17:歴史
「ポン、今年は帝暦何年だ?」
「七百と九十二年です」
「正解。ではカルア、建国の祖、初代皇帝の名は?」
「はい、シオン・グルミアです」
「正解。我々世代からすれば常識だが、巷の子は意外と学習していないことも多くてな」
「先生何歳だっけー?」
「七十何歳とかじゃないー?」
「大昔じゃーん」
「「「きゃっきゃっ」」」
先生は微笑ましげにうんうんとうなずき、なぜか僕の眉間にチョークを撃ち込む。教育委員会さん事件です。
「さて、留学生もいることだし、少しおさらいをしよう。貧しき流浪の民として、粗雑な馬小屋でその生を受けたというシオン帝。荒廃したこの大陸にて数多の魔物を屠り、滅びを待っていた人々の救いとなった。その過程は伝記から教典、子供向けの童話に至るまで虚実綯い交ぜに語り継がれている。お前たちも寝物語に多少は耳にしていることだろう」
くああ、とサクラが大あくび。
「シオン帝が誕生する以前、つまり八百年より前の歴史については、今の世ではほとんど空白とされている。それを語り継ぐ資料がほとんど残っていないからだ。おおまかに知られているのは、千年以上前には強大な軍事力と先進的な文明を持つ〝大国〟がこの大陸を支配していたこと、その大国が侵略者たるマ族を撃退したこと。それどころか暗黒大陸への遠征を行ない、文明の維持が困難になるほどやつらを壊滅させたこと」
二年前に邂逅した、マ族とその隷魔の姿が脳裏に浮かぶ。
「そして、およそ九百年前、帝国建国の百年前だな。〝大国〟は天変地異をきっかけに滅亡した。〝星降る黄昏〟については先日授業したばかりだから憶えてるな?」
白亜紀、メキシコのユカタン半島に巨大隕石が落ちて、地上生物の大量絶滅を招くことになった。それと似た大災害がこの世界のこの大陸で起こったらしく、巷では〝星降る黄昏〟と呼ばれている。
「大陸の人口はギリギリ絶滅を免れる程度まで激減した。その際に後世への知識や歴史の伝承が途絶えたのだろうと推測されている。そういったわずかな歴史は、生き残った人々の断片的な口伝と数少ない文献や各地の遺跡でのみ継がれたものだ」
隕石がいくつかに割れて大陸の各地に落下した。巻き上げられた大量の土砂が日光を遮り、他にもいろんな要素があったりとかして、やがて大陸全土は不毛の地と化した。それが半世紀以上続き、人も動物も激減し、文明は極めて原始的なレベルまで後退した。
「シオン帝の登場によって百年に及ぶ暗黒の時代は終わりを告げたわけだが、そのへんまで詳しくやってると日が暮れるからな。今日の本題は我らエフ族の歴史だ、そちらに話を戻していこう」
帝国やそれ以前の〝大国〟にも、僕と同じ地球人の転生者が関わっていたのではないかと僕は見ている。
この世界と地球と、あまりにも共通点が多いのだ。たとえば重さや長さの単位はメートル法がそのままの呼称で使われているし、時間の区切りかたも一日二十四時間だし(惑星の自転速度まで近いのも偶然だろうか?)、他にも様々な文化や慣習に僕が生きていた時代と似通ったものが多数垣間見える。
それに文字もそうだ。現在普及している帝国文字はアルファベットを改変したもので、魔法の名前を表記するのに使われる古代文字はどう見ても漢字がモチーフになっている(丸っこく改良されているが)。
過去の転生者がそれらを持ち込んで広めた――とすると合点はいく。二度目の人生は僕とサクラだけの特権、などと考える理由はないのだから。
「さっきまでの話で、一つ疑問が生じることだろう。我らエフ族のような長命種こそ、より精細な歴史の語り部になりえたのではないかと。そうならなかったのはなぜか……今日生きる我らエフ族は、純血たるエフ族ではないからだ」
