21:○○よりずっとはやい
本日投稿分2/2です。
「いやはや、おかげで貴重な体験ができた。サンに感謝だな」
あれだけ危険な目に遭ったというのに、ジン先生はジェットコースターに乗ったあとみたいに満足げだ。心なしか肌がツヤツヤしている気がする。
「前にスライム退治をしたのはいつだったかな?」
「先生が出発する直前だったから、半年前ですかね」
今年の春頃、北の小川近くの街道沿いだった。大量のスライムが発生して、サクラにお鉢が回ってきたのだ。ぐじゅぐじゅと大群で襲ってくるスライムにビビり散らかす僕を尻目に、サクラはいつものごとくそいつらを秒で蹴散らしてみせた。
「そうだったな。あのときは普通のスライムしかいなかったし、そもそもこの森であんな変わり種が現れたのは記憶にない。ふむ……いったいなぜ……」
顎に手を当てて考え込む先生。この人が考えてわからないことを僕が考えてもしかたないので、僕はお仕事お疲れ様のなでなでタイム。
「そういえばポンよ、今日はずいぶん気乗りしない様子だったな。前回は楽な仕事だったろうに、なにか嫌な予感でもしていたのか?」
「いや、そんなんじゃなくて……そりゃまあ、サクラをできるだけ危ない目に遭わせたくなかったのが一番ですけど」
「相変わらず過保護な親バカだな。スライムごときいくら群れようと、サクラにとっては便所で跳ねるコオロギも同然だろうに」
この人は知らないのだ。あのあとに起こったことを。
「……先生が村を出たあとのことですけど……何日か経ったら、サクラが埃っぽいにおいになって……」
「?」
神獣サクラの毛並みは、その神秘的な癒やしの【ペロペロ】のせいか、いつでも清潔に保たれている。においもきつくならないので、僕としてもブラッシングや温めたおしぼりで拭うくらいで、無理をしてお風呂に入れることも少なかった。
「でも、スライムの体液浴びたあと、毛づくろいしてもにおいがとれなくて……結局お風呂に入れることにしたんですけど……」
多くの猫たち同様、サクラもまた「お風呂ガチNG勢」だ。しかも前世から桁違いにパワーアップした神獣サクラ、それを風呂に入れるという作業がどれほど困難を伴うことか。思い出しただけで身の毛がよだつし、現に今も「お風呂」というワードを聞いてイカ耳になっている。
「今回もたくさん浴びちゃったんで……先生、サクラのお風呂手伝ってくれます?」
「……その話はあとにしよう……カルア、ミゲール、大丈夫か?」
「は、はい……」
「クゥーン……」
地面にへたりこんでいるお嬢様と犬の主従コンビ。先ほどの体験がよほどショックだったようだ。
「あの……こういうことは、魔物討伐にはよくあるのでしょうか……?」
「いや、さっきの巨大スライムのようなのはめったにないな。討伐レートで言えば5はあっただろう。この平和な森ではそうそう現れない化け物だ」
討伐レートは冒険者ギルドで使われる魔物の脅威度の指標で、「その魔物を倒すのにランクいくつの冒険者が必要か」という感じで設定される。つまりさっき巨大スライムは先生クラスの冒険者が請け負うレベルの案件だったわけだ。
「えっと、サクラは……」
「ん? ああ……この子はちょっと規格外でな。実力的には私やリッキーですら足元にも及ばん」
「そんな……」
信じられないという顔を僕に向けるカルア。
実際サクラとしてはまだまだ余裕な相手だった。みんなの前で「僕らの切り札」を見せる必要もなかったし。
「さて、魔晶の回収はと……雑魚はほとんど小石同然だな、巨大スライムのほうは沼に落ちてるだろうからサンたちにやらせるとして。あとは残党狩りか、私とリッキーで付近を見て回ってくるから、お前らは小屋で休んでいてくれ」
「鼻デモホジッテ待ットケー! クェエー!」
「はい」
「……はい……」
先生とリッキーがこの場から離れていくと、とたんに沈黙がのしかかってくる。
「その子、サクラ……規格外ってどういうこと?」
先に口を開いたのは
「うーんと、僕らもよくわかってないんだけど……」
道すがら、サクラが再誕したときのことをかいつまんで話す。もちろんサクラ(と僕)が異世界からの転生者であることは伏せておく。謎の敵が〝ウィドの鍵〟を狙っていたことも。ちなみにあれ以来、マ族や鍵をめぐるゴタゴタは一度も起こっていない。
「精霊種……そんなの初めて聞いた……」
驚愕の眼差しを向けられる当の本人はせっせと顔を洗っている。
「……乗せて」
「へ?」
「私も、サクラに乗せて」
***
「わっ、意外と柔らかい……」
カルアが【ガオガオ】で大きくなったサクラの背中をわさわさ撫でて、ひょいっと跨る。
「じゃあ、このへん走ってみせて?」
「いや、つっても……」
サクラの尻尾が低い角度でふりふりしている。ご機嫌ナナメのサインだ。
「サクラ、帰ったらとっておきのおやつあげるからね。コカトリスのササミ肉の乾燥ミンチスティックよ、ミゲールも大好物なやつ」
と思いきや、すくっと力強い佇まいを見せる。
「先生はここで待ってろって」
「すぐに戻ってくればいいでしょ、ほんとはもっと速く走れるんだろうし。ミゲール、あなたはここで待ってて。ステイよ、わかった?」
