19:【ガオガオ】
本日投稿分2/2です。
ミゲールの背中にはツヤツヤした革製の鞍が装備されている。カルアは鐙に足をかけ、定規でも入れているのかというほど背筋を伸ばして手綱を握っている(頭絡のない、首輪に金具で接続しただけの手綱だ)。
「あんたとその隷魔って、どっちか主人かわかんないよね」
カルアがこっそり耳打ちしてくる。確かにサクラは今、僕の頭にべろんともたれかかっている。どっちが乗り物かと言われたら僕だ。
「主人とか隷魔っていうか、家族だし」
「家族? はっ……」
鼻で笑い、肩をすくめるカルア。
「あんたもそっちの口だよね、やっぱ」
「――あのな」
おほん、と後ろから咳払い。先生だ。
「ひそひそと睦まじく内緒話も結構だがな、ここはもう森の中、獣たちの領域だ。隷魔がこれだけついているとはいえ、油断だけはしてくれるなよ」
「はい、ジン先生」
一瞬でお嬢様モードに切り替え、僕より早く返事するカルア。もはや達人芸。
村から森の外へ繋がる街道は、東西南北で四つある。僕らが行くのはビスマル市へと続く南の街道だ。
(村の外に出たのって、いつぶりだっけ?)
前回の魔物討伐が夏の終わり頃だったから、だいたい一カ月ぶりか。
(いい天気だなー)
この世界の一年は、一月三十日の十二カ月と年末の五日を足して三百六十五日で数えられる。今は十月、季節としては秋の真っ只中だ。
森は赤や木や紫に変色した葉が鮮やかに彩り、冬支度で慌てふためく生き物たちの声と気配はいつもより賑やかに感じられる。
歩いているだけで乾いた風と木漏れ日が心地いい。アカツブバナの金木犀に似た蜜の香りが漂い、見上げれば木の実を運ぶネズミやリスの追いかけっこ。仕事なんか忘れてこのまま小一時間散歩したい。
「……先生、馬を借りられなかったのでしょうか……?」
まだ五分ほど歩いただけだけど、カルアの表情はもう飽きている(歩いているのはミゲールなのに)。僕ら徒歩組のペースに合わせるのがダルくなってきたようだ。
「今の季節、畑仕事でも冬備えの買い出しでも馬は入り用だからな。目的地までそれほど遠くはない、ここから四・五時間というところだ。これも足腰の鍛錬と思ってくれ」
「なるほど、承知いたしました。……ぼそぼそ(行って帰ったら日ぃ暮れるじゃねえかクソが)」
「……じゃあ、僕もサクラに乗せてもらおうかな」
さすがに四・五時間と聞くとちょっと萎えたので。
「は……? 乗るって、その子に?」
カルアが嘲るように笑うのを無視して、僕はサクラをだっこする。
「サクラ、【ガオガオ】できる?」
『おやつ』
「御意」
持参してきたお魚クッキーを与える。腕の中でボロボロこぼしながら二枚三枚とたいらげていく。
『げぷっ。おけ』
サクラはしゅたっと地面に下りると、おすわりの姿勢のまま、背中を丸めてぷるぷると力む。決してトイレタイムではない。
「ウゥー、ニャッ!」
短い叫びを合図に、サクラの身体がボゴッ! ボゴッ! と膨れ上がる。
カルアとミゲールが口をあんぐりとする目の前で、
「ニャオーン」
巨大化したサクラが太い声で鳴く。【ガオガオ】でミゲールよりも二回り以上大きくなったサクラ。僕ともう一人くらい乗せてもへっちゃらだ。
「サクラ、お願いね」
「よろしくな、サクラ」
僕と先生がその背中に乗ると、
『せんせー、前より重い』
「先生、太りました?」
サクラの声は僕にしか聞こえないので当然僕だけ殴られる。
「……ポンくん、これ、この子の魔法……?」
「魔法……なんかな? 僕もよくわかんないけど」
カルアが先生のほうを窺うものの、先生もお手上げという風に肩をすくめるだけだ。
「じゃあ、行こっか」
「……うん」
そうして二匹の獣が軽やかに走りだす。
めざすは村の南にある大沼。標的は「群れなす悪食」スライムだ。
***
森の中を走っていると、ときどき景観にそぐわない異質なものが埋まっているのを目にする。
コンクリートに似た材質の建物らしきものの残骸や、錆びついた鉄骨やなにに使われたかもわからない巨大な金属板。木の根に絡まれ、蔦に絡まれ、埋没から相当の年月が経っていることを物語っている。これらは帝国暦以前の〝大国〟、つまり〝星降る黄昏〟で滅亡した旧文明の残滓だ。
「――見えてきたな」
