40:守護神
物見台の警鐘が、足早に避難を進める村人たちを急かすように鳴り響いている。
多くの村人にとって、それを耳にするのは初めての経験だった。少なくともこの百年、それが使われたことは一度もなかった――人知れずマ族の侵入を許した二年前の凶事でさえ。
「ミゲール! この人をお願い!」
「ワフッ!」
つまずいたお年寄りをミゲールの背に乗せて走らせる。残ったカルアは周りに逃げ遅れている人がいないかすばやく見回す。
(早く、早く――)
ずしん、ずしん、と。
遠くから響く地鳴りが、巨人の足音が、少しずつ近づいている。
(あいつが、来る)
(ポンは……サクラは……どうなったの……?)
「――カルア! こっちだ!」
声のしたほうに振り返ると、
「お、お父様!」
父が小さな子供をおぶっている。同じ教室で学ぶチビっこの一人だ。父の背中にしがみついて泣きじゃくっている。
「この子の母親がずっとさがしていてな、さがしてみたら積み藁の下敷きになって逃げ遅れていた」
「お父様まで避難の手伝いを……?」
「なに、領主は安全な場所に籠もっていろとでも? このような非常事態に役に立てずして肩書などなんの意味がある?」
こういうところに母は惹かれたんだろうな、などとカルアは呑気なことを思ってしまう。
「このあたりはもう他に誰もいない。私たちも――――カルア伏せろっ!!」
言葉の途中で父が怒鳴り、カルアは振り返る。
暴力的なまでの突風が吹きつけ、飛ばされそうになる。
「――――」
かろうじて閉じずに堪えたその目に映ったのは、上空から飛来する大木や巨石の雨。
あいつが、巨人が風で飛ばしたのか。カルアがミゲールの石筍を飛ばしたのとやっていることは同じだが、次元が違う。
村中に降り注ぐ、火魔法の爆撃のような破壊の雨。
「がぁあああっ!」
三人に押し潰そうと迫るそれらに、カルアはありったけの風魔法をぶつける。風の障壁、サクラがスライムの水魔法に対してそうしたように。
「あぁああああああああっ!!」
やがて破壊の雨が止む、と同時に魔法が解ける。
「か、カル――」
ふらりと傾き、そのままカルアは前のめりに崩れ落ちる。
「カルアっ!」
完全にマナ切れだ。今日二度目、けれど今度は脳みそが割れるような頭痛も伴っている。無理しすぎたようだ。
「君、自分で歩けるか!?」
「う、うん……」
抱え起こされ、ぐいっと持ち上げられ、背中におぶわれる。
「……お父様におんぶされるの、初めてかも……」
幼少時にもこんな風にされた記憶はない。
「こんなときになにを! 逃げるぞ!」
家屋は押し潰され、あちこちに小火の煙が立ち上る、変わり果てた村の姿を横目に見て、
(……逃げるって……どこへ……?)
カルアはそう思わずにはいられなかった。
村の南側に面する丘の上から、村人たちは呆然と見つめることしかできなかった。
ずしん、ずしん、と迫る足音。
その主は今、村の北門をひょいと跨いだ。
「……悪魔、か……」
誰かがぽつりと呟く。
薄暗くなった空に浮かぶようなその輪郭は、あまりにも大きすぎた。あまりにも禍々しすぎた。
民家を、納屋を、畑を踏み潰しながら、その歩みは止まらない。まっすぐに、確実に、避難した村人たちのほうへやってくる。
「これが……森の精霊……」
老婆が跪き、手を組み合わせる。
その巨体を見上げ、
――村人たちは思い出した。
始祖の遺言――エフ族に与えられた、大いなる罰という言葉を。
「……ふざけるな、よ……」
一同が振り返る。声を絞り出したのは、ジンだ。カルアに支えられて上体を起こそうとしている。
「何百年も前の顔も知らん祖先の、なにをしでかしたのかもわからんやらかしのツケを、今を生きる私たちに払えと……? そんな理不尽を……甘んじて受け入れて、たまるかクソが……!」
「だけど、ジン……」
「あんな化け物相手に……もはや為す術は……」
村の真ん中あたりで、大樹の巨人がぴたりと足を止めた。
「――……いや」
巨人が、ゆっくりと振り返る。
そのとき――村人たちはまたしても思い出した。
「そうだ……私たちにはまだ……あいつらがいる」
この村に、最強の守り神がいることを。
「さあ……ご先祖様に、目にもの見せてやれ」
巨人の背後に、
「……ニ゛ャーーーーン゛……」
あの神獣そっくりの顔をした、別の巨人が立っていた。