「なんで? 一緒に連れてけばいいじゃん。一人で残してくのも危ないかもだし」
サクラが反応しないので近くにスライムはもういないと思うけど、それでも素直にぺたっと地面に伏せているミゲールが不憫だ。
「いや、むしろ一人は現場に残しとくもんでしょ。この子ならだいじょぶよ、雑魚スライムくらいならなんとかできるでしょ。ねえ、ミゲール?」
「クゥン……」
ピキ、と僕のこめかみの血管が軋む。
「さあ、さっさと行きましょう。先生が戻ってきちゃう」
僕はミゲールの前にサクラのおやつが入った袋を広げてみせる。おやつクッキーがまだいくらか残っている。
「ごめんね、すぐに戻ってくるからね」
そう声をかけても、ミゲールの目はずっとカルアを追っていた。
風のような勢いで地面を蹴ったサクラが、沼周辺の道を外れ、広々とした街道をひた走る。
「わっ、はっやーい!」
僕の腰に手を回すカルアが、耳元で大声で叫ぶ。
今の速度は行きのときより数段上だ。体感的に時速百キロ以上は優に出ている気がする。正解ならチーターの全速力に匹敵するスピードだけど、神獣サクラの駆け足にはまだまだ余裕がある。
「ほんとすごーい! ミゲールよりずっとはやーい!」
ピキピキ。
街道から外れて南の小高い丘に登り、秋の風と陽射しを浴びながらぐるっと迂回する。ここまで五分ちょっとか、早く戻らないと。
「ねえ、鞍がなくても全然怖い感じしないんだけど!」
「僕もよくわかんないけど、マナの作用じゃないかって先生が言ってた」
不思議なことに、サクラがどれだけスピードを出しても、乗っている身にはほとんど負担がない。風の抵抗は最小限で、乗り心地は背中に吸いつくみたいな安定感。
サクラ自身は特になにかをしている意識はないらしいけど、「マナで無意識に騎乗者をサポートしているのでは」というふんわりした先生の推論に僕も納得している。というか考えてもわからないから納得するしかない。
「これだけの身体能力に桁外れの魔法……先生が規格外っていうのもうなずけるわ」
「はあ」
「それに引き替え、うちのミゲールは……ふう……」
だからくらべんなって。ピキピキ。
来た道を軽快な足どりで戻り、あっという間に沼の畔に到着。それなりのペースで十分近く走り続けたサクラは、それでも全然へっちゃらな顔をしている。前世では猫じゃらし五分でぜーはー言うくらい鈍くさかったのに。
「はい、ツアー終了」
なんとなくサクラに乗っているカルアの姿をミゲールに見せたくなくて、小屋から少し離れたところで降りる。
「はあー、すごかったー」
案の定、カルアはテカテカ満足顔でぐーっと伸びをしている。
「じゃあ満足したところで、ミゲールのところに戻――」
「ポン、私ね、冒険者になりたいの。どうしても」
唐突にそんなことを口にするカルア。
「はあ……でも、貴族のお嬢様でしょ?」
「だからこそよ。じゃなきゃ、私は私でいられなくなる。もっともっと魔法の腕を磨いて、使う隷魔も強くなきゃいけないの。だけどミゲールは……見た目に似合わずどうしようもなく臆病者で、戦いに向かない子だから。仔犬の頃からずっとああだったから……」
カルアは一瞬目を伏せ、そしていきなり、かじりつくように僕の肩を掴んでくる。
「だから……ポン、お願い。サクラを、私にちょうだい」
その言葉を理解するのに、たっぷり五秒くらいかかったと思う。
「いやいや、いやいやいや……」
お前はなにを言っているんだ? と僕の中のキックボクサーが呆れ顔。
「もちろん、あんたがサクラを大事にしてるのはわかってる。それ相応の見返りは用意する。金貨なら五千枚……いや一万枚くらい」
「待って待って」
「こう言っちゃなんだけど、あんた魔法使えないでしょ? 私ならサクラの能力をより活かせると思うし、二人で歴史に名を残すような冒険者になれるかもしれない。あんたは冒険者になりたいってわけでもなさそうだし、そういう野心もないでしょ? もったいない、宝の持ち腐れよ」
「自分がなに言ってんのか……わかってんの……?」
脳内でピキピキ大合唱。
ヤバい、久々にキレそうだ。社畜時代にもなかったレベルで。
(ダメだ、落ち着け……相手は子供だ……)
怒鳴りつけたい衝動を抑えるのに必死だ。
大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。僕にはまだ最終奥義が残っている。
最終奥義、アンガーマネージメント。
人の怒りのピークは「怒りが発生した最初の六秒」だとネット記事で読んだ。嘘か本当かは知らないけど、上司に理不尽に罵られたときも同僚に侮辱されたときもこれで乗り切ってきた。六秒数えるだけであらスッキリ、烈火の怒りも鎮まるというものだ。
(一、二、三)
「まあ、急に言われて納得できないわよね。あんたは隷魔に入れ込むタイプだもん。わかった、じゃあこうしましょう」
(四、五、六――)
「代わりに、ミゲールをあげる。あんたなら大事にしてくれるでしょ?」
ふいーっ。
僕は晴れやかな気分で顔を上げた。
「そぉいっ!」
「ぐげぇっ!」
手刀がカルアのみぞおちを突いた。




