私だけを見つめて欲しい
気になる点がありまして、書き直しました。
直したのは最後の辺りです。
申し訳ありません。
「すまない、シャノン嬢。アリソン嬢を愛してしまったんだ」
謝罪の言葉を口にしながら、彼の表情からは私への申し訳なさは微塵も感じられない。
それはそうだろう。悪いなどと思っていないのだから。
彼の頭の中はきっと、愛する女性に告白をし、受け入れられる事しかないに違いない。
私の事は真実の愛に立ちはだかるちょっとした障害ぐらいのものだろう。もしくは運命の愛に巡り合う為の切っ掛けぐらい。
もはや何度聞かされたか分からないその言葉に、心が軋む。
辛い。
……そう思うのに、私はいつも、畏まりましたと笑顔で答える。
何故なら、何を言っても無駄だからだ。
もう良い加減、私も何も感じなくなれば良いのに。
姉のアリソンはとても美しい。
黒く艶やかな髪は闇夜のようで、空を映しとったような青い瞳。白磁のような肌。
同性の私が見てもうっとりする程の美しさの持ち主。
誰もが、とまでは言わないけれど、多くの男性が姉に一目で恋に落ちる。
病弱な姉の代わりに婿を取り、家を継ぐ予定だった。
その為に知り合った男性の多くは姉を求めた。
二十歳まで生きられるかどうかと言われた姉に婿を取らせる気は両親にはなく。
姉も自身の身体の弱さに引け目を感じ、婚姻を望まない。信頼の置ける両親の元で過ごしたい。それが姉の望み。
アリソンは私の縁談が壊れる度に、申し訳なさそうに謝る。……止めて欲しい。尚更惨めになるから。
姉は私を愛してくれている。私に伴侶が出来る事を心から望んでくれている。
彼女の性格が悪かったなら、まだ良かったのだろうか。
……そんな事を考える自分に嫌気が差す。
姉に愛の告白をする為に私の前から去って行った男性を見送る。
いっそ、姉が婿を取ってこの家を継いでくれれば良いのにと思う。そうすれば私は自由になれるのではないかと。
……けれど家名を背負って嫁ぐのなら、姉の影から逃げる事は叶わないのだろう。
病弱なのが私だったら良かった。
決してなおざりにされている訳ではない。
両親は私を愛してくれている。けれど、父も母も、病弱なアリソンが頭から片時も離れる事がないのだ。
その場にいなくても、会話をしていると必ず姉の名前が出てくる。
仕方のない事だと分かっている。
けれどどうしても、寂しさを感じてしまう。
健康に生まれて、両親にも気にかけてもらっている。
望み過ぎは良くないと分かっているけれど、この寂しさだけは消す事が出来ない。
父が幼馴染でもあるロジャーとの話を持ってきた。
ロジャーは姉のアリソンに恋に落ちなかった珍しい男性で、だからこそ私は気楽に接する事が出来た。
少し口が悪いけれど、誰よりも気安く話せる相手だった。
私はロジャーとの婚約を受け入れた。ロジャーも受け入れてくれた。
彼となら恋をしなくても、夫婦としてやっていけそうだと思えたから。
「嫁の貰い手のない幼馴染み殿を、このオレがもらって差し上げよう」
「はいはい、ありがとうございます。
残念ながらもらうのはこちらなのよ、幼馴染み殿」
いつもの軽口にほっとする。
愛情を私に持ってくれなくても良い。
姉を愛さないなら。
婚姻を結んだ相手が、妻の姉を愛し続けるだなんて、耐えられない。
騎士団に在籍していたロジャーは、隣国との小競り合いに巻き込まれた際の怪我が元で、前線に出る事は叶わなくなった。
部下を守って怪我をしたのだ。
あの時は見舞いに何度も足を運んだ。ロジャーに婚約者や恋人がいたなら出来なかっただろうが、そのような相手はいなかった。
幼馴染みという立場を利用して何度も見舞いに行った。
ロジャーに恋をしていた訳ではない。私にとってロジャーは気の置けない相手で、これまで知り合った中で唯一、私をアリソンのおまけとして見なかった人なのだ。
人として好意を持っていた。だから早く快癒して欲しくて、傷の治りに良いと聞いた食べ物や薬を手にしては彼の元を訪れていた。
ロジャーは快復した。
日常生活に支障はない。けれどもう、剣は握れなくなってしまった。退団しようとしたロジャーを皆が止め、事務処理を職務とする事で騎士団に残る事になった。
