第2章 4
4.
その知らせはいつものメッセンジャーボーイ(とあたしが勝手に呼んでいる若い軍人さん)ではなく、だいぶ年上の厳つく偉そうな軍人さんによってもたらされた。
あたしは例によって爪弾きにされていたので、リビングで洗濯物を畳みながらなんとなくTVを眺めていた。
今日はずいぶん長く時間がかかってるなあ、なにかもめごとでもあったのかな、と思っていると、急に廊下が騒がしくドタバタしてリビングのドアがバン!と大きく開けられ「早葵ちゃんにきちんと話す!あなたも同席して!」と激しい口調で言いながら多華さんが必死に制止する軍人さんを伴って入ってきた。
なに?!
とあたしがビックリして畳みかけの洗濯物を持ったまま硬直していると、「早葵ちゃん、ちょっと話があるの。洗濯物は隣の部屋に置いてきてくれる?」と口調を和らげて言った。
何が何やら訳が分からぬまま、ともかくも洗濯物をかき集めて自分の部屋へ持っていき、リビングへ戻ってくるとTVは消され、コの字に設置してあるソファの上座に多華さん、下座に怖そうな軍人さんが座っていた。
「早葵ちゃん、そこに座ってくれる?」と多華さんが横向きのソファを指さし、あたしは2人に挟まれる形でおずおずと腰を下ろした。
こ、怖い…
多華さんは今までに見たこともないような厳しい表情で、あたしの方を向いて口を開いた。
「早葵さん、これから大事な話をします。
話はふたつ。いい?」
「…はい」
ダメとは絶対に言えない雰囲気のなか、あたしは頷いた。
「まずひとつめ。
リョウが、昨日付けで前線に移動になりました。今の状況では最前線と言ってもいい、尖閣諸島。
…知ってる?」
「あ…聞いたことは、あります」
何年か前にあたしのいた日本でも問題になってた。中国と…台湾だったっけ?領有権を主張してて、日本が強引に国有化して…とかなんとか。
あたしの返事を聞いて、多華さんと軍人さんは一瞬、顔を見合わせた。
そして多華さんはまた話し出した。
「はっきり言って、この配置転換はおかしい。リョウの階級からいっても所属からいってもそんなところに行くはずがない。しかも処遇が大尉相当というのは絶対にありえない」
「え…」
何が言いたいのかあたしには全く見えない。
「リョウの今回の、様々な服務規定違反についての処分は、もっと穏当なものだったはず。
少なくとも私や陸軍関係者はそう聞いていたの。
なのに、どうして急にそんなことになったのか、考えられる理由はひとつ」
そこで多華さんは言葉を切り、まっすぐにあたしを見た。
え…あたし?!
「あたし、ですか?」
「ごめんね、こんな言い方して。でもそうとしか考えられない」
多華さんはほっと息をつき、気合を入れ直したかのように顔を上げて、身体ごとあたしの方を向いた。
「実は、早葵さんにはスパイ容疑がかけられています」
「え、、、、スパイ?」
あたしは頭が真っ白になって、言葉の意味を理解するのにかなり時間がかかった。
スパイって…あの、映画とかに出てくる?アメリカとかロシアとかの?
