誰か私を貰ってよ!!
「うわあぁん!!また振られたよボターン!!」
「そーかよしよし。ほれ、私の秘蔵の酒でも飲んで落ち着け撫子」
『銀麦』と印字された缶を渡された撫子は、プシッごくごくッぷはー!とビール三段活用でイッキすると、けふっと可愛いげっぷと共にカーペットに横たわった。その目は死んだ魚のように虚ろで、せっかくの美人が台無しだった。
その綺麗な口からは呪詛のような声が垂れ流される。
「……今回はイイ所まで行ったのよ。交際期間も今までで最長の三ヶ月を記録したし、セックスだって彼から頻繁に求めてきたのよ?なのに今日彼の誕生日が近いから『プレゼントはなんの車がいい?フェラーリ?』って言ったら一言『俺は君と釣り合わない』って何よそれ!?男の人はみんな高級車チラつかせたらホイホイ釣られるモンじゃないの!?」
「……世間は車離れしてるからねぇ」
まくしたてる撫子を余所に、牡丹は慣れた様子で自分の缶を呷った。彼女の癇癪などこれまで腐るほど見てきているので慣れっこなのだ。今宵も長くなるぞと牡丹はおつまみカルパスの袋を開け、横たわる撫子の口へひとつ放った。
撫子はもぐもぐ食べると、魂が抜けそうなほどのため息をつく。
「何が悪かったのかなぁ。私、結構尽くすタイプだから嫌われる要素低いと思うんだけど……」
「うんうん。まずはその尽くすレベルを改めようか」
反省点を探す撫子に、優しい声で諭す牡丹。
外では撫子の心情を表すかのように、しとしとと雨が降っていた。
──ここは都内のアパートの一室、安藤牡丹の住居である。そこに泣きついてきた、三ヶ月続いた彼氏と別れたてホヤホヤの五十嵐撫子とは幼なじみで、上京した今でもこうして酒の席を囲む仲だ。
牡丹は大の字になって天井の虚無を見つめている撫子を見やる。
彼女の容姿は二十四になろうというのに、あどけない幼さが残っていてティーンと言われても全く違和感がない。
肌も白くて線も細く足長い、オマケに絶賛イケイケの売れっ子作家様でお金持ちでもある。そんな自他ともに認める美女が五十嵐撫子という女だ。貧乳だってステイタスだと言い張る。
しかし、そんな彼女にも欠点があった。それが目の前の惨状である。
腰まで届く黒髪がカーペットにバサリと広がり、人形のように整った顔も無表情だと呪いの人形に早変わりする。髪の毛が一本口の中に入っているしこれは絶対ワザとだ。試しにカルパスを目の前にぶら下げてみた。
「っあむ」
首だけ上げてカルパスを頬張る撫子。ひょいひょい次のカルパスを捧げていく牡丹。その内撫子がむせた。
「ッぶは!?ちょっと牡丹私を殺す気!?」
「あははは!ナデコ面白ーい!」
牡丹の脇にはいつの間に飲んだのか、空き缶がコロコロ転がり顔も赤くなっていた。呪いの人形を肴に酒がよく進んだようだ。
「私より先に酔っ払いやがってぇ」
唇を尖らせた撫子は起き上がって銀麦を速攻で空にすると、再びカルパスをむっしゃむっしゃ貪る。
「銀麦なんて洒落しゃいしゃけじゃ酔っ払えらえない!にゃんか他の持ってこぉいボタンン!!」
「あははは!ナデコ可愛い!ほら日本酒だよー」
牡丹が出したのは『かわうそ』と書かれた一升瓶。それをコップにとくとく注ぐと、撫子はかっさらって飲んだ。
「ンまい!まりゅで水みたいにゴクゴク飲めるぞぉ!?」
「よかったねぇ」
笑いをこらえる牡丹。実は一升瓶の中身は水道水に変わっており、本来の中身は昨日の牡丹の喉を潤した後だ。
それを知らない撫子は美味そうに水道水を飲んでいく。本人は幸せ絶頂なので何も問題はない。
この悪魔の所業を親友に施した女、安藤牡丹は自他ともに認める平凡な女性だ。茶色に染めたショートボブを今はカチューシャでかき上げ、すっぴんで酒を嗜む完全オフモードな彼女は昼間はカフェの個人経営している。
オープンして一周年、客足は撫子はじめその他の人脈にも恵まれて迎えた今日、こうして気兼ねない親友と飲んでいるワケである。
このタイミングで男に振られてきた撫子には気の毒であるが、毎度のことなので牡丹は容赦なく肴にしていた。酒が進む進む。
一方、清水をがぶ飲みしている撫子は段々動きが衰えてきた。500㎖の酒がその小さい体に回ったのだ。
「う、うぅ……っ、牡丹がいっぱいいりゅ……」
「相変わらず弱いなーナデコは。ほれ私はコッチだぞー」
パンパンと手が叩かれる音に、撫子は誘蛾灯に導かれるが虫の如く四つん這いで牡丹の下に辿り着く。牡丹は彼女の小さい顎に両手を添えると、ぽーっと赤らんだその顔をまじまじと見つめた。
「こんな可愛い撫子を捨てるなんて、男はどいつもこいつも見る目が無さすぎる。『重い』なんて体のいい言葉使っちゃって、女が自分より収入高い現実に嫉妬してるだけだろ!男なら、貢がれた分だけ相手を幸せにしてやろうって気概くらい見せんかい!」
突如憤慨した牡丹が撫子をぐりぐり撫でる。されるがままの撫子は「みょぁぅあ」と変な呻き声を上げ、ポソリと寝言のように呟いた。
「誰かぁ……私を貰ってよぅ……」
その言葉にピタリと止まる牡丹。そしてすーすー寝息を立て始めた撫子をぎゅっと抱き抱えると、赤らんだ顔に今にも泣きそうな表情を浮かべて囁いた。
「……私が貴女を貰いたいわよ、撫子」
その言葉は突如として強くなった雨音に消され、誰の耳に届くことはなかった。