当のロジャーはあっけらかんとしているが、心の奥底ではどう思っているかは分からない。
誰もが口に出来ない悩みや苦しみの一つ、胸の奥に抱えていても不思議ではないから。
「今度の休みに、市街に行かないか」
「構わないけれど、何かあるの?」
何か催し物でもあったかと記憶を手繰り寄せていると、ロジャーは呆れるように言った。
「馬鹿だな、婚約者なんだから親交を深めるのは当然だろ」
子供の頃から知っているのに、何を今更と思う。
けれど家にいるとその窮屈さに息が詰まりそうになる。
幼馴染みだからなのか、私とロジャーがお茶をしていると姉のアリソンが参加したがるのだ。
身体が弱く、友人も少ないアリソン。たとえ出来たとしてもその美しさの所為で仲違いする事が多い。彼女達の婚約者がアリソンを見初めてしまうから。
自分に好意を持たないロジャーにアリソンが安心するのも分かる。
最初のうちは良かったけれど、次第にそれを不快に思う自分に気付いた。
アリソンが日頃顔を合わせる者は限られている。だからたまに訪れるロジャーを相手に話がしたいのだ。
気が付けばアリソンが話の中心になっている。
ロジャーは手慣れたもので、その話に乗りつつも私に話を振ってくれる。決して私を置いて二人で話をしたりしない。そのさりげない優しさにいつも救われる。
ただ、そんなお茶会に疲れを感じているのも確かだった。だから私はロジャーの誘いにのった。
「エスコート、よろしくお願いしますね、婚約者殿?」
揶揄うと、ロジャーはお任せあれ、と笑った。
約束の日。
迎えに来てくれたロジャーと共に馬車に乗り込む。
門のあたりで誰かが騒いでいるのが見えた。そっと小窓から覗くと、私の婚約者になる予定だった男性が騒いでいた。
彼は予想通りアリソンに断られてしまった。
可哀想にと思わない事も無いが、私にはもはや関係の無い人だ。
「頑張ってるな」
気になっていた事を訊く機会なのではと思った私は、ロジャーを見た。
婚約者同士なんだからと隣に腰掛けたロジャーの顔を。
「ロジャーはアリソンをどうして好きにならないの?」
予想もしていなかった事を聞かれたとでも言わんばかりの顔をしている。
「どうしてって、好みじゃない。
確かに美人だとは思うけど、それだけだ」
「もしよ? アリソンがロジャーを好きになったら?」
「どうもしないだろ。オレにはお前がいるんだから」
迷いもせず返ってきた言葉に、胸の奥をぐっと掴まれたような気がした。
「アリソンは幼馴染みで、婚約者の姉。未来の家族。
シャノンもオレの幼馴染みで婚約者。オレの妻」
「未来のね」
そうだ、と言ってロジャーは笑う。
私の卒業を待って式を挙げる。
出来るならそこにアリソンがいなかったら良いのに。地味な格好をしても私よりきっと美しいに決まっているから。
我が儘だって分かっているけれど、その日だけで良いから、一番だと褒められたい。
……浅ましい考えに嫌になってくる。
到着するとロジャーは先に馬車を降り、私が降りるのを支えてくれた。
「おまえ、ちゃんと食べてるのか?」
「食べているわよ」
アリソンと比べられるのが嫌で、せめて体型だけはと気を遣い、食べる量を減らしているのは秘密だ。
「本当か? あまりに軽くて驚いたぞ?」
上から下までジロジロと見てくる。
「私はこれで健康なんだから気にしないで。
それにこの体型で式の為のドレスも作ってあるのよ」
ふむ、と頷いたロジャーは「じゃあ、一緒に暮らしたら食べさせる」と言い出した。
「止めてよ。ドレスが入らなくなるじゃないの」
「新しく作ろう。大丈夫だ、おまえのドレスを新しく作るぐらい、オレの稼ぎでも訳ないからな」
止めて欲しい、そう思う。
喜ばせないで欲しい。
それなのに、嬉しい。
「シャノンは地味な色のものばかりだからな、オレの好きな色を着せる」
「まぁ」
地味なのは、好きな色のドレスを着ていたら笑われたからだ。言った本人は聞こえているとは思っていなかったのだろう。
"同じ色のドレスを着ていると、より姉の美しさが引き立つ"
"同じ色を着れば自分も美しくなれると思ったのではないか?"