「この大日本帝国に、川上早葵という人物は存在しない。戸籍も出生届もIDナンバーも何もない。
前に学生証を見せてもらったよね。
そこに記載されていた生年月日、住所に、あなたに該当する人物はいなかった。
そもそも学生証を発行した高校は存在していないし、所在地にも学校はない」
「・・・・・嘘」
あたしは呆然と呟いた。伊哉さんに可能性を指摘されてはいたけど、本当に家も学校もないんだ。
本当に異世界に来てしまったんだ、あたし。
「4月1日に早葵さんの姿が皆川駅で軍に補足されたとき(リョウが攪乱して実家に連れて行っちゃったけど)、早葵さんの持っていたスマホのIPアドレスは、この国には存在しない形式のものだった。
途中でリョウが気づいたのかしら?切られて追跡できなくなっちゃったらしいんだけど」
「そ、そうです」
ものっすごい剣幕で怒鳴られていきなり電源落とされた。
そういう、ことだったんだ。
「皇帝が崩御あそばして、国が騒然としている時に突如現れるというタイミングも、時期が時期だけに神経質にならざるを得ないという我が国の事情もある」
と、怖い顔の軍人さんが口をはさむ。
「まあ、とにかくそういう怪しさ満載の早葵さんをどこまでもかばい通そうとするリョウを、これまでリョウの功績や立場を妬んだり面白く思っていない輩が、これ幸い貶めようと画策しているという推測が成り立つ、ってわけなの」
「あたしは…、スパイなんかじゃ、ない」
あたしは必死に言った。
伊哉さん!自分の立場を危うくするようなことをしてまで、あたしを守ってくれようとしてるんだ。
あたしに力をください!
「あたしがこの国には存在しないのは当然だと思います。なぜなら、他の世界から来たから!
今まで多華さんに話した、日本国という天皇制で戦争放棄してて民主主義で資本主義で軍隊はなくて自衛隊があって…の国の国民なんです」
「それを証明するものは?」
冷静に、厳つい軍人さんが言った。
「・・・・ありません。あたしという存在だけが証明です」
悔しくて握った拳を膝の上でプルプルさせていると、多華さんがまたほっと息をついて言った。
「早葵ちゃん、落ち着いて。
私も、軍の一部の人間も、そして皇太子殿下も、あなたがスパイだとは思っていないから」
「えっ??」
「だぁってぇ」
と、多華さんはにっこり笑ってウィンクした。
多華さんは立ち上がって、大きな窓のカーテンの後ろのあたりから、監視カメラを取り出した。
「この部屋、こういうのがいくつも取り付けられていたんだけど、あなた全然気づいてなかったでしょ」
「えっ…何それ、カメラですか?」
全く知らなかった。
「政治的な話とか国際問題の話にも、関心ないフリしてるのかとも思ったんだけど、なんだか本当にまるきり興味なさそうだし、知識も本当に高校生?っていうくらいしかないし。
軍内部のことも全然探りを入れてくるようでもないし、リョウの部屋に近づく様子もないし。
早葵ちゃんの部屋のドアに人感センサーを取り付けて、真夜中とかに部屋から出たら通知されるようにしてあったんだけど、まったく出てこないし」
「・・・・・えー」
なんか莫迦にされてるのかな。
こんなんでスパイ容疑晴れるのか。
「時間をかけて探るつもりなのかなとも考えたんだけど。
それにしても、体術がこんなにできないスパイがいるとは考えられない」
「体術?」
「私が日常生活の中で、わざと物を落としたり何かに躓いて早葵ちゃんに倒れかかったりしてみても、何の反応もなかった。でくの坊みたいに突っ立ってるだけ」
あーあれ。多華さんってずいぶん粗忽だなとは思ったんだけど。
試されていたのかそうだったのか。
多華さんは肩をすくめて続ける。
「早葵ちゃんは、私たち軍人の目をも欺く非常に優秀なスパイか、本当に異世界から来た人なのか。
でも、非常に優秀なスパイが偽の国籍や出自も用意せずに高校生のフリして外出禁止令の出ている日にのこのこと現れたりしないと思うのよねぇ」
「と、いうわけでぇ」
今度は手に持った監視カメラを目の高さに持ち上げて、レンズをのぞき込みながら言う。
「ちゃんと説得はしますから、ここからはオフレコで!」
電源切っちゃった。
厳つい顔をした軍人さんは、苦虫を噛み潰したような表情になっている。
「やっちゃいましたね、准尉」
「やっちゃいましたよ~」
多華さんはいつもの笑顔に戻って
「じゃあ、ふたつめの話をするね」
と言った。
あたしは「はい」と頷く。
伊哉さんの処分を解くために、あたしに何かできることはあるのか。