2 伯爵令嬢 シェリル・イングリットとは
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馬車は国境を越え、検問所を通り過ぎて御者は馬車を止めた。
検問所の先には広場があり、そこは一時、馬を休めるための休憩場があった。
彼女たちの馬車も、二頭の馬を休ませた。
馬を休憩させているので、彼女も近くを散策しようと馬車を降りた。
「マリー、少し歩いてくるわ。ずっと乗っているから少し体を動かしたいの」
そういうとスタスタと歩き始めた。
マリーは慌ててシェリルに声を掛けた。
「お嬢様、おひとりで大丈夫ですか。私もお供いたします」
マリーは心配する。すでに陽が沈みかけていた。
そのためひとり歩きは危険だった。
しかしシェリルはそんなマリーに全く心配ないようにいう。
彼女は両手を腰に置いてマリーにいった。
「マリー、大丈夫よ。私を誰だと思っているの」
「でも、・・・なるべくお早めにお戻りくださいね」
「わかったわ」
それでもマリーは心配だった。
いくら検問所の広場近くとはいえ、彼女は伯爵令嬢なのだ。
心配である。
だがその心配もよそにシェリルはどんどん歩いていった。
そのころ美丈夫の男達が乗る馬車が、検問所を通り過ぎた。
広場を通り過ぎ、彼らの乗った馬車は、馬を休ませることなく走った。
すると外を見ていたジークフリードが、対面で座っていたアルフレッドに命令した。
「おい、御者に馬車を止めさせろ」
するとアルフレッドは、自分の後ろにある小さな窓を開け、御者に馬車を止めさせた。
道脇に馬車を寄せ停め、素早くドアを開けた。
「どうされたのですか」
真剣な眼差しで彼がジークフリードに問う。
ジークフリードは直ちに外套を纏い、腰に剣を差して外に出た。
同時にアルフレッドも続いた。
静かに広場の奥の小道を足速に進んでいった。
シェリルは、遅くなるとマリーが心配するだろうと馬車へ戻ろうと歩き始めた。
すると周りの木々の後ろに誰かが隠れている気配を感じた。
彼女は足を止めた。
暗闇の中、じっと周りを見る。
すると、ぬっと木々の後ろから隠れていた黒い影が姿を現した。
それはこの近辺を荒らしまわる盗賊だった。
盗賊の頭の様な男がこちらに向かい、シェリルに話してきた。
「こんなところ、小娘ひとりで歩いては危ないだろう。
悪いことはいわない。金を出せば見逃してやるぞ」
「さあ、黙っていうこと聞け」
数人がニヤニヤしていた。
彼女はじっと黙っている。
その様子を見て盗賊たちは怖がっていると思い更にいう。
「おや、お前、随分綺麗な顔をしているな。これなら高く売れそうだ」
そういい、ジリジリと彼女に近づき周りを囲んだ。
すでに空には月が出ていた。
ジークフリードとアルフレッドが足速に奥に進んでいると、ちょうど盗賊たちがシェリルに近づき始めた時だった。
するとアルフレッドが駆け出そうとした。
その時、ジークフリードが彼の肩を掴んで止めた。
「どうして止めるのです。彼女が危険なのがわからないのですかっ」
そういうアルフレッドにしっと口の前に指を立て、話を止めた。
「しっ、よく見ろ」
そういって二人は、木に隠れ気配を消す。
何かあれば即座に動けるように、アルフレッドは体の向きを変えた。
だがそれは杞憂に終わった。
彼女は向かってくる盗賊たちをひとり素手で投げ倒した。
あっという間に最後のひとりになった。それはさっきシェリルに言った主犯の男だった。
ひとり残ったため、彼は鞘から剣を抜き、彼女に向けた。
月明かりで剣先がキラリと光る。
剣を向けているその男に対し、彼女は倒した中のひとりの腰に差された剣を鞘から引き抜き、ゆっくりとその男に剣を向け対峙する。
キンキンと剣の当たる音が暗闇に響いた。
そしてガンっと音がして、鳴り響いた音が止まった。
盗賊の男が握っていた剣が、手から離れ、暗闇の空に月の明かりで光りながら舞い上がった。
ドスンと剣が地面に刺さった。
ジリジリと自分に近づいてくるシェリルに、男は恐れ逃げだした。
その姿は勇者のようで見惚れる。
月明かりで握っている剣と彼女の髪が輝く。
彼女は剣をその場に投げ捨て、馬車の方に歩き出した。
だが、一度止まって辺りを見回す。じっと暗闇を見るその鋭い視線、静かな時間が流れた。
ジークフリードとアルフレッドは今も自身の気配を消し続けた。