違うと言いたかった。
元々この色が好きだった。私が選んだ後、姉が私のドレスを見て自分も同じ色が良いと言い出したのだ。
けれど言わなかった。どうせ言い訳としか思ってもらえない。
あれから私は好きだった色が嫌いになった。
ロジャーの声で我に返る。
「式で白いドレスなのは、貴方の色に染めて下さい、と言う意味なんだろう? だったらオレの好きな色に染めてもいいだろう」
着ても良いのだろうか。
人に何か言われたなら、夫が選んだのですと言い訳をすれば良いのかしら。
「おまえもオレを好きな色に染めて良いぞ」
思いもよらない言葉に、なんと答えて良いのか分からない。
「白い衣装なのは花嫁だけじゃない。花婿もだからな」
駄目だ。
これ以上私を喜ばせる事を言わないで欲しい。
好きになってしまう。
「シャノンの色に染まってやるよ」
にやりと笑うと、言葉に詰まり、固まっている私の手をロジャーは引っ張った。
「さぁ、行こう、婚約者殿」
それからと言うもの、ロジャーは頻繁に私を街に連れ出した。
あまり出歩く事のなかった私には、何もかもが目新しくて、楽しくて、あっという間に一日が終わってしまう。
今日も二人、街中を歩く。
いくら剣を握れなくなったとは言ってもロジャーは普通の男性に比べれば強い。
二人で歩いていても不安はない。
「お、宝石商だ。
シャノンは宝飾品は嫌いか?」
「そんな事はないわ」
人並みに好きだけれど、また誰かに笑われたらと思うと手が出せない。
姉のアリソンが私が出かけると羨ましいと何度も言うものだから、罪悪感を覚えて出かけられなくなった。
それに、人の目もなんだか気になってしまった。
「よし、入ってみよう」
「え?」
手を引かれて店内に入る。
ずらりと並ぶショーケースには、沢山の宝飾品が並んでいる。
まるで自ら光を発するかのように輝く宝石達は、見ているだけで私の心を躍らせた。
「シャノン、これはどうだ?」
ロジャーが指差したのは、エメラルドだった。
エメラルドのはまったカフスと、ペンダントが並んでいる。近頃はお揃いの宝石のはまった宝飾品を身に着けるのが流行りなのだ。身には着けずとも、流行りだけは追っていたので知っている。
「綺麗ね」
深い緑なのに透き通っていて、ずっと見ていられそうな程だった。
「何かお気に召すものはございましたか?」
同じ場所にずっといたからだろう、店員が私達に話しかけて来た。その場から離れようとロジャーの腕を引っ張ろうとした時、信じられない事を言い出した。
「お揃いで身に着けよう」
「なっ、ロジャー、何を言うの?」
「婚約者に贈り物をしたいと言ったら、今の流行りを同僚が教えてくれた。
オレもシャノンも色味は少し違うが緑の瞳だし、丁度良い」
「でも……っ!」
「これを」
止める私を気にもせず、どちらもロジャーが購入しようとしたから、止める。
「待って。カフスは私が支払います」
ロジャーが怪訝な顔をする。
「懐を心配してるのか?」
「そうではないわ。
……お互いに贈り合うという所までが流行りなの」
嘘ではない。
けれど恥ずかしい。
ロジャーは店員を見る。店員は笑顔で頷いた。
「そうか」と答えて嬉しそうに笑うし、店員がお二人の未来に、なんて言い出すものだから恥ずかしくなってしまって、しばらく顔から熱が引かなくて困ってしまった。
色んな場所に行ってはお互いの話をした。
幼馴染みだけれど、改めて話していくと、知らない事ばかりだった。
それはそうだ。お互いに成長するのだから、好みだって変わる。好きなものも増えるし、嫌いなものだってある。
「今日はショコラの店に行こう」
また同僚から教えてもらったのだろうか?
