうだったのか。


「完璧に理解した」

「えっ、何? 何の話?」

「明日から、僕は真面目になれると思う」

「えっ、ま、まじめ? たぶん、間違ってる気が……」


 ハヌケは何だかブツブツ言っていたけれど、いつものことなので無視した。

 そんなことよりも、さっそく明日から始めるとしよう。真面目に生きる戦略『膨大な労力をかけて小さな結果を得る』を。大事なのは、試行と検証だ。


   ◇◇◇◇


 真面目に生きる戦略は、それなりに大変だった。

 無駄に体力を使って走ったり、答えのわかりきった問題を遠回りして解いたり、わざと手際悪く掃除をしたり、とにかく労力ばかり浪費するからだ。非効率だし、面倒だし、いつもよりお腹も減る。特に最後が大問題だ。お腹が空くとイライラする。


(まぁでも、これも静かな食卓のためだ……)


 ブキミは自分にそう言い聞かせて、この辛く厳しい戦略を続けた。

 しばらくは効果も実感できず、『無駄に疲れてるだけじゃないか?』と何度も投げ出しそうになった。けれど、真面目に生きる戦略を始めて数日が過ぎたある日の夕食、ギロメとタレマユがこう言った。


「最近、真面目にやってんな」

「そうだね。前みたいにボーっとしてないし」


 ブキミはそれを聞いてようやく手応えを感じた。やっぱり、真面目とは『膨大な労力をかけて小さな結果を得る』で正解だったのだ。ブキミは食事の手を緩めず、けれど、満足して頷いた。よかった、よかった。


「完璧に理解した」

「ったく、最初からそうしとけっての」

「その調子でこれからも頑張ってこうね」


 タレマユとギロメが喜び、ブキミは心置きなく香草焼きの魚を口に運ぶ。

 真面目に授業を受けた後の食事は、何と美味しいことか。

 タレマユとギロメは『説教が功を奏した』と思って喜び、ブキミは邪魔されずに食事にありつけて喜んでいる。みんな幸せだ。けれど、同席しているハヌケだけはなぜだか居心地悪そうだった。


   ◇◇◇◇


 真面目にしていれば、苗木学級はブキミにとっても過ごしやすい場所だった。

 おとなしくしている限り、誰も過度な干渉はしてこない。

 何せ子供は24人もいるのだ。喧嘩や諍いの種は、何もブキミだけじゃない。手のかかる子供は、他にいくらでもいた。食事の量が不平等だったとか、隣の班がうるさいとか、自分の班の先生が一番可愛いだとか、些細なことでも子供たちは喧嘩を始める。


 ブキミはそういう騒ぎとは無縁だった。


 ブキミは争いを遠巻きに眺めつつ、適度に無駄骨を折ることで、これといって目立たない生徒の1人を演じ続けた。そうやって初めて、学校生活を謳歌することができた。


 授業の合間に暇を見つけては、書庫に潜り込んで料理本を読みふけったり、学び舎の調度品を物色して回ったり、校舎裏にある家畜小屋を覗いたり。どれもそれなりに楽しかったが、何より楽しかったのは最後の家畜小屋だ。

 学び舎はある程度、自給自足ができるように家畜を飼っており、ブキミは鶏や牛をよく一人で眺めに行った。動物を見るのは、昔から好きだった。故郷の荒地でも、羊の群れに交じってよく昼寝をしたものだ。


 そんな風に学校生活を送っていたある日の午後、ブキミと第五班は、担任のラブレスから校庭に行くように指示された。前まではマナーの授業を受けていた時間だ。


「棒切れ持って集合なんて、急になんだろーな」とギロメ。


 タレマユが校庭の様子を見渡しながら囁き返す。


「剣術の授業なんだろうけど、一班から六班まで揃ってるね」


 ブキミも周囲に目をやった。校庭は学び舎の裏手にある芝生敷きの広場で、芝生の上に第一班から第六班までの子供たちが勢揃いしている。赤毛で碧眼の子供たち、総勢24名が一箇所に揃うと、見分けるのが面倒だった。全員が同じように棒切れを握っていて、これから始まることについて、それぞれに憶測を交わしている。

 タレマユとハヌケ、ギロメ3三人も、周囲を見ながらあれこれ話していた。ブキミは意味もなく雲の数を数えることにした。真面目活動の一環、純然たる無駄な骨折りだった。


(非効率の極みだ……)


 独自の真面目を追求していると、ブキミは校舎から近づく人影に気づいた。

 それは異様な(たたず)まいの男だった。

 白いローブを羽織った白髪の男が、ゆっくり歩いてくる。ローブから覗く腕や口元の皺からかなり高齢だと推察できた。けれど、腰はちっとも曲がっておらず、その背筋は周囲の子供の誰よりもしっかり伸びている。まるで一本の刃物、そう思わせるくらい剣呑な雰囲気だ。


