第1章 「残されし者の務め」
修文6年某月。
我々人類と珪素生命体との存亡を賭けた戦争が終結して、おおよそ3ヶ月。
激戦の末に平定したユーラシア大陸から復員すると、我が大日本帝国は戦時体制が解除され、人々の顔には屈託のない笑顔が戻っていた。
何者にも妨げられない、一般大衆の穏やかな笑顔。
それこそが、我々大日本帝国陸軍女子特務戦隊を核に組織された人類解放戦線が何より取り戻したかった物だ。
しかし本当の意味では、あの珪素戦争は未だ終わってはいない。
解放されたユーラシア大陸は国連と人類解放戦線が共同で復興に当たっているが、あの地域は先の戦争で完全消滅した国も少なくないため、一筋縄ではいかないだろう。
中華王朝や帝政ロマノフ・ロシアを始めとする、人類解放戦線の支援で樹立された立憲君主国家群が中心となって秩序を取り戻そうと試みているが、ユーラシア大陸方面の混乱は今少し続きそうだ。
海の向こうだけではない。
我が皇国においても、先の珪素戦争が及ぼした影響は無視出来ない。
発現させた特殊能力と生体強化ナノマシンで改造された身体を武器とする人類解放戦線の少女兵士達は、確かに珪素生命体から人類を救った。
しかし、それは年端も行かぬ少女達を最前線に送り込み、過酷な戦闘を強いる事に他ならない。
そのうちの少なからずが戦場の土となり、二度と故国に戻れなかった。
我が大日本帝国陸軍女子特務戦隊にしても、その例外ではない。
日本軍女子特務戦隊の軍装である国防色の詰襟軍服を纏った少女士官達の笑顔は、ひいき目なしに見ても朗らかで美しかった。
そのうちの多くが、激戦区となったユーラシア大陸で失われた…
彼女達の愛した父母や兄弟姉妹達に、その生きた証をお伝えする。
それこそが、生きて復員した私達の果たすべき責務だった。
いつものように、司令官として勤務する信太山駐屯地へ登庁した私は、今日も公用車に乗り込み、戦死した部下の遺族の住まいへ向かった。
-亡き部下の遺族へ向けた弔問回り。
この職務を戦後処理の一環として師団司令部から拝命した時、私こと天王寺ルナ大佐は「御遺族から恨み言を吐かれるのではないか?」と半ば身構えていた。
他部隊の指揮官達も、概ね私と同じ心境だったはずだ。
しかしながら私を迎える御遺族達の反応は、予想とは裏腹に穏やかだった。
-大恩ある上官殿に御参り頂けて、娘も喜んでおりますよ。
そう寂しげに微笑むと、真新しい位牌に手を合わせる私の一挙手一投足を、静かに見つめていらっしゃった。
御遺族達の口から出るのは恨み言ではなく、兵舎や戦地における娘達の暮らしぶりや人となりを尋ねる質問ばかりだ。
在りし日の部下達と共有した思い出を、私は包み隠さずに打ち明けた。
私が知り得なかった日常のささやかな出来事も、鞄持ちとして従えた年若い少尉は克明に覚えており、より具体性を伴った思い出話をお伝え出来た。
この園里香という少尉は、同じ信太山駐屯地の釜の飯を食べた腹心であり、珪素戦争の激戦区となったユーラシア大陸では共に死線を潜り抜けた戦友でもある。
気心の知れた彼女に同行して貰えたのは、不幸中の幸いだった。
不幸中の幸いは、もう1つある。
それは今回の戦争が珪素獣という人外の敵性生命体との争いで、それに私達が勝利を収めた事だ。
そのため、御遺族も娘達の死を「戦勝と平和への礎」と受け止められたし、私達も敵国の間諜を気にせずに部下達の思い出を語る事が出来た。
仮に先の戦争が国家間の戦争で、オマケに負け戦に終わっていたら、こうはいかなかっただろう。