「甘いわよ?」
多くの男性は甘いのが苦手だ。
ロジャーはそっと私に耳打ちをする。その動作に心臓が跳ねる。
「実は、甘党なんだ」
驚いて顔を見ると、少し恥ずかしそうにロジャーは笑った。
「内緒にしてくれ」
「分かったわ」
ロジャーを知っていくたびに、私の心の中のロジャーが存在感を増していくのを感じる。
優しい眼差しに、温かく力強い手。
実は甘党で、とてもマメだ。
アリソンに申し訳ないからと流行りのものを追いたくとも諦めていた私を、あちこちに連れ出してくれる。
まっすぐに私を見て、私の話を聞いてくれて、私の名を呼んでくれる。
幸せ過ぎて、夢のようだ。
私はロジャーに恋をした。
「最近、ロジャーってばここに来ないのね」
アリソンは不満そうに呟いた。
「シャノンが我が儘を言っているのではなくて?」
咎めるように言うアリソンを母が窘める。
「二人は婚約者同士なのだから、節度を守っていれば何処で会おうと問題ないわ」
でも、とアリソンが言うと、今度は父が言った。
「ロジャー君は活発な性格だ。屋敷でお茶会と言う柄でもない。街を歩く方が好きなんだろう」
父も母も、姉のアリソンを大切にはしているものの、決して甘やかしすぎる事はない。
むしろ妹とその夫の世話になる可能性のあるアリソンに、我が儘を言うなと窘めてくれる。
けれどそれがアリソンに伝わっているかと言うと、疑問だ。
「お茶会と言えばアリソン、貴女、もう二人の邪魔をしては駄目よ」
「邪魔って……酷いわ、お母様。ロジャーは幼馴染みなのよ? 妹と幼馴染みがお茶会をしている所に参加して何がいけないの?」
母はため息を吐くと、噛み含めるように説明する。
「貴女達は大人と呼んで差し支えのない年齢なの。
シャノン達は婚約者。卒業を待って夫婦になるのよ。
その二人の逢瀬に姉の貴女が入るのは邪魔でしかないわ。
こんな当たり前の事を言わせないでちょうだい」
叱られたアリソンが泣きそうな顔をする。
感情を抑えようとしない姉は、年上とは思えない。
「まぁまぁ」
きつめに注意をする母を父が宥める。
「貴方がアリソンをそのように甘やかすから、このような事になるのです。
いくら身体が弱かろうとなんだろうと、淑女として恥ずかしくない振る舞いをしなければ、恥をかくのは家を継ぐシャノンなのですよ」
返す言葉のない父は、それ以上姉を庇えなかったようだ。
「シャノン、貴女もそう思っているの? 私が邪魔だと」
そうだと答えたいけれど、そうすれば私が大人気ないと言われてしまう。
何と答えたものかと考える。
「卒業をすれば直ぐに夫婦になるわ。生涯を共にするのだから、少しでもお互いの事を知る為に、一緒に外出をするのはとても有効なの。
お茶会だけでは気付けない事が多くあるのよ、お姉様」
もういい、と言い残してアリソンは部屋を飛び出した。
「あまりアリソンにきつい事を言うな」
父が母に言う。
「アリソンの為です。
ようやくシャノンの婚約者が決まったと言うのに、もしこれでロジャー様がシャノンではなくアリソンを選ぶような事があったら、この家は何と言われると思いますか?」
家の存続を疎かにする愚か者──我が家はそう言われる事になるだろう。
いくら姉が飛び抜けて美しかろうと、私がこの家の跡を取る事は王家に書類を提出した時点で決まったのだ。
その娘の為の婿を、跡取りになれない姉にあてがうなど、血筋を守る貴族として、失態以外の何者でもない。
「今はまだ噂にはなっておりませんが、もし姉が妹達の仲を裂こうとしているなどと言われたら何とするのです。貴族の令嬢としての振る舞いも教えず、甘やかすだけの無能と謗られるのですよ」
繰り出される正論にぐぅの音も出なかったのだろう、父は決まり悪そうに黙り込んだ。
父に比べれば母は姉に対してはっきりと言う所はあったが、今日の母は随分と厳しく感じられた。
姉に対して複雑な思いは抱えているものの、嫌いではないのだ。
彼女に罪はないと思っていた。あるとするなら最終的に甘やかしてしまう両親だろう。
けれど最近は、自分は不幸なのだからと思い通りにしようとする姉にも問題があるように思えてしまう。
それがここにきて母の硬化した態度を不思議に思う。
「アリソンの病に効く薬が隣国で作成されたと言う噂を聞きました」
母の言葉に思考が止まった。
それはつまり、どういう事なのだろうか。
私は不要になると言う事──?