そして彼女はようやく馬車の方へ歩き出した。
彼女の気配がなくなると、二人は息を吐いた。彼女の気配は殺気に満ちていた。
「やはりな、只者ではなかった」
そういうジークフリードにアルフレッドが驚きながら尋ねた。
「彼女は一体何者ですか」
「さあな。今はわからない。でもあの武道は俺の兄弟流派だ。
それにあの剣さばきは実践ものだ」
女性で更にあの細い体、相当訓練してある。下手すればいい勝負だ。
(いいものを見た)
ジークフリードの心がなぜか昂った。
城に戻って調べるか。まさに剣の女神だ。
次に会ったら、絶対に逃がさない。
「アルフレッド、すぐに城に戻るぞ」
足速に馬車に乗り込み、二人を乗せて馬車が城へ向かった。
その頃、マリーはそわそわしていた。
すでに陽が沈み暗いというのにシェリルはまだ戻らない。
その場を行ったり来たりしていた。
すると呑気にふらふらとシェリルは戻ってきた。
「ーーお、お嬢様、心配してました」
半泣き状態の彼女を見て、シェリルは思わずクスッと笑った。
「ごめんなさい。ちょっと運動をしていたの。お腹が空いてしまったわ」
半分笑いながら、半分呆れながらシェリルはマリーに謝った。
「では早く参りましょう」
マリーはそういいシェリルと馬車に乗った。
王都の中でも静かな地区にイングリット伯爵家は建つ。
伯爵家は、他の貴族の屋敷に比べ目立たず、控えめな屋敷だった。
しかし、それは表向きで、屋敷の中には、巨大な地下室があり、隠れ部屋まであった。
馬車が玄関の前で止まった。シェリルが馬車から降りた時、玄関が開いた。
伯爵夫人が出てきた。
「お帰りなさい。シェリル。遅かったじゃないの」
そういって夫人は、シェリルを優しく抱きしめた。
抱きしめたのは、彼女の継母であるアナスタシア・イングリット伯爵夫人だ。
白金の髪に、緑色の瞳を持つ、継母といわなければ歳の離れた姉妹に見えるだろう。
「お継母様、心配かけてごめんなさい。
検問所の広場で少し運動していたの。そうそう、体の具合は大丈夫」
「ええ、私は大丈夫よ。体調もいいわ。さあ、早く中へ入りましょう。
ルーカスもあなたの帰りを首を長くして待っていたの。マリーもご苦労様」
「はい、奥様。では私は荷物を置いて参ります」
「マリーも片付けたら部屋にきて」
そういってシェリルはアナスタシアと食堂へ向かった。
イングリット伯爵家の当主、ルーカス・イングリットは執務室で書類を読んでいた。
白銀の髪に端正な顔立ちをしていた。若い頃は相当言い寄られただろう、壮年になってもその美貌は変わらない。
シェリルはどちらかといえば父親似だ。
彼は昔、諜報機関に属していたが辞めて、貿易の仕事をして富を得ている。
そのため度々、家を空けることが多くシェリルの母が亡くなってからは、娘をひとり屋敷に置いておけず、自分と一緒に近隣諸国に連れて行った。彼女が成長すると、滞在国のアカデミーに通わせた。
もっか彼は、一人娘であるシェリルの今後に頭を悩ませていた。
今、伯爵家の子供はシェリルだけだ。
しかし、最近嬉しいことにイングリット夫人が懐妊した。
もし、生まれてくる赤ん坊が、男の子なら、その子が伯爵家を継ぐことになる。
そうすれば、娘の嫁ぎ先を探さなければならない。彼女は21だ。
すでに行き遅れに近い。だだ、彼女は結婚をしないと公言していた。
近々、自分は店を出すと言い出し、すでに王都に店を出すことが決まっていた。
コンコン
家令がドアを軽く叩いた。
「旦那様、お嬢様がお戻りになりました。すでに奥様とお待ちです」
「あぁ、今行く」
読んでいた書類を引き出しに入れ、メガネを外し机の上に置いた。
部屋に向かうと、二人が談笑している声が聞こえてきた。
久しぶりに屋敷が賑わった。部屋に入ると給仕がグラスに飲み物を注ぎ始めた。
「待たせたな、お帰りシェリル。ご苦労だったね」
微笑む顔は、年よりも若く見える眉目秀麗の父親だ。
(お父様はあいかわらずね)
「お父様、ただいま戻りました」
そういう娘を見て満足そうに頷く。家族揃っての食事は久しぶりだった。
シェリルの後ろにはマリーが立っていた。ルーカスはマリーも労った。
この伯爵家は、家令、侍女など全ての使用人に手厚い待遇がされてる。そのため伯爵家で働きたい者が多い。
ただ、特別なのは、当主自身が使用人を面接して採用を決めていた。
