王太子殿下が探していた相手とは
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いつものように木陰でお昼を食べていた時、目の前に影がかかった。
見上げると王太子殿下が私の前に立っている。この場所の隣に立つ棟の二階は、王太子殿下の執務室がある。
以前、昼寝していたシェリルを二階の窓から見つけ、下に降りてきては揶揄した。
「こんなところで寝るな」「なんだ、今日は寝ていないのか」「暇ならコーヒーを淹れろ」などなど。
よく昼寝をしてるシェリルをからかい、見つけては降りてきて余計な一言を言うのだ。
そして城に滞在して二ヵ月が過ぎた。
今日もいつもの場所でお昼を食べる。店で出そうと考えたサンドイッチを食べて休んでいた。
葉からさし伸びる陽射しが少し眩しい。静かで揶揄もなく今日はいい日だ。
そしてここ数日、王太子殿下は王都を離れているらしく、そのためお茶も淹れなくてよかった。
すると、アーチ型の廊下を通り、こちらに歩いてくる人影が見えた。
遠くから見えてきたのは、王太子妃候補者のひとり、エリザベス・キャベット公爵令嬢だった。
長い巻き髪の金髪に、薄い青の瞳を持つ。キツ目な性格なので、以前見た時のオーラは少し強めに出ていた。
些か問題のある令嬢だった。個別の王太子殿下との時間も、彼女だけは毎回大幅に超えてしまい、王太子殿下の仕事に影響が出ていた。
他の候補者たちからの苦情は聞こえていた。彼女は高慢な公爵令嬢で、さらに身分が筆頭令嬢に近かったため、皆は苦情があっても表立って言えなかった。
そのエリザベス公爵令嬢が近づいてきた。
深緑のドレスがふわりと広がり、手入れがよく施されてある髪が陽に輝く。
シェリルよりも若く、自信に満ちて大きな胸を強調する。すると扇子を広げ口元を隠して言った。
「ちょっと、よろしくて」
「はい?」
公爵令嬢が私に用があるとすれば、王太子殿下の面会の調整ぐらいで他にはない。
「あら、あなた。私に挨拶もないのかしら?それとも聞こえていなかったの?侍女のくせに、あなた聞くところによると、お茶の時間に王太子殿下のお部屋で、一緒にお茶を飲んでいるのですって、なんて侍女なの。それ今度から私がしますわ。あなたでは役不足でしょうから」
そういい広げた扇子をゆっくりと扇ぐ。私は彼女のその勢いで思わず挨拶を忘れていた。
(代わってくれるならお願いしたい)
さらに続けていう。
「それに私がお茶をお淹れした方が、王太子殿下のお疲れも癒せるでしょうし。あなたはただの侍女なのだから」
すみません、私は好きでお淹れしているわけではありません。
すると低い声が聞こえた。
「何を騒いでいる」
奥から王太子殿下が現れて、こちらに歩いてきた。
多分、聞こえたのだろう。そうこの上には執務室がある。
しばらく平和だったのに。
(なんだ、もう戻ってきてたのか。残念)
シェリルは木陰からでて、エリザベス公爵令嬢と王太子殿下に挨拶をした。
王太子殿下が、シェリルの方に近づいてきたとき、木の幹の伸びた枝葉から何かがぽたっと落ちてきた。
それはまだ小さな蛇だった。
シェリルは顔には出さなかったが、一瞬ギョッとした。その蛇は見ればとても綺麗な色をしていた。
仕事柄彼女はこの小さい蛇の柄を見れば一目瞭然だ。毒蛇。蛇はちょうどエリザベス公爵令嬢とシェリルの間に落ちた。そして斜め前には王太子殿下がいる。
すると公爵令嬢が蛇を怖がり悲鳴を上げた。
そこまでは仕方がなかったが、さらに公爵令嬢は、恐怖の余り持っていた扇子をその蛇に向かって投げてしまった。
(最悪だ!)