隣国から取り寄せるとなると、時間も費用もかかるであろうに、両親はすぐさま使いをやった。
そうして取り寄せられた薬は真に姉の病気を快癒に向けるもので、姉の体調は回復していった。
「浮かない顔だな」
ロジャーに出かけようと誘われたが、そんな気分になれずに断った。ロジャーはその事を怒るでもなく、我が家に来てこうしてお茶を飲んでいる。
扉が突然開いて姉のアリソンが駆け込んで来た。
「ロジャー! 見て!」
いつも身体が重い、息苦しいと言っていた姉は、薬の効き目もあって顔色も良く、その場でくるくると回っていた。
これまで思うように動けなかったのだ。嬉しくて堪らないのがよく分かる。満面の笑顔は花のように美しい。
マナーとしては、最悪だ。
「身体に合う薬が見つかったと聞いた。おめでとう」
「そうなの! これでロジャーとも私、お出かけ出来るわ!」
ロジャーと出かける?
姉の言う事が分からないでいると、ロジャーが言った。
「何故オレとアリソンが出かける必要がある?」
「だって、シャノンは私の身体が弱いから、私の代わりに婿を取って家を継ぐと言う事だったのでしょう?
でも私、もうこんなに元気なのよ? だから私が家を継ぐのが当然でしょう?」
アリソンは思い違いをしている。
幼い頃から私は、当主の妻となるべくして教育されてきたのだ。
身体が人並みになったからと言ってその教育が勝手に身に付く訳ではない。
それにアリソンの身体はこれからも薬を服用し続けなければならない。
父も母もこの点を何度も説明した。
でもアリソンには届かないのだ。
身体が良くなり、気分が大きくなっているのだろう。
そんなの簡単よ、シャノンだって出来たのだからと言ってのけた。
家督うんぬんはさておいても、姉のアリソンに淑女教育をと家庭教師を付けたが、捗々しくないと聞く。
「もしそうだとしてもオレはアリソンの婚約者にはならない」
予想外の言葉だった。
私にも、アリソンにも。
「え? どうして……? 家同士の婚約なのだもの。シャノンから私になっても問題ないでしょう?」
「婚約当初ならな。だが今は違う。もしそうなったら断らせてもらう」
これまでの人生の中で、選ばれ続けたアリソンは、自分が拒絶された事が信じられないのだろう。私も信じられない。私の願望がそう聞かせているのではないかと思えてしまう。
「私の淑女教育が進んでいないから?」
アリソンの言葉にロジャーは首を横に振る。
「アリソンならオレじゃなくともいくらでも相手は見つかるだろう」
「駄目よ! みんな私の姿しか見ていないのだから!」
あぁ、アリソンは分かっていたのだ。
私の婚約者候補は皆、アリソンに求愛した。
けれど、誰もアリソンの内面を見ようとしない。外見からアリソンの性格を勝手に決め付けていた。
きちんと内面を見て、アリソンの身体の事も考えてくれる人が現れたなら、両親も反対はしなかっただろうし、アリソンだってそうだったろう。
「でもロジャーは違うわ。私を見た目だけで判断しなかった」
「オレの好みじゃないからな」
自分の容姿に靡かないから良いと言いながらも、好みではないと言われるのは流石にアリソンの自尊心を傷付けたのだろう。ただ、これはアリソンの気持ちも分かる。
乙女心は複雑なのだから。
「じゃあ、シャノンが好みの容姿だとでも言うの?」
ぎくりとする。
「好みじゃない」
分かっているのに傷付く自分がいる。
出来たばかりの傷を己で慰めようとしていた所に、ロジャーが言った。
「でも、好きだ」
息が止まるかと思った。
今、ロジャーは何と言った……?
「私だってロジャーが好き!」
アリソンが声を張り上げて言う。
知らなかった、アリソンがロジャーの事を好きだったなんて。
次々と出て来る言葉に頭がついていかない。
「それはない」
ロジャーは冷静に否定する。
「おまえはオレの事など好きじゃないよ、アリソン。
もしそう感じてるとするなら、それはこれからの事が怖いからだ」
これからの事が怖いから……?
