3:再誕
(マ族って……確か、あっちの大陸の……)
混乱して頭が回らない。
(ていうか、この鼠……)
この男の隷魔? よく見れば赤っぽい首輪をつけている。
(さくら……じゃ、ない?)
「ちょうどよかったぜ。村に入れたのはいいんだけどよ、ここ無駄に広えんだもん。ぶっちゃけ迷子でさあ」
マ族の男が話しかけてきても、僕には返事ができない。ぬうっと僕を見下ろす巨獣の威圧感に、身体が震えるし、歯の根が合わなくなっている。
「迷子……?」
「おう、ここの村長んち? に行きてえんだけど。ちょっくら道案内してくれや、駄賃くれてやってもいいからよ」
「いや、その、僕は……」
「おいおい、まさか断るとか言わねえよな? 困ってる人には親切にって、エフ族のガキだって親に教わるもんだろう? ……って、お前――」
ビュンッ! と緑色の礫が男の眼前を横切り、続いてゴウッ! と炎の壁が間を遮る。
「――汚い手で愛弟子に触れてくれるなよ」
「せっ、先生っ!」
現れたのは、ジン先生だ。
あちっあちっとマ族の男が後ずさり、先生が僕を庇うように立ちはだかる。その肩にぱたぱたとリッキーが下りてくる。
「みんなと狩りに行ってたんじゃ……」
「虫の知らせとでも言うのかな。なんとなく嫌な予感がして、村に残ってたのさ」
「おうおう、えらい別嬪さんのお越しだな。大歓迎だぜ」
男は黒鼠に肘で寄りかかってにたにたしている。
「……馬鹿な、ありえない。なぜマ族がここにいる?」
「へえ、あんたは俺らのこと知ってんだね」
「村の者が何人も昏睡していた。空気中に漂ってる、この妙な粒子……その隷魔の魔法か」
そう、さっきから気になっていた。じっと目を凝らしてみると、空気中にとても小さな、黒っぽい粒子が漂っているのだ。手で掴もうとすると雪のように解けて消えてしまう。
「ご明答。マナのよええやつを眠らせる魔法よ。戦闘じゃほとんど役に立たねえけどな」
マナの弱いやつ。いわゆる加護を持たない人たちのことだろう。
「影魔法とは珍しいな。見たことのない獣だ」
「そりゃそうだろ。こっちの大陸の獣だからな」
このダーパ大陸の外の話は、先生の授業でほんの少し聞いたことがある程度だ。確か、「千年以上前にダーパ大陸の人類と暗黒大陸のマ族の間で戦争があって、マ族はほとんど滅びた」とか、「暗黒大陸は不毛な危険地帯で渡航禁止になっている」とか。
「……先日うちの若いのを襲ったのもその隷魔か? 森狩りで村の中が手薄になったタイミングで押し入ろうという計画だったのか」
「そゆこと」
「まわりくどい真似を。なにが目的だ?」
「いやあ、そのさ。ここにお宝があるって聞いたもんでな」
「戯言を。こんな鄙びた田舎村に、賊を喜ばせるような金目のものなどあってたまるか」
「俺は〝鍵〟としか聞いちゃいねえけどな。上のやつらがケチでさあ、なあブラッディ?」
「ヂュゥウウ」
(鍵?)
というか、この村にお宝が、なんて話は初耳だ。
「……知らんな。そんなものはここにはない」
先生の声が、ほんの少しかたくなったような気がした。男もそれに気づいたみたいだ。
「おっ、あんたはなんか知ってるっぽいな。教えてくれよ、ついでにこっちの女の具合とかも知りてえな」
ひゃははと下卑た笑いに、僕の中で恐怖よりも怒りが大きくなる――のも束の間。
「ジン、キレタ! 激オコプンプン! クェエー!」
(やべえ……)
おそるおそる見上げると、彼女の横顔はまさしく鬼の形相。チビっこたちが隠れんぼ中に先生の秘蔵のウイスキーを割ってしまったときの比ではない。
「……ポンよ、離れてろ」
「は、はい……」
先生の両手のひらからボウッと松明のような炎があがる。リッキーが羽ばたいて肩から離れる。
「賊に加減するほど寛大ではないのでな……いくぞ、リッキー!」
「汚物ハ消毒ダー! クェエー!」
「馬鹿が……やるぞ、ブラッディ!」
「ヂュォオオッ!」」
男が黒鼠の背中に飛び乗るのと同時に、先生の手から炎が放たれる。戦闘開始の合図となる。
「ひっ!」
吹きつける熱風から頭を庇うようにしながら、僕は倒れている母を介抱する。頭から血を流して気を失っている、他にもどこか傷めているかもしれない。早く医者に診せないと――。
「……すげえ……」
という心配を、目の前の光景に見惚れて一瞬忘れてしまう。
「はっ!」
先生が手を振るうと炎の柱が立ち上り、
「アッチー! クェエー!」
飛空するリッキーがそこに羽ばたきの風をぶつけて炎の波を放つ。
火属性の魔法の使い手であるジン先生と、風属性の魔法の使い手であるリッキー。
主が生み出した炎を、隷魔がその風で自在に操る。炎の壁で牽制し、炎の波で突き放し、炎の渦で巻き上げる。
無差別な攻撃に見えて、周囲への延焼の火種を即座に吹き消す制御も同時に行なっている。
(これが、ジン先生の本気……)
一流の魔法使いと隷魔の、本気で戦う姿。
リッキーは先生の挙動にぴたりと合わせて炎を操っている。先生はリッキーの軌道に合わせて自ら足を運んでいる。指示の声もなく、合図や目配せもなく。まさに二人で一つの生き物みたいに。
「ひゃははっ! すげえ使い手じゃねえか、ますます惚れたぜっ!」