先生の声音が変わったことで、船を漕ぎかけていたチビっこたちがはっとする。
「今日この森に生きる千数百のエフ族は、たった一人の純血のエフに端を発する。彼は滅亡しかけた世界にたった一人残された純血種だった。終わりにして始まりのエフ……お前たちも一度や二度はその名を耳にしたことがあるだろう、我らの始祖ウィドだ」
先生が僕らのほうに近づいてくる。生徒一人ひとりの顔を見渡しながら。
「森を食い荒らす大魔獣〝泥蜘蛛〟を退治したり、森の主を名乗る氷竜と義兄弟の契りを交わしたり、幻の泉のほとりで伝説の剣を手に入れたり……とうさんくさい武勇伝は枚挙に暇がない、ご存じ始祖ウィド。そのへんの虚実は定かではないが、己のエフの血を絶やさぬため、彼が選んだのは、ヒュムとの交配だった」
「こーはい?」
「こーはいってなに?」
「ポン、説明してやれ」
「えー、あー、赤ちゃんがほしいなーってパパとママが精霊様にお祈りすることだよ」
「「「へー」」」
おお、うまく切り抜けられた気がする。キラーパスを出してニヤリとしていた先生がふんと鼻を鳴らす。この性悪女め。
「つまり我々は、そもそもがエフとヒュムとの混血種なのだ。我々の寿命はおよそヒュムの二倍から三倍と言われるが、純血のウィドは我々のさらに倍以上は生きていたという」
「先生」
カルアだ。ぴんとまっすぐ挙手している。
「すみません、質問してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「それが事実であれば、ウィドという御方こそが失われた歴史の生き証人だったのではないでしょうか?」
「そのとおりだ。ウィドは〝大国〟の時代に生まれ、その滅亡を目の当たりにし、その後の崩壊した世界を生き延びた。やがてこの森へ落ち延び、血を絶やさぬためにヒュムの女と交わることを選んだ。彼は十人の妻を娶り、三十人の子をなした。少産のエフとは思えん旺盛ぶりだが、つまりはその子らが我らの祖先に当たるわけだ」
「……子供になにも伝えなかった、的な?」
僕がぼそっと言うと、先生が小さくうなずく。
「そういうことらしい。彼は自身の目にしてきた歴史を一切語ることなかった。小さな村をつくり、妻と子供たちの生活が安定しはじめた頃、彼はある日突然その四百年に及ぶ生を終えた。彼は自らの死期を悟っていたのではないかと言われている」
「どうしてですか?」
カルアがそう尋ねると、先生は軽く首をすくめてみせる。
「彼の遺した言いつけや掟が、まさに遺言めいていたからさ。エフの者はこの森を出るなとか、他種族との交流は持つなとか……時代とともにそういった風習もだいぶ薄れてきたがな。ちなみにここオネこそ、ウィドがつくった最初の村なのさ」
この村が外の世界へ門戸を開いたのは数十年前のことだ。そうでなければ先生は帝都で冒険者などやっていなかっただろうし、僕も今頃はここで暮らしていなかったかもしれない。
「そしてもう一つ、ウィドはこんな迷信めいた言葉を遺している。『この森は、我らエフ族の罪を孕んでいる。悔い改めよ、森を守れ、森とともに生きよ……さもなくば森の精霊が大いなる罰を与えるだろう』とな」
「罪って……なんですか?」とカルア。
「さあな。なんの罪でなんの罰かとか、具体的な話はなに一つありゃしない。ふんわり曖昧な教訓を遺すのが好きなご先祖様さ、まあ『イタズラしてると精霊が怒りに来るぞー』ってくらいに思っておけばいい」
先生がちらっと僕に視線を送る。
(罪、か)
始祖ウィド曰く、あの〝ウィドの鍵〟は「ウィドの罪を封印している」とか。
子供たちはあまりぴんときていなさそうだけど、少なくとも僕には、ウィドの話はただの迷信や教訓の類とは思えない。
***
「おお、ポン。今日は早いな、勉強お疲れさん」