「薬の効果が出たという事は、これから淑女として社交に出ていかなくてはならない。
容姿には自信があっても、淑女としては覚える事が山積みだ。不安を覚えても何ら不思議じゃない」
あぁ、なるほど。
ロジャーになら失敗したとしても幻滅される恐れがないとアリソンは思っているのだ。
図星だったのだろう。アリソンの大きな瞳が揺れている。
「そ、そんな事ないわ。ロジャーが好きよ」
「オレの好きな色は?」
「え……?」
突然の質問に戸惑うアリソン。何が始まったのだろう?
「答えられない?」
ロジャーは私を見て言った。
「シャノン、オレの好きな色は?」
「……若草色」
「そんなの、二人で出かけた時に教えたのでしょう?」
「違う。三人でお茶会をしていた時に話した」
そう。お茶会の際に何度か会話に出たのだ、ロジャーの好きな色は。
「覚えていないだろう? アリソンは自分の話をするのに夢中で、オレの話などまともに聞いてなかったからな」
そう言って苦笑いを浮かべる。
「好きな相手の話は聞きたくならないか? オレは聞きたい。だから二人で出かけた時にはシャノンに質問をした。何が好きなのか。何が嫌いなのか。
オレが知ってるのは子供の頃のシャノンだ。今のシャノンの事は知らない事ばかりだ」
「……シャノンの事が昔から好きだったの?」
「いや、婚約者になってからだ」
胸が痛い。
さっきからずっと、ロジャーが何かを言うたびに胸が苦しくなる。
「もし本当にオレを想ってくれていたならすまない。その気持ちには応えられない。
頑張れ、アリソン。
時間がかかったって、頑張ってるおまえを悪く言う奴がいても気にするな。手を差し伸べない人間の無責任な言葉に振り回されるだけ無駄だ」
何も言い返さず、アリソンはじっとロジャーを見る。
「見た目だけで離れる男なんて放っておけ。馬鹿にする女は嫉妬してるだけだ、気にするな。
おまえをまるごと好きになる男はいる」
アリソンの目からボロボロと涙が溢れる。
分かっていたつもりでいたけれど、アリソンはアリソンでずっとずっと、悩んでいたし、不安も感じていたのだ。
「いるかしら」
「いるだろ。世界は広いんだから」
アリソンが部屋を出て行った後、ロジャーに礼を言った。
「ありがとう、ロジャー」
「んー? あぁ、どういたしまして」
「ありがとう」
「おぅ」
ハンカチが差し出された。
「泣くな。惚れた女の涙は困る」
惚れた女、と言う言葉に驚いて涙が止まる。
「ロジャー、その……」
どうしてこの人は、こんなにも真っ直ぐな言葉を使うのだろう。
「同僚にな、おまえは不器用だから中途半端に言葉を飾ったり、はぐらかしたら拗れるから止めろと言われた」
同僚とは、流行りを教えてくれた人なのだろうか、また別の人なのだろうか。
随分と女性の扱いに慣れた人だと思う。
「怪我をした後、オレは腐ってた。もう騎士に戻れない。どうせなら死ねば良かったのにと思った」
どう答えて良いのか分からないから、とりあえず頷く。
「復帰したオレを見て、大の男が泣いて喜ぶんだよ。
生きてて良かったって。
確かにオレはもう二度と剣を握れない。でもな、オレの咄嗟の判断は間違ってなかったんだって思った」
伏せ目がちにぽつぽつと話す彼を見ていて、さらりと話しているけれど、そこに至るまでは沢山悩み苦しんだのだろうと思った。
「騎士になる事しか考えてなかったからな、他でどうやって身を立てて良いのか分からない。
皆の説得もあって、騎士団に残り、事務処理を請け負う事に決めた」
そうだったのか。
「ようやく書類仕事にも慣れてきた頃、おまえの父親から縁談を持ちかけられた」
そこでロジャーは紅茶を飲んだ。
冷めてしまったろうからと新しいものを淹れようと立ち上がりかけた所を止められる。
「後でもらう」
そう言われては仕方ない。
座り直す。
「はじめは断ろうかと思ってた」
胸がぎゅっと痛む。
「騎士団に所属してるとは言ったって、裏方だ。
稼ぎはあるが、こんなオレとの婚姻なんて喜べないだろうと思った」
思いもしなかった言葉に、思わずそんな事はない、と言う言葉が口をついて出た。私を見てロジャーは優しく微笑んだ。
「オレが臥せっていた時、見舞いによく来てくれただろう? その礼って訳でもないけどな、もし誰もいなかったら、オレで良ければと答えた。
上手く言えないけどな、おまえとならやっていけそうだと思ったんだよ」
私もはじめはそう思った。
だからロジャーとの婚約を受け入れた。
「オレは器用じゃないからな、婚約したからにはおまえを大切にしたいと思った。
分かってるつもりでいた幼馴染みを、色々知るうちに惚れた、って話だ」
おしまい、と言って困ったような笑みを浮かべるロジャーの耳が少し赤かった。
この話をするのは、ロジャーにとっても恥ずかしい事だったみたいだ。
でも、話してくれた。それはきっと私の為に。
「もし、お父様がアリソンとの婚約を望んだらどうする?」
無いとは思うけれど、父は姉に甘いから、何となく不安になったのだ。
「断っておまえを攫う」
「攫う?!」
説得じゃないの?
