一 始まり
「ありがとうございましたー!」
俺はコンビニの無機質な入店音とともに店を出るお客様を見送る。
「柑凪くんお疲れ様。もう上がって良いよ。」
「分かりました。お疲れ様です。」
バイト先の店長に裏から声を掛けられ、俺は次のシフトの人に引き継ぎをしてからあがった。
店長とちょっとした話をしながら着替えていたのだが、途中で堪えきれなかったあくびが出てしまい、俺は慌てて店長に謝った。
だが店長は俺を咎めることはなく、むしろ心配された。
「柑凪くん、働いてばかりで全然寝ていないんでしょ。」
「いえ、ちゃんと寝てますよ〜」
俺は笑ってごまかしたが、店長が言ったことは本当だ。
実はこれから他のバイトの予定も入っていた。
俺はどうしてもお金をたくさん稼ぐ必要があったのだ。
「まあ、くれぐれも体には気をつけるんだよ。
あと良かったらコレ、持って帰って。みんなには内緒だよ。」
そう言いながら店長はビニール袋に入ったお惣菜を口に人差し指を当てながら俺に手渡す。
彼はいつもこうやってお金の無い俺に食べ物を与えてくれる。
俺はお礼を言いながら袋を鞄の中にしたまう。
「ありがとうございます。では、お先に失礼しますね。」
「はいはい、お疲れ様〜」
俺はコンビニを出た。外は夕方であるというのに既に暗く、冷たい風に射抜かれ俺は体を震わせた。
自分の元から跳ねている髪が風でぐしゃぐしゃにかき混ぜられる。
ジャケットのポケットに手を突っ込んで自宅へ歩みを進める。
俺は高校生である妹、なつめと二人で生活している。
俺が高校生だった頃に両親が家に帰らなくなった。
理由は今でもわからないが、母さんも父さんも浮気をしていたみたいだった。
頼れる親戚もおらず、そのあと俺は学費が払えなって学校を辞めた。
だけど、なつめだけはどうか学校に通わせてあげたいので今俺はいくつものバイトを掛け持ちしている。
妹を幸せにすることが俺の使命だ。
気づけば見慣れた古いアパートの前に居た。
老朽化した木造建築を眺め、俺はため息をつく。
「俺がもっと稼げれば、なつめに惨めな思いをさせずに済むのに」
そうしたら家だけではなく、なつめに可愛い服も欲しいものも買ってあげられるのに。
俺は悔しくて唇を噛んだ。
疲れで重い足を引きずるように軋む階段を上り、鍵でドアを開けた。
俺は先ほどの暗い気持ちを取り去るように頭を振り、明るい声で「ただいま」と言った。
部屋の奥からエプロン姿の妹が笑顔で駆け寄ってくる。
「お帰りなさいお兄ちゃん!外、寒かったでしょ?ご飯もう食べれるよ」
俺は愛する妹の顔を見て、疲れも暗い気持ちも全部吹っ飛んだ。
妹だから可愛いと思うのは当たり前だが、世間から見てもなつめはいわゆる美少女だろう。
艶々の長い髪を後ろでふたつ結びにしていて、大きい橙色の瞳。雑誌などで見るモデルにも引けをとらないくらいに整った容姿をしている。俺と似ているところなんて髪と瞳の色しかない。
なつめは慣れた手つきで夕食の支度をしていく。
親が居なくなってからなつめが食事の用意をしてくれている。
「お兄ちゃん、ご飯の用意できたよー!」
「わかった、すぐ行くよ」
なつめに呼ばれ俺は食卓の席につく。今日の夕食はシチューらしい。いただきますと言って、スプーンは口に運ぶ。冷え切った体にシチューの温かさが染み入る。
「お兄ちゃん、美味しい?」
「うん、美味しいよ。なつめはやっぱり料理が上手いな。」
「えへへ、良かった〜」
はにかみながら笑う妹を見て、俺も温かな気持ちになる。
「いつもご飯を作ってもらってごめんな。毎日だと疲れるだろ?」
「全然そんなことないよ。お兄ちゃんいつもお仕事頑張ってるから、私も頑張らないと!」
妹が健気で良い子すぎて涙が出そうになる。
なつめはなんでも出来る。勉強はいつでも学年トップ、運動も出来るしおまけに優しい。
俺たちは夕食を終えて、食事の後片付けをを一緒にささっと済ませる。
「お兄ちゃん、夜もお仕事?」
「うん。今日は冷えるからちゃんとあったかくして寝ろよ。」
俺はなつめのあたまをくしゃりと撫でる。
「お兄ちゃんこそ、寒いし気をつけてね。」
「ありがとうな、なつめ」
俺は夜のバイトのために家を出た。
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俺はバイト先に向かって歩き始めた。辺りはもう暗く人気がない。しかも雨まで降ってきた。
「バイトに遅れちゃいそうだ。」
時間がなかったので、俺は走り始める。跳ね返った雨水がズボンの裾を濡らし、靴にも水が入る。
「チリン...チリン...」
横断歩道を走って渡る最中に鈴の音が聞こえたと思ったら、突然何者かに足を引っ張られて俺は濡れた地面に倒れ込んだ。
「な、なんだ!?」
頭が混乱している最中、こちらに向かって猛スピードで突っ込んでくるトラックが見えた...と思ったら俺の体は宙に浮かんだ。おそらくトラックに轢かれたんだろう。
世界が回る。
鈍い痛みが頭にぐわんぐわんと響く。
もう、なにも音が聴こえない。
意識が遠くなっていき、なつめの笑顔が脳裏を横切る。
(俺...死ぬのか...?なつめ...ため...働かなきゃ...生き......)
『クスクスクス...』
誰かの笑い声と共に、俺の世界が暗くなった。
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