 何より異様なのは、目もとを隠す仮面だった。


 白い仮面は、目のところに獣の爪痕のような覗き穴がついていて、覗き穴の向こうにあるのは氷のような眼差しだった。


(変な人だ……)


 ブキミはそう思いつつ、老人が誰かに似ているような気がした。両目を細めて、じっと観察してみる。しばらくして誰に似ているのかわかった。

 隙の無さがアランに似ている。

 ブキミが観察していた間、仮面の老人もこちらの前までやって来て、最小限の目の動きで子供たちを値踏みしていた。値踏みが終わると、仮面の老人は口を開いた。


「これでは家畜の群れだ」


 仮面の老人はそう言ったきり、むっつり黙り込む。子供たちの間に困惑が広がっていた。しばらく変な沈黙があった後、タレマユが手を挙げて老人に質問した。


「それは、どういった意味でしょうか?」

「私が発言を許したか?」


 仮面の老人は、タレマユを見向きもせずに言った。低く偉そうな声は、たちまちタレマユの顔を真っ青に変えて、それ以上の有無を言わせなかった。

 仮面の老人は、淡々と続ける。


「訂正してやる。食えぬという点で、貴様らは家畜にも劣る。世話を受けねば、我が身1つ守れぬほどに無能。それが一人前に飯を食らい、糞尿を垂れるのだから始末に負えない。貴様らのような無能を国中から集めて皆殺しにすれば、この世界も少しはマシな場所になると、そうは思わないかね?」と。


 淀みのない、迷いのない罵倒だった。


(めちゃくちゃ変な人だ……)


 ブキミはそう思いながら、仮面の覗き穴を見つめ返す。覗き穴は、人喰い熊が潜む洞窟のようだった。何も見えない暗がりに、危険な気配だけがある。何だか危なっかしい人だ。面倒を避けるためにも、下手に刺激するのはやめておこうと、そう思った。


「貴様らを人並みの存在にまで教育する」


 仮面の老人はそう言いながら、ローブの下から棒切れを取り出す。老人が棒切れを構えるとその場の空気が冷えたように感じられた。老人は重々しく言った。


「本来は大変な歳月をかけるべき仕事だが、急を要するので1年で叩き直す。付いてこれないものは家畜として死ね。ああそうだ。家畜に呼びつけられる謂れは無いが、万が一にも私を呼ぶ必要があれば、そのときは『師範』と呼ぶことだ」


 罵倒とも自己紹介とも取れる宣言の後、師範による地獄の剣術訓練が始まった。


   ◇◇◇◇


「こんなの続けてたら、身体がもたねーぞ」


 剣術訓練の後、ギロメが自室のベッドの上で呟いた。タレマユが頷き、体力が尽きたハヌケは頷く気力もなくしている。ちなみにブキミは、赤くなった両手を仰向けにしてベッドに倒れていた。ベッドの上のタレマユが、ブキミの方に視線を向けてくる。


「そういえば、ブキミの指導だけやけに厳しくなかった?」

「…………」


 ブキミは黙っていた。疲れて声が出ないから。

 師範にやらされたのは、素振り10回だ。

 百回でも、千回でもなく、たったの10回だ。

 ただし、師範が「よし」と認めたもの以外、1回にカウントされない。「よし」と言われなければ、延々と振り続けなければならないのだ。


 そして、ブキミだけいつまでも「よし」が出なかった。


 師範の剣術訓練では、素振りが終わったものから、部屋に戻ることを許された。一番早かったのは他の班の子で、ブキミたちの班ではギロメ、タレマユ、ハヌケの順番で部屋に戻ってこられた。ブキミは日没まで素振りをやらされ続けた。


 全班含めても、ブキミが一番遅い。


 師範とのマンツーマン指導は、端的に言って地獄だった。空気を読めないことに定評のあるブキミが、空気の悪さを理解できるくらいには酷かった。


「……痛い」


 ブキミは手を握りかけて、痛みに呻く。両手は今、皮が擦れて血が滲んでいた。背と肩の筋肉も熱を持って重い。その惨状にギロメすら心配そうにしている。


「ブキミ、ヤバかったら保健室行け、な?」

「わかった」

「てか、ブキミだけ特別できてねーことなかったけど。素振りの酷さなら他の班のヤツだって大概だし。オマエ、師範を怒らせるようなことしたか? 飯を横から掠め取ったとか」

「心当たり、ない」

「でも問題だね。素振りが終わらないと、他の授業も受けられないし」

「うん」

「とにかく、真面目にやるしかねーか」

「そうだね。真面目にやって師範を見返そう!」

「うん」


 ギロメとタレマユの言葉に、ブキミはそう頷いた。

 そして、翌日も、翌々日も、翌々々日も、ブキミは真面目に頑張った。誰より真面目に。それでもやっぱり、ブキミが部屋に戻れるのは日没後のことだった。

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