31:サクライダー
「君についてはいくつか聞いてるんですよ、ポン=シュ氏」
ぎひっと口元の引きつりを噛み殺しながら、ヴォカは僕のほうに一歩踏み出す。
「エフの両親に拾われ育てられたヒュムの少年。〝欠け耳の赤魔女〟の弟子であり、光属性の加護を持つが、今に至るまで一度も魔法は発現していない。大人顔負けの知能と強力な隷魔を持つが、自身の能力は平凡、戦闘や狩りの技能も持たない。もうすぐ十三歳だがまだ皮をかぶっている」
「最後の必要? 誰よ情報提供者?」
村の男衆に口の軽いやつがいるようだ。
「そんな君が、私と戦うと? そういう冗談はあまり好きではないのですが」
もう一歩、ずしんと近づいてくる。ただ立っているだけで気圧される、尻もちをつきそうだ。
全身から冷や汗が噴き出している。本能がガンガン警告している、今すぐ土下座するか尻尾巻いて逃げろと。
「これから最高潮を迎えるこの熱情に水を差そうというなら――ぎひっ、一秒で殺しますが」
「っっっ!」
涙目になるのを必死にこらえて、僕は外套を外して上着(長袖のシャツ)を脱ぐ。
「?」
きょとんとするヴォカをほっといて、裸の上にマントだけもう一度羽織る。
靴も脱いで裸足で地面を踏みしめ――よし、覚悟完了。
「サクラ、【へんしん】だ」
「ウ~」
サクラは不服そうだ。「あんまり好きじゃない」と以前言っていたし。
それでも僕はじっと目を向けて逸らさない。これは譲れない、これ以上この戦闘狂にサクラを付き合わせるのはまっぴらだ。
『サクラ』
『しゃーない』
サクラはひょいっと僕のお腹にしがみつき、両手を腰に回す。さながらベルトのように。
「君、なにを――」
「【へん――」
僕は両手を揃え、頭上で半円を描き、ビシッと切り返す。
「――しん】!」
そして、僕とサクラは光に包まれた。
***
「な……なにが……!?」
光にあてられた周囲の霧がしゅうしゅうと湯気のようになっていく。
「……君、その姿は……!?」
白い湯気が晴れていき、ようやく新たな僕のお出ましだ。
「ふっ……なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け」
僕の頭はにゃんこヘッド。おヒゲはピンピン、お目々はランラン。
僕のお手々は肉球お手々。手首を曲げたら招き猫。
お尻にはキュートな尻尾、ふさふさ胸毛の前かけエプロン。
「人呼んで、サクライダー! ここに参上だニャン!」
ビシッと決めポーズ。ヒーローの変身後のポージングは世界次元共通の礼儀であり流儀だ。
ヴォカはというと、なんか困惑している。
「……それは、早着替えかなにかですか? サクラはどこに?」
「違う。僕とサクラが融合した姿だニャン」
「いやいや、意味わかんないんですけど。そんなの見たことないんですけど」
「誰にでも初めてはあるニャン。現実を受け止めるニャン」
「幻想そのものにそう言われても」
僕だって最初に【へんしん】が発動したとき、大いに戸惑った。自室で二人きりだったからよかったものの、これはおいそれと人には見せられない代物だと確信した。
しかし、先生にも内緒でこっそりと試行するうちに、(僕的には)意外と楽しいことに気づき、これもまた僕らの運命なのだと悟ったのだ。ニャン。
「さっきも言ったニャン。僕があんたの相手をしてやるって」
それを聞くと、ヴォカは何度か小さくうなずき、
「まったく……つくづく非常識な存在のようですね。ネコとかいう魔物も、その主も」
再びナイフを構える。ビキビキと血管が軋み、全身に禍々しさが漲っていく。
「すべてがまるで奇跡のような体験だ……だから、せいぜい骨の髄まで楽しませてもらいましょうか。ぎひっ」
一瞬の静寂。
そして互いに地を蹴った。
交錯した瞬間――
「ニャイダーキック!」
「ごっ――!?」
吹き飛んだのはヴォカのほうだった。僕の肉球キックがカウンターで顔面に入った。血を吐きながら後ろへ滑り、踏ん張ってダウンを回避する。
「今……なにが……?」