扇子がバンと蛇の頭に当たってしまった。その瞬間だった。
蛇の顔は、運悪く当てた公爵令嬢に向くのではなく、王太子殿下の方へ向いたのだ。
その時、王太子殿下に向かって蛇が飛びついた。
(危ないっ・・)
「シュッツ・・バグッ」
途端にシェリルは自分の腕に痺れと痛みを感じた。日頃の訓練なのか、王太子殿下を庇い噛まれてしまった。
「ぐっ、あぁぁぁぁ」
シェリルは噛まれてしゃがみこんだ。蛇は噛んだことで腕から離れてると、するするといなくなってしまった。
するとシェリルの腕がみるみる腫れ上がり、腕の色が紫色に変わっていく。痛みと痙攣が襲ってきて朦朧としてきた。
そう蛇の毒が身体に入り、回りはじめてきたのだ。そして蹲りその場を動けなくなってしまった。その様子を見てすぐに王太子殿下が、噛まれた左腕を下げた。噛まれたところを心臓の高さよりも低い位置にして、毒の回る速度を抑えた。その箇所に添え木をあて、周囲を動かさないように布でしばり固定する。だが布がすぐに見つからないので王太子殿下は、シェリルのスカートを破りそれで縛った。
「早く、王宮専属医師を呼べ!」
言われた騎士が走り出した。その様子を見ていたエリザベス公爵令嬢は、ただ黙って呆然と立ち尽くすだけだった。
王太子殿下は、あまり動かせないため、シェリルをすぐ近くにある自分の執務室に運びソファに寝かせた。
しばらくすると王宮専属医師たちが執務室に入って来て、血清を打った。
重症になると筋壊死や、血尿などを起こす。朦朧とするシェリルに医師たちはたくさん水を飲ませた。
その夜、女性医師がもう一度来て水を飲ませた。
医師の中には女性がいるので、身体を拭いて着替えさせた。ずっと動かさなかったが、このままソファではあまりにも可哀想と思い王太子殿下に伝えた。
「王太子殿下、このままソファで寝かせますとこの侍女が可哀想です。彼女の部屋に移した方がよろしいかと思いますが」
すると王太子殿下が首を横に振った。
「いや、この執務室の隣には、仮眠室がある。後で俺がそちらに移そう」
「ですが、今後熱が出て来ますし、水も飲ませなければなりません」
しかし王太子殿下は女性医師の提案を再度断った。
「いや、こうなったのも俺のせいだ。こちらでやろう。布と水を用意してくれ」
それを聞いて彼女は黙った。そしてこれ以上言うことを諦めた。
「承知しました。ではご用意いたします。熱がでてきますので、脱水には気を付けてください。
今後は二、三日、眠り続けると思います。しかし熱が下がれば落ち着くはずです」
そう言って再度新しい布と水を用意した。
「何かございましたらご連絡下さい。すぐに参ります」そういうと部屋を下がった。
しばらくすると女性医師が言ったように、シェリルの額から頬に汗が流れた。ジークフリードは眼鏡を外し、濡らした布でシェリルの頬の汗を拭いた。長い前髪は額に汗でついているので、それもやさしく拭いた。
ジークフリードは仮眠室のベッドに移すため、執務室内の奥にあるドアを開けた。ここは執務が多忙の時にだけ使う部屋だった。
その仮眠室の隣にはジークフリードの私室があり、彼はいつもそちらを使用する。
ゆっくりとシェリルを抱き起こし隣の仮眠室に入った。
しかし、なぜがジークフリードは仮眠室を通り越し、自分の私室のドアを開けた。私室の天蓋付きの大きな寝台の端に一度シェリルを寝かせた。広い部屋は王太子殿下の私室だが、必要最低限の調度品があるぐらいでさっぱりしていた。
そうはいってもすべて一級品。しかも部屋の奥には彼専用の浴室が備え付けてある。置いてある寝台の柱には彫刻が施され、薄い紫色の天蓋布が覆う。
再度シェリルの頬の汗を拭いたとき、妙なことに気づいた。
先ほど拭いた頬にあるはずのそばかすが消えていたのだ。
(おかしいな?)
不思議に思い、再度布を濡らしてシェリルの顔を拭いた。すると、あるはずのそばかすが消え、目は瞑っているが綺麗な顔が現れた。
(こいつは!?)
寝台の端に寝かせたので、もう一度抱き上げて、真ん中に移そうとして身体を持ち上げたとき、シェルリの頭がガクンと下がった。すると茶色い髪の三つ編み付きのカツラがポロリと落ち、さらりと銀の髪が垂れた。
(やはりな)
現れたのは隣国の店で出会い、俺に毒づき、さらにはこの間の仮面舞踏会で、俺に足蹴りをくらわせたあの女だった。
「シェリル・イングリット」
もしやと思いながら行動を調べていたが、一向にわからなかった。そう彼女は完璧な変装をして徹していたのだ。
さすがは諜報員。そしてジークフリードはあの時、彼女の右腕につけた自分の印を確認するため、上着を捲った。
随分赤みが引いていたが、それはまさに自分が付けたものだった。
そして、悪戯心が湧き出たのか、再度ジークフリードはシェリルの右腕に印を付け直した。
以前よりも強く。彼は垂れた髪を優しく梳いた。
そして朦朧としている彼女に水を飲ませるため、グラスを口に付け少しずつ流す。だが、シェリルの口からは水が流れてしまう。ジークフリードは自分の口に水を含み、シェリルの顔を少し上げ手で目を覆い隠して、彼女へ口移しで飲ませた。
彼はゴクリと飲んだ彼女の喉が動くのを見て、満足して寝かせた。
そしてテーブルにグラスを戻し、自分が着替えた後、その隣で眠った。
次の日も、同じようにしてシェリルを抱きしめて眠った。
三日目の朝。
シェリルは朦朧として、まだはっきり覚醒はしていなかった。
その時チュッと音がして、頬に何かが触れるのをシェリルは感じた。しかし、まだ身体がとても重だるかった。
段々と目の前にかかるものが無くなってきた。するとこちらを見ている碧い双眼が心配そうに見ていた。
「目が覚めたか?起きあがれるか?毒はだいぶ抜けたと思うが」
しかし、シェリルは今の状況が全くわからなかった。まだ頭はぼっとしていたが、無理に頭を回転させる。
そう、私は咄嗟に王太子殿下の前に出て、殿下を庇い蛇に噛まれた。しかし、それからからの記憶がない。
それにここはどこ?。
ずっとシェリルの様子を眺めていたジークフリードが察したのかベッドの脇に座った。
「ーー王太子殿下、ち、近いのですが」
寝台の端に座りながらこちらを覗く。そして王太子殿下は顔を近づけて、シェリルの額に自分の額を付けた。
「熱はもうないな。熱はないが、まだ完全ではないからここにいろ」
漸く私の頭が回ってきた。
「ーすみません、ここはどこでしょうか?」
「あぁ、俺の部屋だ」
(なぜに?)