「騎士団の裏方とは言えそれなりの稼ぎがあるからな、食わせていくのも、多少の贅沢もさせてやれるから安心してくれ」
止まっていた涙がまた、溢れて来た。
嬉しくて。
「幸せにするよ、シャノン」
「約束よ」
「あぁ、約束する」
**********
鐘の音が鳴り響き、扉が開かれた。
赤い絨毯の先にロジャーが立っているのが見える。
始まる前から泣いているアリソンと、そんな姉に寄り添う恋人の姿も見えた。
ロジャーに諭された後、アリソンは淑女教育に真面目に取り組むようになった。
けれど、何年もかけて身に付けていくものがそんな簡単に身に付けられる訳もなく。
正直に言って難航した。
問題はそれだけではなく、アリソンの身体は継続的に薬を必要としていたし、その薬による副作用も考えられる。子を産めるのかという問題もあったし、その薬は新薬という事もあって高価だった。
以前に比べれば格段に体調が良くなったとは言え、何もかもを取り戻す事は出来ないのだと誰もが思い知らされた。
気落ちしている姉を、気分転換にと私とロジャーで街に何度か連れ出した。
そこで姉に出会いがあった。
王都で一、ニを争う商家の当主──ダグラス・ケイネマンと。
年は姉よりも二十も上ではあるものの、若々しく見える。ダグラスは若い頃に結婚していたが、彼の妻は二人目の子を産んで間もなく、産後の肥立が悪く、他界していた。
親族からは後添えをと言われていたがそれを断り続けていたと言う。
そのダグラスと姉が恋仲になったのだ。
最初は世間知らずの姉が騙されているのではないかと家族中がやきもきしたが、それも杞憂に終わった。
今では家族全員、ダグラスの息子二人にも祝福されている。
アリソンのマナーは完璧ではないが、彼女は貴族籍を抜け、ケイネマン家に嫁ぐ事が決まっている。
商人の妻とてマナーは必要であるが、貴族の社交程厳しく言われる事もなかろうと思う。
ケイネマン家としても、貴族と縁続きになるのは悪い事ではないし、後継者も既にいる。
アリソンが従来の身体の弱さ、薬の副作用などで子が持てなかったとしても問題もないし、薬を購入し続ける為の経済力は十二分にある。
年上で落ち着きのあるダグラスは甘えの抜けきらないアリソンを包み込むだけの度量があり、彼女の失敗を優しく諭すだけの忍耐力も持ち得ている。
良縁だと今では思っている。
ロジャーは本格的に父から当主になる為の教育を受けている。騎士団の仕事は辞めたくないとの事で、続けているが、どちらも、というのは中々に難しかろうと思う。
それでも彼はやりたいと言う。だから私も止めはしない。妻として支えたいと思う。
そう、私は今日、ロジャーの妻になる。
私が欲しかったのは、私だけを見てくれる人だった。
ロジャーは私を見てくれた。
受け止めてくれた。
一歩一歩進み、ロジャーの横に立つ。
私を見る目に、確かな愛情を感じる。
差し出された手に、手を重ねる。
「行こう、シャノン」
「えぇ、ロジャー」
二人、前を見る。
今日からは二人。