「さっきより速くなってるニャン。それが【血巡】? の全力ニャン?」
「……いえ、全力はこれからですよ。ぎひっ!」
「どっちみち――」
肉球の足で地面を踏みしめ、
「僕のほうが、速いニャン」
一気に間合いを詰める。
「っ!」
今度は反応してくる。バッチリのタイミングでナイフが迫ってくる。しかもいつの間にか左手にもナイフ、二刀流になっている。
「ニャイダークロー!」
ギギィンッ! と僕の爪が連撃を弾く。
「ちぃっ!」
めまぐるしく衝突しては火花が散る。さっきまではほとんど残像しか見えなかった、しかも二刀流で速度もマシマシになったヴォカの猛攻を、今の僕は自分の身体と思考で対応できている。
サクラの身体能力と魔法を、人間の身体でそのまま使えるネコ超人。それが【へんしん】した僕らサクライダーなのだ。ニャン。
「しゃあっ!」
「ニャァッ!」
互いに裂帛の雄叫び。いっそう眩く火花が瞬き――右手のナイフがヴォカの手を離れ、回転しながら後ろへ飛んでいく。
ヴォカがバックステップで距離をとろうとする。同時に追いかける形で僕は間合いを詰め――
ニヤ、とヴォカが笑う。
ぽう、とてのひらから放たれた透明なシャボン玉。
それが僕の眼前で、バチッ! と風圧を伴って弾ける。あの【爆雫】とかいう魔法だ。
「――――」
この魔法、ぶっちゃけサクラには効果抜群だった。甲高い破裂音と派手な水しぶき、まさに猫騙しというか、鋭敏すぎるサクラは見事に一瞬気をとられてしまった。
【へんしん】した僕も、半分はネコだ。目の前で弾けた衝撃に意識が――
「ぐぅっ!」
もう半分の、人間の僕が意識を持ち直す。
「ニャイダーシッポ!」
ぐるんと回転、尻尾薙ぎ払い。ナイフで受けたヴォカはそのまま押されて吹っ飛び、地面を転がる。
「ぐっ……なるほど……」
追撃しようとした僕に備え、ヴォカは中腰のままナイフを前に構え直す。
「それが君の、いや君たちの本気ということですか。【血巡】全開の私の渾身のナイフ捌きと、ド素人見え見えの君は身体能力だけで張り合ってみせた……ちょっと折れちゃいそうですよ、なけなしの自尊心ってやつが」
「いや……たぶんサクラ一人のほうが強いと思うよ、僕と合体するより」
「は?」
「あ、ニャン」
「語尾はいいですから」
この男の言うとおり、僕は戦闘に関してはド素人だ。この世界ではまだ狩りの真似事くらいしか教わっていないし、前世でも喧嘩一つしたことない。サクラの野性的な身のこなしには遠く及ばないだろう。
「サクラも本気っちゃ本気だったけど、あんたを殺さないように戦ってたからね」
ビチッ、とヴォカの血管が裂け、こめかみから血が噴き出す。
「それは私にとって、最高の侮辱ですよ。ぎひっ、ぎひっ!」
「申し訳ないけど、こっちの勝手だから。できるだけ人間は殺さないって約束だから」
――僕らはすでにマ族を一人殺している。不可抗力だったし、そのことに後悔はない。
人道とか倫理とかの話ではない。人間が相手なら、できる限り殺さずに倒すことを考える。そのほうが面倒が少ないから、サクラにはなるべくそうしてほしいと約束していたのだ。
「サクラは手加減が苦手だから……あのまま続けてたら、完全に殺す気になってたと思う。だから僕が出てきたんだニャン」
本当は僕が一人でやれればいいのだ。
そうしたら、サクラは危ない目に遭わずに済む。責任のすべてを僕が負える。
でも僕は一人ではなにもできなくて、魔法も使えなくて。
だからサクラの力を借りて、僕の身体と意思で戦うのだ。
「もう終わりにするニャン。僕らにはやらなきゃいけないことがあるニャン」
こんなところで油を売っている場合ではないのニャン。
「……ええ、終わりにしましょう」
ぎひっ、とヴォカは笑う。
「その可愛い顔を胴体から切り離して、人間の身体に戻してあげましょう」
互いに身構え、互いに踏み出す瞬間を窺う。チリチリと肌を灼くような静寂。
「――ポンッ!」
突然響いた僕を呼ぶ声。
そちらを振り返る間もなく、
ナイフを受け止めた爪が、再び激しく火花を散らした。




