会敵
雲が切れて月光が差し込む。
廃墟に足を踏み入れた糸は、中が意外に綺麗なことに驚いた。
「あんまり、生活感がないのね」
「そりゃあそうですよ」
そう言って翔人は靴を履いたまま廊下を歩き、壁を弄り始めた。薄暗がりの中、その光景は中々に気味が悪かった。
「えっと、どうしたの? 頭でも打ったかしら、それとも首を絞めすぎたのかしら」
「自覚があるなら絞めないでくださいよ……っと、よし」
言うや否や、隠し扉が開いて、地下への梯子が現れた。
「さ、お先にどうぞ」
「……これはどうもご丁寧に」
ちょっと面食らった後、つっけんどんに返した糸は、白いワンピースを持て余したように梯子を下りた。翔人も続く。
地下はワンルームに脱衣所、ユニットバスが付いた造りになっていて、部屋の中央に据え付けられた机の上には鋼材や電子部品が散乱している。他の場所にも所狭しと怪しげなものが積み上げられていた。
「軽く食べられるものを作っておくから、シャワーでも浴びておいてください。洗濯機兼乾燥機もあるから服もそれで」
「ねえ」
「なんですか」
「敬語、止めにしない」
翔人はちょっと驚いて、言葉に詰まった。
「いや、確かに年上だし、正しいかもしれないけれど、至れり尽くせりでちょっと心苦しいわ」
「……そんなこと、考えられるんだなって、配慮できるんだなって、ちょっと驚いた」
「あぁん?」
「ほれ、早く行った行った。二人して風邪を引いたら詮無いぞ」
「よし! あとで絶対に首絞めるから! 年功序列ってもんを教えてあげるわ! 部屋でも片づけて待っていなさい!」
糸は手近に転がっていたナイフを「借りていくわね」と拾い上げて脱衣所へ向かった。
多分、覗いたら首を斬られるんだろう。
「水は貴重だから、あんまり使いすぎるなよ」
「はいはーい」
全く、脱衣所には鍵がかかるのにだの何だのと言いながら、翔人は調理ロボを起動し、コンピュータの電源も入れた。
それから暫く押し入れをごそごそと漁って、見つけた戦利品を弄って遊んだ。
食品プリンタで印刷したスパゲティをモニタを見ながら咀嚼している頃、洗濯機兼乾燥機の停止音が鳴り響いた。脱衣所の戸を閉め切ってしまうと音が聞こえにくいので、パソコンで作業をしているときでも聞こえるようにしてある。
パソコンのモニタには、この家の付近に設置された暗所対応のカメラ映像が表示されており、しかして追っ手の影は無い様だった。
「ごちそうさまでした」
早々に最後の一巻きを口に放り込んだ翔人は、皿を食洗器に入れて、リュックを取り出し中身を検めた。
ドンガラガッシャーン!
……何やら脱衣所から物騒な音が聞こえた。
そろそろと近づいて、戸を三度程叩いてみる。
「大丈夫か?」
呼びかけると、ややくぐもった声で返事が返ってきた。
「だいじょうぶ……だから、開けなくていい」
いや人の着替えを覗く趣味はないし、もし嫌われたら折々で殺されそうなので開けないけれども。
まず出てくるのが「開けないでくれ」だと、よほど警戒されているんだなと再認識するわけで。
流石に、もう既に嫌われているとは思いたくないけれども。
「……やっぱり、ちょっと助けてほしいかも」
小さな声で救難要請が発出されたので、工具箱をごそごそやって手頃なマイナスドライバーを探し出し、扉のロックを外から開ける。
……付けてよかった、外からも開けられるタイプの鍵。
「開けるぞ」
「うん」
引き戸を右手であけると、頭からワンピースを被ってタオルの海に埋もれた糸らしき姿が見えた。
タオルの棚が倒れて、中身が辺りに散乱しているようだ。
「で、どうしてこうなった?」
翔人が倒れた棚を元に戻しながら訊く。
「えーっとね、まずワンピースを着ようとするでしょ」
「うん」
「頭からかぶるでしょ」
「うん」
「頭が襟で閊えるでしょ」
「うん?」
「どうにか上手いこといかないかって藻掻くでしょ」
「うん」
「なにかにぶつかるでしょ」
「うん?」
「なにかが倒れてくるでしょ」
「うん」
「生き埋めになるかと思った」
「うん」
つまるところ、どうもワンピースを上手く着られず藻掻いていたところ、タオルの棚にぶつかって、その棚が倒れてきて、下敷きになったらしい。
「あの洗濯機、すぐに乾燥が終わるのは良いけれど、そのぶん服が縮むんじゃないのかしら」
頭からワンピースを被りながら、フゴフゴと糸は宣った。
万歳したままなのでかなり滑稽だ。
「えー、そんなこと言われても」
あれを改造するときには、服が縮まないように配慮していたのだ。
あんまり熱を加えないようにして、超音波で水を弾くようにしたのに。
なんとも複雑な心持ちになった。
ただ、翔人には気付いたことがあった。
「あっ、ファスナーあるじゃん」
翔人が背のファスナーを下げると、服がすとんと落ちて、服から頭と両手とが生えた。右手にはしっかりとナイフが握られている。鞘はついている。
「……ありがと」
「おう」
湿った髪をどかしつつファスナーを戻して、ついでに髪用のドライヤーを受け取った糸は脱衣所を出ていった。