荒れ狂う炎を前に、黒鼠と男は距離を詰められずにいる。
(でも、速い)
巨体に似合わない靭やかな動作で縦横無尽に躍っている。弾丸のような勢いで迫るリッキーが捉えきれない。
「ブラッディ、【影尾】!」
黒鼠が身をよじり、影をまとって伸びた尾を鞭のように振り回す。
先生を狙ったそれが、リッキーの張った炎の壁にジュッ! と阻まれる。バリアのようにも使えるのか、さすがは魔法の炎。
「ちっ、さすがは〝欠け耳の赤魔女〟ってか」
先生の動きが一瞬止まる。
「……その名を誰に聞いた?」
「おっと、口が滑ったぜ。殺し合いの最中に雑談かい?」
「そうだな、ケリをつけようか。リッキー!」
「任セロ! クェエー!」
リッキーが甲高い雄叫びをあげながら真上に飛翔する。
炎の壁が途切れ、先生までの無防備な空白が生じる。突っ込もうとした黒鼠を、しかし男がその首元を掴んで引き止める。
「ブラッディ! 下がれ――」
「無駄だよ――【紅蓮・竜巻】」
一瞬だった。
先生がぽうっと真っ赤に輝く球体を放つ。
その真上でリッキーが高速旋回する。
巻き上げられた大気が巨大な竜巻をつくる。
竜巻が炎をまとって真っ赤に染まり、空を貫く火柱となる――。
「……………………」
ぱらぱらと灰が風に舞って降り落ちてくる。あたりの空気はカラカラに乾いていて焦げくさい。
「ほんとは生け捕りにしたかったんだが……自分の隷魔の強さを恨めよ」
赤い竜巻が溶けるように散っていった果てに、燃焼の中心地はぷすぷすと黒く焼け焦げた地面だけが残っている。男と黒鼠の姿もない。
これがこの二人の奥の手……魔法というよりもはや兵器だ。
「ああ、ここってヨギのうちだったか。弁償しないとなあ」
狩人のヨギさん宅の庭が、作業小屋などを含めて黒焦げになっている。ぽりぽりと頬を掻く。
「無事か、ポン?」
「あ、はい。だいじょぶです――」
「――油断、は大敵だぜ?」
地面から頭が出ている。青紫色のにやけ面が。
先生の足元の、真っ黒な地面から――焼け焦げ、いや、影?
「リ――」
先生とリッキーもろとも、
「おせえ」
影から黒い尾が伸びて、薙ぎ払う。
鮮血と緑色の羽がぱっと散る。吹っ飛んだ先生とリッキーが地面に叩きつけられる。
「先生っ!」
「いやー、あぶねえあぶねえ……前情報がなけりゃあ消し炭にされてたな。うえっ、焦げくせっ」
男と獣が、ずるずると這い出てくる。水たまりのようにのっぺりと広がった影の中から。
(影に潜って、炎を躱した……)
そんな魔法があるのか。なんてチートな。
「さすがのベテランも【潜影】は見たことなかったみてえだな。超レアな魔法だぜ」
「き、貴様……」
先生が起き上がろうとする、でも腹を押さえる指の隙間から血がぼたぼたとこぼれている。
「あんた、昔は有名なランク5の冒険者だったんだろ? でもまあ、うちのブラッディも負けてねえ。おたくらのランク判定じゃ6は確実……ん?」
気づいたら身体が動いていた。
僕は男の前に立ちはだかって、手を前に突き出していた。
(魔法、僕も)
(なんでもいい、とにかく)
「おお、お前まだいたのかよ」
集中。とにかく集中。
身体中のマナをてのひらに集めるイメージ。
一度も成功したことはない。けれど、ここでできなければなんのための――
「……魔法、使わねえの?」
どれだけ祈っても願っても、
光は生まれない。
「ぃっ!」
平手で思いきり頬を叩かれ、よろけたところに胸ぐらを掴まれる。
「お前にゃもう用ねえからよ、とっととうちに帰ってママの――……って、お前」
もう片方の手で耳を引っ張られる。痛い、千切れる。離せ。
「ヒュムじゃねえか。なんだよこの耳、尖ってねえじゃん」
そんな文句は神様に言ってほしい、と反論するより先にドガッと地面に投げ出される。
「気が変わった……俺らマ族はヒュムが嫌えでな。ブラッディ、おやつの時間だ」
「……え?」
巨大な獣が、よだれを垂らしながら僕を見下ろしている。まるで恐怖そのものみたいだ。
地面にへたりこんだまま、身体が勝手にあとずさる。
「ポン……逃げろ……」
先生、そう言われても。
先生を置いて逃げられるわけないじゃないですか。
そもそも腰が抜けて無理です立てません。
「クルルル……」
黒鼠の喉が低く唸っている。迫る前歯はナイフのように鋭く、それが数秒後には僕の腹を破くんだろうなと思うと涙が出そうになる。いや普通に出る。
(ここで、死ぬのか)
なんのために転生したのか。
何者にもなれず、魔法も使えず、大好きな人も守れず――。
ジュウッ、と僕の腹が不吉な音をたてる。
「ひぎっ……!?」
――前歯は、まだ届いていないのに。
「がっ、あっ……!」
勝手に苦しみだした僕を、黒鼠はびっくりしたような目で覗き込んでいる。俺まだなんもしてねえぞという――。
腹の奥が焼けるように熱い。内側に潜むナニカが暴れている。
震える手で上着の裾をめくると、痣のある部分が真っ白に発光している。眩しくて目も開けられないほどに。
「ああっ、あぁああっ!」
「おい、ポンっ!?」
激痛がピークに達した瞬間。
光が弾かれたように飛び出して、僕の上でぷかぷかと浮遊する。
(……………………?)
