コーヒーは淹れる側、それとも飲む側
本日2度目です
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滞りなく、無事にお茶会というお見合いが終わり片付けをする。
昨日のドレスといい非常に神経を使う。同じく神経を使うなら諜報員の仕事の方が数倍楽だ。
ドレスの件でアルフレッドに叱責されたことは、シェリルにとっては経験のないことだった。
それは彼女の育った環境のせいかもしれない。
シェリルは幼いころ、母親が亡くなってから父親のルーカスに連れられ、彼の仕事で一緒に近隣諸国に長期滞在をしていた。外国暮らしが長いため滞在中は、その国のアカデミーに通った。
そのアカデミーは身分や年齢もバラバラで試験は誰でも受けられた。
つまり実力主義だった。個々の自由な能力を伸ばす。全てが自由といっても我儘になるのではなく、その分同時に責任を伴う。
さらに独特の気風があった。だからあの様な諍いなど起こったことがなかった。
そして、年頃になっても彼女は社交界にも出ず、ルーカスと同じ仕事を選んだ。そのため結果的にあの様に観察をしてしまった。しかし、女性だから彼女たちの気持ちもわかる。
アルフレッドに指摘されたが、それはシェリルがそのような場面にでくわさなかったのだから仕方のないことだ。
庭園の片付けが終わり、次は、アルフレッドから頼まれた王太子殿下の執務室にお茶を用意する。
王太子殿下は令嬢たちと庭園を見てまわってから執務室に戻った。
今、執務室のロングソファでぐったりとしていた。さっきまでのあの微笑みはない。
疲れ切っていた。そこにアルフレッドが部屋に入ってきた。
シェリルにはあのようにいったが、昨晩の侍女たちのドレスの件は、すでに朝の内に王太子殿下に伝えてあった。
それを踏まえて、王太子殿下はお茶会での彼女たちの振る舞いを値踏みしていた。
王太子妃としての適正を見るために。
また、これだけではわからないが、そのための材料の一つと見做された。
実は彼は女嫌いではなく、自分で相手を見つけたいだけだった。与えられた中から選ぶのではなく。
だがそう簡単には見つからなかった。王太子というものを背負い、稀にみる美貌があるため、それを目当てに近寄る者は後を絶たない。それは当然である。しかし、それだけではこちらも困る。そのため不名誉な代名詞が付けられてしまった。それがこれだ。
女嫌いの王太子殿下。
(誰がつけたか喝采を送ろう)
シェリルは王太子殿下の執務室の前に着くとドアを叩いた。
すると中からアルフレッド様がドアを開けてくれた。
中に入り、運んできたお茶をテーブルに置く。シェリルは王太子には目もくれず、もくもくとテーブルにカップを並べお茶を注いだ。
さっきまでぐったりしていた顔ではなく、いかにも王太子殿下の顔で優雅にお茶を飲む。
(あっ、王妃様に似ている)
そう思った。
すると王太子殿下が私に話しかけた。
「今日のお茶会で顔と名前は把握した。今後はひとりずつ会うのだったな。アルフレッドに俺の日程を聞いて決めてくれ。ただあまり長い時間は困る」
「はい、承知しました」
その時ドアをノックする音がした。アルフレッドがドアを開ける。すると騎士がひとり大きな荷物を二つ持って立っていた。
アルフレッド様が私を呼び、その箱の一つを持つよう声をかけた。
王太子殿下がそれを見て言う。
「ようやくきたか。割れ物だから注意しろ」
そういうとその箱を机に置くように指示をした。そして箱を開ける。
中から出してテーブルに並べた。
それは、コーヒーを抽出するサイフォン式と豆引きと豆、それとコーヒーカップだった。
まだ、この国ではコーヒーは一般的ではなく、あまり知られていなかった。知っていても出す店もなく、また高価な飲み物だった。