それはこの屋敷の情報が漏れないようにするためだった。空きがなくても希望者の後は絶たない。
食事が終わると応接室に移動し、テーブルを囲み互いにソファに座った。
マリーがお茶を用意しテーブルに置く、シェリルは紅茶を一口飲んでから継母に尋ねた。
「お継母様、頼みとは何ですか?」
継母のアナスタシアは最近まで王宮で王妃様の女官として仕えていた。
彼女は結婚をしても王妃様の女官を務めていたが、懐妊がわかり大事をとって退官した。
だが、長年仕えてきたので王妃はどうしても側に置きたく、今は度々王宮に出向き、王妃の話し相手をしている。
王妃は隣国アーデンスワン王国の出身で、この国に嫁ぐ時、アナスタシアを侍女として一緒に連れてきた。王妃にとって彼女は身内と同じだった。アナスタシアは王妃が嫁ぐ際に、すでに自分は結婚することはないと思っていた。
まして外国にきたのだから。また彼女はこの仕事が好きだったし、許嫁もない、まして結婚に興味がなく、自由気ままな独身生活を好んだ。
だがしかし、人生とはなにがあるかわからない。
三年前、ルーカスと出会い結婚したのだ。
そんな継母が結婚したのだから、ルーカスは娘も結婚する可能性があると思っていた。
アナスタシアの頼みとは、王妃様というより、国王夫妻から直々の相談だった。
「実は、あなたにお願いがあるの」
アナスタシアはカップに注がれたカモミールティーを飲んだ。
いつもは紅茶を楽しむところだが、懐妊がわかったのでカフェインをとることを控えている。
準備したのはマリーである。
さすがはマリー。
「これはお父様からもお願いなの」
今度、王太子殿下のお妃候補たちが、城に登城することになって、その候補者たちの侍女をしてほしいの。
そして、彼女たちが相応しいか見極めてほしいのよ」
そういい再度お茶を口に含んだ。
瞼が下がり、長い睫毛が綺麗な瞳を隠す。そしてカモミールが香る。
話はさらに続く。
それは表向きで、候補者たちの色を見て、王太子殿下に害がないかを調べてほしいとの依頼だった。
シェリルは不思議に思った。色はともかく、なぜ侍女をするのだろう。
それにどうして私が見極めるのだろうか。
「お継母様、色はともかく、なぜ侍女をしなければならないのでしょう。それに見極めなど、結婚する王太子殿下がお決めになるものでしょう」
するとルーカスが渋い顔をしていった。
「王太子殿下は大の女嫌いなのだよ」
(へ?)
では、結婚自体が無理ではないだろうか。まあ、次期国王だからしかたのないことだ。
「いえ、本当なのかわからないわ」
アナスタシアがいった。しかし、国王夫妻にとって、国にとって由々しき問題である。
しかし、今回ばかりは決めてもらわなければならない。なぜなら、近隣諸国はすでに後継者が決まってた。
決まっていないのは我が国だけになって国王夫妻が焦りだした。
先ほどまで滞在していたシャロン王国の王太子も王太子妃が決まり、お披露目をしたばかりだった。
ジークフリード・クラウス・ルナ王太子殿下。
彼は24歳、金髪碧眼、背が高く、秀麗で社交界では麗しの王太子といわれていた。
誰もが彼の横に立ちたいと思うだろう。だが一向にそういう話は聞いたことが無かった。
(そういうわけか。なるほど)
「とりあえず、近いうちに私と一緒に城に出向いて、王妃様に会ってほしいの」
「わかりました。お継母様、とりあえず色を見ればよろしいですね」
「とりあえずはね。王妃様はいろんな意味で自由だから、とりあえずかしら・・・」
そういってアナスタシアは肩をすくめた。
シェリルはその意味が残念ながらわからなかった。
深夜、城に一台の馬車が着いた。
足速に廊下を歩く彼は、急ぎ国王の執務室に向かった。
深夜ながら国王は執務室で彼を待っていた。
ドアを叩き中に入る。
「父上、只今戻りました」
「ご苦労だった、急がせて悪かったな、ジーク。
今日は遅いから後日報告を聞く、とりあえず休みなさい」
俺は部屋を出て私室に戻った。すでにアルフレッドは部屋に戻した。
部屋に入ると流石に疲れて、無造作に上着を脱ぎ、寝台に身を投げた。
目を伏せる、なぜかあの剣の女神の顔を思い出した。
(いずれ見つけ出す)
彼は目を閉じ深い眠りについた。
読ん頂き、一話からブクマ・評価ありがとうございます。
とっても嬉しいです。励みになります。
お楽しみできれば幸いです。
よろしくお願いします。