鳳仙花
私、貴島真澄は良くも悪くも普通だ。特に目立った特技や長所があるわけでもなく、目立った短所があるわけでもない。無個性的で平凡なOLだ。
読者の皆様も、朝の通勤ラッシュの中でスーツに身を纏い目の下に薄くクマを浮かべた女性をよく見るだろう、あれを想像してもらって構わない。
まぁ、平凡なのは悪くない。目立つ事もなく、事件に巻き込まれる事もない。平穏な人生が私には良くあっている。
しかし…人生における事件発生確率は収束するものらしい。
横に見知らぬ女性がいる。歳は私より3つか4つくらい若く見える。
「昨日、私そんなに飲んだっけ…?」
呑気につぶやく。普段より暖かなベッドから這い出て、外の空気を吸うためにベランダに出る。
スマホを見ると、時刻は6時23分、わずかに顔を出した太陽が街を照らしている。
普段の喧騒はまだ無く、わずかに数台が光の中を駆けているだけである。
「寒…」
体を一瞬震わせる。そして、わずかに開いた口の隙間から白い息が漏れ出す。
袖口からのぞいた手はほんのりと紅色で、赤子の様な頼りなさと愛らしさがある。
やはり、パジャマ1枚では最近の気温には耐えられない。
足早にリビングへと戻り、昨晩飲みかけのまま冷蔵庫に入れていたココアをレンジにかける。
時刻を再び見ると、6時35分。次第に頭が冴えてくる。
「流石にまずいなぁ…」
ふらふらとベッドまで歩いていく。
そのベッドで眠る女性…いや、女子は色気というより純粋なかわいらしさを讃えている。
「モテるんだろうな…」
私は25年の間、彼氏というものができた事がない。決して興味がないという訳ではないのだが、どうも巡り会いがない。
無意識に布団をめくる。肩までめくってその手を止める。
私の目に入ったのは白基調に黒のラインが横に入った襟。
一瞬で理解した、この少女は女子高生だ。
若く見えて当然だった。思考がフリーズする。
チン
電子レンジが鳴る。少し間が空いた後にキッチンへと歩いていく。
鳴らなければ、あのまま硬直してしまっていただろう。
熱されたココアを一気に喉に流し込む。
頭が完全に冴えた。
「最悪だ…」
いくら酒に酔っていたとは言え、立派な誘拐罪だ。まして、相手は未成年。明日のニュースに貴島真澄の文字が出る事は容易に想像できた。
顎を地面に置いて記憶を遡る。
「昨日の夜は…居酒屋に行って…その後どうしたんだっけ?」
いくら思い出そうとしても出てこない。酒が強い訳でもないのに勢いに任せて飲み過ぎてしまったのだ。
「おはようございます、真澄さん」
「ひっ」
後ろから突然声をかけられて驚いてしまった。
「お、おはよう」
少し声が引きつる。なんなら、顔も引きつっていたかもしれない。
しかし、そんなこと気にならないほど焦っていた。
そんな私の事など意に介さず、彼女は私の正面に座った。
やはり彼女の姿は女である私でも惚けてしまうほどに美しかった。
「昨日は本当にありがとうございました。真澄さんのおかげですごい気持ちが楽になれました。それに、家にまで泊めていただいて」
どうやら彼女は家出をしていて、彼女の悩みを私が解決したらしい。
真剣に私に感謝して話す彼女を前に、実は昨日は酒に酔っていて何を言ったかも、ましてやあなたが何者かも記憶にないです、とは言えなかった。
「そんな大層な事じゃないよ」
適当に相槌を打ってしまった。もう後には引けない。
「いえ、真澄さんは私の人生に現れた救世主です」
記憶には無いが、顔が熱くなるのを感じる。人生の中で人に感謝されたり褒められる事なんてほとんど無かった。
あったとすれば、小学4年生の時に書いた読書感想文が佳作に入った時くらいだ。
「私、家に帰ります。真澄さんの言葉で決心ができました。」
あぁ、帰ってしまうのか。胸が少し締め付けられる。先ほどまで感じていた不安は微塵もなかった。
「そうね、元気でね」
少し大人ぶってみる。
彼女は軽く会釈をして立ち上がりドアの方に歩いていく。
その背中はあどけない顔とは対照的に大人らしさを感じた。
ドアノブに彼女が手を掛ける。
「あ、真澄さん」
その手を止めてこちらに振り向く。
「え…」
彼女は一気に歩み寄って来て頰にキスをした。
「大好きですよ。」
私が戸惑っているうちに彼女はそのまま出て行ってしまった。
「あれが最近の高校生の挨拶…?」
そう考えつつも、笑みが溢れる。
何気なくベッドに歩いていくと、うすい紅色のメモが落ちているのを見つけた。
藍原 華
私はメモを使わない。これはおそらく彼女のものだろう。
まだほとぼりが収まらない。
時刻は7時8分。
約40分の恋物語。