(そういえば王太子殿下は大のコーヒー好きだったわ)
この間、隣国に行った時の店で、私は飲まなかったが、あまりにもいい香りで別の店でコーヒー豆と豆引き、そしてサイフォン式を購入していた。そしてお父様に頼み、焙煎士を見つけてもらい教示してもらった。店で出す目玉に使えそうだと思い、こちらに来るまで地下室で実験をしていたのだ。伯爵家の地下室は、半分は書類と本で、あと半分は私が将来必要と思って購入した数々の備品類が並ぶ。
王太子殿下はサイフォン式を購入したまではよかったが、王太子殿下はコーヒーを飲む側で、淹れたことはない。
そのため淹れ方が分からなかった。それはアルフレッドも同様だった。
私はお茶を下げてその場を後にしようとドアへ向かった。
すると王太子殿下に止められた。
「待てお前。見ると、これが何かわかるのか」
私は黙って彼を見た。
「もし、使い方がわかるなら、コレを淹れてくれ」
王太子殿下がいうと、横にいたアルフレッド様も頷いた。
(しかたがない)
「わかりました。お淹れいたします」
私は一度、執務室を出て、ポットに水と濡れた布巾を持ち再度執務室に戻った。
すでに、ソファには王太子殿下とアルフレッド様が腕を組み座っていた。
まずは、サイフォン一式を濡れ布巾で一度洗い拭いた。そしてアルコールに火を付けて、下のフラスコに水を入れる。
上にロート、コーヒー豆を挽いた粉を入れて準備をする。湯がロートについた管を通って上にあがり、ゆっくりと木ベラで粉にお湯が浸透するように撹拌する。火を消してもう一度混ぜ、フラスコにロートについた管を通り、ボコボコと音がしてコーヒーが落ちる。温めておいたコーヒーカップに注いだ。なんともいい匂いである。香りが執務室中に充満した。
置かれたコーヒーをじっと見てから、カップを持ち二人はコーヒーを飲む。
「あぁ、良くできてる」
満足そうに王太子殿下が私に言った。
彼らが飲んでいるので、黙って私は持ってきたティーセットを運び部屋を出た。
アルフレッドはコーヒーを飲むと王太子殿下に怪訝な顔を向けた。
「ジーク様、なぜあの者はこれが使えるのです?」
「やはりな、お前も思ったか。これはサイフォン式といい、コーヒーを淹れる道具の一つだ。
簡単な網で濾す物もあるが、こちらは高価で誰でも手に入れ使えるものではない。
あの侍女は、母上が頼んだと聞いたが、どこからきたのだ?」
「さぁ、わかりません。女官長からは今回の令嬢たちの調整役と伺っています。
たしか期限付きと聞いております」
「期限付き?」
「保証人は誰でしょうか?」
「そうか、では期限が切れる前に、誰かにこれを習わせないとな」
しかし不思議だった。なぜあの侍女はすぐに使えるのか。まだこの国ではコーヒー自体が普及していないというのに。
それに初めて会ったとき、なぜか焦げ臭い匂いがしていた。
考えこむ王太子殿下はシェリルが淹れたコーヒーを飲み干した。
しばらくして、アルフレッド様と調整をして、王太子殿下と令嬢たちが会う時間を作った。
まずは序列順に令嬢たちと会う、日にひとりずつ。
以前のように侍女たちの諍いもなく順調に進んだ。
私の色見も終わり、素行調査は綺麗なものだった。
それもそのはず、王宮のお抱え諜報員がすでに調べ上げているだろう。
前々から令嬢たちを選んでいる時点で問題がないはずだ。
その後、たびたび私はアルフレッド様に呼ばれ、王太子殿下にコーヒーを淹れた。
始めは週に一度ぐらいだった。それは令嬢たちとの調整も兼ねて執務室に伺っていたから。
しかし、気がつけば日にお茶の時間になるとコーヒーを淹れさせられた。
そのため否が応でも、王太子殿下の執務室に行き、日に何度も王太子殿下と顔を合わせなければならない。
(令嬢たちより会うのが多い)
さらにだ、今はソファに座り一緒にコーヒーを飲む。
(なぜに?)