呆然とする僕の前で、神々しいまでの光は急速に収縮し、形を帯びて、
――すとんっと地面に降り立つ。
(……………………?)
グレーブルーの毛並み、柔らかな曲線のシルエット。
すらりとした四肢、心地よさそうにうねる尻尾。
ぴんと尖った耳、僕を見つめる満月のような琥珀色の目。
(…………猫?)
猫がいる。
僕の目の前で、猫がぺろぺろと毛づくろいを始めている。
「…………さくら?」
混乱して思考停止したまま、口が勝手にそう呼びかけていた。
「…………僕だよ、――――だよ」
僕の前世の名を告げると、猫は顔を上げ、
「ニャー」
と目尻を細めて応えた。
「――どうした、ブラッディ?」
完全に頭から飛んでいた。はっとして振り返ると、男と黒鼠がじりじりとあとずさっている。
「クゥウウ……」
猫と鼠、体格差はまったく逆転しているのに。
鼠は追いつめられたように耳を伏せ、身を縮めて弱々しく唸っている。
「くそ、なにビビってやがる? ……ちっ、おいガキっ! そいつはなんだっ!?」
そう怒鳴りながら、男もなぜか怯えたような表情になっている。
「なにって――」
とことこと、猫が寄ってくる。
へたりこんだ僕の腹の上に、ぽふっと顎を乗せる。
その仕草は、ゴロゴロと喉を鳴らすこの姿は、
身体つきも毛色も変わっていても――。
「……僕の、猫だ」
さくらだ。
それ以外のなんだというのか。
「わけわからねえことを……くそ、なんだ、身体が……まさか、そいつ……ヌッコ……いや、そんなわけが……」
男は小刻みに震える身体を必死に押さえようとしている。
「くそっ! ブラッディ! 【纏影だ、やれっ!」
黒鼠がびくっと立ち上がり、その体毛を震わせてぞわぞわと黒いオーラを生み出し、全身に纏う。
「行けっ! 食いちぎれっ!」
「ヂュァアアアッ!」
雄叫びとともに、黒い巨影が宙を舞い、襲いかかってくる。
「さっ――」
脳裏をよぎったのは、十年前の記憶。僕らに突っ込んでくる車。
とっさに猫を――さくらを庇おうとした僕は、見た。
かぱ、とさくらの口が開く。
そこに光の粒子が集まっていき、
ゴルフボールほどの光の球体が生まれる。
(光、魔法?)
「ニャー」
可愛い声と同時に、巨大な光線が放たれる。
直撃を受けた黒い影が、眩しいほどの光にかき消される。
空の彼方へと尾を引いた光線が収まったとき、焦げた首輪の残骸がぼとっと落ちる。
「……………………さくら、さん?」
地面がえぐれている。光線は隷魔とその主を、もろとも消し飛ばしたみたいだった。
「……これは……なんという……」
先生はそれ以上言葉が続かず、僕も返事が出てこない。
「ニャー」
さくらが僕の膝に乗り上げ、顎を引いて頭を突き出してくる。お利口できたときの「撫でろ」の仕草だ。
「……はは、はは……」
僕は笑いながら、彼女の望むままに耳と耳の間をさわさわする。気が遠くなってくらくらするけど、その柔らかな毛並みの感触が、温もりが、夢ではないと教えてくれている。
異世界で再会した愛猫は、
なんかとんでもない生き物に転生したようだ。
本日投稿分の4/4です。
今後はしばらく毎日21時頃投稿予定です。
ブクマ感想などいただけると幸いです。