「ポンちゃん、サクラちゃん、お元気ー?」
「おいおいポン、さっそく女の子連れとは隅に置けねえなあ!」
学校終わりの帰り道、いつものごとく村人から声をかけられる。
「あんたたちさ、村人に愛されてるわよね。ヒュムってほんとに関係ないのね」
カルアは僕らだけになると二オクターブくらい声が低くなる。これが素なのだろう。
「まあね。今日の授業でも言ってたけど、昔だったらカルアの受け入れも以ての外だったんじゃない?」
「こんな辺鄙な村であんなしっかり学校教育してるのも意外よね。ああ、別に田舎だからって馬鹿にしたいわけじゃないから。気に障ったらごめん」
「ああ、いや、うん」
毒舌のあとによくこういうフォローを入れたりする。悪意があるわけではないらしい。
「エフ族って基本的に外に出ないじゃない? あのチビたちだって、成人したら家業を継ぐのがほとんどでしょ」
「まあ、だいたいは狩人か木こりか農夫、あとは家具や工芸品の職人系って感じかな」
「でしょ。なのに、旧世界史とか算術とか、どこまで必要なのかなって」
「ジン先生が言うには、『教育こそが人間の礎、たとえこの村がなくなっても外の世界でしっかり生きていけるように』って」
「はあ、立派なお考えだわね」
エフネルの森全域は帝国のヤーディア領に属している。帝国法には「すべての臣民に等しく教育の機会を」という文言があるものの、、具体的な方法や方針は各領地に委ねられ、現代日本のようなきっちりした義務教育の制度が確立されているわけではない。
カルア嬢の住む領都ならともかく、この規模の集落でしっかり十二歳まで学校教育を施すのはかなり珍しいほうだろう。
「あんたさ、ウィドの話のとき、他の子みたいに驚いてなかったわね」
「まあ、修行のときに世間話みたいな感じでぽつぽつ聞いてたから」
ちなみに先生がしばらくこの村を離れていたのは、帝都や領都で見識を広めたかったからだそうだ。あの鍵やマ族の件、それに未知の神獣サクラについても調べてくれていた。ただ成果はぶっちゃけ芳しくなかったとのこと。
「んで、あんたはどうすんの?」
「へ?」
「あんたの父親って木こりだったっけ。あと継ぐの? ていうかずっとこの村で暮らすの? 先生が魔法の訓練させてるのも、あんたの将来とか考えてのことでしょ」
この村ではだいたい十三歳くらいで働きだすことが多く、帝国法では十五歳で成人と見なされる。僕ももう十二歳だ、そういうことを考えないわけではない。
「……僕は……まだ考えてるところ」
「ふーん……まあ、いろいろ複雑よね。みんなが普通に接してくれるって言ったって、あんただけヒュムなのは事実だし」
僕は、この村の外のことをほとんど知らない。知っていることは、先生に教わった知識でしかない。
この世界で、二度目の人生で。
僕はなにをしたいだろうか。なにになりたいだろうか。
「ニャー?」
頭の上に登ったサクラが、覗き込んでいる。逆さになった猫の目が僕を映している。
「……先のことはわかんないけど、僕にはサクラがいるから」
「……ふん、キモ」
そうしているうちに彼女の家に辿り着く。夕暮れの淡い光の中、門の前に立っている人影が二つ。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「おかえりなさい、お嬢さん」
一人はアラサーくらいの小柄な女性、カルアの世話係だ。
もう一人はまったく対照的な大柄な強面の男、カルアの護衛だ。ランク3の元冒険者だとか。
「ただいま、カーシャ、ボガード。ご苦労様です」
二人に応じるカルアはお嬢様モードに瞬身。ようやるわ、この娘。
ブクマ感想評価など作者のモチベになりますニャー。