まぁいい。ただで飲めるなら。そう思ってその場をやり過ごす。王太子殿下もコーヒーを飲むだけで別段何か話すわけでもなかった。令嬢たちは、王太子妃になるための課題をやっている時間だった。
あとは数回の夜会が残るだけだった。
それが終われば仕事が終わる。もう少しの辛抱だ。それに忙しくて休みがなかった。
(あぁ、なんだか美味しい物が食べたいな)
今日も城に戻ったのが遅く、部屋に戻ると倒れ込むように寝た。
話は少し前に遡る。
アルフレッドはジークフリードに頼まれ、イングリット伯爵家に手紙を出した。
それは雇った女官長の見習い侍女と伯爵令嬢についてと。
その一週間後に伯爵から返事が届いた。
雇った侍女は王妃様に依頼されてこちらで派遣したこと。
期間限定は次に別のところの仕事が決まっていると書いてあった。
また、イングリット伯爵令嬢は今、屋敷にはいない。外国に三ヵ月仕事で滞在中であると書かれてあった。
それをジーク様に伝えた。すると彼は机に肘をつけ頭を抱えてしまった。
「ジーク様、一体どうしたのです」
「屋敷に直接いかなかったのが原因なのか。嘘をついている訳ではないだろうが、非常に不味いことになった。
彼女が三ヵ月もいなければ、あの中から選べといわれてしまう」
「有耶無耶にできないのでしょうか」
「今回はそうはいかないのだ。今までそうしてきたから。なんとしても彼女に会わなくては」
そういって机の上を叩いた。
「アルフレッド、俺の明日の予定を全てキャンセルしろ、明日、イングリット伯爵家に直接向かう」
「は?、そんな無茶をいわないでください」
「いや、明日、伯爵に会って情報を得る」
「ーわかりました。明日は令嬢のひとりと会う日程がありますが、変更してもらいましょう。
ローザに伝えます」
まったく、今からローザに会わなくては。あの田舎者に会うのは面倒だ。
そう思いながら予定変更を頭の中で考えた。
ジークフリードはアルフレッドを連れ、イングリット伯爵家に向かった。
突然の王太子殿下の訪問に、夫人のアナスタシアはとても驚いた。
城で会ったことはあるにせよ、いきなりの訪問だったため、伯爵は在宅してしておらずに慌てた。
急ぎ家令に言付けて連絡をした。とりあえず伯爵が戻るまで、二人を部屋に通し、ひとり対応する。
しばらくすると馬車が急いで屋敷に入ってきた音が聞こえた。
ドアが開く大きな音がして、ルーカスが仕事を切り上げ、急いで屋敷に戻ってきたのだ。
彼は応接室のドアの前で、一度呼吸を整えてからドアを開けた。
優雅にお茶を飲むジークフリード王太子殿下とアルフレッドを見て一礼をした。
「お待たせをして申し訳ありません。我が屋敷にはどのような御用件でしょう」
「あぁ、伯爵、突然訪ねて来てしまって申し訳ない。実は折り入って尋ねたいことがあってな」
すましてジークフリードはルーカスを見ていった。
夫人が席を外し、ルーカスがソファに座った。
「この間の女官長付き侍女のことでしょうか」
するとドアが開き侍女と夫人が新しいお茶を運んだ。
「あの侍女は王妃様に依頼され、私どもが手配いたしました。何か粗相でもしたのでしょうか」
「いや、彼女が期限付きと聞き素性が知りたい。そして次に俺が彼女を雇いたいのだが、どうだろうか」
「そうですか。残念ながら手紙にも書きましたが、次の契約が決まっておりまして、私どもだけではすぐに返答できません。申し訳ありませんが、後日、ご連絡でもよろしいでしょうか」
「わかった。それと御令嬢はどこの国に行っているのだ?出来れば三ヵ月とは言わず、終わり次第、一度城に登城してもらいたいのだが、どうだろうか」
「では娘に手紙を書きそのように伝えます」
「急がせて悪いな。こちらも事情があってな」
「では急にすまなかった」
そういって、ジークフリードとアルフレッドが部屋をでた。伯爵と夫人が玄関まで見送ると、ジークフリードが何かに気づき、足を止めた。
「ジーク様?」アルフレッドが尋ねる。
(なんだこの匂いは)
ジークフリードはこの匂いがどうしても気になっていた。
すると伯爵夫人が謝った。
「あっ、申し訳ありません。お恥ずかしながら、厨房の者が焦がしてしまったのもですから、いま換気をしているところです」
「そうか」
馬車に乗り屋敷を後にした。
しかしジークフリードは勘づいていた。
(やはりな、あの匂い、あの侍女と同じだ)
王太子殿下が帰ってから、ルーカスは頭を抱えていた。
娘がやらかした。すでに王妃様に目を付けられていたのに、今度は王太子殿下にも目を付けられたのだ。
夫妻はソファに座り同時にため息をついた。
あの親子に目を付けられたらもう逃げられないだろう。
残念だがシェリル諦めろ。
そうとは知らずシェリルはいそいそと侍女の仕事をしていた。