街道から外れて獣道をしばらく進むと、急に視界が開ける。澄んだ水が広がり、色とりどりの水草が浮かび、畔には木こりの作業小屋。ここが目的地の大沼だ。
「ふふ、もう着いてしまったか。せっかくのサクラの乗り心地をもう少し楽しみたかったが」
それを言うなら、僕も先生との密着騎乗をもう少し楽しみたかった。
「まあ、帰りもやってくれますよ。おやつもまだあるし、機嫌さえ損ねなければ」
「そうか、ならよかった。まあ、無事に帰れるなら、だがな」
最後は僕の耳元で意地悪くささやいて、先生はひょいっとサクラの背中から下りる。僕もそれに倣うと、サクラの身体はみるみる萎んでいき、元のサイズに戻る。
「……どうなってんのよ、その子……」
カルアは艶髪がボサボサになっているし、ミゲールも「ハッハッハッ……」と舌を出して喘いでいる。サクラの体力は底なしなので(速度はそれほど出さなかったにせよ)むしろよくついてきてくれたものだ。
「……ぼそっ(情けない)」
僕にも聞こえたその呟きに、ミゲールは叱られたみたいに耳を倒して伏せてしまう。
「さて諸君。よく見てみろ、水辺から虫も鳥もほとんど消えてしまっている」
確かに、あたりは耳が痛くなるほど静かだ。みんな怯えて息をひそめているかのように。
「すでにこの沼地一帯はやつらの領域のようだ。油断するなよ」
「あの、先生」とカルア。「スライムって実物を見るのは初めてなんですけど、どんな生き物なんですか?」
「分類としてはマナ生物だな。以前ポンが自然現象の一種ではと言っていたが、私もその説に同意している。動く水分の塊、と表現すれば直截的かな」
以前戦ったトロールと(大きく分ければ)同類。スライムは水属性のマナ生物だ。
「高度な知性はないが、本能のままに群れをなして生き物を襲い、水分とマナを吸収する。一匹一匹は大した脅威ではないが、舐めてかかれば命の危険すら伴うぞ。肝に銘じておけよ」
そう、やつらは極めて厄介なのだ。
少なくとも僕にとって、もう二度とその姿を拝みたくない程度には。
ごくりとカルアの喉が鳴る。というかそれ以上に隣のデカ犬がビビっている気がする。
「ふ、ふん! そのような下等なものに臆するようでは冒険者になれませんわ! ミゲール、行きますよ!」
「ク、クゥン……」
ギャップ萌えな子犬ボイスを漏らしたミゲールのリードを引っ張るようにして、カルアがどしどしと歩きだす。
「あ、ちょっと――」
ぱしゃっと、
「あっ、もう! 水たまりだらけじゃない!」
カルアが水たまりを踏んづける。
「水はけが悪いわね! 道路整備が疎かになってるんじゃない!?」
「ああ、それがスライムだぞ」
「へ?」
水たまりがイソギンチャクのように腕を伸ばし、彼女の足にまとわりついている。
「え、あ?」
「魔法で払いのけろ!」
先生の助言を実行する間もなく、
「ちょ、ちょ、ミゲ、たs――……」
それは彼女の上半身まで這い登り、腕と胸を拘束し、首に巻きつき、さらに顔へと――。
「サクラっ!」
「ニャッ!」
飛び出したサクラが、光のマナをまとった爪で引っ掻く。泥水がパシャッと弾け、細かな水滴になって地面に落ちる。
カルアはげほげほと咽ながら地面に膝をつき、ミゲールは「ギャンッ! ギャンッ!」とパニクって主人の周りをぐるぐるしながら吠えまくる。
「ふむ、集まってきたか」
先生の言うとおり、気づけば周囲の至るところに水たまりが発生していて、それがポコポコと盛り上がって不安定な形をなしていく。そしてもぞもぞと蠢き、僕らのほうへとにじり寄ってくる。
「さて……当初の予定どおりにいくぞ」
先生はカルアを介抱しつつミゲールをなだめている。
「カルアとミゲールの面倒は私が見よう。こいつらの駆除は、ポンとサクラ、お前らにすべて任せる。ぬかるなよ」
「へ、へえ……」
正直、スライムの相手は本当に気乗りはしない。できればお断りしたいくらいだ。
けれど、
「フーッ、シャーッ!」
サクラは低く身構え、全身の毛を逆立たせ、まんまるに見開いた目を爛々と輝かせて、今にも飛びかかろうとしている。
『やって、いい?』
毛が逆立ち、目がギラギラと輝いている。いつものごとく野性のスイッチが入ったようだ。
(結局こうなるのか)
僕は一瞬かたく目をつぶって、ふうっと息をつく。
「僕の言うことはちゃんと聞いて。無茶しちゃダメだからな」
『おけ』
返事と同時に、サクラは力強く地を蹴った。