「……下着、見られた」
引き戸を背にして呟いた糸の言葉は、翔人の耳に届かなかった。
さて、一方の翔人は、糸の姿を思い浮かべてどぎまぎしているわけではなかった。
していないったらしていないのだ。
背にまでかかった濡れた髪や、それ上げたときに見えたうなじを意識することなどないのである。……ないったらないのだ。
努めて無心で床に散乱したタオルを掴んでは洗濯機に投げ入れ、掴んでは――を繰り返す。
若干残る温もりに思う所がない訳ではない。
核シェルターを改造して隠れ家にし終えてから、ずっと独りで暮らしてきたので、ちょっぴり機嫌が良い。
ドライヤーの耳に障る動作音も聞こえてきた。
「よし」
タオルを洗濯機に入れ終えた翔人は、殆ど乾いてしまった自分の服も洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びた。
―――――
着替えを済ませて脱衣所を出た翔人が目にしたのは、ちゅるちゅるとスパゲッティを食べる糸だった。
「これすごいわね、固形レーションと全然違うわ」
乾いてぽやぽやになった頭髪は、とても柔らかそうに膨らんで、今にもパスタの皿、ひいては口に入りそうだった。
「はぁ……ちょっと触るぞ」
「?」
髪留め専用のゴムやらバレッタやらなんて素晴らしい物は無いけれど、工作用の輪ゴムならある。
糸の後ろに立ち、両耳の前から後頭部へと髪を集めてポニーテールを作った。以外にも糸は暴れなかった。
「なんか……すっごいぞわっとしたわ」
糸が顎を上げて翔人と視線を交わす。
「あ、でもこれ好いわね、鬱陶しかったから」
「そりゃどうも」
「なによその表情は。褒められて驚いたの?」
否定はしないがそれが全てではない。
別に果てなきまな板にがっかりしたわけでもない。
ただひたすらに――
「ちょっと、妹を思い出してな」
やけに翔人が髪の毛の扱いに慣れているのも、妹がいたためである。
いつからかクソガキに育って、触らせてくれなくなったが。
「へぇ、あんたと違ってさぞかし可愛いんでしょうね」
「そうだな……いや、そうじゃないかもしれない。まあ、もう随分前に遠いところへ行ってしまったんだけれども」
「……それは悪いことを思い出させたわね。ごめんなさい」
「いや、いいんだ、もう昔の話だからな」
しんみりとした気まずい空気を見計らったかのように、着信音が鳴る。
「……? なにかしら」
「ああ、これは敵襲」
「えっ、居場所がバレたってこと?」
モニターには三人組がフォーメーションを組みながら歩いていた。
前二人に後ろ一人で、前後左右を警戒していた。
後ろの一人がよろめく。
「……コケたな」
「コケたわ」
大き目の石を踏んだのか、よろめいた追っ手は前の二人にぶつかる。
「なんというか、練度が低いわね……。や、私の施設の追っ手なんだろうけれど、我ながら悲しくなってくるわ」
「油断させるための罠かもしれない、気を付けよう」
モニタでは三人が頭を突き合せて喧嘩を始めた。
「見ていられないわ、消してちょうだい」
「うーん、真っ直ぐこっちに向かっているみたいなのが問題なんだよね」
「じゃあ、今のうちに逃げちゃう?」
「あれを使ってみよう」
糸がきょとんとしている横で、翔人はキーボードをカタカタと打った。
「あれって何よ」
「まあ見てなって」
モニタでは三人が殴り合いを始めていた。本気で殴り合っている。
そこへフェードインしたのは犬型のロボット。
あっという間に一人が倒れた。
「なにあれ」
「犬型麻酔ロボ」
説明しよう!
犬型麻酔ロボとは、犬型のロボットの背中に麻酔銃を取り付けた名前のまんまのロボットだぞ!
下のロボットに付けられた三軸ジャイロセンサやカメラの情報を基に、銃口の方向を自動制御できる優れものだ!
偏差射撃も出来るし、反動に合わせてロボットの姿勢も変化するぞ!
犬型だから被弾面積も小さめだし、すばしっこいぞ!
ちなみに、麻酔薬の入手先は秘密だぞ!
「うん、解らないわ。もう一回説明して?」
「だから、犬型ロボットの背中に麻酔銃を取り付けたやつ」
「……頭が理解するのを拒んでいる感じがするわ」
「……」
みるみるうちに二人目も倒れた。
「まあ、とにかく、あと一人ってことだけは解るわ」
残りの一人は我先に逃げ始めていた。
猛追する犬型麻酔ロボ……と見せかけて、はたと止まる。
「……? 止まったわよ?」
「あー、電池切れ」
説明しよう!
犬型麻酔ロボは、すばしっこくて制御も良く効くが、そのぶんバッテリーを食うのだ!
「ま、まあ? 一人取り逃がしたものの撃退できたし、成果は上々じゃないかしら?」
「それはいいんだけれど、多分、この隠れ家ってバレているんだよね」
「じゃあ別の場所に逃げるわ、迷惑かけたわね」
糸が焦って席を立とうとしたとき、また着信音が鳴った。
「なに、第二波?」
「これは……父さんかな」
画面には、“父さん”と“おっけー、いつもの場所で”という殴り書きが躍っていた。