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◇人魚の涙 その3

「行かないわよ。けが人を放っておけるわけないでしょ。」


 本当は一刻も早くグレーネに帰って、父や姉たちに顔を見せて安心させてあげた方がいいのだろうが……頭ではわかっていても、後ろ髪を引かれてしまう。ここで私がいなくなってしまったら、彼は一人になってしまうだろう。病気の時、弱っている時ほど一人が心細い時はない。彼には……そういう時に傍にいてくれる人はいたんだろうか。


「そっか。姫さんは優しいね。……あんたのそういうところ、好きだよ。ずっと、変わらない」

「何を、大げさな……」


 好き、という言葉に思わずびくりとなるが、きっと深い意味はないのだろうと慌てて思い直す。だいたい、ずっとも何も私たちはまだ知り合ってひと月くらいしかたっていないはずだ。まるで以前から私を知っていたような口ぶりに違和感を覚えながらも、いつもの軽口と受け流すことができずに、しどろもどろになる。


「あんたは、誰にでも優しい。その優しさが……俺にだけ向けられていたらいいのに、って時々思うよ。」

「……え?」


 ふと、ため息交じりに呟いた真意がわからずに聞き返すが、ユリウスは何も言わずに背を向けた。

 もう少しだけ。あと、ほんの少しだけ。今はただ、何もできなくても彼の傍にいてあげたい。それが同情なのか、あるいは助けてもらった負い目なのかは、自分でもよくわからなかった。


 しばしの沈黙が流れる。何か話さなくては、と思うような気まずさは感じない。誰かがこんなに近くにいるというだけで、こんなにも緊張して、それでいて落ち着くような、名状しがたい気持ちになるのだろうか。それとも、これはユリウスだからなのだろうか。


 私が逡巡したまま視線を漂わせていると、ふとベッドの隅に小さなガラスの瓶が置かれているのが目に留まった。


「これは……?」


 手のひらに収まるほどの大きさの、小さくて細長い瓶。中をのぞき込んでみると、透き通るような一粒の雫が、宝石のように美しく浮かんでいる。同時に、どこかで見たことのあるような懐かしさが込み上げてきた。


「綺麗……」 


 自然と声が出る。彼はおもむろに瓶を手に取ると、光にかざしてみせた。天井でぼうっと光る明かりに反射して、雫もキラキラと虹色に輝きながら揺れている。


「綺麗だろ、これ。『人魚の涙』なんだ。」

「……人魚の、涙?」


 それを聞いた途端、一瞬で靄がかかったように、すっきりしない気持ちになる。

 人魚の流す涙が人間たちの間で珍重されることは知っていたが、どうして彼がそんなものを後生大事に持っているのだろう。涙、ということはどこかの人魚が流したものなわけで。ただ一言訊けばいいのに、その一言が重い。いざ口にしようとすると勇気が出ずに躊躇してしまう。

 そんな私を知ってか知らずか、ユリウスは顔色を変えずに続けた。


「ああ。どんな万病も傷も癒す妙薬で、人間が飲めば不老不死になるとも言われている。昔うちのばあさんがいた頃、依頼があって取って来たんだけど、吹っ掛けすぎたのか高すぎる、ってキャンセルされちゃってさ。好きにしていいって言われたから、ここに飾っているんだ」

「……そうなの。ねえ、それって……その。」


 私が言いよどむと、ユリウスは不思議そうな目で私を見上げた。


「ん?」


 それでも、気づけば私は疑問を口にしていた。


「……誰の、涙なの?」


 グレーネで魔法使いに関わるなんて、よっぽど世間知らずか日陰者かのどっちかだ。私以外にもそんな輩がいたことに驚くと同時に、なぜだか一気に気分が沈んでいく。


「あ~……どうだったかな。うん、思い出した。可愛らしい女の子だったよ。」

「へえ……」


 女の子。そう耳にした瞬間、針で刺されたようにちくりと胸が痛んだ。


「俺のために泣いてくれたんだ。ほんと、健気だよねえ」


 私だって、さっきユリウスのために涙を流したのに。でもなぜか口に出すことははばかられて、私は口ごもった。代わりに無理やり笑顔を作って、努めて明るい声を出す。


「そうそう、人魚の涙って、人魚の間でも『命よりも価値がある』、『あなたに心を捧げる』、という深い意味があるのだと姉さまに聞いたわ。だから、人魚は滅多なことでは泣いたりしないのよ。そんな相手がいたなんて……あなたって、幸せ者なのね。」


 笑っているはずなのに、なぜだろう。胸の痛みはじくじくと広がっていくようだ。


「……あれ?姫さん、もしかして覚えてないの?」


 勝手に落ち込んでいる私をよそに、ユリウスは心底不思議そうに私を見上げた。覚えてない……? 何を言っているんだろうか。


「姫さんだって、十年くらい前に同じことしてたでしょ。」

「……え?」


 その瞬間、脳裏に蘇ってきたのは、まるでそこにはいないように扱われていた、黒いマントの子供。吸い込まれそうな瞳と、寂しそうな姿がおぼろげながらも思い出されるようで、私は苦笑した。この際、そんなことをなぜユリウスが知っているのかということはさておき、若気の至りを言い訳する。 


「あれは……その。小さい子供が困ってたから、放っておけなくて。深い意味なんてなかったのよ。確か……魔女の使い魔みたいな黒い服の――あれ?」


 そこまで思い出して、私ははたと気付いた。

 いや、むしろ今までどうして気付かなかったのだろう。大体、このグレーネ付近にいた海の魔女なんて一人しか知らない。ユリウスがその魔女の跡を継いだというならば、なおさらだ。


「――も……もしかして、あの時の?!」


 心底驚いた。あの時は、私よりもだいぶ年下の、幼児と言っても差し支えない年頃のように見えたから。


「魔族は幼少期は特に、外見の年を取るのが遅いんだよ。そう、俺があの時のガキ。あの時は、どうも」


 そう言うと、何を思ったのかユリウスは涙の入った瓶を恭しく私に差し出した。


「これは、姫さんに返しておくよ。人魚にとって大切なものなんでしょ?」

「そりゃ、そうだけど……」


 それでも一度は上げたものだから、とためらっていると、彼はぐっと私の手に押し込んだ。


「いつか姫さんが俺のことを命よりも大切だって思ったら、その時はまたもらってあげるからね。」


 しっかりと手に握らされ、仕方なく受け取ることにした。随分と恩着せがましい魔法使いだ。気づけばおかしくなって、私は声を上げて笑い出していた。



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