そう言われてシェリルは起き上がった。それに見ると寝巻きだ。
「自分の部屋に戻ります」
「だめだ。ここにいろ」
「いえ、契約違反になります。たしかに王太子殿下を庇いました。しかし、それとこれとは別です。
契約違反では給金がもらえません。私は女官長見習いとして王妃様と契約しています」
「では、解約して俺と契約するのはどうだ?」
そう言うとさらに顔を寄せて来た。
(だから近いんだけど)
「お断りいたします。それに契約が残っておりますし、契約が終わっても王太子殿下とは契約はできません」
「なぜだ」
「すでに次の仕事が決まっています」
「そうなのか。残念だが俺は君の雇い主である、イングリット伯爵に君を雇いたいと契約したのだが」
(は?そんなことは聞いていない)
「俺は君を王太子妃として雇いたい、つまり俺と結婚してほしいということだ」
は?いやいや、頭がおかいしいでしょう。この王太子。侍女を王太子妃にするなんてあり得ないでしょうが。
あの五人の中から選ぶのだからと、だから王妃様から依頼されて色も見たのに。
王太子殿下はあの後、蛇にかまれたのか?それとも頭でも打ったのか?
「お言葉ですが、私は侍女です。令嬢でもなんでもありません」
きっぱりといったシェリルに王太子殿下はニヤリと笑った。
「そうだろうか。ではまず起きてこちらに来てみるといい」
まだ怠い身体だが、起きられないわけではないので寝台からゆっくりと起き出た。よく見ると寝巻きを着ているが、身体のベタつきがなく、包帯が真新しいものになっていた。
そしてゆっくりと歩き、言われた所まで辿り着いた。
すると立っていた所に大きな鏡を運ばれてきた。
(げっ、いつのまに)
映っているのに愕然とした。それは化粧で描いたそばかすが綺麗に落とされ、カツラがない。銀の髪はひとつに束ねてあった。
王太子殿下が私の後ろで両肩に手を置き、満足そうに言った。
「どうだろう、これでもわからないか。ならとっておきのものを見せよう」
そういうと、そのまま私の後ろから右腕を掴み寝巻きを捲った。すると赤い痣が鮮明に残っていた。
ニヤッと笑って鏡越しで私を見る。
(あっ、この目はこの間の、あのいけてない男だ、王太子殿下だったのか)
ジークフリード本人だった。そして王太子殿下の色はシェリルにとって正しく黒だ。すべてを見せられたら仕方がない。その後、奥にある浴室を使い、いつものお仕度に着替えた。なぜか新品。
部屋に戻ると王太子殿下はソファに座っていた。
「お腹が空いているだろう。とりあえず朝食を食べよう。すでに用意してある」
そういってテーブルに促された。三日間食べていなかったのでお腹は空いている。テーブルには美味しそうな食事が並んであった。観念した私は共にテーブルに着いた。手を動かそうとしたが、さすがにまだ噛まれた左腕はだるく、ナイフが使えそうになかった。それを知ってか、王太子殿下は皿を取り、自分のナイフで細かく切り食べやすくしてお皿を渡した。
「これなら食べられるだろう」
「ありがとうございます」
切ってくれたので食べ易い。三日ぶりの食事はとても美味しい。
食事の後、飲み物としてコーヒーが置かれた。誰かがサイフォンを使って淹れたのだろう。そして一口飲んだ。
(ゔっ、まずい)
さすがに自分が淹れる時より酸味が出てしまっている。王太子殿下も同じように思ったのだろう。
だがちょっと違った。
「俺が淹れた。さすがに君のようには上手くないだろうが」
それでも満足なのか、自画自賛している。
するとドアを叩く音がした。
部屋に入ってきたのはアルフレッド様だった。私を見ても何も言わない。そして王太子殿下と話し始めた。
(なんだ?、知っているのか)
話を終えるとこちらに向かってにこりと微笑み部屋を出て行った。
(なぜ微笑む?)
その意味がわかったのは、シェリルが完全に身体が戻りしばらく経ってからだった。
それはシェリルが寝ていた間の騒動があった。
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